晩餐2
丸、四角、三角……。
皿の上の謎の”何か”の数々をエリオスは見下ろした。
夕食をと言われて期待はしていた。空腹だったし、先程、入浴前にもらった軽食はとてつもなく美味かった。
玉葱のペーストと塩漬けの小魚の身をのせて焼いた薄焼きパンだと教えられた。黒いのはオリーブの輪切りだと言われたが、それ以外にもピリッとする黒い粒がかかっていた。ゴドランと二人で貪るように食べて、最後の一口を飲み込んでから、もっと味わえば良かったと後悔した。
その後、風呂で汚れを刮げ落とされ、髪も整えられ、髭も剃ってさっぱりしたが、半端に食べた腹はへるばかりだ。入浴後にもらった果実水は、腹の奥に届く前に消えた気がするし、先程、飲んだ食前酒とやらは、食欲に火をつけるだけで、一口でなくなってしまった。
ようやく会えた人を前にして、胸はいっぱいだが、そんなことはお構いなしに腹は空腹を訴え続けている。
しかし、ここでがっついて無様は晒したくない。艱難辛苦を乗り越えた末の再会の第一印象が腹ペコの食いしん坊だなんて笑えない。
ただでさえ、この屋敷の洗練された雰囲気の中で、自分が果てしなく粗野な野蛮人な気がして気後れしているのだ。腹の音など意地でも鳴らせるものか。
エリオスは、下っ腹に力を入れ、背をシャンと伸ばして、室内の調度を眺めた。
この部屋は、どこもかしこも彼女の描く曲線と意匠に満ちている。
窓枠や壁の浮き出し模様はよく報告書の縁飾りで見た曲線の組み合わせだし、きれいな襞を寄せられて壁に下がっている布の柄は、テーブルや椅子に掛けられた布の柄と対になった意匠で、この季節に彼女が好んで使う花の文様だ。
部屋に案内されたときは、まるで彼女の描く絵に取り込まれたようで圧倒された。落ち着いてよくみれば、微妙に違うなと思う物も多く、全部が彼女の作ではないのだろうが、明らかに彼女の趣味や作風に沿って作られたのだとわかる。エリオスは美術工芸品に詳しくはないが、ここにある品々を作った職人は一流で、しかも、この部屋の主を心から尊敬してこれらの物を捧げたのだろうということは察せられた。
テーブルの上に置かれた手拭き布を止める輪に、自分が愛用しているピンと似た”鷹”の細工が付いているのを見て、エリオスは身体の奥がザワリとした。
これは自分専用に作られたのだろうか?それとも知らない誰かの前にも置かれたのだろうか。
彼女の好むもので満たされたこの部屋で、主の席に座る資格が自分にはあるのだろうか。
目の前で優美に微笑む彼女に、少しでも釣り合う男と見られたくて、彼は平静を装って表情を抑えた。
大皿に肉が山盛りでてきても、がっつかないぞ。
覚悟を決めた彼の前に出されたのは、歓待の宴席でよく見る大皿料理ではなく、小さな一人用の皿だった。
いや、小さなというと語弊があるだろう。それは指を大きく開いた手よりも2回りほども大きな平皿で、あろうことかガラス製だった。中に泡のある薄青いガラスはまるで泉の水を取り出して固めたようだ。手前から片端に向かって濃い青の筋が滑らかに入っているせいで流水も連想させる。
そしてその上には、原材料が全くわからない料理が、少量ずつまばらに置かれていた。
丸い団子のようなものの表面は白い粒状の穀物っぽいものが張り付けられている。四角い形の何かは緑と赤と黄色の具が半透明の何かで固められている。三角形に切り分けられた黄色っぽいものは、焼色がついていて端は少しパンに近そうだ。
八日の月の形に切られた白いものはおそらくカブ。その上の緑色の長い豆とクロスするように重ねられている赤いものは少なくとも植物。その隣の鮮紅色の何かは肉っぽいが正体不明。なぜその下に草が敷かれているのかは意味不明。
わからん。
皿を持ってきた使用人が、何の料理か説明していったが、材料名も料理名も固有名詞がことごとく聞き慣れない単語で耳を滑って、何も頭に入らなかった。
彼女に「どうぞ」と言われて、チラリとゴドランを確認すると、「やぁ、これは珍しいものですね」などと言いながら、手元の水鉢で指先をすすいでいた。
そんな物があったっけ?と思って自分の脇を見るといつの間にか新しい手拭きと一緒に置いてある。
こういうのは使ったことがあるぞと、昔、参加した宴会を思い出しながら、手を洗うと、水が跳ねた。あれっと思って思い出すと、ゴドランは三本の指の先だけを軽くつけていたような気がした。
これは、真似をしてしのごう。
とりあえず、こいつに倣っておけば大丈夫、というこれまでの経験則に、エリオスは従った。
彼女とゴドランが交わしている無難な世間話に相槌を打ちながら、エリオスは視野の端で、ゴドランの所作を追った。
この一口大の”何か”は、手で摘んで食べていいらしい。ゴドランは丸い団子を手にとって半分かじった。
「黒い……?」
「ん?どうしたエリオス」
「その丸いの、中が真っ黒だぞ」
「え、おおっ!?」
「あら、中は烏賊墨なのね」
「墨?インクなんて料理に入れて大丈夫なのか?」
「原料が同じなだけでインクを入れたわけじゃないから」
彼女は笑いながら、自分の皿の上の団子を小さな銀色のナイフで切った。表面の白い粒々の中は食い物とは思えないぐらい黒い。
彼女は、ナイフよりもやや小ぶりな先が二股に割れた細い串で、割った団子の一片を突き刺して口に運んだ。
「おいしいわ」
「う……うむ。見た目には驚かされたが、味は悪くない」
ゴドランが残りも口に運んでいるので、エリオスも団子を摘んだ。
思い切って丸ごと口に放り込む。
白い部分は麦よりもやや粘り気のある穀物で、墨の部分は別に苦くなかった。もぐもぐ噛んでいると肉とも野菜とも違う、塩味だけではない甘いような不思議な味がしたが、正体を確かめる前に口からなくなっていた。
「よくわからん味だ」
正直な感想がつい口から出たら、隣のゴドランから一瞬、鋭い殺気が向けられた。
しまった。黙っておこう。
「こういうものは他所では食べたことがありません」
「ゴドラン様ほど世界を広く回られた方でもご存知ないのですね。やっぱり見た目で避けられるのかしら。旨味があって美味しいのに」
「旨味という味があるのですか?」
「ええ。塩味、甘味、酸味、苦味などとはまた違う感覚です」
「物の味には、身体への作用で、温や冷があるとは聞いたことがありますが、それともまた異なるものなのですね」
知識人二人の会話がいい具合に別の話題になってくれて、自分が何をやらかしたにせよ軽症だったらしいとエリオスは安堵した。
彼は戦の駆け引きや、殺気を飛ばし合う圧迫外交は強いが、宴席で同席者の機嫌を取る会話をするのは苦手だった。
エリオスは、皿の上を見て、かろうじて正体がわかるものから手を付けることにした。
緑の長い豆は、色が鮮やかだから生かと思ったら、茹でられていて柔らかく、しかもほんのり塩味がした。塩なら塩からいはずなのに甘い気もするので、実は塩ではないのかもしれない。細切りにされた赤いなにかは豆よりパリッとしていたので、ひょっとしたらこちらは生だった可能性があるが、自信がない。
カブは汁気が多くて、もっと複雑な味がし、やっぱりよくわからないうちに舌の上で崩れて消えた。
調理方法と味付けが違うものが一つに重ねられている理由がわからない。そう思って、ふと前を見ると、彼女がナイフで切った豆と赤いのとカブを、全部一度に二股の串先に刺して、口に運んでいた。
もしかして別々に食べるものではなかったのだろうか?
ゴドランも目ざとくそれを見ていたようで、同じ道具を使ってみたいなどと言い出した。
「私に揃えなくてもいいのですよ」といいながら、それでも彼女はフォークという名前らしいその銀器をナイフとセットでエリオスの分まで用意してくれた。
「これは少しあなたのとは形が違うようですな」
「職人さんがまだ試行錯誤中なので同じもので数を揃えていないのよ。串よりも食べやすくて、扱いやすい大きさと形を探しているんですって」
なるほど。エリオスのものは先が鋭くて中程が少し匙のように膨らんでいる。ゴドランのは平たくて軽く湾曲しており、先が4つに別れている。
使いにくかったら手で食べていいからと言われながらも、見栄張りで負けず嫌いでチャレンジャーな男たちは、渡された銀器を手に、皿の上の未知に挑んだ。
四角いものは、刺したら崩れた。
二股の鋭い先端では、柔らかすぎて支えられなかったようだ。
先が4つに割れているゴドランの方はなんとか保持できたようで、上手に口に運んでいる。
エリオスはなんとか匙のような部分を使って、崩れてぐずぐずになった料理を食べた。
これは口の中で野菜スープになった。だったらどうして四角かったのかは、やはりわからない。
鮮紅色で薄くスライスされた肉のようなものは難敵だった。
あまり切れ味のよくないナイフでは、上手く切れないし、刺そうとしても刺さらない。匙ですくうには半端に大きくて、なにより下の草が邪魔だ。
ボタボタと落ちた身と草の葉をうらめしげに見ていたら、彼女が微笑みながら「それは巻くと食べやすいですよ」と教えてくれた。
なるほど。彼女は器用に草を鮮紅色の薄切りで巻いて刺している。
集中して細心の注意を払って同じように草をいくつか巻き、突き刺してみると、今度は刺さった!
達成感に溢れて、ゆうゆうと口に運んだら、開いた口の前で巻きが外れて、全部落ちた。
なんということだ!
よほどショックな顔をしてしまったのだろうか、隣でゴドランが常には絶対にしない類のバカ笑いを弾けさせた。彼女も口元を抑えて肩を震わせている。
どうぞ無理をなさらずと言われて、エリオスは敗北感に打ちひしがれて、平皿の端っこに引っかかった薄切りの身を手で摘んで食べた。
煙が燻ぶったような味がした。
燻った気分の自分の気のせいではなく、聞けば魚の切身を煙で燻したものだという。
「なぜ生の草を一緒に食べるんだ?薬草か何かなのか?」
「草………ではないわ。これは、ええっと葉野菜の一種で……薬草というよりは、香草に近いかしら。生の葉野菜って、普通は食べないのよね。そう言えば」
「腹を壊していて治療中なのか?」
「えっ?そんなことはないわ」
「そうか。なら良かった。行軍中に悪くなった食料を食べて腹を壊したときは野草を噛むことがあるから」
「バカ。アストリアス領主が悪くなった食料を食べて腹を壊したりするものか」
ゴドランに情け容赦なくダメ出しをされて、エリオスは身を縮めた。
「それはそうなんだが、墨を食べたり、煙で燻したものを食べたり、色々と変なものを口にしているようだから心配で……」
「変なものなどと言うな!」
「まぁまぁ。そんなに強く言わないであげて。確かに慣れない人にいきなり出すには突飛な食だったかもしれないわ」
申し訳無さそうな顔をした彼女に、そんな顔をさせるつもりで言ったのではないと言いたかったが、何を言ってもまた別の失敗をしてゴドランに怒られそうだった。
「お食事は気楽に楽しく食べるのが一番よ」
彼女はそう言って、フォークとナイフを置くと、三角形の奴を手に取った。エリオスがずっと気になっていた料理だ。丸く焼いたものを切り分けたらしい。断面は黄色くて、少し緑色の具が混ざっている。上と端は茶色の焦げ色が程よく付いてツヤツヤしている。
彼も同じようにそれを手にとってかぶりついた。
「うまい……」
外側は香ばしくて、中はとろりとしていて、それでいて肉の味もした。みると、塩漬けの豚肉っぽい具が小さく切られて入っている。
3口で消えた。
「お気に召しました?」
「もっと食いたい。これなら丸ごといける」
彼女は笑って、使用人におかわりを持ってこさせた。
俺達の食いっぷりをニコニコしながら見ていた彼女は、「おうちで一緒に食事ができるのっていいものね」とポツリと呟いた。
「帰ってきて良かった。あなたのそういう顔を見ながら、こんなうまいメシが食えると知ってしまったら、もうどこにもいけない」
また、つい本音が口をついて出てしまったが、今度はゴドランから叱責は飛んでこなかった。
前菜だけで文字数オーバー。
この後、魚料理、肉料理、デザートまで出るけど全部は書かなくてもいい気がしてきた……。




