一方その頃
天井の高い広い部屋だった。
大勢の文官が忙しく働いている。ゴドランはこれほどの数の文官がひと所で働いているのをこれまで見たことがなかった。
いくつも置かれた大きな机は、布や板の衝立で区切られている。書簡や筆記具が納められた棚も大量にある。僧院の祈りの間や大図書館の写本室に似ているが、全体に広々として明るい。高い位置に天窓があるからだろう。直接日差しは入ってきていないが、屋内なのに薄暗さは感じない。さほど堅苦しい場に感じないのは、部屋のところどころに植物の鉢が置いてあるためだろうか。
「(宮殿の客間と大図書館と神殿と軍営を混ぜて蜜蜂の巣にしたみたいだな)」
ゴドランは預りものの籠を抱えたまま、部屋の中央奥に向かった。
「あら、どうしたの?いったい」
大きな机に広げた地図や絵図を指しながら、部下に指示を出していたこの蜜蜂の巣の女王は、やってきたゴドランを見て驚きの声を上げた。
「貴女はどこにいるのかと尋ねたら、日中はここだと聞いてな」
ゴドランは手にした籠をちょっと上げて、いささかかしこまってみせた。
「奥様に軽食をお届けにまいりました」
「まあ、貴方にそんな用をさせてしまったの?イリューシオの手配ね。申し訳ないわ……そんな格好までさせて」
「いや、おかげで入口の警備にも止められなかった」
邸宅の使用人用の服を着たゴドランは、御使の身分証代わりの派手な帽子と飾帯を見せびらかすようにしてニヤリと笑った。
「これはなかなかいい。無職の流れ者が人がましく役所にも出入りできる。しばらくこの役でいさせてもらうとしようかな」
「何をバカなことを言っているの。貴方みたいに全方向に有能な人を無駄遣いしている余裕はここには全然ないの。適材適所がオルウェイの鉄則よ。本人に働く気があって、ここで仕事がしたいならいくらでもやりがいのある仕事をやらせてあげるわ」
「しまった。これはしくじった」
「すぐに役職を作るわ。外交と軍事の専属特別顧問なんてどうかしら。すぐにうちのスタッフの主要メンバーに紹介するからよろしく頼むわね。ところで籠の中身は何?いい匂いね」
「……揚げ焼パン?らしい。スパイスの効いた肉種入りのと、乾果入りの2種だ」
「素敵。うちの料理長最高」
彼女は「みんな休憩にしましょう」と周囲に声をかけると、籠を抱えているゴドランに微笑みかけた。
「中央の丸テーブルに配膳してちょうだい」
「配膳?俺がか?」
「その服を着ているなら、やらなくちゃ」
「う、うむ……」
「嫌なら着替えは用意するわよ。籠をテーブルに置いたら着替えて席について。皆に紹介するわ」
側近が差し出したアトーラの上級官吏用の白い上衣を手にニコニコしている彼女にゴドランは「ひどい罠にはまったな」と苦笑した。
「罠だなんて心外だわ。嫌なら断っていいのよ。でもね。貴方が私の元で働いてくれるというのは、私の夢の一つだったのよ。叶えてくれたら嬉しいわ。十年前には我慢したんですもの。そろそろいいでしょう?」
ゴドランは、片眉と口髭の右端を器用にちょっとだけ吊り上げて、目玉をぐるりと回して見せた。しかし彼は結局ただ「はい、奥様」と答えて、籠を脇に控えた従者に渡して、白い上衣を受け取った。
「困ったわね」
「なんだ?」
「貴方がその帽子を被っているうちにもっと色々頼みたくなってきたわ」
ゴドランは速やかに帽子を脱いで、彼女に手渡した。
「冗談も相手を見て言わないと、とんだ目に遭うな」
「冗談と本気の見極めがつく冗談の上手い人って好きよ」
アストリアスの黒髪の女領主は、軽食と飲み物が用意された大きな丸テーブルに、皆と共に着座した。
彼女はアトーラ風の白い上衣を慣れない様子で羽織るゴドランを見ながらクスクスと笑った。
「そのうち貴方にはシャージャバルの黒い長衣を贈るわね」
「今さらシャージャバル公の正装など着られるものか」
「では、シャージャバルがアストリアス領になるまでは、我慢してもらわなくちゃ」
身内に裏切られ祖国を追われた元公領主は、ぎょっとした顔で、隣に座っている覇権軍事国家の支配者階級の娘を見た。
「早めにいただきましょう。貴方が持ってきてくださったパンは美味しそうだわ」
ゴドランが、真意を問いただそうと口を開く前に、伝令が慌ただしくやってた。
「ただいま港湾地区で大規模な騒乱が発生したとの報が入りました」
「騒乱というのは?暴動や敵襲ではないのね?」
「はい。詳細は不明ですが飲み屋街での市井の喧嘩が大規模化した騒動のようです。現在、市長が港湾警備兵を率いて対応予定とのことです」
「なんで市長が?」「そんなところでなにをしてる」「あの人また抜け出したのか」「サボりにいった先で、仕事を拾うクセをヤメロ」と騒ぐ文官たちをなだめて、女領主は冷静に指示を出した。
「オラクルが現場にいるなら当面は大丈夫でしょう。彼のあとを引き継げるようにこっちから人を出して、なるべく早く彼を市庁舎に戻らせてあげてちょうだい。今、揚げパンかじってるそこ二人、食べながらでいいから対策チーム編成して。以後、続報は直接私と対策チームの両方に回るように伝えて」
「はい!」
動き出した部下を見ながら軽くため息をついた彼女に、ゴドランは飲み物のカップを渡した。
「現場にいる市長に問題がないのなら、貴女の懸念点はなんだ?」
彼女はカップを受け取って、傍らのゴドランをチラリと見上げた。
「今日の昼前にね。私、あの人にその市長さんに会いに行くように勧めたのよ」
「なに?」
「市内見物をさせてもらえば?って言ったんだけど、なんで港なんかにいるのかしら」
「おい、ということは……」
その時、第二報を携えた伝令が駆け込んできた。
「ご報告します。港湾地区での乱闘は終結。死者はなし。話ができる状態の主要関係者は確保したとのことです」
「あら、意外に早く決着したわね。さすがオラクルだわ」
「はい。それなのですが……オラクル市長が現地に到着したときには、騒動はすでにあの……エリオス・ユステリアヌス殿とみられる方によっておさめられていたということです」
「あんのバカは、目立つなとあれほど言ったのに何をやってやがる!ちょっと目を離すと騒動に首を突っ込みやがって!少しは人並みに大人しくしていられんのか、これだから英雄と言う奴は!!」
広い執務室全体に響くゴドランの怒りの叫びに、オルウェイの行政官達は皆、「ああ、この人は苦労してきたんだな」としみじみと共感した。
一方その頃。
英雄エリオスは、酒場で藪から棒に怒鳴りつけられていた。
「コノヤロウお前か〜〜〜っ!」
第一報は港湾局をでてから城門などの取次を経て奥の執務室に来ているので、早馬で来た上に直接駆け込んできた第二報がほぼ追いついちゃってます。電信のない時代の不便。
それはそれとして奥様、終始上機嫌。
一晩明けても夢じゃなかった上に、あの"ゴドラン"がリアルに目の前で面白い格好で面白いことしてくれている。
字面で想像していたとおりの声で、目の前でイメージ通りのセリフを叫んでくれる推しキャラ。これは嬉しい。
奥様「感無量だわ」
シャージャバル公の装束は絶対に着せてみたい。
※ちなみにエリオスはイメージと若干違ったけどリアルのが好みだったらしい。




