たたえられたもの
遍歴石工のニッカ
初出は「星と月の城塞都市1」
なるほど。広場の柱の上の鷹だ、とニッカは目の前に座らせた相手を睨みつけながら思った。
短く小ざっぱりとした髪は、酒場の薄暗い店内でもわかる金色。西方や北方に多い色だがこの辺りでは珍しい。
ややひそめられた眉の下の眼は、特徴的な青。「この青は鷹の青じゃない」と散々聞かされた身としては、石にこの色合いを要求するのはアホだと思う。
それにその頭の大きさ、アゴ下から胸までの長さ、そして、肘から手首の骨までの長さから、テーブルの上で組まれている手指の長ささえも……石工のニッカはイライラしながら目の前の男をジロジロ見た。
「(本当に実在したとは)」
そいつはバカバカしいほど発注元に指示された寸法どおりの男だった。
気持ち悪い。
さすがに依頼元の最重要人物であろう相手にそんな失礼なことを面と向かって口にしないだけの分別は、遍歴職人としてあった。しかし、どうにも渋面になるのをニッカは取り繕えなかった。
「(大方、あの奥方が美化した妄想だろうと思っていたんだが、まんま実物がいやがったよ)」
酒場の入り口から入ってきたときのシルエットを一目見ただけで、そんなバカなと思った。
身長ぐらいなら、同じやつはいる。しかし、明らかにニッカがよく知っている野郎連中と諸々の丈の比率が違う。こうも絵に描いたみたいに均整のとれた英雄体型の男というのはこの世の生き物としてどうなんだ?と思う。
美術工房の彫刻屋や絵描き連中が見たら卒倒するだろう。市長はコイツが工房に行く前に、今、飾っている彫像や絵の類を鍵のかかる部屋にしまった方が良い。槌を振り上げながら「作り直す!」と叫んで打ち壊しに来る職人連中が絶対に出る。
「なあ、あんた……利き手は右か?」
「そうだ」
「手を見せろ」
剣ダコはある。ニッカよりも大きい非常に見覚えのある形の手だ。ニッカは苦虫を噛み潰したような顔で左手も見た。
見覚えのある指輪がはまっている。
……作るときに大騒ぎしたやつだ。
「剣は両手とも使えるのか」
「敵は両側から来る」
当たり前のようにそう答えた英雄殿の周囲で、有象無象の野郎どもが「それはそうだが、利き手じゃなくても剣が振るえるのは話が別だろ」という顔をしている。なるほど。この男、外見だけではなくて、中身も変だということで間違いない。
ベテランの職業軍人というのは大抵の場合、身体つきが左右対称ではない。重い剣や盾を持つ手が決まっていて、特化しているからだ。しかし、この男にはその種の歪みもない。
「(まっすぐスクスク育ちやがって)」
ニッカは別に小男というほど背が低いわけではないが、この男と並べば頭一つ分は違うだろう。
ニッカはこれまでどうにも腑に落ちなかった二重基準の理由がいきなり理解できて、苦々しい気分になった。
「(全部コイツのためか)」
オルウェイの建築物に使われるスケールには基準が2種類ある。民間人の生活空間のための民尺と、公式行事が行われる空間のための公尺だ。
階段の幅から天井の高さまで、人の体型と視覚効果を考慮せよという話を、ニッカは発注元である太守夫人から散々聞かされてきた。例えば、歩幅に合わない幅や段差の階段は人に無駄な疲労感を与えるので、公共の中央広場の両脇に作る階段は体格が小さな女性や老人向けに民尺で。行事で使う中央の階段の幅は、見栄えと荘厳さのために公尺で。かつ遠近法を強化するデザインで奥行きを強調……という具合だ。
そして、その公尺のサンプルが、まさしくこの男なのである。
ニッカは、手形だけは見たことがあったので、体格のいい軍人という概念の理想体型を、手の大きさから逆算して考えて使っていたのだと思っていたのだが、どうやら実寸の計測値だったらしい。
「(要するに、コイツが中央に立った時に一番映えるように作らされたわけか)」
ニッカはげんなりした。
住む人のための都市構造をあれほど説いていた奴の一番奇妙なこだわりが、全然この街に寄り付かなかったこいつで、かつそれが生きて目の前に座っているというのは変な気分だった。神々に奉納する神殿を建てたあとに、その当の神様の前に立ったってこんな気分にはなるまい。
「なあ、あんた。一つ聞かせてくれ」
「なんだ」
「オルウェイに戻って来るつもりはあったのか?この10年で、ただの一度しか来たことはなかっただろう」
その一度の機会にニッカはこの男を見ていない。パレードの事前準備の指揮中に怪我をして、寝込んでいたのだ。……実は世間のあまりのお祭り騒ぎっぷりに、へそ曲がりの性分が出て、たいした怪我でもないのに家にこもっていたというのが正しい。不在の太守なんてろくなもんじゃないとニッカは思っていた。
あのときも、住民総出の大歓迎にもかかわらず、この男は歓迎式典もそこそこにさっさと次の遠征に出かけてしまった。
実のところ「戻る」という言葉を使うことさえ不適切だと思えるほど、この名のみの太守だった男は、この街と縁が薄い。
「戻れるとは思っていなかった」
男は視線を手元に落としたまま、ボソリとそう答えた。
世界の果てまでの遠征行だ。死にそうになったことは数しれないだろう。実際、生死不明と伝えられて、帰還はないと思われていた男なのだ。
「だが……」
男は顔をあげて、強い眼差しでしっかりとニッカを見た。
「戻りたい。戻らねばならないと思った」
ひねくれ者のニッカは、男の真っ直ぐすぎる澄んだ青い目が気に食わなかった。
「そりゃ帰れば、英雄として富と栄光に満ちたいいご身分になれるわけだからな」
「いや、向こうでは王の座を得ていたので、そのあたりは別に欲していなかった」
なんだか聞き捨てならないことをサラリと言ってから、青い鷹は少しはにかんだような笑みを見せた。
「でも、我が妻はここにしかいなかったからな」
「店主!店の酒、ありったけ持って来い!!」とニッカは怒鳴った。
しらふで付き合っていられない。
§§§
飲み過ぎた。
少しふわふわする頭でニッカは夜空を見上げた。曇っていて星は見えない。
いや、雲間に一つだけ見えた。
「よし。良いところに連れて行ってやろう」
「親方、女の子のいる店か?」
「そいつはマズイだろー」
「はいはーい、お供しまーす」
「やかましい!黙れ。テメーらは勝手に行って来い」
金を渡して一緒に飲んでいた有象無象を追い払う。
「おっと、あんたらもお断りだ」
海軍の偉いさんも追い返す。こっからはどんちゃん騒ぎじゃなくて内々の話だ。
とうの英雄殿は「どこに行く気だ?」などと尋ねる素振りもみせずに、黙ってついてくる。
少しばかりの間、一緒に飲んでみてわかったが、この男はオルウェイの上層部にいる化け物どもと同類だ。
あの奥方の旦那だってんだから当たり前だが、こういう1を聞いたら10も20も察する人外どもを相手にすると、自分が物わかりの悪いアホの小僧っ子になった気がして困る。相手がとうに分かっていることをくどくど説明するバカになるのは嫌いだから、こういう輩が相手のとき、ニッカは口が重くなる。
港湾地区を抜けて岸壁沿いにしばらく歩いたところで、後ろを歩いていた鷹殿が隣に並んできた。
「この先は俺以外は返すか?」
「ん?」
「付いてきている奴がいる。帰るように言ってくる」
市長のところのやつか、軍のところか、はたまた興味本位のバカか……。
「聞き分けが悪けりゃケツ蹴り飛ばしてやれ」と答えたら、彼はスッと踵を返して闇に消え、ほどなくもどってきた。
「二つ名は梟のがいいんじゃないか?」
「夜目は効くほうだが、それほど賢くはない」
「そうなのか。なら少しは説明してやったほうがいいか?」
「そうしていただけるとありがたい」
苦笑する気配に肩をすくめる。
賢い奴に説明しすぎてバカをみるのは嫌いだが、賢くない奴に説明をしないで当惑させるほど人非人でもない。
「まず一つ。この先は明かりなしだ。夜目は効くと言ったな。足場の悪いのも大丈夫だな?」
「足場があるなら」
「聞いた俺がバカだったよ。では、二つ目だ。これからあんたに見せるのは、オルウェイの根幹だ。この街のことはどれぐらい知っている?」
「ほとんど知らない。昨日と今日、少し歩いた程度だ。ただ……この街は英雄としての俺のために作られたから、人としてその想いに応えよとは忠告された」
「誰だ、そんな小難しいことを言いやがったのは。英雄も人もなにも全部お前じゃねぇか。てめぇの身の丈は一つっきりだろうが」
そんな寸法しておいて、人がましく悩んでるみたいな声出すんじゃねえよ。
夜道で後ろを歩いている相手がどんな顔をしているかは相変わらずさっぱりわからなかったが、ニッカは気にせずズンズン進んだ。
「この街はアトーラの南方の要だ。東も南も海の向こうもどいつもこいつもこの豊かで綺麗すぎる街を狙ってやがる」
「東と南とは協定があるはずだ」
「あんたが勝って押し付けたやつだな」
だが、それから10年。懲りてるジジイは代替わりして、恨んでるクズはほとぼりは冷めたと思っていて、若いマヌケにはオルウェイが美味しそうに見えている。
「これまではなんとかなってた。だがこれからもそうだとは限らねえ」
ニッカは目当ての岸壁の窪みを見つけた。真っ暗な横穴に入る前に、腰に下げていた細い縄の束をひと巻きほどいて、縄の端を同行者に握らせた。
「ゆっくり進むから真っ直ぐついてこい。いいと言うまで壁には触るな。跡が残ると目立つ」
「わかった」
闇の中を記憶を頼りに慎重に進む。
「今のオルウェイは上っ面はそれなりに華やかに見えるが、そんな部分にだけ目を奪われちゃいけねぇ」
目星通りの歩数を進んだところで、屈んで足元を探ると、金輪があった。
「一歩下がって声を掛けるまでじっとしてろ」
ニッカは金輪を引いて石の落し蓋を開けた。手探りで竪穴の縁を確認して、内側の窪みに足をかけて降り、さして深くない穴の底に置いておいたランプ一式を取り出して火を入れる。少々手間取りはしたが、ほどなく小さな明かりが灯った。
「降りてこい。蓋はそのままでいい」
足元を照らしてやろうとしたところで、鷹殿は穴の縁に手をかけて飛び降りてきた。これくらいの高さに足場は要らないらしい。
「この先はしばらく狭いから屈めよ」
「抜け穴か?」
「点検用の通路だ」
そうそう関係者外に入られては困る場所だから、わかりにくいところに作ってあると説明すると「俺はいいのか?」といささか自信なさげに尋ねられた。
「あんたが実はアトーラの敵で、よその国の思惑でオルウェイを取りに来てるってんなら、俺がやってることは大間違いだが、偉い奴らがその間違いは正してくれるから大丈夫だ。そんときゃ俺の命もないだろうが、裏切者のあんたなんて奴らが絶対に許さない」
「裏切ったりはしない」
「そうしてくれ。ついでに、あの嫁に会うために世界の果てから戻ってきたくせに、会っただけでぶるって尻尾巻いて逃げ出すような男だったら、そう言え。今ここで俺がトンカチでドタマかち割ってやるから」
ニッカは小さな明かりを向けて英雄殿の顔を照らしてみた。
無言。
ニッカはどうにも愉快な気分になった。
「(天下の大英雄にこんな面させた一介の石工なんざこの世にいねぇだろうよ)」
面倒な仕掛けをいくつか外して入り口を開き、狭いが立って歩ける程度には通路がましくなった細道を先導する。
「迷路だ」
「わざとそうしたわけでもないんだが、マヌケ避けにはちょうどいいかと思ってそのままにしている。勝手にここには来るなよ。迷子になられても探せん」
「こんな地の底で迷うのは嫌だな」
「俺だってそうだ」
だがまあ、歩き方さえわかっていれば迷う心配はない。
「この丸の中に三角形が入った印は道案内か」
「あん?」
「これと似た印が街路に飾られた絵についているのを昼間見た。場所によって向きはバラバラだったが、どれも正門に向かう道を指していたように思う。あれは非常時にでも迷わずに正門前広場に出れるようにつけられている表示なのだなと思ったのだが違うか?ここの石壁に時々ある同じ印はどこに向かってつけられているんだ。同じ用途なら最寄りの出口……いや重要防衛地点か」
「あのとんでもない嬢ちゃんが惚れ込んだ相手ってのはどんな奴かと思ったら、とんだ化けもんだな、おい」
「……惚れ込んだ?」
「ちょっと嬉しそうな顔すんなバカ。褒めてねぇよ」
ニッカは不機嫌そうに魔除けの句を呟いた。オルウェイの偉いさんは化け物ばっかりだ。
「ホントによう……実は敵でしたってのはやめてくれよ。おめえの戦勝祝いのときに出回ってた英雄伝は全部嘘っぱちだと思ってたのは考え直してやってもいいから」
「オルウェイが我が妻を裏切らない限り、俺がオルウェイの敵になることはない」
「世界全部が攻めてきたってオルウェイが嬢ちゃんを裏切ることはねーよ」
何ならアトーラが相手だって戦ってやらあってバカばっかりだとボヤくニッカに、アトーラの遠征軍の軍団長だった男は苦笑した。
「着いたぜ。そこの先を覗いてみな」
通路の先は、小さなランプの火が照らす明かりの輪がポッカリと切り取られた闇だった。
ひんやりとした空気と水音。
前に出てその先の空間を覗いてみたエリオスの目に映ったのは、膨大な量の水を湛えた大空間だった。
天然洞窟ではない。太い柱が何本も立ち並ぶ、天井の高い大広間だ。天井のところどころから微かに光がさしているので、うっすらと様子が伺えるものの全容はわからない。
「何だ、ここは。地下神殿?」
「田舎の迷信深い蛮族はそう思うだろうよ」
ニッカは通路の端から壁沿いに作られた石段……ちょっとした突起程度の足場……を教えて、下に降りるように言った。
「バカバカしい場所だろ。これこそオルウェイだ」
人の手の明かりでは照らしきれない地下の大空間を前に、ニッカは少し誇らしげに胸を張った。
「ここは神のための場所じゃない。人が入って使うことも考えちゃいない。でも徹頭徹尾、上に住む普通の住人一人一人のために作られた場所なんだ」
「……水か」
「水源の確保と排水は都市の基本だってのが嬢ちゃんのポリシーでな」
海辺にあるオルウェイは、川に挟まれてはいるものの、城壁内に籠城した場合、井戸で飲水を得ることはできない。
「川からの揚水機や水道橋は目立つから見ただろうが、むしろ知っておくべきはこれだ。ここまでやるのがオルウェイなんだ」
「よくこれほどのものを人の住む都市の地下に作ったな」
「バーカ、ちげえよ」
ニッカは10年前に見せられた設計図を懐かしく思い出しながらニヤリと笑った。
「最初にコイツをこさえてから上を順番に作ったんだ」
エリオスの脳裏に昼間の市長の言葉が蘇った。
「政というのは、流れるものを上手く溜めて綺麗に流してやる仕事なのだと教えられましてね」
水をどう治めるか。
動線をしっかり確立して、適度に溜めて、溢れたり枯れたりしないように調整し、溜まりすぎて腐らぬように常に回し続ける……それを最初からこの規模で?
「工事を始めた当時は今みたいに沢山人が住んでるわけじゃねぇ、荒れ果てた廃墟にわずかな駐屯軍しかないところだったんだぜ。それで今の3倍以上の人間が住んでも大丈夫な水の供給と排水を考えるって馬鹿げてるだろう」
人口の予測規模の多少はあるだろうが、これがこの先の帝国スタイルの都市の基本になるだろうと、ニッカは断言した。
「と言っても、オルウェイのは別格だろうがな」
ここは臭くないだろう?とニッカは鼻を鳴らしてみせた。
「飲用の上水、生活用水、排泄物や市場のゴミを流す下水、工房の毒混じりの水を流す専用排水……全部分けて流してるんだぜ。メンテナンス方法も考慮しろだの細けぇ上にうるさいことうるさいこと」
風呂屋とパン屋が窯を使うから煙突と薪と灰の動線を考えて場所を考えろってのを聞いたときも、正気か?と思ったが、肉屋や工房は排水路の都合があるから、都市計画時点で将来的な発展を見越して配置を想定するって言われた時には耳を疑った、と今や世界に冠たる大都市となったオルウェイを建設した棟梁はボヤいた。
「要するにだな」
ニッカは立ち尽くしている英雄の肩を叩いた。
「あんたがこれから守るオルウェイってところは、こういうところなんだ。見えてる今だけ守る覚悟じゃあ足らねえぞ」
「この先のオルウェイ……」
「10年前から計画されてた分だけでも、まだ届いちゃいねぇ。この先この街はまだまだ発展する。少なくともあのお嬢ちゃんにはそのオルウェイが見えている。いいか。あんたがそれを潰すなよ」
石工のゴツゴツした指が英雄の肩を強く掴んだ。
「あんたが噂された半分程度にでも英雄なら、その夢、守りきれ」
石工は自分より頭一つ背の高い男の顔をギロリと睨み上げた。
「嬢ちゃんの夢を形にするだけなら、こんなしょぼくれたジジイにだってできる。あの女にふさわしい男になる気があるくらい無謀なら、アイツの計画を上方修正させてみやがれ」
そんときゃ、俺が追加工事を請け負ってやると言って、後世に名を残すことになる稀代の天才建築家は呵呵と笑った。
ニッカ・カドニカ
オルウェイ城塞都市建築総監督
奇才にして天才
彼女の夢を形にするのは天才達の仕事
彼女の夢を拡げるのはその男の存在




