晩餐3
座が和やかになったところで、イリューシオは晩餐室を退出した。
「イリューシオ様、ハズレ市より続報です。市で特に何者かと接触を持った様子はありません。単独、というか、少なくとも街道からは二人だけで行動していたようです。関からは報告なし。旅券は偽造品ですね。どこで入手したのか、御本人方から聞き出してください」
「わかった。マッサージ室の見解は?」
「ほぼ本人で間違いないそうです。黒龍将軍は古傷の治療痕が一致していることを記録と照合しました。元太守殿は手型と指の長さや形などの特徴が一致しているそうです」
これまで何度かあった騙りの類でないことは、奥様の態度をみればわかるがな、とイリューシオは独りごちた。
彼自身は、きっちり確認を取るまで、薄汚い放浪者を本人と認める気はなかったが、何故か彼の主人は、ひと目で相手をエリオス・ユスティリアヌスだと認めていた。
アストリアスという果実を盗み取りたい奴らが仕立てて差し向けてきたこれまでの偽者には、終始、冷淡な態度だったのに、今回は、相手が「自分は青い鷹だ」と名乗る前に、自らの夫として手厚く迎えた。
奥様が一体何を基準に人を判断しているのかまるでわからない、とイリューシオは頭を振った。今回に限らず、彼女がこれまで才能を見出してきた相手は彼から見るとおおよそ胡散臭い奴か、偏屈な変わり者か、関わり合いにならない方がいい奇人ばかりだった。
たまに、初見ではまともに見える相手もいるが、奥様に見込まれて仕事を任されているうちに、そういう者たちもことごとく目付きがヤバくなっていくのだ。自分が扱う主題に対して偏執的というか偏愛を向けているというか、なんともこう仕事熱心を通り越した熱意を見せ始めるのである。
「(そういえば、うちの厨房の連中も大概、変だしな)」
イリューシオは、内心でそっとため息を吐いた。彼が厨房に入った途端に、殺気立った視線を向けてきた料理長も、昔はちょっと可愛いなと思ったりもしたものだ。
現在、ここで料理長をしているスゥは、夫人の実家時代からの最古参の使用人だ。お仕えしている年数で言えば、イリューシオよりも長い。元は調理場の担当ではなく侍女の一人だったらしい。それが、食が細くて体もあまり丈夫でないお嬢様が食べたがる食を追求するうちに、ここまで道を突き進んでしまったのだと聞く。
たしかに奥様は、仕事に熱中すると食を忘れがちなところがあり、イリューシオも彼女に食事をきちんと取らせるのには苦労した。
スゥ曰く、そんな風に食をおざなりにするにも関わらず、”お嬢様は食に並々ならぬこだわりがある”らしい。出されたものは何でもそれなりに食べて厨房に難癖はつけず、特に好き嫌いをするわけでもないが、”アタリ”だったときは、劇的な反応を見せるというのだ。
たしかに彼女は時折、なんでもないことでふと、とてつもなく幸せそうな顔をすることがある。イリューシオ自身も、彼女のそういう顔を見たさに日々全霊を込めてお仕えしていると言って良い。
それが”食”という1点に特化されたのがスゥなのだ。
お嬢様……スゥは今もって夫人のことをそう呼ぶ……が、喜んで食べてくださって彼女の健康に良いか。彼女の尺度はそれのみだ。
「反応は?」
「概ね好評だ。ただ、客人方はここ風の料理には不案内だ。メインは食べやすい形で提供したほうがいいだろう」
「客人なんてどうでもいいんだけど」
こういうことを言うから、彼女は公式の宴席を取り仕切る立場にはつかせられない。外交、内政での会食を取り扱う公館の最高位の料理長の職を鼻で笑って蹴った女なのだ。
「奥様が彼らのことをお気になさっている。奥様に気兼ねなく料理を味わってもらいたいなら、客人には世話なく美味しく食べられる料理を出してやれ」
「面倒な」
心の底から面倒くさそうに吐き捨てると、彼女は厨房のスタッフにテキパキとプランの変更を伝えた。人格に難はあるが、実務遂行能力は一流なのだ。……奥様の関係者にはそういう人物が多い。
「魚は客人の分は、串を打ったまま出しましょう。大皿を出して。お嬢様の分は予定通り串を外して椀であんかけに。大皿の分は塩振っておけばいいわね。一応、小鉢に野菜餡だけ少量入れてつけ汁風に使えるようにしてやって。ジェリコ、塩焼きの焼き目の加減はちゃんと変えなさいよ」
「がってん承知」
「誰か若葉の枝、これっくらいの長さ切ってきて。大皿だと木の芽じゃ映えないから」
指示を出す間も彼女の手は忙しなく動いている。薄切りにされた細長い瓜が、花のような形に美しく巻かれている。
あれは奥様用だ。間違いない。スゥの飾り盛り技術は、そんじょそこらの工芸職人を凌駕する。
「客人は奥様のご夫君と黒龍将軍である可能性が極めて高い。手は抜くなよ」
「誰に向かってもの言ってるのよ、イル。私にとってはお嬢様以外はほぼ等価よ」
「ああ、うん。そうだったな」
遠い目になりかかったイリューシオを、スゥはけんのある目付きで睨めつけた。
「それで?お客の腹具合と好みは?あんたがわざわざ来たってことは言うことあるんでしょう?」
イリューシオは、客人が壮健で体格のいい軍人で、かつ空腹そうであること、酒は甘いものより辛いものの方が好みなようだが、とにかく量が必要そうであることを伝えた。
「量は肉料理で調整するわ。その手の男連中は肉と酒出しときゃ満足するでしょ。酒はこないだの貰い物の樽開けて。アレ、お嬢様の好みじゃないから」
スゥはイリューシオに、晩餐室にテーブルをもう一つと簡易の炭火台を用意するように言った。
「最初にお出しする冷製肉は予定どおりここで私が切るけれど、あとは、向こうでサーブに変更。黒い溶岩石の平板皿用意。ジェリコ、あなた晩餐室でお客の食べっぷりに合わせて肉切ってあげて。足らなくなったら保存庫から追加で肉を出していいわ。追加で要るだけ焼いちゃって」
「いいけどよ、料理長。溶岩石のってことは皿まで焼くのか?また火傷する奴が出ねぇか?」
「イル、英雄だの将軍だのってのは熱いものを熱いうちに食べられないような舌の奴なの?」
「野営経験も豊富だろうから、焚き火で炙った肉を食べる機会も多かったと思うぞ。ただ、フォークは苦手そうだったから、皿まで焼くなら、手で摘みやすいか、ピックで刺しやすい形にしてやった方がいい」
「だそうよ。ジェリコ。あんた様子見て調整して」
「へーい」
大柄な副料理長は、肩をすくめて気のない返事をした。
このジェリコという男は、一見まったく料理人には見えない男である。どこの軍の突撃隊長かという強面で筋肉隆々。二の腕の太さは、小柄なスゥ料理長の腰と同じほどだ。
彼は、オルウェイの料理……もっと言うならスゥの料理に惚れ込んで今の立場に収まったエクスプローラー上がりの異国人で、自称”食の求道家”だそうだ。
エクスプローラーというのは、一種の食材納入業者なのだが、一般的な商人とはいささか趣を異にする者達である。イリューシオが知るところでは、奥様が実家にいた時分に、大旦那様に頼んで、商人などから珍しい食材を調達していたことに端を発するらしい。奥様が絡むと、何やらおかしな部署や担当ができて、妙な職業が生まれるのはよくあることなのだが、これもその一つだ。
エクスプローラー達は世界各地から食材、香料、嗜好品、医薬などの原材料を探し出して納品する探索者であり調達屋である。
彼らは個人または少人数のグループで活動する。元締めとなるマスターがいる拠点に掲示されている依頼品を納入するか、この国では知られていない珍しいものを持ち込んだり、群生地の場所や生態の有用な情報を提供すると、報酬が貰える。
新種の発見や、栽培または飼育方法の確立につながる情報の提供者には、その素材の以後の取引高に応じた配当金も貰えることから、一攫千金を狙う者もいると聞く。
元締めのところには、持ち込み担当のエクスプローラー以外にも、検証担当の者もいて、有用か、本当に効果があるか、再現性があるか、応用可能かなどを確認する。
新素材を求めて前人未到の地に分け入ったり、紛争地域をものともせず希少交易品を運んだり、人体実験めいた検証に身体をはったりするために、彼らは”冒険者”とも呼ばれていた。
そんなエクスプローラーの中でも、ジェリコは腕利きの一人だったらしい。
エクスプローラーならこれくらいは強くないと、と言いながら筋肉をモリモリ動かす巨漢は、熊だって倒しそうに見える。
料理人としては、完全に無駄な戦闘力にも思えたが、彼のこの外見とそれに見合った能力は意外に役立っていた。
ユスティリアヌスの晩餐、オルウェイ料理の最高峰の料理人というのは、美食家なら、何としてでも手に入れたいと思う至宝らしい。その桁違いの洗練と破壊力のある料理のおこぼれの洗礼を受けた権力者の中には、不届きなことを考える者も少なからずいるようで、過去には誘拐未遂事件も起きている。スゥが公の場に出る役職に就きたがらないのは、女で先例がないということもだが、身の危険が伴うという問題もあるからだった。
その点、ジェリコは強かった。
夜道で彼を襲って拐おうと思ったら、正規軍の小隊では足らないだろう。
「俺がスゥさんの盾になる!」と宣言した彼は、公に料理人として名前や顔が出る場合の役割をすべて引き受け、外敵用のデコイの役を果たしたうえで、厨房内ではスゥの忠実な下僕となった。
筋は良いらしく、イリューシオから見るとどちらも一流に思えるのだが、ジェリコにとってはスゥは崇拝すべき圧倒的な美食の女神らしい。ではそのスゥが崇めている奥様はお前にとっては何なのだと、イリューシオは以前一度、ジェリコに聞いてみた事がある。
「上位神」
真顔でそう答えた彼を、イリューシオは、悪いやつではないな、と思ったものだ。
厨房での用を済ませたイリューシオは、その他の細かい用件を片付けてから、晩餐室に戻った。
室内には入らず、使用人用の裏通路に回って、灯りの準備を始めた。こちら側でランプに火を付けて棚に上げると、すりガラス越しに晩餐室が照らされる仕組みだ。ランプの油の臭いや煙が晩餐室には流れないので、食事の邪魔をしないという工夫だが、使用人としては、主人が食事中でもこうして邪魔をせずに作業ができるのでありがたい。
火を灯す前に、室内の様子がうかがえるように開けられた小さな覗き穴から、ふと何気なくテーブルの様子を確認したイリューシオは、身体を強張らせた。
食事中のはずのエリオス・ユスティリアヌスが、壁で隔てられてあちらからは見えないはずのイリューシオを凝視していた。
その鋭い視線はイリューシオを射抜いて、彼に邪心や悪心がないかを洗いざらい精査するかのように思えた。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないようだ」
「香草塩はお口に合わなかったかしら?やっぱり最初の岩塩か肉汁のソースがお好み?」
「あの黒っぽいのが美味かった」
「ベリーのソースね。おかわりはいかが?」
「……厚切りで」
テーブルでの話題が肉料理の話になって、青い鷹の視線が逸れたことで、ようやくイリューシオは息ができた。今更のように手が震え、背中を汗が伝っていく。
彼は呼吸を整えてから、慎重にランプを灯した。
ランプを棚に置いて、こわごわ覗き穴を覗くと、青い鷹はうまそうに肉を頬張っており、その隣で黒龍将軍がチラリとこちらを見て、微かに含み笑いのような癪に障る表情をみせた。
なんで、どいつもこいつも壁のこっち側が見えるんだ!?
これだから英雄というやつは!とイリューシオは苛立った。
奥様の関係者は、本当に超一流だが人格に難のある人物が多い!
イリューシオは、不審者扱いされて狼狽した自分と、それを見透かして面白がっている壁の向こうの相手に腹を立てながら、残りの作業を終えた。
残照が飾り窓から消えてゆき、柔らかなランプの明かりが照らし始めた晩餐室では、穏やかな食事が続いていた。
イリューシオの奥様関係者に関する所感は綺麗にブーメランw
新作短編書いたりで、間が空いてしまいました。(「庭守りと主」このシリーズではないですが、しっとり系シリアスものなのでよろしければご覧ください)
晩餐の話はここまで。
次回は後世のクルムフィスの二人に戻る予定です。




