夏至祭
西征中の遠征軍の一コマ
本作のルーカスはS/Wバージョン2.0です。
参照:https://book1.adouzi.eu.org/n5878ig/
「娯楽が足りない」
日課の基礎訓練から戻ってきた戦友のルーカスの言葉に、エリオスは意味がわからないという顔をした。
「俺達は遠征中の軍だぞ」
「毎日、毎日、訓練と土木作業!せめて戦争をさせろ!!」
「仕方ないだろう。河が渡れないんだから」
増水した河川に阻まれたエリオス軍は、足止めを食らっていた。
他の渡航地点を探して斥候は出したが、かなり面倒な遠回りが必要なところしか見つからず、それなら水が引くまで待ったほうが早かろうと待ち始めたところで、もうひと雨、盛大に降られた。
「くそぅ、お前、ちょっとそこの大岩引っこ抜いて、河の流れ変えてこいよ」
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
軍営から見える大岩は、地面から斜めに突き出した巨大な一枚岩で、河は大岩の手前で北から西に大きく曲がっていた。
河の水量は未だに減る気配はなく、いつもはこうじゃないですよ、といいたげに河辺の低木の枝が濁流に揉まれて揺れていた。
遠征軍は大所帯だ。ちょっとした町の人口より多いので、仮設とはいえ軍営の設営は大仕事である。移動中の一泊でもそれなりの備えはするが、今回は長逗留になったためにかなりしっかり営舎を設営していた。
「こんなぬかるみで何日も天幕なんかで寝れるかぁ!暇ならあるんだ。俺は床で寝るぞ!」と大雨の中、ルーカスがキレた結果、大岩のある河辺の高台には、不測の仮逗留用とは思えない営舎が並んでいた。
こんなものを建てる労力があるなら、筏か橋でも作ればいいんじゃないかと思った者もいるにはいた。だが、あの濁流を筏で渡ったり、あの流れに浸かりながら橋を架ける作業をすることを考えると、「今夜の寝床が快適になる方が良くね?」という意見に大多数がうなずいたのは仕方ないだろう。
誰もが流浪の遠征暮らしに飽き飽きしていた。
「しかし、娯楽と言ってもなぁ。近隣に大きな集落はないし、都合よく旅芸人が通りがかるわけもないし……天部衆がやってる暇つぶしぐらいしか思いつかんぞ」
「どんなのだ?」
エリオスからルール説明を受けたルーカスは露骨に顔をしかめた。
「地味すぎる。しかもわかりにくい。お前、こんなもんであの血の気が余った野郎どもが盛り上がって楽しくストレス発散できると思うか?」
「……無理だな」
「必要なのは高尚な趣味じゃねぇ。バカ騒ぎできるくっそくだらねぇ大衆娯楽だ」
「酒の余剰はないぞ」
「知ってる。みんなもうじき大きな街で酒や女にありつけると期待していたところでこの足止めだ。口には出さないがイライラしている」
今は訓練と土木作業で体力を削って発散させているが、そうは持たんぞ、とルーカスは真剣な顔で告げた。
いい加減なようでいて、下っ端の兵士達の鬱屈までしっかり見ていてくれるこの男の忠告を、エリオスはいつも信頼していた。
「パンとサーカスだ。喰いもんはまだ足りているが、集団の統制のための娯楽が足りない」
「とはいえ、都のように劇場で出し物をやれるわけでもないしなぁ」
「箱ものや芸人は必要じゃない。……祭りだ。お祭り騒ぎがいるんだ」
「祭と言っても祝祭の理由はどうする?」
「探そう。めでたいことの1つや2つ探せばなんかあるだろう」
二人は連れ立って軍営の中を歩いた。
中央広場と呼ばれている空き地で何人かが集まって大きな柱を立てていた。
「何をしているんだ?」
「あ、軍団長。ここも長くなりそうだから観測用に天輪柱を立ててもらっているんです」
嬉しそうにそう答えたのはアトラスの後任の天部のリーダーだった。
「もうじき夏至ですから」
「それだ!!」
翌日、全軍に"夏至祭"の開催が通達された。
暇で、ストレスが溜まっていて、体力だけは有り余っていて、血の気が多い、男だけの集団。そいつらが、世間体を全く気にしなくていい僻地で、なんでもいいからはっちゃけようぜ!とのコンセプトで企画実行した祭りがどのようなものになったかというと、まぁお察しの通りである。
天輪柱用の柱は、青々した若木の枝や花輪、それに伝令用の旗布で派手に飾り付けられて祭りのシンボルにされた。
軍団長の宣誓でまず始まったのは、勝ち抜き戦の力比べに、剣闘試合。徒競走に馬の曲乗り。弓試合。エトセトラエトセトラ。
要するに日頃の武勇を競う大会である。優勝者には報奨と、備蓄の中からとっときの酒が振る舞われるという話で、皆大いにやる気を出して盛り上がった。
まともな武芸の試合だけではなく、誰の発案だか、大声大会だの、我慢大会だの、泥んこ滑り競争だの妙な色物競技も混ざっているせいで、戦闘は今ひとつな奴でも楽しめる大会だった。
旗持ちのクルスは、大盾投げと腕相撲で7位入賞したと嬉しそうに報告して、村の祭りを思い出しますと笑いながら、太い腕をさすっていた。
表彰式と賭けの精算が終わった後は、大きな篝火が赤々と焚かれ、その前で各隊の有志による演芸が披露された。
有名な悲劇の長台詞を言い切って、死んだ恋人に口付けする迫真の演技をした中隊長は、その演技力と胆力で絶賛された。……なにせ横たわっていたヒロイン役は、無理やり女装させられて眉間に青筋を立てている歩兵大隊の"野猪"大隊長だったのだ。
神の奇跡で生き返ったヒロインが開口一番「笑うんじゃねぇバカ野郎ども!」と怒鳴ったのに、歓喜の涙を流しながら神を称える句を唱えきった様は圧巻だった。
芝居自体は、バカ笑いしていた"大角牛"大隊長と"野猪"大隊長の乱闘でグダグダになって終わったが、中隊長は、蛮勇の覇者と讃えられた。
"樹頭鹿"大隊長の長槍の演舞で、切られた火の粉が天高く舞う下で、男達は歌い、怒鳴り、笑い、ハチャメチャな無礼講を楽しんだ。
「いよう!楽しんでるか?」
「ああ」
隣にやってきたルーカスに、エリオスは自分の優勝賞品の酒を注いだ。
「ご苦労だったな」
「なんのなんの。みんなノリが良くて楽勝だったぜ」
祭りと急に言われてもなにをしていいかよくわからない皆に、こういうことをやろうぜと吹き込んで、各隊を競い合わせるようにして企画を出させて、全体の進行を仕切った男は、満足そうにゲラゲラ笑って酒を飲んだ。ついでに賭けの胴元もやって大儲けしたらしい。
「全員分の優勝賞金を払ってもお釣りが来るぜ」
そう言って彼は、金は隊の資金箱に入れてきたとこっそりエリオスに耳打ちした。「バカ騒ぎで軍資金を使い込んだ心配はするな。この小心者」と言われて、エリオスは苦笑した。
「でだ。ダラダラ楽しむやつは朝まで盛り上がってそうだが、公式にはそろそろここいらでお開きにしようと思うんだがどうだろう?軍団長殿、祭らしく締めの挨拶をしちゃくれないか?」
「俺は祭司じゃないぞ」
「組織のトップはこういうときにそういう役をやるもんなんだよ」
「………わかった」
月下の大岩と天輪柱を背景に、燃え盛る篝火の前に立ったエリオスは、自軍の兵士たちに向かって声を張った。皆の日頃の貢献を労い、今日の健闘を讃えた後、彼は篝火に向き直り、まるで祭司のように神に向かって朗々と祈りを捧げた。
「御照覧あれかしと捧げたこの佳き日の祭儀、ご満足頂けましたならば、何卒、御ご加護を持ちて、我らが道を開き給え!」
最後にそう叫んで剣を抜き放ち、篝火を切り上げるように一閃すると、バッと大きく火の粉が舞い上がった。ガラガラと崩れ落ちながら天高く焔と火の粉を吹き上げる篝火を見て歓声を上げた兵士たちは、その先の光景に息を呑んだ。
岩がゆっくりと起き上がろうとしていた。
月の光を煌々と浴びながら、巨大な岩は大地にすっくと直立し、まるで己の前に立つ英雄を正面から見下ろして満足してうなずくかのように一つグラリと揺れ、またゆっくりと、今度は大笑いする男がのけぞるように反対側に倒れ込んでいった。
轟音とともに大きな水飛沫が天高く上がった。
倒れ込んだ岩に堰き止められた流れは渦を巻いて、大岩の根本に空いた穴に流れ込み、これまでとは逆側に流れ始めた。
「総員、退避ーっ!」
「水が来るぞぉーっ!!高台に登れ!」
「寝ているやつは蹴り飛ばして起こせ。死にたくなけりゃケツまくって走れ!」
夜が明けた時、河はすっかり東向きに流れを変えており、高台に造られた軍営の男達はすっかり水のなくなった西側……自分たちが渡りたかった元の流れの川底を見て呆然としていた。
「エリオス………お前、やり過ぎ」
「なんで俺のせいなんだ?!」
天部衆は、増水した河水に根本の土をえぐられていた大岩が転倒したのだろうと分析したが、一般の兵は、軍団長の祈りが通じて大岩の巨人が河の流れを変えて自分達に道を開いてくれたのだと噂した。
夏至祭は、遠征軍の夏の恒例行事となり、その後、少しづつ形を変えながら、彼らが築いた植民都市にも引き継がれた。
大岩のある高台の軍営跡地に造られた街には、笑う岩男の伝承が長く伝えられ、後世では、夏に野外劇場でパフォーマンスショーの大会が開かれるようになり、多くの観光客を楽しませたという。
別短編でのアップデートでキャラクターイメージが変わったルーカスでお送りしています。
作者は書きやすくなったのですが、こちらの読者の皆様に受け入れてもらえるかやや心配です。すみません。こっちでなら軍の日常がかけそうなのでお許しください。




