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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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血は記憶よりも濃い

私にはこの世界ではない世界で生きた記憶がある。


が、生まれたときから完全な状態で大人の自我と記憶があったわけではない。物心ついた頃は、別の世界だの何だのという意識はなかった。


ただ、おそらくは明確な大人の記憶が認識できるようになる前から、前世で常識レベルで身につけていた概念は頭のどこかにあったのだろう。四則演算をはじめ、幾何や統計、速度、密度など諸々の学問に関して、抜群に飲み込みが良かったらしい。



最初に付けてもらえたダロス人の家庭教師のアルクトス先生や、その紹介で我が家に来たシダソリオン先生は、土木や工学に明るくて、私は前世ではそれほどきちんと学んだことのなかったこの分野に夢中になった。

水平、直角、図形の相似、力と運動、慣性と摩擦……前世では初等の義務教育レベルの知識を再履修するだけでも、実にたくさんの面白い実例に触れられた。

なにせ家庭教師が、水準器や測量法の発明者として歴史に名が残るであろう賢人で、父が地図に残る仕事の発注元で総指揮官なのだ。こんなに恵まれた家庭環境はない。


「お水はだいじよ」と主張する娘に対して、大水道建設を政策で通してみせてくれる父親なんて、なかなかいない。人が集まる場所で水をどうするか決めるのは、偉い人の責任で義務で権利だというのは私の持論だが、それを目の前で実践してくれる存在は偉大だ。アトーラが、都市の発展に伴う人口増加による渇水が深刻になる前に、十分な上水の供給を得られることになったのは、お父様の政治的手腕によるところが大きい。



少し大きくなった私は、断片的にだが前世で見聞きしたもののイメージが浮かぶようになって来て、今度はそれを現状のニーズにあわせて適用するのが楽しくなった。

「あのね、こんな感じで……」と、いい加減でファンタジックな建築や道具のデザイン画を子供の落書きレベルで描いてみせると、当代最高峰の天才達がブラッシュアップしてくれる環境は、私にとって天国だった。


裕福な家庭であるというのは、趣味に耽溺するのには非常に好都合だ。家宰的な立場のカレートゥスは私に甘く、彼にお願いすれば、細工職人を呼んでもらえて、細々したものをなんでも注文できた。先生方に教えていただいた機構の模型などを作りたいときは、図面で発注すれば、部品を加工してもらえる。お気に入りの優秀な職人は、少し教えたら三面図や展開図の見方を、すぐに覚えてくれたので、言葉足らずな子供でも指示は楽に出せた。

自分では組み立てが難しいものは、周囲の大人が皆、快く手伝ってくれた。部品一覧から、完成予想図までの、組みたて手順図解を描くのに凝ったころもあったので、当時、私の手伝いに駆り出された人は、皆、文頭の数字が手順の時系列を表す表記法と、物の動きを示す"矢印"という記号の概念を理解してくれるようになった。


後に、もう少し前世の知識が分別とともに身についてくる頃には、これは大変な文化汚染をやらかしてしまったなと反省したが、やってしまったものは仕方がないし、おかげで何かと便利だったので、心のなかでこっそりと、この世界のオリジナリティに手を合わせて、あとは気にしないことにした。一個人の身の回りのローカルルール程度なら影響は小さいし構わないだろう。



現世で学び得ない様々な知識や映像の記憶を、自分が一体どういう機会に知ったのかと、己の記憶をたどるようになって、ようやく私は異なる世界という概念と、その世界で自分が好んでいた"原作小説"というものの存在に行き着いた。

いくつかの思い出がつながると、あとは芋づる式に連なって思い出すことができた。


小説内世界への転生というのは、突拍子もない話だったが、幸いにも(?)前世の私はそのような荒唐無稽なフィクションも娯楽として嗜んでいたので、起きている現象を説明する理論の一つとしては受け入れやすかった。


フィクションでは、転生者の主人公が、前世の記憶のせいで、現在の父母を親と思えない話もあったように思うが、私は記憶の戻り方が緩やかだったので、特にそういうアイデンティティの乖離は起こらなかった。どんな知識があろうが、それはそれ、というやつだ。生まれ育った家や家族を否定する理由にはならない。


母は上流階級の軍人の妻のお手本のような人で、物凄く尊敬できる存在だった。かくありたいが絶対になれない!の見本帳のような母は私の永遠の目標だ。実務能力はなんとか習得できたとしても……あの気品とチャーミングさと、なんとなく漂う色気は生涯たどり着けない気がする。


父は仕事が多忙で、軍務で遠征も多い人だった。厳しい表情で部下や使用人に指示を出している父は、子供心にはかなり怖かった。

一般にアトーラの上流家庭では家長の権威は絶大で、女子供の立場は低い。末子の女児の私は、本来なら取るに足りないオマケみたいなものだ。小さな頃に、父との親子らしい団欒の記憶はない。

それでも父は私に目をかけてくれ、忙しい合間に、私の絵や工作の"傑作選"を見てくれた。

映画に出てくるマフィアの首領(ドン)みたいに顔の怖い父が、ちょっと表情を緩めて「なるほど」「これはおもしろい」などと言ってくれるのは、子供心に嬉しかった。


父はとても聡明で、マルチな文化人でもあった。一見頑固そうだが、柔軟な思考のできる人で、この時代の人間としては規格外に視野が広かった。

私は少し大きくなって、それなりに論理的な会話ができるようになって、ようやく父と少し話ができるようになった。しかし、前世の記憶の助けを得ても、この世界の常識と教養がないことには、父の視点を得ることはできないので、私は頑張って勉強した。


とはいえ、政治や経済はまだしも、軍団の用兵や戦略となると、お手上げだった。家庭教師の先生方はダロスの一流の知識人だったが、軍人ではなかった。

仕方がないので私はアトーラにおける軍の部隊を示す小さなコマを用意して、父が指揮をとった戦場の再現模型(ジオラマ)を作った。


「お父様、この前の遠征のお話を聴かせて!」


と言って、模型を配置した台の前に引っ張って行くと、父は上機嫌でコマを動かしながら話をしてくれた。

歴史に名を残しそうな名将から直々に戦場の用兵の話を聴けるというスペシャルトークイベントである。後世の歴史家や歴女は歯噛みして羨ましがるだろう。

この"戦板"は父も気に入ってくれたようなので、私はいくつかバリエーションを作った。


シーン再現に重きをおいたリアル路線のジオラマは、兵士の人形も細部に凝った力作で、資料館の展示風。戦勝記念に公共討論会場(フォーラム)で一般公開し好評だった。

軍の作戦会議でも使える戦略シミュレーション用は、歩兵部隊や本陣を示す簡単なコマのセットだ。父が戦場にも持っていきたいというので、専用のケースに一式がきれいに収まるようにデザインして、携帯に便利にしたものも作った。

これをさらに簡略化して、将棋やチェスのようにボードゲーム化したものは、予想以上に受けて熱心なファンを獲得した。ちょうどその頃に設立した天部院のメンバーは、我が家で打ち合わせをすることが多かったせいで、一通り全員ハマった。天文学や測量を志す学究肌の志向と、囲碁・将棋系のゲームは相性が良かったらしい。コマの素材とデザインに凝った家使い用の高級品から、普及用の廉価版まで、何セットも作った。


それに限らず、前世で遊んだようなボードゲームやカードゲームを作ると、父が自分と遊んでくれることに味をしめた私は、負けず嫌いな父をちょっと反則な前世知識で負かしてムキにさせては、母に叱られるまでたっぷりと遊んでもらった。


ゲームの合間に交わされる雑談で、私は色々なことを父から学んだ。

……重要な局面で、相手の興味を引く話題を提示して気をそらし、次の一手に隙を作らせたり、何気ない仕草や独り言に見せかけたミスリードで、自分の戦略を相手に誤認させたりする手法は、お互いにかなり磨きあったが、これは親子の交流として他人に話すには外聞が悪いので、父も私も暗黙の了解で"やった"とは認めていない。



オルウェイに発つ前夜、家で父と最後に一局さしていたとき、父がしみじみと「寂しくなる」なんて柄にもないことを言った。

私はその意図を測りかねたが、意図なんかない呟きなのだろうと思うことにした。


だって、その方が嬉しい。

自分も同じ気持ちだから。


でも、お父様は私と同じで、そういう思いを他人に見せるのが苦手な人だとお母様からこっそり教えられていたので、私はその呟きを別の意味にしてその場をつなげてあげた。


「カレートゥスもダンおじさまも、みんな連れて行ってしまってごめんなさい」

「かまわん。だがカレートゥスは年内に返せ」

「向こうでの立ち上げの目処が立ったらお返しします。お借りする書記官も」

「うちから出す書記官連中は希望者だから気にするな」

「でも、あの人数が抜けてはお父様がお困りでは?文官なら足りない人手は現地で補充します」

「向こうでいい加減な文官は雇うな。占領した支配地を統治する場合、ある程度、現地に詳しい者の採用は必要だが、支配が確立するまで内政の中核は身内で固めたほうがいい。お前は人種や生まれを基準にせずに人を取り込む傾向があるが、占領地域の支配では慎重に行動せよ。アトーラの市民権は安売りするな。今後、アトーラが大きくなるときに、そいつは交渉の手札として、恩着せがましく高く売りつける必要がある」

「はい」

「どのみち、お前のやり方を覚えた部下でないとお前にはついていけんだろう。新人の採用と教育はこちらでやってやる」

「……ありがとうございます」

「それから、オルウェイ周辺の治安維持と、こちらとの物資輸送の護衛に関しては、三年は私の軍から兵を出す。その間に太守の私兵としてオルウェイ守備隊を作れ。ダンダリウスに任せれば良い」

「それなら、水道工事のときの部隊のうち、戦地よりも土木が得意な人も追加で回してください。ダンおじさまの現場での経験があって、技術指導ができる人なら予備役の年齢の人でもいいです」

「港湾整備か?オルウェイは海辺の町だが、警戒すべき敵は西の海賊よりも南の王国と東の野盗どもだぞ」

「野盗はお父様がお貸しくださる軍が武力で、南はお父様自身が政治で三年は抑えてくださるでしょう?」

「ふむ。だがその後はどうする」

「五年以内にオルウェイを、少数の弱兵でも守れる要塞にしてみせます」

「二年足らんぞ」

「三年の間に、アトーラの執政官がオルウェイに出資したくなるネタを探します」


お父様は、あまり男親が娘に向ける類ではない物騒な笑みを浮かべた。

これは仕事上の顔だ。私はついに、父のこんな視線の先に立つ資格を得られた。

大ユステリアヌスは、その数多の政敵が恐れる鉄色の目をスッと細めた。


「では三年後には、私が執政官になっていてやろう」


ああ、なんて過保護で良い父親なんだろう!

「ありがとう、お父様!」と叫んで、私はお父様に抱きついた。



その夜の対局で、私は久しぶりに父に勝った。

どうしようもなく親子

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― 新着の感想 ―
[一言] 確か上には兄や姉が居たと思うのですが、末妹が活躍して権力者の父親に目を掛けられていることに、何かしらの嫉妬や内輪揉めはなかったのかな?
[良い点] お父様、かっこよすぎる……面白かったです
[良い点] 「宵の口」を挟んでジャンル要素に目配せしつつ、「水売りと悪童」から4話連続色々な角度色々な切り口で重ねていく藪の中ぶりがたまりません。 ラブコメ要素もに楽しませてさせてもらってますが、背景…
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