二人旅:旅籠
帰還途中の話です。
木の根の瘤や、雨で転がった石を避けながら、二人の男は慎重に馬を曳いて歩いていた。薮に埋まりかけた石の道標が、かろうじてここが獣道ではなく、人間用の峠道だと示している。
一際大きな木が三本並んだ少し開けた場所に出たところで、男達は馬を休ませた。
「三本峠……道は間違っていなかったようだな」
「カササギに聞いたときには、このような山道だとは思わなかった」
「どこが、歩きやすくてちょっとした近道になる楽な峠道なのだ、これが」
元軍人で大軍での行軍に慣れた者と、単独で密書も運ぶ伝令では、道に関する感覚が違うのだろう。軍にいた頃に聞いた話を頼りに選んだ道は、ずいぶんと物寂しく険しい道だった。
「草に覆われているが馬繋の杭がある。元はそれなりに人の往来があったのが最近寂れたのやもしれぬな」
これは、あまりゆるゆるせずに、日の沈むまでに麓まで降りてしまえるように、少し足を早めた方が良いだろうと、男達は休憩を切り上げた。
しかし、道はますます険しくなり、連れた馬の足を折っても困ると慎重に進むうち、大してはかもいかぬまま、日は傾き始めた。
「おや、あれを見ろ」
木々の間から細く煮炊きの煙らしきものが上がっている。このようなところにも人は住んでいるとみえた。
「行ってみよう」
道を辿るうちに、人家が見えてきた。粗末ながら、狩り小屋などではない、ちゃんと人の住む家らしい。裏手には小さな畑もある。
畑のさらに奥で、何やら土仕事をしていた男が、こちらに気づいて近づいてきた。
「あんれ、旅のお人。どちらからおいでたかね」
二人が山越えの前に立ち寄った町の名を告げると、男は「噂を聞かなかったのか」と驚いた風を見せた。
聞けば、この先に怪異が現れて夜な夜な人を襲うのだという。
「悪いことは言わねぇから、泊まっていけ。もうじき日も暮れる」
男の強い勧めで、二人はその夜はそこで厄介になることにした。
怪異が出るまでは、ここもそれなりに人の通う道だったそうで、男はここで旅籠のようなことをしていたらしい。
旅籠と言っても、母屋の半分ほどを占める一部屋が客用で、土の床に干した木の葉を積んだ寝処がある程度。言ってはなんだが、ほぼ馬小屋である。部屋の一角に馬もいれろというのだから、ますますもって馬小屋以外の何物でもない。
それでも、どんよりと曇って生暖かい風が吹き始めた外で、怪異とやらに襲われる心配をしながら夜を徹して、雨に降られるよりはよほど良い。
「山奥のことで大したものはなにもないが、今、なにか温かいものをつくってやろう」
そう言って、男は奥の炉に小ぶりの黒ずんだ鍋をかけ、菜を刻み始めた。
若い方の旅人は、手伝おうかと声をかけにいったが、かまわないから休んでいてくれと追い返された。
「桶を借りるぞ。馬にやる水を汲んできたい」
「ああ、水なら出て左の岩場を下ると沢がある」
旅人は桶を持って水を汲みにいき、残った方は馬から荷を下ろして、馬の背を拭き始めた。
「さぁ、遠慮なく食わっしゃれ」
旅籠の男が出した小鍋を覗き込んで、若い旅人はあまり嬉しくなさそうな顔をしたが、連れの男に「主人の心尽くしの山菜だ」と説教されて、大人しく椀によそっていた。
「山の味に慣れないお人には、ちいとばかり苦いかもしれんが、それが山の滋味ちゅうもんだで、たんと食うてくれ。身体にはええぞ」
旅籠の男は、食べ終わったら鍋はそのままそこに置いておいてくれと言い残すと、柄の付いた棒が脇に引っ掛けられた敷居の低い戸口をくぐって、奥にある部屋に戻った。
旅人は湯気のたつ椀を手に苦笑した。
「雑草汁だ」
「山菜と呼べ」
「なぁ、山菜と雑草の違いはなんだ?」
「食えるか食えないかだ」
「では、やはり雑草汁ではないか」
「キノコも入っている。……食え」
年かさの方の男は、懐から細い木の根のようなものを取り出して、連れの男に渡した。相手は、嫌そうにそれを受け取ってから、汁の椀に口をつけた。
うまい、うまいと鍋の中身を食っていた男達の声が聞こえなくなった頃合いを見計らって、旅籠の男は大部屋の様子を見に行った。
二人の旅人は、鍋の脇に倒れていた。
鍋が転がって、少し汁がこぼれているが、中身はほぼなくなっている。
男はほくそ笑んで、隠して持ってきたナタを取り出した。
体格の良すぎる男が二人来たときは、どうなることかと思ったが、なんのことはない。これまでの他の輩と同様にあっけなく毒草入りのシビレ汁で身動き取れなくなってくれた。
あとはいつもと変わらぬ段取りだ。
男は、目を閉じて力なく横たわっている旅人の首筋にナタを振り下ろした。
旅人の青く鋭い眼が己を貫いた。
旅籠の主人を装った盗賊が最期にわかったのはそこまでだった。
「とんだ盗賊宿だ」
「生活に困窮した旅籠の主人が血迷ったのか、山賊が主人を殺めて居着いたのかはわからぬが、酷い話だ」
「どちらかといえば後者だろう。足弱用の杖が主人の部屋への上がりにかけられたままだ。この男は下の沢に水を汲みに行けるほど足腰は丈夫なようだし別人に違いない。表に出たときに壊れた樋があったから、元は上から水をひいていたんだろう」
「小屋の裏手にあった土盛りが墓か」
「ただバレぬように埋めただけであろうがな」
「こう土間に血臭が残っていては、バレぬ訳が無い」
「それなりにごまかしてはあったぞ」
「臭うさ。馬も気を荒げていた」
とはいえ、雨も降り出したので、今夜はここで泊まることに変わりはない。二人は盗賊の屍を外に出して、奥の部屋で休むことにした。
「それにしても、よく主人が刻んでいた葉が毒草だとわかったな」
「あれは根の近くの茎が赤くて、葉の形に特徴がある」
この地方で野営するときは気をつけろと、絵図付きで教えられたうちの一つだった。食用になるものと似ているが毒がある。
「念の為、毒消しの根を噛んで、もう一度吐いておこう」
「食うフリなどせず、最初から全部捨てればよかったのに」
「途中まで奴が時折こちらの様子を伺っておったではないか。もしただの思い過ごしなら非礼にあたるし、あの時点ではもっと伏兵がいる可能性もあった」
「山賊程度、俺とお前なら何人いてもどうとでもなるだろう」
「……それはそうだな」
「雑草汁はコリゴリだ」
二人は早朝に盗賊宿を発ち、山を下った。
現れた怪異は両断して倒した。
さる24/01/14朝集計で「白」が総合日間1位をいただくという謎現象がありましたので、ご愛顧記念にオマケで温泉宿での後日譚もつけます。
ーーー
「……雑草汁」
エリオスは汁椀の中身を見て思わず顔をしかめた。
「薬膳スープだ。キノコも入っている」
元戦友であるこの宿の主人は、憮然としながら訂正した。
「お前が連れてきた料理人が作ったものだぞ」
「昨夜は宴席の重い晩餐で、お酒もたんと召し上がっていたようだから、身体に良くて胃に負担の少ないものをと思って、ジェリコに作らせたのですけれど、お気に召さないようでしたら……」
「いや、そういうわけではない。食べる」
エリオスは隣に座る彼の妻の気遣いを無下にする気はさらさらなかったので、椀をしっかり持って「これは良い匂いがする」と言った。
彼の妻は微笑んで、自分も汁椀を手に取り一口食べ、ちょうど大鉢を手に部屋に入ってきた優秀な料理人に目をやった。
「ジェリコ、出汁がいつもと違う?」
「はい、奥様。本日はこちらで分けていただいたキノコを使いました」
「うまいだろう。このキノコは天日に干すと旨味が増す」
「"シイタケ"?"シイタケ"を見つけたの!?」
「いや、モドキだな。あんなに大きくない」
「奥様、少しいただいて帰って、冒険者に栽培依頼を出しましょう」
「それはいいわね。家でも食べたいわ」
「なんなら贈るぞ。干したのは日持ちが良い」
食べ物の話で盛りあがる者たちの輪に入りそこねたエリオスは、黙って汁を飲んだ。
旨いが、汁だけでは食いでがない。
そう思ったら、大男の料理人がニコニコしながら、抱えた大鉢からなにか焦げ目がついた雑穀の団子っぽい塊を、エリオスの汁椀に入れた。
ジュワワッと音がして、スープに少し油が浮いた。
「お好みで崩して、お食べください」
「"オコゲ"かっ!いや、揚げ餅!?」
「私も欲しい!」
目の前の二人が激烈な反応を示す。
エリオスは椀に入れられた塊をつつきながら、内心で首をひねった。
なぜだろう?ここに来て元戦友と一緒にいるときは、なんとなく妻の言動のテンションが時々おかしくなる。
「俺にも一碗……いや、後で作り方を教えてくれ。豪華宴会とオコゲの朝粥の宿。これはイケる」
「今日のこの椀に入っている薬草を通年で揃えるのは大変よ。これはうちの薬草園でも数は作っていないし」
「適当な食える野草しか入っていない簡素なキノコ汁でもいいんだ。薬膳と言い張れば様になる」
「詐欺はダメよ」
「ならいっそ"七草粥"と言えばよい。七草って名前にすれば、草で合ってる。語呂が良くてなんか洒落た歌を作って美容と健康に関心がある層にPRしよう。健康志向の保養所路線のイメージ戦略で売れるし朝食の原価率も抑えられる」
よくわからんが……と、エリオスはなんか旨い謎の薬膳を食べながら思った。
造りは雲泥の差だが、ここもたちの悪い山奥の盗賊宿の一種にあたるんじゃないだろうか?




