黄都 その15
「おい、ケイテ。寝るなコラ、バカ弟子」
「寝てはいない……! 人聞きの悪いことを言うな! 何があった」
「やべえぞ」
廃屋の一角で交わされる囁き声がある。他の何者かの耳を警戒しているためだ。
元黄都第四卿、円卓のケイテ。そして魔王自称者、軸のキヤズナ。
両名は第六試合における重大な不正を問われ、黄都議会の指名手配を受けた身である――その程度であれば、まだ最悪ではない。
さらに差し迫った問題として、彼らの命を狙う追跡者が存在している。
六合上覧の裏より亡霊めいて陰謀を巡らせ、彼らを罪へと陥れた諜報組織、“黒曜の瞳”。一人一人が英雄にも迫る戦力を持つ、規模不明の部隊。さらには支配権を奪取されたキヤズナの最高傑作、窮知の箱のメステルエクシル。
これは試合場の戦いではない。第六試合は半日前に終わったばかりだが、彼ら二人はもう半日を生き延びることも能わないだろう。いずれ多勢に囲まれ、殲滅を待つのみである。
「居場所を気づかれた。仲間に連絡してやがる」
「ラヂオ盗聴か! まったく、抜け目のない婆ちゃんだ……!」
「こっちの連中はセル分割もスペクトラム拡散も知らねえからな。ラヂオ鉱石が便利すぎて、技術の方が追いついちゃいねェ……それより、敵はすぐにここを囲んできやがるぞ。そうなりゃ終わりだ」
「今、打って出るしかあるまい……! どの道、いずれそうするつもりだった!」
「その意気だ。殺るぜ、ケイテェ……!」
老婆が片手を挙げると、廃屋の隙間の至る所から木製の機魔がぞろぞろと湧く。その尽くが、蟻の一匹ほどの足音も立てぬ。
たとえ孤立無援の状況であろうと、床板や壁の材質からすらも兵力を生産することができる。この地平に及ぶもののない、究極の機魔使い。
それらは時も素材も持ち合わせない中で急造した生命に過ぎなかったが、それでも隠密性を徹底した上で、想定される敵と斬り合えるだけの性能は有している。
一方でケイテは、新たな剣を抜いている。先程折られた剣の代わりに、工術で生成したものだ。ケイテの本分は文官であったが、武においても傑出した実力を兼ね備える天才である。
機魔の観測する敵影は一つ。特徴のない直剣を携える剣士だ。
蟷螂めいた木造機魔の軍勢が、まずは雪崩を打って襲いかかり――
「わ」
その剣士……塔のヒャクライは、まずは大きく距離を取った。
飛び退りながら剣を抜き、跳ねる機魔の刃を打ち払い、群れの包囲より抜け出す。
当然、その動きはキヤズナの予測の内にある。
二人はヒャクライを追い込んだ退路の死角となる道筋を駆け、脱出を試みている。
走りながら、ケイテは足元を随行する機魔の一体を掴んだ。
「農具屋の上だ!」
「ギッ」
響いた軋みは、盾にした機魔である。
飛来した円月輪が複合装甲へと食い込み、木質の層を焦がし、やがて切断した。
三体の機魔が跳躍して、次に続く円を受け止めた。全て破壊された。
狙撃手。
「おいケイテ! アタシの機魔だぞ!」
「……やはり、二人組か!」
数十体の木造機魔は、それぞれが人間の足首程度の大きさだ。それでも一体ずつが通常の兵士一人に及ぶ装甲と攻撃性能を持つ。その群体が……
「……ああ……困った」
声が背後に迫っている。三方より迫る機魔の刃に対して、塔のヒャクライはふらりと倒れた。下からの最小限の刺突で仕留め、剣を持たぬ側の手で鎌の初動を抑え、蹴りで一体を破壊した。
そして体重が存在しないかのように、ゆらりと身を起こしている。
起き上がった反動で剣身が一瞬消えて、機魔の一体を刃ごと両断した。
「も、もう少し……待っていて、くれれば良かったのに……逃がしてしまったら、ぼ、僕の責任になる……」
「安心するがいい」
円月輪による狙撃の死角に隠れつつ、ケイテはこの敵へと向き直っている。
残る機魔はどれだけ減ったか。五体……十体。この僅かな間で、これほど減らされたはずはないが。そこまでかけ離れた敵ではない。そう信じようとする。
ケイテは壁を背にしている。踏み込めば斬りかかれる距離。
敵は同様に剣士だ。間合いは、腕の長さの分ケイテがやや長いか。ケイテは、言葉で注意を引きつけようとする。
「それは、貴様の死後の話だ」
「ふ……」
ヒャクライは唐突にたたらを踏み、横に倒れた。
異様な動作の最中に、投擲を完了している。動こうとしたキヤズナは咄嗟に腕を引いて、襲来した短刀を避けた。その刃は石壁に半ばまで突き刺さった。
倒れると同時に宙に突き出した靴の甲が、同時に飛び掛かった二体の機魔の一体に触れる。その一触れで僅かに方向が逸れて、鎌の斬撃はもう一体の機魔を破壊している。
姿勢を崩したその隙をケイテは突こうと考え、それを直感で踏み留まった。
「惜しいな」
脛の高さで剣を薙ぎ払って、“黒曜の瞳”の剣士は滑らかに立ち上がっている。
刃の先端を機魔の一体が受け止めようとしたが、弾かれていた。
まったく不自然な、足首だけで上半身を起こすような復帰。
(……こいつ……どういう関節をしている。姿勢の崩れが隙にならない。あの体勢から、これだけの威力を。怪人め……)
間断なく襲いかかる機魔の斬撃を凌ぎ、キヤズナを牽制しながら、それでも一歩ずつ距離を縮めていく。まるで死神のように。
「ああ……そ、そうして隠れていれば狙撃が来ないと、思いますか? まさか」
「……!」
壁面に円月輪が突き刺さっていた。ケイテが隠れる壁面。回転で軌道を変えられる投擲武器だ。死角すらも越えて、狙撃が可能なのか。
「……落ち着けケイテ! あの距離から投げてる以上は、曲率半径の限界がある! 動かなきゃ当たらねェ!」
「ふ、ふふ。そうですね。しかしもう遅い」
当然、ケイテら二人はそれを見込んだ上で身を隠しているつもりだった。だが。
ヒャクライは上方に視線を遣った。
「――レヘム!」
「チィッ!」
ケイテはその視線を追い、備えた。
たった今の円月輪の無駄打ちが、二人を動かさないためだとしたら。
敵の部隊が二人組であると、何故決めつけていたのか――
肋骨に肘が食い込んでいた。ケイテは剣を取り落とした。
「……!」
一瞬で加速したヒャクライが、ケイテを壁に抑え込んでいた。
背後に回した剣の半径で機魔の群れの接近を許さず、回転の勢いで肘打ちを叩き込んだのだ。
姿勢変化の前触れがない。彼の間合いは最初から、ケイテよりも長かった。
(こいつ……いや、こいつら……!)
三人目がいると思わせようとした。
そのブラフを通すために、狙撃手は敢えて無駄撃ちをしたのか。
黄都二十九官を上回る剣の力量に加えて、その動きに咄嗟に合わせる練度があるのか。得体が知れない。敵はたった二人。一人ずつが異常な強さだ。
抑え込む肩越しに、腹に短刀の投擲を受けたキヤズナが見える。仰向けに倒れ、動かない。この剣士は言葉で作り出した僅かな一瞬で、二人を同時に無力化した。
右半身を制圧されたケイテは、自由な左腕で抵抗を試みようとした。それでも、敵が柄頭で側頭を砕く方が早いだろう。
「あ」
……しかしその剣は、不意に襲った背後からの斬撃を防御していた。
肉厚の包丁の如き鉈は、すれ違うような直剣の軌道に逸れて地面を叩いた。
新たに現れた何者かが、ヒャクライを強襲した――
「貴様は」
ケイテの左腕が間に合う。剣士の顔面を素手で掴んだ。
割り込んだ新手は、ケイテ以上の上背を持つ、筋骨隆々の女だ。引き攣った笑みに細められた目は、その半分が無残な傷に削がれているように見える。
(貴様は、何だ)
「甘い……」
塔のヒャクライは、数十体の機魔を同時に相手取って遅れを取らぬ達人である。
ただ一人の加勢が加わろうと、ケイテの掌で視界が塞がれようと、その柔軟な姿勢によって瞬時に直剣を切り返し――
ケイテは、掴んだ顔面を捻り、彼の姿勢を操った。キヤズナと自身を結ぶ線へと。
ポポポポポ、と形容すべき爆裂音があった。
「ぐっ……! う! お!」
剣士は全身から血を噴出して、反動でガタガタと震えた。
彼の体を盾にしたケイテにも、幾つかの浅い銃創が穿たれていく。それでも耐え、踏み留まった。骨までがズタズタに裂けた腕から、直剣が落ちる。
「――“H&K MP5”。油断しやがったな。ガキ」
軸のキヤズナが抜き放ったものは、短機関銃と呼ばれる武装であった。
ヒャクライは、常にキヤズナの動作の兆しへの警戒を怠っていなかった。だが……忽然と現れた巨体の女に、注意が逸れた一瞬では。
硝煙の只中で、老婆はニヤリと笑った。
「機魔使いが……機魔の装甲を仕込んでねェとでも思ったかい」
服の内に仕込んだ複合装甲が落ちて、石畳に金属音が響いた。
もっとも、防御を貫通したヒャクライの投擲が腹筋を裂いていた以上、それは力を振り絞った虚勢でもあったが。
「ぐ……うう……! も、申し訳……ありま……申し訳……」
「さて!」
ケイテは、剣士の首を一斬のもとに刎ねた。
絶命させた強者を一顧だにせず、新手の女を見る。
「……答えてもらうぞ。貴様は何者だ」
「あなたの敵ではありません。元第四卿、円卓のケイテ。あなたがたには、我々とともに来ていただく」
今しがたの攻防の連続に、一切心を乱している様子がない。
機魔の攻撃対象に含まれていなかったとはいえ――彼女もまた、あの群れを抜けて剣士の間合いまで来た。その手練がなければ、キヤズナの銃火器の奇襲も成功しなかったはずだ。
「俺を、苛つかせるな。貴様は何者だ。所属を名乗れぬか?」
「摘果のカニーヤ」
女は肉厚の鉈を、片手だけでぐるぐると回した。
彼女が振り返った視線の向こう……住宅の陰の所々に、さらに多くの兵が集っているようであった。
“黒曜の瞳”ではない。
「その名は……」
「――旧王国主義者です。あなたがたに選択肢はない。……もっとも」
戦闘時から一切変わらぬその笑みが、友好の表れであるかどうかも分からぬ。
しかしケイテにとって、状況がさらに悪化していることだけは確かなようだった。
「生き延びたいならば、の話ですが」




