不敗の英雄の知られざる敗北
前話からの続きです。
いよいよ父登場!
……やっぱりコメディです。
イスファールの王都アスパダはルード川の中流域にある平原の只中の都市だ。
都市周辺に軍が野営できる土地が十分にあり、大軍の集結地として適した場所である。
エリオス軍は、強国アトーラの威容を存分に見せつけるようにアスパダのすぐ外に堂々たる陣を敷いた。
「アトーラめ。成り上がり者が良い気になりおって」
この度、ようやく即位にこぎつけた三十路の王太子は、苛立たしげに、舌打ちした。
先王は、優柔不断で大したことができぬのに王座にしがみつく老害で、簒奪ギリギリの方法でやっと退位させた。壮絶な骨肉の争いも勝ち抜いて、いよいよこれから自分の意のままに国を動かすことができるというところに来た彼にとって、先代までの"友好国"で、強力な軍事力をひけらかすアトーラは、目障り極まりなかった。
即位式にしゃしゃり出て来られても煩わしいので、まともな使節団を仕立てるには到底間に合わぬタイミングで知らせを出したのに、あろうことか想定外の大軍を使節団と称して送り込んできた。
「どこが祝意の使節団だ。征服戦争真っ最中の軍を差し向けてきやがって」
「しかし、白礁湾の向こうにいた軍を、この短期間でここまで寄越すとは……」
相当な強行軍で無理をしたであろうに、少なくともイスファール領内で、アトーラ軍による略奪や、食料買上げの強要(不当な価格で来年の種籾まで持っていくような暴行)が行われたという知らせは入っていない。
なにか揉め事があれば、それにかこつけて難癖を付けてやろうと思っていたイスファール側は肩透かしを食らった形だ。
「アトーラ使節より、祝いの品が届いております」
「ふむ。成り上がりと言えども最低限の手土産ぐらいはよこす常識はあったか」
「軍営の設置許可願いと補給品の要望も届いております」
「天幕どころか防塁と見張り台まで設営し終わっているくせに、何が設営許可だ!挙げ句、補給品だと?!」
「招待客への飲食の歓待は祝いの主の特権だと……」
「権利!」
もうじき四十路の王太子は、手にした書状を床に叩きつけた。
アトーラ本国からきた使節がどんな奴だか知らないが、この強行日程で派遣されてきたからには、体力はあるが政治経験はない若造に違いない。
不敗の英雄などと持ち上げられている戦バカの将軍と組んで、増長しているのだろう。
「格の違いというものを、とくと思い知らせてくれるわ」
もうじきイスファールの全権を握る王となる男は、怒りを込めて、書状を踏みにじった。
即位式の祝祭は王都アスパダをあげて、豪奢に執り行われた。
この地域の覇権を長く握ってきたイスファールの王都だけあって、それはこの時代のこの地方としては、たいそう華やかなものだった。
もっとも、南方の古王国の伝統ある仰々しい行事に参加したことがあるゴドランから見ると、素朴だな、と思う程度ではあったのだが、まぁ、それなりに頑張ってはいたのだ。
「(そこにこんな風に乗り込むのは、やり口がエグいな)」
愛馬の上から、沿道の人々の呆気にとられた顔を見ながら、ゴドランは、今日、即位するらしいここの王に同情した。
それは和平使節団の入城というよりは、占領軍の戦勝式典か凱旋式だった。
整然と隊列を組んで行進する歩兵と騎兵の鎧はピカピカに磨き上げられていて、馬鎧や隊長格の兜には汚れ一つない房飾りがついていた。
もしも見るものがその気で一人一人の装備をよく見れば、それらは長い連戦でかなりくたびれたり、傷んだりしていたし、個々で形も違うのがわかっただろう。だが、目立つ金属部分がよく磨かれていて、夏季の強い日差しをキラキラと反射していたのと、なにより彼らが一様に左肩から白い軽やかな布を垂らして、颯爽となびかせているのに眼が奪われて、まったくのところ、全員が揃いで新しく仕立てられた装束のように思われた。
入城する部隊の兵に予め配られたその布は、甘撚りの糸を平織りでざっくり織った生地で、向こうが透けるほど薄くて軽かった。短いチュニック程の丈だが、服にするには頼りないような柔らかい布である。
「使用後は、肌着にするか、負傷時の当て布とせよ」と説明があり、オルウェイから補給部隊と一緒にやってきた衛生兵という奴らが、各隊を回って、"包帯"やら"三角巾"とやらの巻き方の講習をしていった。骨を折ったときや、出血したときは、直後の手当が良いと、治りが良いらしい。
「薄いし頼りないし短いけれど、隊長らが式典でつけるマントみたいで、ちょっとカッコイイな」と浮かれた兵たちは、無駄にヒラヒラする白布を、汚さないように気をつけながら当日を迎え、得意満面になびかせて行進した。
「オー・ラ・アトール!」
「ラ・アトーラ!」
"アトーラに栄光あれ"の掛け声で、一斉に左腕を高く挙げてから拳で胸を叩くお決まりのポーズも、教えられたとおりに、布の端をちょっと握ってやると、白布が気持ちよくひるがえる。
この人数が一糸乱れずに行うと、壮観だった。
兵を率いているのは、連銭芦毛の4頭立ての立派な4輪戦車に乗った将で、鎧ではなく、大きな布をたっぷりと幾重にも巻くアトーラ風の上衣を着ていた。
前髪や側頭部の髪が白くなっているところを見ると、歳はいっているのだろうが、老年というよりは壮年というのがふさわしいその将は、堂々たる立ち姿で戦車を御しながら、厳しい顔で辺りを睥睨していた。
銀の飾りがついた総指揮官の錫杖を持ち、悠々と「オー・ラ・アトール!」の歓呼を受けるその姿は支配者の威厳に満ちていて、見たものは誰しもが「ああ、一番偉い人だ」と納得した。
その後ろには、月毛の馬に乗った青い羽飾りを付けた白皙の若い将と、真っ黒な竜馬に乗った赤い羽飾りを付けた浅黒い肌の将が並んでいて、なんとも見栄えが良かった。
「あの戦車はアトーラの凱旋式で使うものではないのか?」
「……いや、凱旋式の物は組み立て式ではない」
隣のゴドランに問われて、エリオスは渋々そう答えた。
補給部隊と一緒にやってきた工兵が、昨夜、荷車から降ろしたのは梱包された部品だった。
テキパキと組み立てられたそれは、呆れるほど立派な儀礼用4輪戦車で、とても組み立て式には見えなかった。
「それに普通の凱旋式で使うのは2頭立ての2輪戦車だ」
「ああん?」
「4頭立て4輪は、執政官の凱旋式用で、アレはそれ以上に派手だ」
「いいのかそれは」
エリオスは、ダメなんじゃないかな?と思ったが、そのど派手な戦車を持ち込んだ当の本人はご満悦で「試乗だ。試乗。試作品だがいい出来だろう」と上機嫌だった。
なんでも、執政官が各地で祭礼をやるときのために開発中の搬送可能な組み立て式装飾戦車の試作品だそうだ。実地試験と称して持ち出したらしい。
「オー・ラ・アトール・ユステリアヌス!」
「ラ・ユステリアヌス!」
サクラでも仕込んだのか、単に見た目のインパクトで圧倒できたのか、勇壮なアトーラ軍のパレードに歓声を上げる群衆に、鷹揚に錫杖を掲げてみせながら、アトーラの大将軍にして老獪な政治家のユステリアヌスは、可哀想なイスファール王の城に入城した。
「着慣れていないのが丸わかりの立ち居振る舞いだな。姿勢が悪いとすぐに着崩れるぞ」
上官であるユステリアヌスに揶揄されて、エリオスはあわてて姿勢を正して、着替えたばかり真新しい上衣のヒダを直し、金色の鷹のピンを留め直した。
できれば着慣れた鎧兜のままでいたかったが、この先の式典や宴席に武装で出るのは流石にまずいらしい。パレードで馬に乗る間は勘弁してもらえたのが、ギリギリだった。
ユステリアヌス付きの従者が、ビックリするような手際で着付けてくれた上衣は、カササギが届けてくれた品で、エリオスが以前着たことのある上衣よりも、随分軽かった。
一般にアトーラ風の上衣というのは、大きな布をたっぷりと複雑に巻くので、とにかく重くて暑い。冬場は良いが、盛夏になると元老院の重鎮達でさえうんざりした顔で茹だっているものだ。
ところが、この上衣は量の割に驚くほど軽くて、涼しかった。
よく見ると、織柄の細い縞模様に見える筋の部分は隙間が空いていて、半分透けている。
ユステリアヌスが着ているのも同じ生地なのだろう。あの炎天下をパレードしてきたくせに、涼しい顔をしている。
「絽の上衣は楽だろう」
なんでも、オルウェイで作られた新式の織物で、昨年の夏季に登場して以来、元老院議員を始めとする上衣必須の役職の者達の間で垂涎の品となり、大流行したらしい。
あとから聞いたところでは、最初に娘からこれを送られたユステリアヌスが、暑い盛りの議会にこれを着て出席し、日没までぶっ続けの大論戦を制して議案を通したらしい。暑さで茹だってぐったりした他の議員をよそに、一人だけ涼しい顔をしていたユステリアヌスは、機嫌よく執政官に議会決議を報告し、執政官にも同じ布で作った上衣を贈ったそうだ。
織り方が特殊なため、「そうは作れない貴重品」という触れ込みで流通を絞った販売・贈答戦略により、この布でユステリアヌスはかなり派閥関係の調整を有利に運んだらしい。喰えないにも程がある。
「兵に渡されていたのもこれなのですか」
「バカを言うな。絽は正装用の高級服地だぞ。あんな荒い織り目の単なる薄い布と一緒にするやつがあるか」
隙間が空いていて風通しが良いのは同じだが、こちらは織り方の工夫で糸が乱れずにしっかりとしていて、ハリと艶があるのが特徴らしい。
「絽は粋に着こなせ。顎を出すな。腹を据えて腰の上に上体をスッと置け。身体を無駄に揺らすな」
剣で敵を切る気で立てと言われて、エリオスはようやく着崩れしない身ごなしのコツがわかった気がした。
……お陰で他の客達がいる控えの客間に入室した時、この稀代の英雄は、友好使節のユステリアヌスの斜め後ろから、剣呑な殺気を広間中に振りまいていた。
他の招待客……周辺の小国から来た外交が専門の文官や中堅貴族達は、突然、柵の中に猛獣を入れられた羊のような目をして、引きつった愛想笑いを浮かべていた。
ユステリアヌスはそんな場の空気を微塵も気にせずに、悠々と室内を横切って、当たり前のように一番上座に陣取った。
「諸君、大変遅くなって申し訳ない。ああ、どうか気にせずにくつろいでくれたまえ」
あなたが当主ですか?という態度で、にこやかに場を仕切り始めたユステリアヌスは、式典が始まる前に、その場の招待客のうち"友好国"の大使と挨拶を交わし、重要な交易先と商談の約束を取り付け、アトーラの西方戦略の概要をはっきりと態度で示した。
残りの奴らは、今、そちらから恭順の意を示せば、生き残らせてやるぞ。
でなければ、後ろのコイツが後日、挨拶に出向くから。
言葉に出されてこそいないもののあからさますぎる身も蓋もないメッセージに、各使節は冷や汗をかいた。
中でも、ダロス動乱のおりに、ユステリアヌスの軍に散々に蹴散らされて、今も国主がその件を根に持っている国の大使は、ひどい顔色だった。
「どうした?ひどく汗をかいておられるようだ。今日は良い陽気だから部屋が少し暑いのではないかな」
「い、いえ、お気遣いなく。むしろいささか寒気がするほどでございます」
「ハッハッハ。これはご冗談がお上手だ」
「ご冗談でないなら……」と、歴戦の大将軍は、鉄色の目をスッと細めた。
「どこかお加減が悪いのやもしれません。早めに国元に戻って、ご家族と一緒にどこか静かなところで、療養なさった方がよろしいですぞ」
「お気遣い……痛み入り…ます」
青ざめた大使の前で、ユステリアヌスは、もっともらしい顔でうんうんと頷いた。
「夏風邪は厄介だと言うからなぁ。エリオス、お前は調子はどうだ」
「万全です」
「そうか。それは良かった。お前にはこの国での用が終わったあとも、まだまだ西方に残って働いてもらわねばならん用があるからな」
反アトーラ気質の国主のいる国の大使は軒並み震え上がった。
「大丈夫かね。無理はいかんぞ。なにか困り事があるなら、相談に乗ってもよいから、いつでも遠慮なく言いたまえ」
「はぁ……」
「近場に良い保養地がないなら、少々遠いがアトーラの保養地を紹介しても良いぞ。最近、領土が増えたのだが、なかなか閑静で良い土地もあるようだ……おっと、そろそろ式典が始まるようだ。参りましょうか」
明確な回答はその場では求めず、亡命の含みだけ持たせて、この悪辣な政治家は、機嫌の良い肉食獣のように慈悲深い微笑みを浮かべた。
「で、戴冠式はどうでしたか?エリオス殿」
「うむ。大変、その……勉強になった」
「それは、よござんした」
カササギは軍営に戻ってきたエリオスを笑顔で出迎えた。
「あっしも街中を回って色々と面白い噂を撒いたり聴いたりしてきたんですけどね」
カササギはニヤニヤしながら、エリオスに一歩近づいて、わざとらしいヒソヒソ声で「ここの有名な美姫との結婚話が出たってホントですかい?」と尋ねた。
エリオスは明らかに嫌そうな顔になった。
式典の後の宴席で、その噂の美姫らしき娘は出てきた。
「なんでも、妙齢の美女で、顔を晒していると美の神に嫉妬されるから、ベールを被っているって噂でしたが、どんな女でした?」
「ああ、まぁ……妙齢と言うか……若かったな」
どう見ても12かそれ以下だった。イスファールの結婚適齢期はアトーラよりも早いらしい。
美しいだろうと言われても、顔は布で半分隠れているし、正直、着ているものや装身具が重そうで可哀想だなぐらいの感想しか出てこなかった。
そもそも、エリオスにとっては、その年頃の少女といえば、出会ったときの自分の妻の姿が鮮明に記憶されていて、そこが基準になっている。それ以外の娘はどれほど美しいと言われても、全くもってピンとこなかった。
宴席でエリオスは、彼を取り込もうとしたイスファールの新王に、彼女を妻にどうかと、仄めかされた。
が、どう断れば失礼にあたらないかとエリオスが一瞬迷ったタイミングで、ユステリアヌスが、「うちの娘婿に妾をとらせる話なら、自分を通してくれ」と発言して、その場は墓場のように静まり返ったのだ。
「あれは酷かった……」
「あっはっは。そりゃぁ災難だ」
カササギは腹を抱えて笑った。
「そもそも、そやつは姫から嫌われておったからな」
「これはユステリアヌス様」
カササギは、やってきたユステリアヌスに深々と礼をとった。
「巷の噂じゃ、姫は面食いだって聞きましたが、エリオス殿ほどのご面相でもふられたんですか」
「……ヒゲは野蛮だそうだ」
「あちゃぁ」
「そんな半端な口髭を残すからだ。バカ者」
ユステリアヌスに呆れられたエリオスは、口元を覆って笑いを堪えているカササギをジロリと睨んだ。
「笑うな。口髭を残せといったのは、お前だろう」
「あれは…ぷふ……旦那。あの伝言はゴドラン殿宛ですって、言ったでしょう。シャージャバル出身のゴドラン殿ならともかく……そりゃ……ぶふっ…ヒゲは野蛮……フラレ……そのショボいヒゲで」
「モテたくもなかったからいいんだ!」
「そうだな。我が娘を妻にしながら、こんな二流どころの三品な女に釣られてフワフワするようなら、直々に切り捨てて、この国を攻める良い口実になってもらおうと思ったのだが」
「ヒゲで命拾いしたな」と笑顔で肩を叩かれて、エリオスは固まり、カササギは変な笑いに顔を引きつらせたまま「シャレになってねぇ」と呟いた。
「そうそう。忘れるところでした。何はともあれ、無事にお勤めが終わったってんなら、これをお渡ししないと」
そう言って、カササギが取り出したのは、片手で持てる大きさの小さめの壷だった。
「なんだコレは?」
「ネモです」
酸っぱいものが得意ではないエリオスは、あまり嬉しくなさそうな顔をした。
「蜂蜜漬けだそうですよ」
カササギが壺の蓋を開けると、なるほど薄切りのネモが蜂蜜に漬かっている。
「蜂蜜……ひょっとしてコレもゴドラン宛か?」
「なんでですか。これは旦那様宛だと思いますよ。疲労回復に効いて健康に良いとかで、お勤めお疲れ様でしたとのことらしいです」
「そうか」
会えない妻からの気遣いが嬉しくて、エリオスは壺に手をのばそうとした。
「おお。ネモの蜂蜜漬けか。さすが我が娘、気が効くな!父の好物をよく覚えている」
ユステリアヌスは、エリオスの脇から手を出して、ひょいと壷を取り上げると、早速、壺から一枚薄切りを取り出して口に入れた。
「うむ。美味い」
なんとも爽やかな香りで甘みが心地よいものよと、見せびらかすようにもう一枚食べたユステリアヌスは、「これは貰っていく」と言って、壺を抱えて去っていった。
「あ……」
「……旦那も大変ですねぇ」
カササギにしみじみと言われて、エリオスはがくりと頭を垂れた。
負けるな!婿殿。ガンバレ!婿殿。
がっかりしたのは君だけじゃないぞ!
(自分の名前が会話に出てくるのを小耳に挟んで、遠目に様子を見ていた黒龍も顔に出さないけどガッカリしてた)
ちなみに
ここで出てくる"戦車"は、砲塔とキャタピラのあるアレではなくて、馬で引く、無蓋で立ち乗りするローマ戦車です。古い映画のベン・ハーで出てくる奴なのでピンとこない方はベン・ハーを観てください。
追伸;
エリオスをふった姫様が気になる方はこちらもどうぞw
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