紀行;クルムフィス3
中央広場に設営された臨時の観光案内所の係員は、クルムフィス城の劇場のチケットは売り切れだと言ったが、城内の案内所に直接行けば当日キャンセル分があるかもしれないと教えてくれた。
中央広場からも見える塔を目印に、市庁舎の脇の通りを抜けると、川向うにクルムフィス城の全景が見えてくる。
クルムフィス城は、S字に湾曲した川の北側の土地、北東からの流れが大岩にあたって東に大きく湾曲し始める手前に建てられている。
S字の南側、岩にあたった流れが高台の東を迂回して南西に向かう部分に造られた旧市街は、城など建てる余地がないので、当然といえば当然だ。
石造りの橋は立派な造りで、橋頭部分の張り出しや、手すりに沿って設けられたベンチでは、観光客が一息つきながら、大岩やクルムフィス城を眺めていた。
「この橋は城門と作風が違うわね。市庁舎ともちょっと違うし、城が建ってからのもの?」
「ああ。アトーラの植民都市時代には防衛上ここに石橋は不要だからね。橋のアーチ部分を見ると年代がわかりやすいから、こちらに来てごらん」
私は、橋脚に支えられた二連アーチが見える位置にエレナを連れて行った。
「尖頭アーチだ。アトーラ式の半円アーチよりも少し扁平で楕円に近いだろう。これは中世以降の西方教会建築で多用される様式だ」
「へー、たしかにてっぺんが尖ってるわね」
並んで、橋頭部分の張り出しの窓から身を乗り出して橋の下を覗き込みながら、エレナはアーチを形作る石の積み方に見入った。
「これから行くクルムフィス城やその隣の教会の窓を観察してみるといい。アーチの形状はほとんどこっちだから」
「わ、なんか、そう言われるとすぐに見たくなって来たわ。早く行きましょう」
”だからどうした”と言われるかと思った小ネタにちゃんと食いついてくれた彼女に急かされながら、私はまんざらでもない気分で橋を渡った。
「尖頭、尖頭、尖頭……これは丸いわ」
「”傾向”に例外はあるよ」
不満そうなエレナに、私はアトーラ式アーチと西方教会建築の円形アーチの構造の違いを説明した。女性の機嫌を取る話題としては0点だが、幸いにも彼女は要石の話でテンションを上げてくれる稀有な存在だった。
「え?アトーラの建築技師、天才過ぎない?」
「そうだろう。彼らはその技術で数々の偉大な建造物を残した。中でもオルウェイのニッカ・カドニカ及びカシム建築群は素晴らしい建築遺産で……」
「ああ、ちょっと待って、エルマーレさん。観光案内所、そこみたいよ」
「おっと」
城門の脇に造られた案内所は、場違いに明るい緑色に塗られた風情のない小屋だった。
愛想の今一つな受付のおばさんは、野外劇場の今夜のチケットは売り切れだとそっけなく言った。キャンセル待ちはできないかと尋ねると、面倒そうに帳面を広げ、今で75人待ちだと告げた。
「75人もキャンセルが出るときは開場している場合じゃないとわたしゃ思うね」
「もっともだ」
落胆する私に、おばさんは、離宮劇場のボックス席ならキャンセルの空きがあると教えてくれた。
「離宮劇場?半野外劇場以外にも劇場があるのかい」
「一昨年できたんですよ。改装した東棟の隣に」
古い半野外劇場の屋内部分の老朽化が進み、文化遺産保護の観点からそちらは立入禁止となって、代わりにローゼンベルク時代の城内劇場を復元した新劇場が建てられたらしい。キャンセル待ちが多かった野外劇場は庭園に作られた椅子もない屋外ステージで、今夜は音楽ショーとダンスパーティだという。
「バルドメロの"岩巨人"の終夜通し公演じゃなかったのか?」
「劇場が変わってから演目も変わったのさ。離宮劇場の今年の終夜公演は”偽王”さね」
「バルドメロの晩年の作かぁ」
あまり好きな演目ではないが一度通しで見てみたかった話ではある。では、そこを……と頼もうとして、私は価格を聞いて思わず返事に詰まった。
高い。正直言って高い。
改装した新劇場だからなのか、ボックス席だからなのか、とにかく助教授の安月給では、宿泊費代わりだとしてもちょっと二の足を踏む価格だ。キャンセル後に埋まっていないのが納得である。この価格は当日の思いつきでポンと出せる価格ではない。
「じゃあ、その席お願い」
「おい!」
「空いててラッキーだったわ」
慣れた様子で旅行小切手にサインをするエレナに私は青ざめた。
「どういうつもりだ」
案内所を出た私は、小声でエレナをたしなめた。
「だって、迷ってたら他の人に買われちゃうでしょ」
「しかし」
「今夜泊まるところがないんですもの。贅沢言ってられないわ」
「いや、むしろ無茶苦茶贅沢したって自覚はないのか」
「むー」
「どこのお嬢様だ、君は。親の金だからって、学生がそう気軽にポンポン大金を使うのは褒められた習慣じゃないぞ」
「この旅行のために貯めたお金だから大丈夫。何にどう使っても私の裁量よ」
「だからといってだなぁ」
「あなたは私の保護者じゃ……」
歩きながら小声で口論していた私達は、急に後ろから声をかけられた。
「お嬢さん、お困りごとかね?おい、君。この女の子になにを絡んでいるんだ。離れたまえ」
「あちゃぁ」
「くそっ、またかよ」
筋肉と正義感に溢れた仲裁者の前で、エレナは天を仰ぎ、私はうなだれた。
「ええ。ですから先生は私の引率者で、この旅行中は保護者代わりなんです。あ、先生、旅行会社の封筒出して。……ほらね。同じツアーで申し込んでいるでしょう?」
旅行中は先生と一緒に居ないとむしろお父さんとお母さんに怒られちゃうわ!と、無邪気な顔でいけしゃあしゃあと言い切ったエレナの隣で、私はただ仏頂面をして立っていることしかできなかった。
親切男が立ち去ったところで、私は「ここで別れよう」と言った。
「バカね。あの人とあんな話をした直後に別行動なんかしたら、嘘でしたって自白するようなもんじゃない。このまま一緒に城内見学にいきましょう。ね、先生。ここの見どころはなんですか?」
「中世のローゼンベルク家については専門外なので通り一辺のことしか知らん」
いいように振り回されているなと思いながら、私は中世における中央平原での西方教会の勢力拡大と、それにまつわる混乱が一段落したあとの社会制度について解説し始めた。
「こうして台頭した封建領主の中には、交易と金融をも掌握した強力な領主がいて、ローゼンベルク家はその典型例でもある。領主が土地に所属する農民への支配以上に、流通と金融取引に精通し強力な資金力を得るというのは、実はアトーラ帝国時代にすでにアストリアスという実例があってね」
アストリアスはアトーラ帝国内の一地方でありながら、ほぼ独立王国とまで言われたほどで、そこの初代女領主は、その辣腕により莫大な資金力を誇り、"アストリアスの黄金"という二つ名で呼ばれた。
彼女はその集約された資金力を芸術と建築、美術工芸の分野に惜しみなく注ぎ、アストリアスの領都オルウェイは、”美のオルウェイ”と称された。現在の中央平原での文化のベースは、この時代のアストリアスで形成されたと言っても過言ではない。現在、一般に”アトーラ風の”とか”アトーラ様式”と言われて人々が連想するものの大半が、実はアストリアス、もっと言うとオルウェイに端を発したものであることが多い。
このオルウェイという一都市が世界に果たした役割というのは……。
「ちょっと待った。先生。話が完全にズレているわ」
「む」
「ここの説明をして」
「ああ、すまん」
私は観光客用のコースを順にめぐりながら、柱の形状や床の石組みの様式などを説明した。
「……この傾向は、城主のプライベートな居住部分になると特に顕著になる。ほら、ここの廊下の窓は角を曲がったところから形が違うだろう?」
「ええっと、ここまでが尖頭アーチ窓で、ここからは上が半楕円アーチ。張り出し付き、枠は縁取り三段線刻。……さっき言っていた懐古様式ね!」
「正解」
「ふうん。教会に正対するファザードは西方教会建築なのに、この奥の中庭に向いた窓は急になんちゃってアトーラ風になるわけね」
勘のいい生徒を連れて、私は観光コースを外れて中庭に降りた。
「こちらから城館を見上げると、印象が随分違うだろう」
「本当」
「ここは城主のプライベートな庭なんだ。あれをご覧」
私は庭の端に建つ石柱の前に彼女を案内した。
「天輪柱。元々、さっきの市庁舎にあったものを、移築したものだ」
そう聞いた途端に空を見上げた彼女を見て、私は思わず笑みが浮かんだ。
「残念ながら、これも”なんちゃって”なのさ」
「日当たりが悪いわ」
「それ以前の問題として、設置する方角がデタラメなんだよ」
私は胸ポケットから取り出したペンをまっすぐ立てて、その影と腕時計の針を彼女に見せた。
「ほら、北はあっちだ。石柱の四面が東西南北とズレている」
彼女は腕時計と天輪柱と私の顔を順番に見た。
「つまり、城主はアトーラ好きの趣味人だったけれど、あなたみたいな学者ではなかったのね」
「そういうこと」
私は彼女と一緒に小さな円屋根付き四阿の狭い石のベンチに腰掛けた。
「きっと城主はここに座って、天輪柱を眺めながら、アトーラ時代の夢に浸ったのだろう」
「ロマンチストだったのかしら」
「どうだろうね」
私達は黙って懐古趣味の中庭を眺めた。
城内と隣の教会を一通り見学しても、劇場の夜公演までにはかなり間があった。
「今のうちに夕食を食べておこう。私は予約を入れてあるので別行動になるが……」
「待って」
「なんなら君の席が用意できないか店に確認しようか?」
「そうじゃなくて。うん、まぁ、結局そういうことになるかもしれないんだけど」
不可解な物言いをするエレナに、私はどういうことか尋ねた。
「先生。夕食のお店は旅行会社に予約をお願いした?」
私は猛烈に嫌な予感がして、ツアーの日程表が書かれた紙を取り出した。
「やっぱり。私の夕食のお店とおんなじよ」
同じ旅行会社のロゴが入った紙を手に、エレナはいっそ達観した様子で重々しくうなずいた。
終わらない……。
先生、解説が長いよ。
次回、ディナーと観劇デート?
おまけの偽蘊蓄
■ローゼンベルク家
中世にクルムフィス周辺を領有した封建貴族。金融、交易で財を成した。
クルムフィス城を建築した城主は、アトーラ趣味で”アストリアスの黄金”に心酔していたと言われる。
クルムフィス城に残る”白い貴婦人”伝説では、城主は城内に現れる不思議な”白い貴婦人”を”アストリアスの黄金”の魂だと信じていたと伝えられている。
彼は、アストリアス美術を愛し、懐古主義芸術の支援者として中心的存在だった。
クルムフィス城内には劇場が造られ、劇作家バルトロメオは、この劇場のために”岩巨人”、”英雄”、”西海の黄金”などを書き下ろした。彼の晩年の作である”偽王”は、自らの若い頃のパトロンであったこのローゼンベルク当主への追悼のために書かれたものだと言われている。




