おじさまと私
ダンダリウス行政官の話
奥様視点です。
「ダンおじさま、私は法律の難しいところはさっぱりわからないわ」
私は、太守の本営とした仮住まいの一室で、大量の残務を前に頭を抱えていた。焼け野原になったオルウェイの統治というのは、想像通り、十代の小娘の手に余る難題だった。
ダンおじさまがいなかったら、私は早々に音を上げていただろう。
「そういうことを何とかするために我々がいるのだから、存分に頼りなさい」
「ありがとう!おじさま、大好き」
いつも通り安心できる微笑みを浮かべて、鷹揚に頷いてくださるおじさまに勇気づけられて、私は奮然と問題に立ち向かった。
よし!仕事の分担を見直そう。あの様子なら、ダンおじさまはまだ余力がある。この問題は任せて、このあたりは丸投げしていいだろう。
私は心のなかで感謝を捧げながら、すでに任せている治安維持と裁判に加えて、法令遵守と対外交渉関係も全部おじさまに任せることにした。発注先の信用調査は、お父様の方が得意そうなので、カレートゥス経由であちらにも振ってダブルチェックしてもらうことにする。買収するわけではないから適正評価手続きまではいらないが、無能と紐付き悪徳業者はいらない。……でも、有能な個人がいたら、引き抜いて使いたいな。
私が笑顔で、走り書きした"やることリスト"を渡すと、ダンおじさまは一瞬、真顔で黙ってから「最善を尽くそう」と、ちょっと堅めのいい笑顔で返してくれた。信頼できる渋い男前って最高だ。
ダンおじさまは、エリオスがオルウェイ太守に赴任するにあたって、中央から派遣された補佐官だ。この役職は、通常は太守の占領地支配が行きすぎないように見張るお目付け役という立場で、元老院のうるさ方がなるのが常らしいのだが、ダンおじさまは違う。
彼はむしろ、エリオスがいない間、私を全面的にバックアップして、オルウェイの留守を預かる役として、父が付けてくれた保護者だ。バリバリ働き盛りの現役の中央官僚を引っこ抜いて子守に据えるとは父も無茶が過ぎるが、おかげで随分と助かった。
アトーラは古代ローマに似ているがそっくり同じというわけではない。
政治体系も共和政ローマのそれとは似て異なる点が多い。
と言っても、私自身がそれほど古代ローマに詳しいわけではないのでうろ覚えのいい加減な知識による比較だが、共和政ローマでは最高権力者にあたる執政官は、2名選出で任期は1年かそこいらだったと思う。アトーラの執政官も、世襲ではなく投票で選出されるが、同格の二名ではないし任期はもう少し長い。印象としては大統領に近い役職だ。
その歴代執政官三人の補佐官を果たしたという脅威の経歴のスーパー官僚が、ダンダリウス……我が親愛なるダンおじさまである。
軍事的な功績が足りないので、執政官にはなれないらしいが、内政の実務の経歴と実力はずば抜けているエリートだ。
なんでも、うちの父とは子供の時からの付き合いで、時折、漏れ聞く昔話から察すると、年上でガキ大将だった父に、子分扱いされて育ったらしい。大人になっても、その力関係が変わっていなさそうなのが、かわいそうというか、身内としては申し訳ないかぎりである。
実は私は、ダンおじさまには子供の頃から世話になっている。ダンおじさまは、昔からよく家に来ていたので、小さいうちから随分可愛がってもらったのだ。
家庭教師の先生と作ったおもちゃを見せに行くと、大げさに驚いてくれて、一緒に熱心に遊んでくれるので、私はダンおじさまが大好きだった。
私は大変に恵まれた環境に生まれ、理解のある大人に囲まれて育ったが、中でもダンおじさまは、人間のできた良い人だった。彼は、子供の頃の私の途方もないおしゃべりを、煩がらずに聞いてくれて、良いリアクションを返し、真剣に考慮して、しかも毎回優しく褒めてくれた!
私はダンおじさまに褒めてもらいたくて、日々の勉強に励み、彼が来るのを心待ちにしていた。彼を驚かせるために色々な工作やお絵描きをしては、嬉々として見せに行ったものだ。
思えば、ダンおじさまは、父と私の二代の我儘者の面倒をみているわけで、本当に頭が下がる。
父の主導で始まった水道事業のときには、彼は現場指揮を担当し、私に測量や工事の現場の見学もさせてくれた。
当時の私は、家庭教師の先生方の影響で土木関係にハマっていたので、水道という大事業が楽しくて仕方がなかった。
測量の数値が見たいだの、工程や資材の詳細を教えてくれだの、うるさい小娘の要望に、ダンおじさまは快く対応してくれた。
父もそうだが、ダンおじさまクラスの上級官僚は、自身の家臣団的な下級官僚を何人も抱えている。ダンおじさまは自分の部下達に私を紹介し、自分が留守中でも必ず丁寧に対応し、便宜を払うようにと命じてくれさえした。怖い上司の娘だからだとしても、破格の扱いである。その当時の私は、カレートゥスをはじめとする父の部下の皆さんにも甘やかされていたのだが、ダンおじさんの仕切る現場でも、家でと同じように遠慮なく我儘放題をさせてもらえた。思えばとんでもない話だ。
そういえば、計画最初期の事前測量段階の頃から、地図上の水道建設経路の高低差がイメージしにくいから、等間隔で計測した標高を教えてくれだの、測量調査結果の値がバラバラに書かれていてわかりにくいから、単位と測定方法は統一しろだの、見やすく表にしてくれだの、相当ひどい要求をした覚えがある。挙げ句、水平方向と垂直方向の縮尺が違う、標高を強調した水道全経路断面図をカラーイラストにして、自慢げに見せて、ダンおじさまに絶句されたのをよく覚えている。
「茶色いギザギザの線が地面ね。それでこの真っ直ぐな線が水路よ。ここの地面より上になる赤い線のところは水道橋。地面より下になる黒い線のところは地下水道になるの。赤い線と茶色い線が離れているところは高い橋脚が必要になるんだけど、多段アーチで作れば、低いところの応用みたいなものだから、必要な資材の見積もりは出せると思うわ!どう?」
ダンおじさまはすごく長い時間、黙って私のお絵描きを睨んだあと、ここは何か?こういう見方であっているか?とポツポツ質問をし、いつも通り大きな手で私の頭を撫でてくれた。
ダンおじさまはとても優しく丁寧に扱ってくれるので、こういうとき私は自分がこの世の至宝か何かになった気分になれた。
「とても上手に描けたね。後でもっとゆっくり見たいし、皆にも見せたいから預かってもいいかい?」
「ええ、いいわ。それはダンおじさまにあげる!」
「それで、多段アーチ橋というのはどういうものかの絵はあるかい?」
「えーっと、だいたいこんな感じで……家で描いて、また持ってくるわ」
その後、描いた多段アーチ橋イメージ図(渓谷にかかる三段アーチの大水道橋で、パースの効いた迫力のある自信作)は、父や先生方にも大いに褒められて、調子に乗った私は、木切れと粘土で模型を作って、セットでダンおじさまに贈った。
ある意味、私の調子に乗りっぷりは、あの頃がピークだったように思う。今でもその時のことは時々、引き合いに出されて、先生方に揶揄されるが、人は、成長過程で"自重"という人間性を身につけるのだから、子供の時のことは忘れて欲しい。
「ダンおじさま、パイが焼けたのだけれど、いかがかしら?」
「いただこう」
どんなに無茶ぶりをしても、快くお願いを聞いてくれて、ちょっとしたおやつやおつまみを用意すると、眼尻を下げて、フッとダンディに微笑むダンおじさまのことが、私は大好きである。
おじさま、ありがとう。
このあと、城塞都市計画の臨時会議の出席お願いします。
たぶん、ダンダリウス本人の目線では色々と違う見解があると思われるエピソードがいっぱい(笑)
お父様目線でもたぶんツッコミどころだらけだと思う……次回は「お父様と私」(仮題)?




