鳥と果実
エリオス視点です。
天部のアトラス再登場(参照:天輪柱)
海鳥の騒がしい港町だった。
ちょうど大きな戦いが一段落し、アトーラを狙って出張ってきていた敵軍を大きく後退させた後で、接収した領主宅においた本陣でも、皆、比較的のんびりした時間を過ごしていた。
「アトラス」
俺は天部院のアトラスを見つけて、声をかけた。彼は天部地足員の同僚達と一緒に道端に座り込んで、何やら熱心に議論していた。
いつも通りだ。
彼らはときも場所もあまり気にせずに、すぐに座り込んで議論を始める。
「何だそれは?」
いつもと違うのは、彼らが囲んでいる中心に板切れが一枚置いてあって、その上に石が並べられていたことだ。彼らは小さな紙切れを見ながら、ああでもないこうでもないと、マス目が切られた板上で、小石を動かしていた。
「やあ、エリオス殿」
「一緒にいかがですか」
「シッ、バカ。ゴドラン殿のときの二の舞いになるぞ」
ヒソヒソと小突きあい、しまったという顔をした連中から話を聞き出すと、どうやら彼らが熱中していたのは、遊戯の一種らしい。
天部院には有志による板戦遊戯部なるものがあって、彼らはそこの支部のメンバーにあたるらしい。
昨日、着いたオルウェイからの補給船で、本部長?からの新しい課題が来て、皆でそれを解いているところだという。
「うちは待機時間がとにかく多い閑職ですからね。目新しい暇つぶしのネタは重要な補給品なんです」
「よくわからないが、ゴドランは何をやったんだ?」
一同はなんとも微妙な顔でお互いに目配せし合った。
リーダー格のアトラスが嫌そうな顔で事情を打ち明けた。
「以前、あの人を誘ったら、基本ルールを教えただけで、課題をその場で解いちゃって、全員の楽しみを台無しにしてくれちゃったんですよ」
ついでに、その回以外の課題もあっという間に解いて、本勝負でも負け無しで、支部のメンバーのプライドを粉々にしたらしい。今では"龍王"の称号で名誉会員となって、事実上の出禁扱いだそうだ。
「南方にも似た遊戯があって、子供の頃、そこそこやったことがあると言っていましたが、あれは地頭が違う感じでしたね。戦略を読み合う本職の軍人さんはやっぱり強いと思いましたよ」
「ほぉ……」
「大旦那……ユステリアヌス様もお強いですからねぇ、このゲーム」
「………………どんなルール…」
「あっ、僕になにか用事があったんですよね! エリオス殿」
アトラスは俺の腕を引いて、板のところから引き離しにかかった。俺はゲームにちょっと興味はあったものの、天部の変わり者達の楽しみを邪魔するのも悪いだろうと思って、大人しくアトラスと二人でその場を離れた。
「些細な話なんだが、一つ聞きたいことがあってな」
俺が、オルウェイの近くに高い山はあったかと尋ねると、アトラスは怪訝な顔をした。
「いえ。ご存知の通りオルウェイは海辺の町で、オルウェイ自体がなだらかな丘というか台地の端っこにありますが、近くに高い山はないですよ。東側に山地はあって、南東には"龍の寝床"という山がありますが、あれはシャージャバルの向こう側だから、オルウェイの近くと言うにはちょっと違うかと……なんでまた急に?」
俺は話すかどうか迷ったが、どうにも気になるので、このダロス出身の物知りな男にきいてみることにした。
「実は、オルウェイから送られてきた書簡の中に絵図があったのだが……」
改装中のオルウェイの完成予想図だと書き添えられた絵図は、これまで見たこともないような絵で、まるで本当にある都市をこの目で見ているかのようだった。
「想像図と言うやつですね。実際にはないものを絵描きが想像して描いた絵です。そこに山が書かれていたんですか?」
「そうではなくて……まるで、こう……高い山の上から見たような風景なんだ。いや、もっと高いかもしれん。あれは空の上から見る光景のようで、一体どうやって描いたのだか気になったのだ。人がそのような高さから景色を見て絵を描く事などできるのだろうか」
「ああ! 鳥瞰図ですか」
アトラスはポンと手を打った。
「さてはお嬢様の絵ですね」
「鳥の視座……というのか。あれは」
「お嬢様の得意技です。あの人は、平面の上に、実際にはない物や風景を、実際にはあり得ない視点から見たままのように書くことができるんです」
個別の情報を統合して全体像を把握する能力と、それをあらゆる角度から検討できる能力と、その未知の見解を他人が一目で把握できるように図示できる能力を、驚異的なレベルで兼ね備えていると、アトラスは手放しで賛美した。
なんと、地面の高さを測った結果の数値の列を見て、大地を2つに切ったような断面を図にして見せたこともあるという。
「想像上の視点でものを見るというのは、我々でもある程度はやっているんです。地図なんて、あり得ないほど高いところから真下を見た図ですからね」
「なるほど。そう言われてみればそうだな」
アトラスは、いつも持ち歩いている小さなズタ袋から、黄色い果実を二つ取り出した。
「ネモの実です。おひとついかがですか」
「……ありがとう」
「この辺りで採れるものは大ぶりで甘いです。酸っぱいものが苦手でもいけますよ」
苦手が顔に出たかと気になったが、そういうわけでもなさそうで、アトラスは自分のネモを服の端で軽く拭いた。
赴任当初は白い上衣をきちんと着ていたアトラスだが、軍で過ごすうちに、すっかりラフな服装での生活に馴染んでいる。
「たとえば我々がこのネモの絵を描けと言われたら、丸を描くでしょう?」
彼はしゃがみこんで、落ちていた小枝で地面に丸を描いた。
「多少、絵心があれば、丸の上にヘタをつける」
ちょいと短い線を上に描き加えられた丸は、さっきよりもネモの実らしく見えた。
「でも、あの人はこう描く」
アトラスはもう一つ丸を描いて、その中央よりもやや上の位置にヘタを表す点を描いた。
……斜め上から見たネモだ。
俺は手の中のネモと地面の丸を見比べた。
「なるほど」
「らしく見せるための画法やコツがあるのだとおっしゃっていました」
アトラスは小刀を取り出して、自分のネモを半分に切った。
「ネモを半分に切ったらどんな形かだなんて、エリオス殿もご存知ですよね」
「ああ」
半球形で中には薄皮に包まれた汁気の多い実がある。
「それに切り口をどういう向きにしてどう置いたら、どう見えるはずかもだいたいわかる」
「それは当たり前だ」
「今、エリオス殿は頭の中で、この切ったネモをグルグル回して、伏せたり、上向きにしたりしたところを想像したでしょう?」
「……ああ」
俺はこの話の行き着く先がわかってきて、背筋が寒くなった。
「都市や風景を丸ごと頭の中でグルグル回すだと?」
「エリオス殿もやっているはずですよ。軍団の兵士の隊列や配置を考えるときに、あたりの地形や障害物との位置関係を想像するでしょう」
戦闘中なんて刻々と変わる敵と自軍の位置関係を把握しながらあの勢いで指示を出しているんだから、気づいていないだけで、絶対にそういう頭の使い方をしているはずですと指摘されて、俺は呆然とした。
「補佐としてついたときに、当時の総司令……大ユステリアヌス殿に教えられたのだ」
『全体を見ろ』
あの方はそう言って、軍を示すコマを机上に並べて、野戦での大軍の指揮の基礎を解説してくれた。
兵をこういう隊列にすると、突破力が上がる。
堅実に中央を守るならこの形。
相手がこう動いたら、こう攻めるのが定石。その裏をかくならこう。
同じ数の色違いのコマを手に、机上でそれを並べ替えながら、想像上の戦いを何度もして、何度も負かされた。
『今、戦って剣を交わしている相手だけを見るな。目の届くところすべて。目の届かないところも全部見ろ』
青い鷹なんていう二つ名をつけられているんだから、鷹になったつもりで、常に遥か高みから戦場全体を見渡せ。
そう言われた。
「鳥瞰……」
「エリオス殿にはピッタリですね」と言ってアトラスは、皮をむいたネモをかじった。
「そういえば、昔、大旦那様は戦術の説明に模型を使うのがいたく気に入って、コマをわざわざ職人に作らせていましたっけ。あの頃はお嬢様に考えてもらった板戦遊戯のコマも一緒に色々と作ってもらって楽しかったなぁ。大旦那様、あのコマを軍にも持って行ってたんですね」
「んんん?」
「あ。僕、アトーラに来たばかりの頃、一時期、お嬢様のお宅にお世話になってた時期がありまして。話したことなかったでしたっけ?」
ちょうどその頃、大旦那様とお嬢様がよく綺麗なコマを揃えて遊んでいらっしゃって……と、アトラスは懐かしそうに語った。
「天部院にある一番いいボードとコマのセットはあのとき作ったやつだと思いますよ。名誉本部長のお嬢様がオルウェイに行っちゃって、アトーラの奴ら寂しがっているだろうな」
聞き捨てならない話を矢継ぎ早に聞いて、俺はネモの実をかじりかけのまま眉根を寄せた。
「エリオス殿、酸っぱいの苦手ですか?」
「いや、そういう訳では無いが……」
「ネモとかリムスとか、柑橘類は習慣的に食べるようにしたほうがいいですよ。体に良いから」
オルウェイの船では青いリムスが甲板に置かれた樽に入っていて、皆が好きなときに食べられるようになっているという。
「青いリムスは酸っぱいから、帰りの船にはこっちのネモを積んでもらおうかな」
その流れでアトラスは、ついでのように「今回の船で帰還する」と告げた。
「一通り必要なことはわかったので、僕はこれでお先に失礼させていただきます」
「……そうか。世話になったな」
「ホントですよ。あなたは世話の焼ける手のかかる生徒でした」
「うっ」
「でも無知無学無教養の割には筋が良かったですよ。今後も頑張って勉強してください」
「…………わかった」
俺は皮ごとかじられている俺の手にあるネモと、キレイに小刀で切ってむかれたアトラスの手にあるネモの皮を見た。無知無学無教養とはこういうことなのだろう。
「お前も頑張れよ」
このあと彼はオルウェイに戻って、あの人のもとで天と地を示す図を作るのだ。
俺はふと、水に浮かぶネモの実のように、中空でくるくる回る大地を視ているあの人の姿を想った。
「お前が教えてくれたようにこの大地が球体だというのなら、お前達が作る地図は、そのネモの皮のように、平らにするには裂けてしまう代物になるのだよなぁ……一体どのようなものができあがるのか、俺にはさっぱり想像ができんが、楽しみにしている」
アトラスは、自分の手の中のネモの皮を見て、目を見開いてしばらく黙りこくっていたが、やがて顔を上げて、力強く「きっと凄いものを作ってみせます」と言い切った。
俺は彼がオルウェイに帰る前に、ゲームの基本ルールと過去問を教えてもらった。
俺は"王将"なる称号をつけられて、天部の者達とは勝負させて貰えなくなったが、ゴドランとは、たまに対戦するようになった。
みんなで解いているのは詰将棋。
アトラスは囲碁のほうが好き。
この時代で、球体な世界をイメージできているのは、ヒロインの周囲のほんのひと握りの人達だけです。
そのひと握りの人々を起点として、この後、エリオスの遠征、アトーラの帝国化、オルウェイ文化圏の拡大をもって世界のグローバル化は進んでいきます。
水に浮かぶ柑橘は、以後、エリオスの惑星地球のイメージモデルとなります。
「白」本編ラストで、柑橘の浮かぶ方形の池がある中庭に案内されたエリオスの心中よw




