紀行;クルムフィス1
突然ですが後世の話です。
現代ではなく20世紀ぐらいの感じ。
彼女といつ出会ったかという話は、厳密に語ろうとすると大変に難しいのだが、一番わかりやすく明確なのは、私がまだ大学の助教授で、学会出席のためにクルムフィスに行った時だと思う。
クルムフィスは、川の湾曲部に造られた都市である。
古代アトーラの植民都市として築かれ、街の西側には今もアトーラ時代の城壁の一部と城門が残っている。大きく屈曲した川が最も狭まる箇所に築かれた城壁にあるこの城門が、中世ではクルムフィスの唯一の出入り口であった。天然の堀である川と、古い川床の谷に囲まれた高台にあるこの街は、小さいながらも街道の要衝として栄えた歴史ある街だ。
長距離バスから降りた私は、観光客と一緒に城門に続く橋を渡った。観光客は皆、クルムフィス名物の夏至祭目当てでやってきた人々だ。バカンス気分の観光客の間では、スーツ姿の私は悪目立ちするようで、若者の集団に何度か、なんだこのオッサンは?と言いたげな目で見られた。
悪かったな。私だって好きでこんな時期にこんな格好でここに来たわけではない。なにをとちくるったか、学会を夏至祭期間中のこの街で開こうなどと言い出したバカが悪いのだ。毎年の学会は各地の研究者が持ち回りで幹事を務める。大抵はその年の幹事の中で発言権を持つ教授の趣味で決まる。田舎大学のしがない助教授でしかない自分にはどうしようもない。
夏至祭の期間中、クルムフィスの旧市街は全面車両通行止めになる。いわゆる歩行者天国と言うやつだ。中央広場には露天商や屋台が並び、大小の舞台が用意されて、様々なパフォーマンスショーが披露される。中央広場だけではなく、ちょっとした辻の空地や街路にも大道芸人やミュージシャンが立つので、街全体がお祭り会場と化す。
せめてもう少し軽い色味のスーツにすればよかったと苦い気持ちで、浮かれた人波の間を歩き、私は予約した宿を探した。
旅行代理店が送ってきたわかりにくい地図を見ながら探し当てた宿は、古式ゆかしい……というよりは、単にボロい小さな宿だった。中世の情緒漂う街で歴史ある建造物に泊まるという宣伝文句を考えたやつは、絶対にここの下見には来ていないに違いない。
直訳すると"岩男の寝床"というとてつもなくベッドが硬そうな名前の宿に入った私は、若い女の子が受付で揉めているのを見てうんざりした気分になった。
「部屋がないと言われても困るわ」
夏至祭目当ての頭の軽いバックパッカーだろうか。
この時期のクルムフィスで事前予約無しで宿に泊まるのは不可能だ。どんな安宿でも怪しげな民宿でも、一欠片の空きもない。ついでに言うと、市内のすべての空き地はパフォーマーに占拠されているので、路上で寝ることすら難しい。若い娘が行き当たりばったりで来ていいところではないのだ。
私は旅行代理店の封筒から予約証を出してフロントのカウンターに置いた。
「チェックインを頼む」
「はい。ただいま……」
こちらを向いた受付の男は、私の予約証を見て固まった。文句を言っていた若い娘も私の手元の封筒を見て微妙な顔をしている。
なんだというのだ?私はちゃんと予約をしてきたぞ。
若い娘の手元にも、私が手にしているのとそっくりの封筒があるのに気づいて、とてつもなく嫌な予感がした。
「つまりちゃんとしていなかったのは、君でも私でもなく、旅行代理店のようだな」
受付の男は受話器をフックに戻して、連絡が取れないと、首を振った。あろうことか夏季休暇にでも入っているのか、ろくでなしの弱小旅行代理店には、電話が通じないらしい。
「こんな杜撰な仕事をしておいて、旅行会社がこの時期に休暇に入るって、どういう了見なの?」
「そういう了見だから、こういうミスをするのだと思うがね」
私達二人は、まったく同じ文面がタイプされた2通の予約証を手にため息を付いた。
「これが単なる封筒への入れ間違いなら、少なくとも部屋はあったんだがなぁ」
「訴えてやる……かどうかは別として、問題は今夜の宿よね」
酷いことに、旅行代理店の手配ミスは単なるダブルブッキングではなかった。
よりによって、くだんの宿の部屋は夫婦者の名義で予約が入っており、受付の男は私が妻でもない彼女を連れ込むために偽名で予約を入れたのではと疑う始末だった。
誰がこんな見るからに10代の女の子を!
失礼千万な言いがかりに憤慨して、私は旅行代理店に連絡を取って確認するようにと強く要求したのだが、結果は空振り。受付の男は、空き部屋はないの一点張りで役に立たず。仕方なく、宿の責任者ではないので詳しいことはわからないという彼に、夕方までに宿の責任者か旅行代理店に連絡を取ってなんとかしろと言い残して出てきたのだが、どうにか対応してもらえる気はこれっぽっちもしなかった。
「望みは薄そうだが、もしさっきの宿の部屋が空いたら、君が泊まりたまえ」
「おじさんはどうするの?」
悪意なくストレートに人をおじさん呼ばわりした無礼な娘を、私はジロリと見返した。この年頃の娘から見ると20代から50代までのスーツ姿の男は全部一纏めに"おじさん"なのに違いない。
「私は、終夜公演の劇場にでも行くさ」
「あら、楽しそう。そんなのがあるのね。私もそうしようかしら」
「君みたいな年頃の娘が一人で行くようなところではないぞ」
「まぁ…………いかがわしい出し物なの?」
「違う!」
私とて男だからその手の劇場に行ったことはあるが、少なくとも若い女性の前で大ぴらにそういうことを口に出すようなマネはしないだけのモラルはある。
私は、終夜公演の劇場は公演内容ではなく、治安上の問題で一人旅の女性には勧められないと彼女に説明した。
「クルムフィスの城内劇場の公演なら、チケット価格がそう安くはないから治安上の問題はないだろうが、これは内容の方が若者向けのパフォーマンスショーではないからな」
「城内劇場というと、クルムフィス古城にある半野外劇場のこと?あそこも終夜公演なの?」
「古典演劇の通し公演だ。今年はバルドメロの"岩巨人"を1幕から全部やるらしい。4幕目に多少ラブロマンスっぽいくだりはあるが、最後以外は特に派手な見せ場もなくて退屈だと思うぞ」
「ラブロマンスに興味はないけれど、最後は気になるわ。派手なの?」
「クルムフィス城は中世に建てられた城で、城内劇場もその時代に造られたものなんだ。劇場には今も当時の舞台装置が一部残っているんだがね。バルドメロはこの城の装置のお披露目のために"岩巨人"を書いたと言われている」
「なにそれ。面白そう」
彼女は興味津々という顔で、私の話に乗ってきた。この種の話題に食いつくとは珍しい。とはいえ、期待させ過ぎはいかんだろう。
「うん。当時としては素晴らしく画期的な演出だったんだが……今の若い人が見てどう思うかはわからんなぁ」
「今の若い人って、おじさんも十分、今の若い人でしょう。まるで当時の人みたいな口ぶりなのね」
「たしかに君からおじさんと呼ばれる程度には年上だが、バルドメロと同時代人ではないな」
「ごめんなさい。"おじさん"って呼ばれるの嫌でした?」
「気にしてはいないから大丈夫」
本当のことなのに、彼女は恐縮して、私を以後は名前で呼ぶからと言った。
「私のことはエレナと呼んで。あなたの名前は?」
「エルマーレだ」
「それはファミリーネーム?」
「……ファルコ・エルマーレだ」
「まぁ!ファルコ。格好いい名前ね!」
「それはどうも。でも、エルマーレの方で呼んでくれ」
一回りほど年の違いそうな女の子にファーストネームで呼ばれるのは抵抗があって、私はしかめっ面でそう要求した。
後に私は彼女から"ファルコ"と呼ばれることにはなるのだが、とにかくエレナと私の出会いはそんな風だった。
長くなったので一旦ここで切って前半だけあげます。
次回、二人でクルムフィス観光予定。
(史跡解説:エルマーレさん)
オルウェイ建設の話を書きたいのに寄り道。
流れ的に前話に続いてこの話の方がわかりやすいんだよなぁ。
とはいえ。時代と登場人物がぜんぜん違うので別連載にするか悩み中です。以後、ずっと彼らの話ではなく、たまに縁の地を巡る感じにするつもりなのですが、別の方が読みやすいというご意見多ければ分離して移動します。
→シリーズ管理で分離してほしいとのご意見いただきました。その線で検討予定(困った。シリーズ名何にしよう)
→シリーズ構成変更しました。




