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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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オルウェイを歩く2

前話からの続きです。

道はほどなく庁舎の脇に出た。

庁舎前の広場は、おおむね三日月型で、正門前の円形の広場に向かって大階段がなだらかに下っている。

「段差だな」という顔をしたエリオスに、オラクルは苦笑した。


「役所まで来ることができれば、最低限の日常生活に不足はありませんよ。あとは娯楽です。その程度の苦労はおうべきだ」


それに、市外に出入りするなら乗合馬車に乗ったほうが楽だと、オラクルは説明した。


「馬車の通れるような道幅ではなかったようだが?」

「それは先程の道が歩行者専用道路だからです」


オルウェイ市内は歩車分離の原則だと、この都市長官は聞き慣れない語を使って説明を始めた。

オルウェイからくる奴は、何かを説明するときに、決まって聞き慣れない用語を多用するので、エリオスはすっかりそういう説明を聞くコツを掴んでいた。まったくわからない単語以外は、組み合わせて使われている語のニュアンスでなんとなく理解しておけば良い。まったくわからない語も何度か用法を聞いていれば、だいたい予想はつくから、感覚で聞いておいて、違和感があれば話の切りが良いところで、確認すれば良い。なんなら相槌代わりに分からない部分を繰り返して確認してやれば、説明したがりは丁寧に説明してくれる。


「荷車の通る道を分けたのか」

「はい」


なんと荷車は門自体が別なのだという。正門の両側のかなり離れた所に車類専用の通用門があり、そこから幅の広い専用道が市内各所の建物の裏をぐるりと通っているらしい。軍の輜重サイズの荷車がすれ違える道幅だというから相当だ。そこに荷車を入れられるのは許可を得たものだけで、荷車も原則として、定められた規格に沿ったもののみ。検問も厳しいので、余所から来たものが気楽に入れる道ではないらしい。


「子供が飛び出てくることを気にしなくていいと荷車の御者には好評です。歩行者もロバやラバの糞をうっかり踏む羽目にならずに済む」


専属の掃除人夫は雇っていますが、家の前に家畜の糞があるのは嫌でしょう?と言われて、エリオスは目を瞬かせた。騎馬と寝起きする軍人だった彼にはない発想だった。

言われてみれば、この白い街に糞がぼたぼた落ちているのは似合わない気がする。だが、そんなことまで気にする必要があるのだろうか?

車道の脇に歩道が整備された大街道を見たときもたいしたものだと思ったが、これはどこか根本が違う。ここは自分にはそぐわない街のような気がした。


「あの人の街らしい話だ」

「何を言っているんですか。ここはあなたのための街ですよ」


オラクルはエリオスを促して、大階段をゆっくりと降りた。

石段には水路が二筋切られていて、庁舎の方から出た水が、サラサラと涼しげに流れ落ちている。

来る途中に小道の脇にあった側溝は庁舎前の広場と逆方向に流れていたから、この階層の水源は庁舎にあるのだろうとエリオスは見当をつけた。

籠城でも防衛戦でも便利な造りだ。以前、攻城戦で彼が他の街を落としたときの戦法は使えない上に、嫌な罠がいくらでも思いつく。攻めにくく守りやすい街だが、これを考えた奴がいると思うと背中に冷や汗が出る。自分が最前線でこれまで必死に考えて見出してきた攻め手を、ことごとく封じる街が、己が見捨てて置き去りにした地に建てられているのだ。それは自分の戦歴の答えが最初からここにあったようで、なんとも言い難い気分になる。



人で賑わう正門前の大きな広場は円形で、中央に円柱が立つ水盤があった。広場のぐるりには一階が列柱廊の店が並んでいる。


「オルウェイで手土産を誰かに持っていくなら、ここにある店で買ってください」


門外の派手な店に並んでいるものより上質だと、オラクルは保証した。ここにある店で自分の作った品を売ってもらえるのは、オルウェイの職人の一つのステータスなのだという。


「まぁ、本当の超一流が集まる領主邸にお住いの方に、こんな普通の一級品をおすすめするのはお恥ずかしい話ではあるのですが……」


領主邸に上げられるような品は、気軽に外向けの贈答品にされては困るので、市の財政のためにもこちらを利用してほしいと頼まれて、エリオスは首を傾げた。


「市の財政のため、というのは?」

「ああ。ここの店舗は全て賃貸なんですよ。敷地も建物も市の財産で、賃貸料と売上の幾割かは市の収入になっています」


城外の敷地も高額の使用料を取って、アトーラや諸外国の大商人に貸し付けているが、そちらは領の会計になるので、オラクルの管轄ではないらしい。

「ぜひ高額の買い物はここでお願いします」と頼まれて、エリオスは返事に困った。そんな金はないし、そもそも手土産を持って訪ねなければいけない先もない。


つながりのない異邦人。


エリオスは広場の中央に立つ円柱をなんとなく見上げた。

円柱の上には金色の鷹の像が翼を広げていた。


「この街の守護者……あなたですよ」


隣でオラクルが告げた。


「あなたと同じ色の眼で、あなたの代わりにこの街を見守ってきた」


なるほど。鳥の眼の部分にはエリオスの眼とよく似た色の石がはめ込まれている。「あれを調達するまでが大変だった」とぼやいたオラクルは、エリオスの顔をじっと見つめた。


「本当にそんな色の眼なんですね」


もっとありふれた安い色の目をしていてくれたら、楽だったのに、と愚痴られて、エリオスは当惑した。


「そう言われても生まれつきだ」

「英雄とはそういうものだから仕方ないです」

「私は英雄などでは……」

「足元を見てください」


オラクルが指したのは、広場の石畳だった。

円形の広場には小敷石が敷き詰められていた。同心円の直線張りの間に、全円を等分する形で、外縁に内接する小円が描かれている。小円の並ぶ内側にはさらに小ぶりな円が並ぶ。外接する円が放射状に並んだ、複雑だが規則的で美しい図形だ。同じ大きさの四角い小敷石が並べられているのに、どの円も綺麗に描かれている。歪みや乱れのない丁寧で正確な仕事だった。

エリオスは、小円を形作る滑らかな小敷石の中に、文字の刻まれた石があるのに気づいた。


地名だ。

行ったことがある場所だ。


見れば他の円の中にも地名が刻まれていた。どれもこれまでの遠征で戦いのあった場所だ。


「あなたの戦勝記録です」


オラクルはエリオスの隣で淡々と告げた。


「あなたの勝利の報が届くたびに、我々はここで祝いました」


広場の門に近い側の端から順に、地名は各円に一つづつ刻まれている。


「祭りのたびに石に戦勝地の名を刻んだんです」


エリオスは広場をゆっくり歩いて、内側にある小円の一番最後に書かれた地名が自分が消息を絶った、遠征軍の最後の戦いの地の名前であることを確認した。


「この広場の敷石は敷きなおしたのか?」

「いいえ、名前を刻んだだけです」


エリオスは綺麗に並んだ円とそこに刻まれた己の戦いの跡をもう一度ぐるりと眺めた。

まるで己の歩んだ道がこの広場に敷かれているように思えた。


「……数が足りなくなるとは考えていなかったんだな」

「そうですね。新しい広場を作ればいいので」


「必要になったらご用意します」とこともなげに言ったオラクルに、エリオスはそれ以上何も言えなかった。


「この街は貴殿が造ったのか?」

「とんでもない。私は按察官上がりの都市長官(市長)なのです」


按察官の仕事はなんだかご存知ですかと聞かれて、エリオスは正直にわからないと答えた。ずっと戦場にいたので、政務の内勤の仕事には詳しくない。


「都市の守役。雑用係です」


都市の建築物、都市機能の維持管理、物流と物価の監視、祝祭と催し物の日程調整と監督などなど。各業種の専門家、職人、商人、人足の間を右往左往しながら、なんとか物事を回すのが仕事だという。


「私にこんな凄い街を設計したり建てたりする力はありません。ただ、そういうことをできる凄い人たちが気持ちよく仕事ができるように取り計らって、出来上がったものを、その意図通りに運営する。それが私の仕事です」


オラクルはエリオスを正門へ案内した。

姿勢を正す守衛に声を掛けて、関係者以外立ち入り禁止らしき奥の階段から、門の内部を上層階に上がる。

門の中は暗いが、射眼から細く光が差し込んでいる。射手の視界のためだろうか。縦に細長い射眼には十字型に切れ込みが入っている。

オラクルは斜めにくぼんだ壁がんのある射眼の一つにエリオスを呼んだ。


「門外も賑やかでしょう」

「そうだな」

「商用できた者のほとんどは門前の店で用を果たして帰ります」


無駄な余所者を入れない街だ。

エリオスはスッと目を細めた。

オラクルは狭い壁がんで身を寄せて、エリオスの脇から外の景色を覗いた。


「今……どう攻めるか考えていましたか?どう守るか考えていましたか?」


答えないエリオスに、オラクルは声を低くして告げた。


「いいですか。表向きの名目が誰の名義であろうとも、ここはあなたの街です。私は知っています。この街の全てがあなたのために作られたのです。それを理解してください」

「そんなことを言われても実感できない」

「ならば、今、その壁のレンガに手を当ててみてください」


意味がわからず、エリオスはオラクルを見た。黒っぽい銅色の髪の男の顔は、射眼からさす細い光で切り取られ、半分闇に沈んでいた。

光の加減で金色にも見える古い琥珀のような眼が、鷹の澄んだ深い青色の眼を正面から見据えた。


オラクルは、自分の手を広げて、壁がんの内側に積まれている四角いレンガの長辺に当ててみせた。大ぶりのレンガは、オラクルが広げた手の幅より大きい。

視線で促されて、エリオスも同じようにレンガに手を当てた。

ぴったりだった。


「これがなんだというのだ?」

「この街の全てがあなたのために、あなたを基準に作られているのです」

「意味がわからない」

「あなたは背が高い。ここに来てから、出入り口でかがんだ覚えは?」

「……ハズレ市の宿では」


オラクルは無許可の違法建築をオルウェイに含むなとばかりに、鼻で笑った。


「オルウェイの正規の建築で、あなたにかがませるような不届きな入口は一つもないと保証しましょう」


エリオスはその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


「すべての長さの規格は、あなたが基準になっています」


エリオスは2回瞬きをした。


オラクルは「失礼」と言って、エリオスの腕を掴むと、肘から手首までの長さを、自分の中指と親指を広げた幅で測った。


「うわ、気持ち悪い。本当にぴったり基準尺だ」

「気持ち悪い……」

「あなたが、じゃないです」


オラクルは嫌そうに顔をしかめて、今、私は、あなたへの想いの深さと執着が、この街の基礎にあることを改めて思い知らされて、あなた以上に呆然としている状態なのだと語った。


「あなたも思い知るべきだ。この街はあなたへの憧憬と献身が積み上げられた街だ。居もしない、ここをかえりみることすらしなかった太守のために造られた街。それがオルウェイの本質です」

「言わないでくれ」


オラクルは狭い壁がんから一歩身を引いて、暗い闇の中に下がった。


「いいや。あなたは知るべきだ。オルウェイがどれほどあなたに尽くしたか。遠征に必要な物資と戦費を貢ぎ続けることが、どれほどの苦労の上にあったか。莫大な資金を捻出するために、気の遠くなるような額の借金をどのようにかき集めて、どのように返済したか」

「……支えてくれと頼んだわけではない」

「そう。あなたはただ当たり前に享受した。何も思わず、当たり前に受け取り続け、必要がなくなったら、そのまま姿を消した」

「言うな」

「いいや、聴け」


斜めに差し込む細い十字型の光に照らされた白い服の男の眼は、影の中で薄く金色に光っていた。


「あなたは知るべきだ」


オルウェイは"青い鷹"という神話の英雄を祀る祭壇だ。この街の富も繁栄もすべてあなたへの供物だった。

そして英雄は伝説に生きたまま姿を消した。


「帰ってくるべきではなかったのだろうか」

「元英雄なら、もう少しマシな返事をしてください。失望しますよ」


私はあの方が失望するところを見たくはないので、そんな愚物のような振る舞いはよしてください、と吐き捨てるように言われて、エリオスは目を伏せた。


「あなたは英雄として凱旋しなかった。あなたが英雄として凱旋したのなら、我々はあなたを歓呼で迎え、無条件で崇めたでしょう。でも……」


只人として戻ってきたというのなら、あなたはこの街に込められた想いに、人として応える方法を見つけなければならない。


「人として、想いに応える……」

「そうです」


単純に感謝せよとか、恩を返せとかいう問題ではありません。容易なことではないので覚悟して臨んでくださいと言って、オラクルは階段を上っていった。エリオスは石段を一歩づつ踏みしめて後に続いた。

門のアーチの上部にある小部屋の入口に片足をかけて、オラクルは小部屋の天井を指さして振り返った。階下から見上げるエリオスからは、その姿は逆光で彼の表情は見えなかった。


「見なさい。あれがこの城壁を築いた男の主張です」


エリオスは導かれるままに階段を上って、小部屋に入った。

小さいながら床際に窓のある小部屋は、明るかった。同じ大きさのレンガがきっちりと積まれた四方の壁の上には、美しい陶板の貼られた丸天井があった。ドームの天頂部分には円が描かれており、その中央に円より一回り小さい手形がある。手形の脇には短い走り書きが記されていた。


『この手が造った。

ニッカ・カドニカ』


それは、強烈な自己主張であり、建築家の自負であった。


「あの円、レンガの基準に使われていた基準尺の大きさなんですよ。彼は統一規格が、慣習でも伝統でも理屈ですらもなく、あなたという存在を基準に決められたことに、随分腹を立てていましたから……」


俺の手は、英雄の手ほど大きくないが、ここにコレを造ったのは俺だ!


エリオスは強すぎるメッセージに目眩がした。

彼は自分の右手を見つめて、そのままそれで目を覆って天を仰ぎ、呻いた。


「詫びる筋合いではない気がするが、叶うことならこの男に詫びたい……」


エリオスの後ろに立っていたオラクルは、それを聞いて「そうですか」と軽く応えた。


「では、このあと会いに行きましょう」

「居るのかよ」


夕方、港の行きつけの飲み屋に行けば会えるでしょう。と言われて、エリオスはがくりと項垂れた。

港湾地区造営中

城壁外も巡るぜ!



婚姻したという以外なんの接点もない男に、妻から夫への献身や、子供っぽい英雄崇拝というだけでは説明できない、真っすぐで深い真摯な情熱を向け続けた女性の、すぐ隣で仕事をしてきた男達の、積年の困惑と苛立ちが、今、何も知らないエリオスに牙を剥く!(笑)



とはいえ、オラクルの言葉は、迷いのあったエリオスにとっては、神託ですね。


"一人の男として、彼女の想いに応えよ"




ちなみに、鷹の広場の石を敷いたのは、鱗通りの舗装を頑張った職人くん。見事、街の顔である正面の大広場の施工を任されました。

円と面がものすごく綺麗です。

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― 新着の感想 ―
すみません 率直に思ったままを書いてしまったばかりに 驚かせた上、 偉大な英雄を嫁呼ばわり 市長様を小姑呼ばわりなどして 混乱させてごめんなさい。
あああ奥様の推し活がディスられとる…! とオロオロしながら拝読しました汗 ほぼ嫁いびりですが、なるほど積もりに積もったアレコレに納得しかないですね。
[良い点] 奥様の愛が予想以上に重くて深かった [気になる点] 奥様、エリオスを統一規格にしたことを本人には知られないと思っていたのでは…?(原作ではオルウェイに戻らなかったし) エリオスに知られた奥…
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