二人旅:帰還
時系列的には本編最後の部分です。
もっと後で出すつもりでしたが、忘れる前に、これはこのタイミングで。
むさ苦しい二人連れだった。
日焼けした顔は、伸び放題の髪とヒゲに覆われてほとんど判別がつかない。
二人とも、それほど年はとっていないようで、背も高く体格も良かったが、擦り切れた服の上からボロ布を被り、背を丸めた姿はみすぼらしかった。
二人の薄汚い放浪者は、細い間道を抜けて、街道に出た。
ユステリア街道は、帝都とオルウェイを結ぶ街道で、対向複数車線……内側から軍用道、民間用馬車道、歩道、を完備したアトーラ帝国的街道のお手本のような大街道だった。
道行く他の旅人や、舗装石を点検している工兵に、胡散臭いものを見る目つきで見られて敬遠されながら、二人の男は黙々と街道を歩いた。
エーベ川の流れを右手に見ながら、のどかな農地の間を真っ直ぐ抜けていく街道は、やがてオルウェイ手前で、幾筋かの支線に分かれる。
河川交通の船着き場に行く道、ぐるりと城塞都市を回り込んで直接貿易港に行く道、ラルダ川方面から南方へ向かう別の街道に続く道、そして都市の前に広がる広大な軍用地に勝手に作られた城外市場に入る道だ。
オルウェイの"ハズレ市"は、城塞都市内には店を構えられない二流、三流商人や、一旗揚げたい野心家、薄暗いところのある悪党、流れ者、食い詰め労働者などが溜まったところである。
有名なオルウェイの高級美術品、贅沢品のうち、本来の流通には乗せられない規格外品や傷物、半端物が買えるとの触れ込みだが、その実、偽物、パチ物、騙し物もたっぷりという魔窟で、中古品と言いつつ盗品を売っている店もある。
珍品、希少品、本当の掘り出し物も(非常に低い確率だが)手に入ることもあるので、この猥雑な市場をぶらつくのを好む酔狂者は、オルウェイ住民にも多い。
ほとんどは露天商か、簡易な屋台、馬車の荷台を使った簡易店舗程度だが、払下げの軍用天幕を改造した宿屋や小屋掛けの見世物、もう少し胡散臭い娼館らしき所もある。
市場の中央にある広場の目立つところには、大きな立て札があり、デカデカと「ここは軍用地です。必要な場合には軍の集結地として使用されます。非常時には事前告知なく、本来の用途で使用します」と書かれており、ついでに真っ赤な字で「その際は私財、人命は一切尊重せず、補償しません」、「勝手に逃げろよ!」と添え書きされていた。
「書く方も書く方だが、こう書かれて、住み着いている奴らも根性があるな」
「皆、非常事態など起こらんと思っておるのだろうよ」
たしかに強大な帝国の内懐のようなオルウェイが、緊急で軍を集結させるような事態は、そうそう起こらないだろう。有能な領主の元で、アストリアス領は安定しているようで、戦乱の気配は微塵もなかった。
二人の放浪者は、ハズレ市の中の簡易宿でタライを借りて水を買い、顔と口を洗った。
「ヒゲを剃るべきだったかな」
「途中で顔を見られて身元がバレると嫌だからこのままで行こうといったのは、お前だろう」
「それはそうだが……」
「今更剃っても、日焼け跡が愉快なことになるだけだぞ」
「ううむ」
二人連れの若い方は、しばらく身なりを気にしていたが、連れに急かされて、渋々表に出た。
「お客さん、そいつはお買い得だよ」
露天の1つの前で、ふと足を止めた若い放浪者に、店主は声をかけた。
「太守夫妻の絵皿だ。数年前まではオルウェイではどこの家でも飾ってたものだ。これは状態もいいし、手頃な大きさだし、良い土産になるよ」
安物の絵皿には、いかにも英雄という感じの若い男と、とりたてて特徴のない無難な女の顔の下手な絵が並んで描かれていた。
「もっと他のものはないか」
「じゃぁ、これなんかどうです?」
他にも似たような品がいくつも出てきたが、どれも安物で、男と女が並んでいればなんでもいいのかといいたくなるような、なんとも下手な絵ばかりだった。
「もう少しこう……女側だけでいいから、小さくて、携帯しやすくて、似ている物はないか」
「ああ、それでしたら、良いものがありますよ」
店主は「鷹の人気も落ちたなぁ」と呟きながら、並んだ商品の間から小さなメダルを取り出した。
「これは名工の手による肖像だ。横顔が綺麗でしょう」
木枠に着色した石膏をはめたメダルは、本物のオルウェイ金貨を型取りしたものだという。金貨と違って、領主の黒髪がよくわかっていいだろうと店主は説明した。
「お安くしておきますよ」
こういうところのこういう店の価格だな、という値段だった。放浪者はそのメダルをじっと見ていたが、連れに促されて、結局買わずにその場を離れた。
「オルウェイでは、どこでも英雄の絵姿が飾られているというから、心配したが、あの程度ならなんの問題もなかったな。まるっきり似ておらん」
「ううむ……」
複雑そうな顔の若い放浪者を連れて、黒髪の方はどんどん歩を進めて、ハズレ市を出た。
近くから見るオルウェイは、美しい緑の土手と水をたたえた堀に囲まれた城塞都市だ。
土手の手前には、遊歩道のある見晴らしの良い草地が広がっている。ここには屋台も露天商もいないところをみると、取り締まりの厳しさに段階があるのだろう。
オルウェイ城塞は、多重構造の都市だった。
外堀にかかる橋を渡って入ったところは、ハズレ市とは比べ物にならないほど、きちんと整備された清潔なマーケットと宿屋街で、有名な商会の店舗や交易商の拠点も置かれて大いに賑わっていた。
公共討論会場や円形劇場や大型の公共浴場もあるようで、人目に付くところに、催し物案内が掲示されていた。
街道から続く正門は、堂々たる石造りで、両端の見張り塔の上にはオルウェイ市旗とアストリアス領旗がたなびいていた。
民間の徒歩の旅人は正門脇の小さな市門から入るようだった。
守備兵が旅券や通行証など、身分の証となるものを簡単に確認している。
二人は、白礁湾の海賊のところで調達した旅券を見せて、門をくぐった。
公共地よりも内側に入ると、住人の生活用品を商う個人店が点在する閑静な住宅地で、白い壁の美しい家が並んでいた。各家の窓辺や中庭から、緑や花がこぼれており、明るい青空や背景の青い海とよく調和していた。
近所の住民が通うちょっとした料理屋や、小さなパン屋、浴場などの煙突が、景観にリズミカルなアクセントを加えている。
綺麗に石畳で舗装された市街は歩きやすかったが、薄汚い格好の二人組は、自分達がひどく場違いな気がして、どうにも足取りが重くなった。
内壁で囲まれたもう一つ内側の層に行こうとするとひどい段差があった。階段以外にスロープもありますよ、と内門の守備兵に言われたが、そちらもなかなかに面倒そうな迂遠な道だった。
「街の中に別の街があるようだな。以前来たときはさほど気にならなかったが」
「ううむ……あの当時はまだほとんど造りかけだったから、だいぶ勝手が違うな」
こちらは職人や芸術家の工房が多いのか、住宅街とはまた違う雑多な臭いと音がした。
先程までの整然とした町並みとはうってかわって、ここは入り組んだ印象があった。背が高めの壁が街区を区切っていて、全体像が掴みにくく、細い脇道に入るとたちまち迷ってしまいそうだ。
水道橋を目印に、最内苑にある領主邸までなんとかやってきた二人は、その美しい館を見てしばらく立ち尽くした。
「やはり……来ないほうが良かったのではないだろうか」
「少なくとももう少しまともな身なりで、きちんと事前に連絡してから来るべきだったと後悔している」
すっかり腰の引けた二人は出直すべきかと検討していたが、目ざとく見つけた使用人に「なにか御用ですか?」と声をかけられてしまった。
ここは不審者として断られてもやむなし!と、半分ヤケで領主への面会を申し出た二人は、驚いたことにそのまま邸宅の中庭に案内された。
中庭にある方形の池には、柑橘が浮かんでいた。
「そういえば昔……」
ポツリとなにかを言いかけた若い放浪者は、人が来る気配にハッと振り返った。
アストリアスの年若い女領主は、まるで数日でかけていただけの夫を出迎えるように、当たり前のように真っ直ぐに彼の前にやってきて「おかえりなさい」と言った。
その初めて見る柔らかい笑顔が眩しくて、青い鷹と呼ばれた元オルウェイ太守は目眩がした。
「こちらのお二人を、本館でお出迎えできる程度にまで、徹底的に磨き上げてください」
家宰は浴場に二人を案内すると、敗戦の将の首を落とす命令を下す奴でもここまで冷徹ではあるまいという表情で、そう使用人に命じた。
二人が「ひとまずこちらを」と言って提供された美味すぎる軽食を貪っている間に準備されたのは、本格的なアトーラ式浴場で、蒸気室、冷水浴槽、温水浴槽、洗い場、マッサージ室、整髪室などがフルセットであった。
蒸されて、水をかけられて、石鹸で徹底的に洗われて、お湯に浸されて、ふやけたところをまた刮げ落とされて、香油をすり込まれ、「そろそろ焼いて食われるのでは?」と心配になった頃に、二人はギラギラ光る刃物を研いでいる理髪師の前に引っ立てられた。
「ははーん。なるほど、なるほど?旦那が"御本人"ですかい。こりゃぁ、それっぽく肖像画に似せて仕上げるのに苦労がなさそうだ」
ニコニコしながら、鋭利な刃物をかざしたこの理髪師は、これまで何人もの客に「青い鷹風に仕上げてくれ」とリクエストされてきたそうだ。
「そんな事言われたって、全然顔つきも髪質も体格も違うお方を、絵姿でしか知らないお人に似せるってのも無茶な話で」
旦那は本物なだけあって、やりやすいと理髪師に言われて、英雄本人はなんとも返事に困った。
「フィガロ。そちらの黒髪のお方の口髭は残すように」
「へい。承知しやした」
様子を見に来た家宰が、わざわざ出した指示に、客二人は怪訝な顔をした。
「その……以前にも思ったことがあるのだが、俺の口髭に関するそのこだわりは一体何なのだ?」
「さぁ。わたくしでは奥様のお心はお察ししかねますが、公を最初に地下牢からお助けした時から一貫してそこにはこだわっておいででした」
シャージャバル人らしさを尊重なされているのか、口髭になにか思い入れがあるのかは存じませんと、家宰はつっけんどんともいえる態度で答えた。
「口髭に思い入れ……」
微妙にニヤついている連れの隣で、一応、名目上は領主の夫であるはずの男はまだ剃っていない自分のヒゲを撫でた。実は口髭については苦い思い出がある。だが……。
「そういえば昔、あなた様が口髭を生やしたまま他国の即位式に出たと聞いたときは、奥様はどんな顔だったのか、しばらくの間、たいそう気になさっておいででした」
何やら面倒だったらしい出来事を思い出しているような顔をして、しばし天井を見ていた家宰は、視線を客に戻した。
「……そうですね。よい機会ですから、口髭のあるお顔をお見せして差し上げてはいかがでしょう?」
晩餐の席に口髭のある顔で現れた彼を見て、女領主は目を瞬かせた。
「その……貴女が俺の口髭姿を見たいと言っていた事があると聞いたので……」
「まぁ。いやですわ。随分昔のちょっとした戯れでしたのに」
つまらないことをお耳に入れてお気を使わせてしまって申し訳ありませんと頭を下げられて、男はマゴマゴした。
「そのう……やはり似合っていないだろうか」
夫人は、すぐそばにいる彼を見上げて、じっと見つめると、ゆっくり内側から花開くように微笑んだ。
「いいえ。ヒゲがあってもなくても、あなたはとても素敵です」
ヒゲがあると言うだけで、こんなにいい男を袖にするほどイスファールの姫が見る目のない女で助かりました。
冗談めかした口調で「心配でしたのよ」と言われて、彼女の名目上の夫は、頬に血が上る思いがした。
「ああ、でも」と彼女は少し悩んで付け足した。
「おヒゲのあなたも素敵だけれど……キスをする時に、少しチクチクしそうね」
「!!」
帰還した英雄は、黙って踵を返すと、急いで整髪室にヒゲを剃りに戻った。
ゴドラン「俺も剃るかな」
ヒロイン「絶対ダメ!」
キャラクターイメージって大事です。
追伸:
この話から読んだ方。イスファールの姫の話は前話です。2個前から読むときりが良いです。
海賊の話は……まだ書いてないです。
そのうち二人旅シリーズで書くかも?
本作、こんな風に時系列があっちこっち飛びながらの更新になります。
ご了承ください。




