星と月の城塞都市3
オルウェイ再建計画の続きです。
6千文字超えで岩の話しかしてません。
優秀な補佐役のイリューシオが用意してくれた軽食は、南方風のイースト発酵なしの薄焼きパンだった。小ぶりの丸いナンという感じである。いつもの、焼き固められた上に日が経っていて硬くなりすぎて、薄く切らないと食べにくいパンよりは、美味しそうだ。
わずかだが薄切りの肉も添えてある。私が「最近は粗食」だなどと言ったからつけてくれたのだろう。
イリューシオのこういうささやかな意地と優しさが好きだ。
私は薄焼きパンを半分に割って、間に肉を挟んだ。肉少なめのケバブサンドっぽくなった。ソースと野菜が欲しいが、そういう贅沢は今は封印だ。
私は自分の中にある前世らしき知識の中の諸々の罪悪飯の記憶を、ぐっと空きっ腹の奥底に押し込めて蓋をした。
見てろよ。そのうちキラッキラのテーブルウェアを揃えて、美食の晩餐を開いてみせるからな。
そのためには、生き残って、かつ、きっちり稼ぐ必要がある。
やる気が出た私は、集めた精鋭に軽食をすすめて、パワーランチを始めた。
ローマンコンクリートは、製法の正確なレシピが失われたロストテクノロジーだが、アトーラで使われているコンクリートは、おそらくそれによく似たものだ。
主な材料は、石灰と火山灰と砂と水、それに骨材となる瓦礫や砕石などを混ぜる。
「まずは石灰なのだけれど、アトーラの水道橋のときに使用した石灰岩の採石場はここ」
机の上に広げた地図の一点を指す。はっきり言って、遠い。
アトーラの石切り場は、どれもここより北の内陸の山地だ。中でも石灰岩は山系の東側で採れる。採石場からアトーラへの道はあるが、南のオルウェイ側に出る道はない。切り出した大量の石の運搬はアトーラ経由の大回りとなるだろう。
「アトーラ経由で船か」
「運ぶならそうなるわ」
「船が1隻沈むと工事が止まるぞ」
遍歴石工の男は、眉を寄せた。
このニッカという男、地図が読める上に、アトーラ近隣の運輸事情も諸々のリスクもちゃんと把握しているらしい。
優秀な石工だと聞いていたが、当たりだ。これはいい。
「そうなのよ。でね、思ったの。近場で採れればいいんじゃないかって」
私はパンを、行儀悪くムシャムシャとかじりながら、空いた方の手で、地図上のアトーラの東の石切り場から続く山嶺の印をトントンと叩いた。
「ここから南北に山がずっと並んでいるでしょう?北のここで石灰岩が採れるなら、南にもあると思ったのよね」
「山ならどこでも石は同じというわけじゃないんだぞ」
「ええ。たしかにそう」
この世界の創造にどんな神様がどう関わったのか私は詳しくない。私の前世の知識とこの世界の科学的法則が一致するのかさえ疑わしいので、迂闊に知識を適用するのは危険なのは承知している。面倒だが一つ一つ検証するしかない。
「でも、アトーラの議事堂で見た大理石に巻き貝の化石が入っていたから、このあたりの石灰岩も海由来のはずなのよ」
「お前、大理石と石灰岩を一緒にするなよ」
「大理石は変性して結晶化した石灰岩じゃないの?」
石工は怪訝な顔をして、他のメンバーの顔を見回した。
昔から私の家庭教師をしてくれているシダソリオン先生は、楽しそうにニコニコしている。あれは、私がうっかりやらかしたのを面白がっているときの表情だ。
しまった。いくら優秀な石工でもこの世界のテクノロジーレベルで、岩石の組成分析は無理だ。こんな聞き方をしても相手は答えられない。
「えーっと。大理石と石灰岩は性質が似ているから、似たような成り立ちでできたと推測したの」
「石の成り立ち?妙なことを考えるな」
「このお嬢ちゃんはな、大地が曲がって海から山ができたという話をしておるのじゃ。面白いじゃろう」
「なんだって?」
ダロスの賢人と名高い老先生は、嬉しそうに目を細めながら、私の代わりに、子供の頃、議事堂の壁の巻き貝を指しながら、私が先生に得意げにしてしまった海洋堆積物から岩石ができる話や、褶曲山脈や断層山地の話を、わかりやすく皆に説明してくれた。
地質学という学問分野すらない世界で、地図も作らず大地が丸いかどうかも検証する前に、グローバルテクトニクスやプレート理論を口走ったバカな小娘の戯言と、ちゃんと向き合ってくれたソル先生は、とてつもなく偉い人で、私は本当に感謝している。
「断層……?」
イメージが追いつかずになんだか虚ろな目になっている石工のために、私はかじりかけのパンを見せた。
「このパンをこうやってギュッと両側から押すと真ん中でシワがよって曲がるでしょう?」
「ああ」
「その折り畳まれたところをかじると……ほら、重なったパンと肉が、段々の縞になっている」
「パンはそうだが、大地をギュッと押してかじるだなんて、どんな巨人だよ」
「古の巨人族がいたのかどうかは知らないけれど、巨人がかじらなくても、岩は水と風で削れていくわ」
「ううむ……」
「縞になった岩の崖は山にある」
大きな身体をこごめて、遠慮がちにそう発言したのは、ザジという人だ。山奥に住む少数種族の出身だそうで、石や地形に詳しい。今回は周辺地域の地質調査に協力してもらった。
山男のザジの話に思い当たるところもあったのだろう、石工のニッカもうなりながら「たしかに見たことがある」と言って頷いた。新理論を実体験に照らし合わせて、自分の既存の考えを更新できる男らしい。私は、じわじわ嬉しくなってきた。
「石灰岩が海底の広い範囲に堆積物が積もってできた石だとしたら、同じ山系で隆起した地形に同じ地層が露出していてもおかしくないでしょう?」
戦場の報告書に書かれた内容を見る限りでは、山の東にある赤茶色の台地から南の枯れ谷までの一帯はおそらく砂岩。
酸化鉄の多い脆くて水はけのいい岩石が、節理で縦に割れて風化し、奇岩の多い乾いた地形を形成しているのだろう。
これは別の層だ。
有力なのは、東部戦線で大規模な野戦が行われた丘陵地帯である。ここは、白い岩が点在する草の生い茂る丘陵地帯だったという。斥候や伏兵が潜伏できる天然の洞窟が随所にあったらしいので、カルスト地形の可能性がある。
私はザジを皆に紹介して、私が彼に依頼した内容を説明した。
そして、ザジに集めてもらった石のサンプルを、机に出してもらう。
「石灰岩だ。……それも上質の」
石工のニッカは、白い石を手にとって真剣な職人の顔をした。
「この石がある丘陵地帯はここ。山系の南東でエーベ川の上流にあたるから、採掘した石は川船で運べると思うの」
豊穣の乳の川という異名のあるエーベ川は、比較的水量のある穏やかな流れだ。上りの船を牛馬で引けるように道を整備すれば、平底の川船の運用は可能だろう。
「上流に石灰岩地形があるなら、流域や河口に溶け出した石灰質が堆積している可能性も高いから、人を出して調べてみましょう。量が見込めなくても、それがあれば、初動や緊急時の調整用には使えるもの。……エーベ川が"豊穣の乳の川"と呼ばれるのは、案外、石灰質で川の周辺が白くなっていたり、酸性土壌の中和効果で植物の生育が良いからかもしれないわね」
「面白い話じゃの、嬢。その土壌の中和効果云々については、またあとで詳しく語ろうではないか」
「あ、はい先生。農業政策はまた別件ですものね。脱線してすみません」
私は話を石のことに戻した。
ザジは私の求めに応じて、見つけた岩石を一つ一つ紹介してくれた。
彼はアトーラやダロスの学者の基準で言うところの賢い男ではないし語彙は少ないが、大地の性質を観察して見極める目は確かで信頼できる。
「これは……魚卵石だわ」
私は岩石サンプルの一つを見て感嘆の声を上げた。
「それは魚卵石というのかね?たしかに魚の卵のような形だが、さっきの話からすると、それは魚の卵が海の底で岩になったのかな?」
「いいえ、ダンおじさま。これは形が似ているからそう呼ぶだけで卵じゃないわ。微小な砂粒や貝殻の粒を核に石灰質が丸く層状についたものなの。ほら、真珠と一緒よ。真珠は貝の内側と同じ真珠質が核を中心に包むようにして層状に重なっているでしょう?」
「嬢よ。途方もない話をわかりやすく例えようとして、別の途方もない話を持ち出すのは、おぬしの悪い癖じゃぞ」
「あぅ……」
私は先生にたしなめられて、思わず両手で顔を覆った。み、耳が熱い。
「と、とにかく……これはものすごく上質な建築素材になる石なの。しかもこの色!なんて綺麗な薔薇色!!」
魚卵石は通常は白色だが、海水中に鉄分が含まれていると赤みを帯びた茶色になる。砂岩の赤みと要因は同じだが、この石は赤みの差し具合が絶妙だ。白い大理石と組み合わせたら、素晴らしいデザインの建築ができあがるだろう。
「この石が、相当量埋まっているのか」
ニッカの問いにザジは力強く頷いた。地図の読み方がまだ拙いザジの説明を聴き取って地図上にプロットすると、場所はオルウェイの東の山中。東の公国と南の王国とアトーラの旧国境付近で、手つかずの地域だ。
「ニッカさん。これはオルウェイの機密情報ですからね。口外禁止よ。その他の皆さんも」
文書による宣誓を要求し、これがよそに漏れて他領に先を越されたら、責任を追及して賠償金を請求すると私は明言した。
「よくわからないのだが、そんなに大層なものなのかね。ちょっと変わった石っころにしか見えんのだが」
攻城戦特殊部隊長だった退役軍人のおじさんは、不思議そうに首を傾げた。
「戦争にも城壁にも必要はないわ。でもね。建築物を美しく仕上げるということにおいて、こういう石は宝石のような価値を持つのよ」
「宝石が美しいから高価だというのはわからなくもないが、建物が美しいというのはそんなに価値があるのかい?」
おそらくこの世界の普通の人の感覚であるおじさんに、私は「美的価値というのは個人の価値観によるところが大きくはあるのだけれど」と前置きしてから言った。
「土地の支配者が建築する建築物は、その思想であり権勢の表明なの」
私は、我が英雄のために、私が創りうる最上の美を用意したい。
そしてデザインによる美という価値の力を、世界に知らしめたい。
「それが君の政治思想で戦略というわけだね」
「その通りよ。ダンおじさま。見た者が憧れて、真似をしたい、続きたいと思う像を示せるリーダーって素敵でしょ」
「だったら、君はもう少し自分の見栄えも気にしたらどうかね」
「や、その、それは……今はこういう情勢で着飾っている場合じゃないから!」
「若くて可愛らしい娘がもったいない。お父上が嘆くぞ」
「ちょ、こういう場でそういうことを言うのはナシにしてくださいませ」
形勢不利になった私は、強引に話題を変えた。
「とにかく! 石灰岩については供給のあてはできたわ。具体的な採石場の予定地は調査隊を派遣。生石灰を作る石灰窯は採石村に建設。アトーラ式の八基を一組にして1日ずつずらして連続稼働で計画。技術指導員の派遣は私からお父様にお願いする。総数は工事計画がもう少し具体的に定まってから算出することとする。次、火山灰!」
私は、早口でまくし立てて、地図上に勢いよく手を置いた。
「それは、この一帯全部で採れるわ。この南東にそびえる頂上の平らな山。この火山由来の火山灰と火成岩がここ一帯を覆っている」
「火山だって? その山は火を吹く龍が棲むという言い伝えはあるが、本当に火なんか噴いたことはないぞ」
「記録に残っていなくても、あったはずよ。人がここに住み始めるより前の話でしょうけど」
あるいは龍伝説は火山活動の名残を元にしているのかもしれない。
「なぜわかる」
「地形が示しているからよ」
私は地図上の枯れ谷を指した。
「この枯れ谷ができたのは、水の流れによる浸食のはず。水源はこの奥の山岳地帯でしょう」
「そこからはラルダ川が流れている」
「そう。この火山ができたせいで、水の流れが変わって、枯れ谷は枯れたの」
私は火山の北辺を通ってオルウェイの南方を流れるラルダ川の流れをなぞった。
「ラルダ川流域には、エーベ川のものよりも背の高い葦が生えている。これは南方の種なの。南の王国ではこの背の高い葦を使った品が色々あるわ。きっと昔、ラルダ川が枯れ谷の側を流れていた頃の名残でしょうね。流れの変わらなかった上流経由で今の流域にも広がったのだと思うわ」
「……目眩がしてきた。俺達はいったいぜんたいどれだけの歳月の話をされているんだ」
「石に比べたら、人なんてちっぽけな存在よ」
私の言葉に石工のニッカは目を見開いた。
「でも、人は石を見てそこから悠久の時間と、その可能性を見出すことができるの。そうでしょう?」
彼の目の輝きが私に勇気をくれる。この人になら任せられる!
「コンクリート作成に最適な採砂地の選定と入手できる材料での最適な混合比の試行はこれからよ。必要な物と人員は用意する。指揮は任せるわ」
「こいつは……とんでもない魔女に魅入られたもんだな」
「あら? 魅入られたの?」
「は?! バカ! 言い間違いだ! どっちかって言うと、取り憑かれた、だな」
「ひどい」
私が笑うと、石工は大げさに顔をしかめてみせた。
「コンクリートミキサーは、水道橋建設のときのものをアトーラから取り寄せるわ。使い方を覚えてうまく使って」
「コンクリート……なんだって?」
「おぬしもこの先、このお嬢ちゃんに付き合うなら、色々と覚悟せねばならんぞ。のう、ダンダリウス。お前さんも最初はしばらく目を白黒させてばかりだったよの」
「まぁ、慣れましたが」
言いたい放題の身内は放置して、私はずっと黙って腕を組んで座っていた弓兵のミケルに声をかけた。
「ミケ、起きて」
「ん? 終わったか」
「終わったわ。また今度、壁の設計のときに協力して」
「わかった」
「寝てても目立たないのは便利ね。そのバイザー。遮光目的? あなたひょっとして強い光に弱いんじゃないの?」
「! ……なぜ俺の目のことを知っている。エリオス隊長に聞いたのか?」
「あ、気にしてたのならごめんなさい。推測よ。髪の色がそんなに薄いということは眼の色も薄いんじゃないかと思って。虹彩の色素が薄いと目に入る光が遮断しきれなくて、強い光が眩しく感じやすいらしいから」
「な……え? ……これは生まれつきの呪い……ではなく?」
「目の色や髪の色は、基本的には親に似るけれど、急に違う色合いの子が生まれることも稀にあるわ。それは呪いは関係ないし、色素が薄い人が色素が濃い人より強い光に弱いのは、そういうものだから、もっと呪いは関係ないと思うけど」
私はぼんやりと座っているミケルの顔を見た。
目元はバイザーで分からないが、前世基準で整った顔立ちである。
あのエリオスが率いていた遊撃隊の主要メンバーだったのだから、美形設定でもおかしくない。そのうち色ガラスでサングラスを作ってあげたら、胡散臭いクール美形キャラが爆誕するかもしれない。
「良かったら今度、目のことは相談にのらせて。もっと視野が大きく取れて、眩しくないバイザーを作ってあげられるかもしれないから」
「…………考えておく」
負傷のせいでエリオスの軍に同行できずに、ずっと不貞腐れていた弓兵は、意外に素直に返事をしてくれた。
でも私、その今のバイザーのデザイン、かなり好きよ。
私は、残りのメンバーとも細々した今後の予定の打ち合わせをもう少ししてから、会合を閉会した。
解散後に、山男のザジが私のところに来て、ごく小さな声で「タイタン族は本当にいたぞ。俺はタイタン族の血を引いている」とこっそり教えてくれたのが、今日一番の驚きだった。
ああ、世界はなんて奥が深くて面白いんだろう!
書きたいネタを削ってこの有様。
都市計画自体の本論はまたちょっと時間を開けて書くことにします。
(書く気か?!正気か?)
そろそろエリオス視点に戻らねばw
おまけ
■地形参照先
4「黒龍いまだ…知らず」
・奇岩の台地:黒龍公登場
・丘陵地帯:遊撃隊長vs黒龍公
6「そして…戦場へ」
・エーベ川中洲:停戦協定
※ミケル、エリオス援護
7「黒龍…まみゆ」
・枯れ谷:青い鷹vs黒龍公
・ラルダ川河口葦原:遭遇戦
※ミケル、黒龍狙撃(側近死亡)
→「一角獣の赤い糸」では側近生きてます。
火山は作中に出てきていませんが、その"龍の寝床"と呼ばれるカルデラ山に龍伝説があるために"黒龍公"の名が付けられたようです。




