製造者責任
父がまだ幼い娘をろくに見ていなかった時代の話です。
ガイウスが最近また面白い書を手に入れたというので、ダンダリウスは彼の家を訪ねた。
二十年来の付き合いとなるこの一回り年上の尊敬すべき悪友は、ダロスにツテがあって、時々、ダロスの賢人たちが記した最先端の書の写しを手に入れてくる。
「こういうのは。お前が好きそうだと思って」と言って、ガイウスが見せてくれたのは、"機構論"という書だった。
「ダロス語の原文のままだが、お前なら読めるだろう」
たしかに読めはするが、細い文字がびっしりとメリハリなく詰まっていて、読みにくいことおびただしい。写本を作った男が金がなくて葦紙をケチったらしい。
「"この図のように"とあるのに、図がないようだが?」
「写本士が絵が苦手だったらしくてな」
「絵の書ける奴をダロスに送ったほうが良いのではないか?これではさっぱりわからん」
「お前もそう思うか」
苦笑するところを見ると、ガイウス本人も読みづらいと思っていたらしい。
ただでさえ難しいダロス語の持って回った言い回しに、おそらく作者本人の文筆表現力の酷さと誤字脱字に、写本士の理解不足による単語間違いの齟齬とが加わって、とにかくわかりづらい。字形だけはきれいだが、言語明瞭意味不明とはまさにこのことだった。
「この”蟲具”というのはなんだ」
「回転して"力を増す”?”増幅する”?」
「船を持ち上げて引っくり返す事すらできるという話がここにあるぞ」
「”歯”があるらしいが……」
男たちの脳裏に、鋭い歯をガチガチ鳴らしながら船を引っくり返す巨大ミミズのイメージが浮かんだ。……どう考えても間違っている。
「絵師を雇う金を送ろう」
「もう原書を買ってきたほうが良いのではないか?」
「吝嗇なダロスの図書館が一度収蔵した本を手放すことはない」
そうだろうなと思ってしまったので、ダンダリウスは黙って頷いた。
数カ月後。
宴席の帰りに、思い出したようにガイウスが例の"機構論"についての続報を口にした。
「うちが雇った絵師を、作者が殴り合いの喧嘩で瀕死の重傷にしたらしい」
「なんだって?」
「許しがたく"わかっていない"と怒り心頭だったそうだ」
「どんな絵を描いたんだ……」
ガイウスがなんとか回収したという絵を見せてもらったところ、非常にダロス的なシンプルな伝統装飾文様が描かれた四角や丸、多条の星型の周囲に、ダロスの神々が描かれていた。
よくわからない。
「奉納陶板か?」
「神殿の壁画の下絵ではないらしい」
これを見て怒り狂うメンタルもわからないが、これが表そうとしているものもわからない。
「まぁ、絵が下手というわけではないな。この神々はよく描けている。よく見る絵だ」
「そういうのを描くのが得意な絵師らしい」
だが問題は"機構論"は神々が出てくる書物ではなさそうなところだった。怒られたのがそこなら目も当てられない。
結局、無駄骨だったなと笑って、その日は別れた。
「旦那様。こちらはもうお読みにはならないのでしょうか」
でしたら、お子様のダロス語の手習いの教材にお借りしたいと使用人に申し出られて、ガイウスは議会用の草案を書く手を止めた。
「なんだ。今からダロス語を習う気になったのか」
ボンクラ息子め。軍で戦をするのにそんなもの必要ない。ダロス語の読み書きなんぞダロス人奴隷に任せれば良いなどと、頭の悪いことを言っておったくせに、今頃ようやく物の道理をわきまえよったかと思い、ガイウスは多少は三番目の息子を見直した……”お子様”と言われるなら、まだ結婚していない三男だろう。正直、お子様などという可愛らしい年齢ではないが、一応まだガイウスの親権下にある。
だとすればもう少し支援してやるのが親の努めだろうかとガイウスは思いついた。
「そんなもので良ければいくらでも持っていけ。それからカレートゥス。お前も手が空いたときにでも、みてやってくれ。読み書きだけではなく話せた方が良い」
必要ならダロス人の家庭教師を雇えと言いつけて、ガイウスは面倒な草案の仕事に戻った。
それっきり、ガイウスはそんなことがあったことすら忘れていた。日々、どうやって、元老院の老害ジジイどもをなだめすかして、脅して、だまくらかして議案を通すかに心血を注いでいた彼にとっては、家庭も子供も正直、興味の対象外だった。
ある暑い日のこと、自宅で仕事中に、ガイウスはふと喉の渇きをおぼえた。声をかけてみたが、あいにく使用人はみな出払っているらしい。妻が社交で離れに女客を大勢呼ぶと言っていたからその用だろう。
水ぐらい自分で汲めばよいかと、彼は井戸のある裏庭に出向いた。どうせなら汲み置きのぬるくなった水より井戸の冷えた水が飲みたい。
裏口から出ようとすると、小さな先客がいた。爪先立って木戸を開けようとしている。片手に木桶を持ったままでそんなことをする姿はいかにも危なっかしい。
ガイウスは子供の手から木桶を取り上げて、戸を開けてやった。
「あっ、お父様!ありがとうございます」
子供の口から、歳に似合わぬ丁寧な礼の定型句が流暢に返ってきた。
「(はて?末の娘はまだ十にもなっていないはずだが……)」
上の子達が大きくなってからできた子だ。正確に何歳だかは覚えていないが、見るからに小さいし手足も細い。甲高い声は見た目通りだから、どこかで大人が使っているのを聞いて、ませた物言いを覚えたのだろうか。そういえば上の子達も、小さい頃は意味もわからずトンチンカンなことを喋って、なかなかに当惑させられた。
「どうした?桶など持って」
「はい。水がいるのでくみにきました」
そんなことは下男にやらせれば良いと言いかけて、ガイウスは自分も水を汲みに来たことに気がついた。
「お前では井戸から桶が上げられまい。父が汲んでやろう」
「いいえ!おいそがしいお父様の手をわずらわせることはできません!自分でくめます」
わたわたと慌てながら、木桶を取り返そうとぴょんぴょん跳ねる仕草は可愛らしいが、どうにも物言いが不似合いだ。
知らぬ間に妙な具合に育っているなと、違和感を覚えつつ、ガイウスは桶を持って井戸に向かった。
「ん?井戸に屋根をつけたのか」
そういえば少し前に妻からそんな話をされたような気もする。職人を呼ぶとかなんとか言っていたが、たいして金がかかるわけでもない話なので、好きにせよと答えた。
小さな井戸だが、このところ日照りがきついので、小屋根を付けて陽射しを遮るのはいい手だろう。
「お父様、屋根をつけてからこの井戸で水をくむのははじめて?なら、私が見本を見せてあげるわね。んしょ」
ガイウスの後を小走りについてきていた娘は、意気揚々と井戸の脇に行って、作り付けの小棚に置かれていた水汲み桶を井戸に投げ入れた。
水汲み桶は以前から使っていたものだが、見ると桶につけられたロープの端が、井戸の脇の杭ではなく、井戸の屋根に伸びている。
正確に言うと、屋根の梁に取り付けられた妙な金具を経由してロープが張られている。
「すごいでしょう。”滑車”をつけてもらったのよ」
小さな娘は自分の手柄であるかのように胸を張って自慢気にそう言った。ガイウスがロープの端を引こうとすると、その方法は手を痛めるから、こちらの取っ手を回せという。
指差された取っ手には丸い軸がついていて、ロープの端が巻かれている。取っ手を回すと軸にロープが巻き取られる仕組みらしい。
「(水一つ組むのに何だこの仕掛けは?)」
ガイウスは困惑した。
取っ手を回すと、思いの外軽い抵抗でロープが巻かれていく。なるほど、これならこの子でも回せなくもないだろう。
しかし、桶に一度に水が入らないようにでもしたのだろうか?妙に軽すぎる。それに……。
「長い!いつまでロープを巻かせる気だ。うちの井戸はこんなに深くないだろう」
「ひく量をふやすことで、ひくための力をへらしているんだからしかたないわ」
それに改修工事のときに、井戸の底のゴミもさらってきれいにして、少し掘り下げたから、たしかに深さも深くなっていると、末の娘は腕を組んでもっともらしい顔で頷いた。
彼女の言によれば、このところの水不足でよその井戸が水位が下がって不便になっても、うちの井戸が無事なのは、そのおかげらしい。
「……ずいぶん詳しいな」
「先生に教えてもらったの。工事のときにおてつだいもしたのよ」
「先生?」
「ダロス人の家庭教師の先生。お父様がお勉強するならダロスからよんでもよいっていってくださったから、人をやってすぐにおむかえしました」
ガイウスは彼我の間に微妙な認識の食い違いを感じた。彼の勘は告げていた。これは気のせいだと放置してはいけない案件だ。
「その話、もう少し詳しく聞こう」
井戸から上がってきた水汲み桶には、なみなみときれいな水が入っていた。
事態は想像以上に想定外だった。
「カレートゥース!!」
ガイウスは信用している優秀な使用人を呼びつけた。
「なんでございましょう、旦那様」
「なぜ娘に家庭教師がついているんだ」
「はい。お嬢様は大変、利発でいらっしゃるので、わたくしが仕事の片手間で見るだけでは十分に応えることができませんでした」
クソ真面目なカレートゥスが、真面目くさって答える。どこにも冗談の気配がない。
全部、本気なのだろう。
「幼い娘にダロス人の教師をつける家がどこにある」
「珍しいご指示でしたが、流石に旦那様は才能を見抜く卓越した眼力と非凡な発想をお持ちだと感心いたしました」
「ぐ……」
クソ真面目なカレートゥスは、あくまでも真面目に答える。嫌味の気配がある気がするが反撃する隙がない。
「だとしても、アトーラで適当なダロス人の奴隷を雇えばいいではないか。なぜわざわざダロスから、渡した書の著者本人を連れてくるんだ!」
「暴力沙汰で牢ぐらしの後に保釈金を払う身寄りがなくて労働奴隷落ちしそうだという話をお伝えしましたところ、お嬢様がそれは才能の無駄遣いだから連れてこいとおっしゃいまして」
「暴力沙汰で服役中の男を、幼い子供の守役にしてどうする!?」
「お嬢様が、天才が怒りっぽい変人で勘違いされやすいのは、よくあることなので、とりあえず連れてきて、本人の欠点が許容できないほどひどかったら放り出せば良いと仰いまして」
保釈金を払って引き取ってきたらしい。
諸経費は家計報告にちゃんと上げて、使用人の雇用状況と合わせて、旦那様の承認もいただいたと言われれば、ぐうの音も出ない。
家のことは妻とカレートゥスに任せておけば間違いがないと、毎回ろくに内容を見ずに承認していたのは自分なのである。
「その結果が、コレか……」
ガイウスは手元の葦紙に目を落として唸った。連れてこられたダロス人と末の娘が意気投合して書き上げた絵図面だという。
井戸から水を組み上げるためのロープの巻き上げ装置の機構が詳細に描かれている。
図の中には、ヨレヨレした歪な線と、滑らかに整った線、糸がもつれたようにくずれた文字と、下手だが几帳面な文字が混在していた。
「ここは娘が書きこんだのか?練習の書付なら砂版を使わせよ。大人の書き物に落書きをするクセをつけてはいかん」
「いえ、そちらは教師が書いた部分で、お嬢様がそれを見て、他のものでも理解できるように、脇に清書してくださったのです」
ガイウスはカレートゥスの顔をまじまじとみた。カレートゥスは真顔だ。本当らしい。
「なんで手習いの教師が子供に清書をしてもらっているんだ!」
「読み書きはわたくしでもお教えできますので」
ガイウスは頭を抱えた。もうどこをどう指摘していいかわからない。
カレートゥスが、娘が"機構論”を読んで、教師の説明を受けながら書いた絵というのを、束で持ってきた。
以前、絵師が描いたような神々の姿はどこにもない。ただ円や端がギザギザな輪、直線などが組み合わさっている。あわせて見せられたのは娘の注文で職人に作らせたという木切れで、刻まれている数字と対応する絵図を形にしたものだという。
「こういうのは絵よりも"模型"のほうがわかりやすいから」
あらためて呼びつけた娘に説明を求めると、自分はまだ葦筆に不慣れで絵が拙いので、とはにかみながら、嬉々として木切れを手に説明を始めた。
「次はコレ。このウォームギアは、螺旋状に歯がついた棒状の蟲と斜歯歯車を直角に噛み合わせて動かすのよ。ウォームを回転させると、歯車がゆっくり回転するでしょう?これはギア比が普通の平歯車よりも大きくできるんですって!すごいでしょう。先生って天才だわ。この世界の進歩と発展のために、ぜったいにだいじにしなきゃいけないわ」
「おお……そうなのか……」
ガイウスは一通り娘の"解説"に付き合った後で、娘を部屋に下がらせ、代わりにくだんのダロス人を呼びつけた。
「あなたがあの娘の父親か!まずは、この身を救ってくれたことを感謝する。だがな。どういう教育をしたらああいう娘ができあがるのか、とっくり聞かせてもらおうじゃないか!」
俺が聞きたい。
と、ガイウスは思った。
責任者出てこい……
「白」が2023年04月01日 投稿なので、1周年です!この1年、皆様の応援で楽しく書いてこられました。
って、1周年記念コレかいっ!!
ごめんなさい。一応……リクエスト……沿ってないな。うん。なんか致命的に間違っている。まさに製造者責任案件ですね。
まだこの先も気楽にぽちぽち時代もテーマもフリーダムな番外編を投稿予定です。
これからもお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
P.S.
うっかりこのトンチキな話をはじめに読んじゃった方は、一度記憶をリセットして本編を読んできてください。
↓
白い結婚、黒い悪妻 〜贅沢は素敵だ
https://book1.adouzi.eu.org/n7720id/
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