紀行;クルムフィス2
「クルムフィスは"曲がった川"という意味です。中世に初めてここに城を築いたローゼンベルグ家の当主は、この湾曲した流れを天然の掘割としました。右手をご覧ください。あちらに見えてまいりましたのがクルムフィス城の……」
観光ガイドに連れられた観光客の団体の脇を通り抜けて、私達は観光案内所に向かった。
「クルムフィスに河川を防衛に利用した砦を築いたのは古代アトーラ人だ。中世の城はそれを再利用したに過ぎない」
「そうかもしれないけれど、通りすがりに耳に入った観光ガイドの話にそんな細かい訂正を入れるのは大人げないと思うわ」
ティーンエイジャーであろう彼女に「大人げない」と言われて、私は憮然とした。そうかもしれないが、それをそんな冷静な顔で突きつけるのも大人げないのではないだろうか。……いや、子供だから仕方ないのか?くそっ。
「わかっている。代わりに観光ガイド役をかってでて、観光客に講義を始めない程度の分別はある」
なにが可笑しいのかエレナは笑みになりかけの目でチラリとこちらを見上げ、私の不機嫌さをものともせずに、「ファルコのガイド、聞いてみたいわ」などと、のたまった。
「ファルコと呼ぶな。そして私はガイドではない」
「エルマーレさん、史跡の解説をお願いします」
私は子供相手に意地を張るのがバカらしくなった。この分野に興味を持った若人に正しい知識を伝えるのは、専門分野に関わるものの務めなので仕方がない。
「最初にこの土地に人が入植したのは、アトラス暦の紀元前、まだアトーラが帝国化していない頃だと云われている。共和制末期のアトーラは戦乱期にあった周辺諸国を次々に併合し、急激な拡大を遂げており、中央平原一帯に植民都市を……」
私が始めた"解説"に、一瞬、怯んだ様子を見せた彼女は、私がニヤリとしてみせると、ムッとした顔をして「それで?」「興味深いわね!」などと相槌を打ち始めた。
知的好奇心が強いようでなにより。
「あの飾りはどういう意味があるの?」
彼女が指さしたのは、広場の中央に建てられた細長い櫓で、青々とした葉や色とりどりの花々が、青と白のリボンと一緒に、華やかに飾り付けられていた。
「夏至祭のシンボルポールだね。本来は柱を立てるんだが、大きく飾るために櫓状にしたんだろう」
私達はそそり立つ見事なオブジェを見上げた。
私はベーシックな飾りに使われる花や葉に付けられている意味などを軽く説明したが、「と言っても、大抵は後付のこじつけだ。こんな物は祭りの賑やかしだから、派手なら良いんだよ」とまとめた。
「そこは大雑把なんだ」
「だって、あの赤い花の原産は南方の高原だ。アトーラ時代にはこのあたりでは自生していない。ハンの葉の形から愛を連想するためには、人間の心臓の形に関する解剖学の知識と、愛は心臓に由来するという概念が必要だ。そもそも、斑入りのハンの葉が観賞用に品種改良されたのは百年ほど前に過ぎない。また、リートの花が楽器のリュートと韻を踏むのは現代語の場合だけだ」
「なるほど。後付ってそういうことなのね」
「祭りの縁起物として、各時代に付け足されていった意味や、新しく取り入れられていった意匠を追っても面白いだろうが、残念ながら私はそういうのは専門じゃなくてね」
「というと、ご専門は?」
「考古学だ。古代アトーラ専攻」
研究者が多くて競争が激しい。
派手な成果は挙げにくいが、愛好家が多くて一般受けするジャンルなので、三流でも副業にありつければギリギリ食っていけそうだから選んだという話は伏せておく。
そういう身も蓋もない話は、初対面の若い女の子にするような話ではない。
「考古学というと、普段は遺跡の発掘調査とかに行っているの?」
「考古学者全員が発掘現場に張り付いているわけじゃないよ」
政府から発掘許可と補助金をもらって、大規模な発掘調査隊に参加できるのは一流どころだ。
「土から掘り出した物以外にも、考古学の研究対象はある」
例えば……と言って、私は彼女を連れて広場を横切ると、市庁舎の建物に入った。
石造りの市庁舎は中世の建築を部分改装しつつ使っている建物で、ホールの床はすり減った大理石だが、壁の隅には空調の銀色のダクトが外付けされていた。
祭りの出し物の準備中なのだろう。おそろいの中世のコスチュームを着た子供たちが母親と一緒に楽器ケースから楽器を出している脇を抜けて、私達は市庁舎の中庭に出た。
静かな中庭は人影もまばらで、木陰で被り物を取って休憩している街頭芸人がいる程度だった。
「こんなところになにかあるの」
「ああ……ここを見てごらん」
私は中庭の隅に残っている古い石畳と四角い石の台座を指差した。
「夏至祭のシンボルポールは、アトーラの天輪柱が起源と言われているんだがね。このクルムフィスの街に天輪柱が建てられていたのがここなんだ」
「市庁舎の中庭に?」
「ここは昔は中央広場だったんだ」
クルムフィスは川と城壁に囲まれた都市だ。街の発展とともに人口が増えても外への拡張はできない。必然的に一般住宅すら多層化が進み、城壁内は過密になる。
そして、新しく公共の建物を建てようとしても土地がないという問題が発生する。
「中世に宗教勢力が大きくなったときに、従来の市庁舎の建物が教会にされてしまってね」
反発した当時の市長が、宗教関係者と仲が悪い商人と金融業者から資金援助を受けて、傭兵団を雇い、中央広場の一角を占拠して新築したのが今の市庁舎である。
教会は多神教だったアトーラの遺産を悪魔的な異教崇拝だと白眼視していたため、天輪柱を守るために市庁舎内に取り込んだのだとも伝えられている。
「……が、だとしたらいささか本末転倒だな」
「どうして?」
「天輪柱というのは、簡単に言うと巨大な日時計の一種なんだ。それを建物で囲ったら、日が当たらなくて観測ができなくなる」
私が古い石畳に残る刻み目を指しながら、本来、太陽が動くはずの軌道を中庭の狭い空に描いてみせると、彼女は納得したのか、地面と空を交互に見ながらうなずいた。
「実用性がなくなったとしても、失われるよりはマシだと思ったのかしら」
「どうだろうね。天輪柱は当時の市長と教会の対立を象徴する上でのシンボル的な意味合いを持たせられただけなのかもしれない」
「世知辛いわね」
つまらなさそうな顔をした彼女の前で、私は「だが」と指を1本立てた。
「この市長個人は、アトーラに思い入れのある人物だったかもしれないんだ」
私は天輪柱の台座のさらに奥。本当に目立たない隅にある丈の低い石塔に彼女を案内した。
「これが市長の墓だ」
「えっ?」
「教会と仲が悪すぎて墓地に弔って貰えなかったなんて逸話が残っているが、この墓の形式は略式ながら古代アトーラ風でね。私はこの市長は相当なアトーラ好きだったんだと思うよ」
私は風雨にさらされてすっかり汚れた石塔の一番上、腰ぐらいの位置にある球状の石の表面を撫でた。
歳月で砕けたのか、意図的に砕かれたのか、一部がかけた石の球の表面には、薄っすらと点と線が刻まれていた。
「見てごらん。これは古代の星図……天球石だ。中世でこんなものを墓石にされる人物はよっぽどのアトーラ研究者だと思うよ」
「うーん。そうね。きっとその市長さんって、あなたみたいな人だったのね」
どういう意味かと彼女に尋ねる前に、背後から野太い男の声がかかった。
「おい!そこの貴様。こんなところで何をしている!!」
何事かと思ったら、相手は市庁舎の警備員で、"善良な一般市民"から、若い女性の旅行者が怪しい男に人気のないところに連れ込まれているという訴えがあって駆けつけたのだという。
話を聞いて彼女は大笑いし、それを見て警備員は困惑し、私は大いに憤慨した。
私は明日からの学会のためにここを訪れた考古学の助教授で、自分の研究室に来る予定の学生に、史跡を解説していたのだと、警備員に説明し、学会の参加証を見せた。
「これは、失礼しました」
「市の職員に、自分のところの文化遺産はもっと良い状態で保全しろと伝えてくれたまえ!」
とんだ誤解を受けて、憤懣やるかたなしの私を、エレナはなだめようとしたものの、どうにも笑いをこらえきれないせいで逆効果だった。
私は最悪の気分で市庁舎を出た。
「エルマーレさん、機嫌を直して。ほら、観光案内所があったわ。チケット買いに行きましょう」
「勝手に行きたまえ」
「あら、私は先生の研究室の学生なんでしょう?ちゃんと引率してくれなきゃ」
「方便を逆手に取ろうとするな。また淫行オヤジと誤解されるのは耐えられん」
「さっきのは不幸な誤解よ。エルマーレさんって、間近でちゃんと見れば、全然、女慣れしてなさそうだし、見るからに奥手っぽいし、ちっとも危険な男って感じがしないから大丈夫」
「君は私を慰めているつもりなのか、殴っているつもりなのか、どっちだ」
「あ、アイス売ってるわ!アイス食べましょう。エルマーレさん」
結局、私が折れることになった。
まだ続きます。
なんか、市長さんの話をしだしたら尺取ってしまった。




