第六試合 その3
「何が起こってる! イカサマじゃないのか!」
「無効試合だ!」
「これで終わりなの!?」
「とっとと殺しあえや!」
唐突な試合終了への落胆と不満。非合法ながら、六合上覧を賭けの対象としている者も少なからずいた。二人の候補者が向かい合っており、両者共に戦闘可能な状況に見える。一方が唐突に戦意を喪失した結末を受け入れられぬ者が過半数であった。
「静粛に。――たった今、死による決着を求めたのは誰だ。そこの者か」
裁定者のミーカは明瞭に通る声で言い放ち、一際下卑な野次を飛ばしていた一団へと厳しい視線を向ける。
「……各々、よろしいか。これはこの場の者全てに問うています。諸君らの立場は何か。歴史の節目を見届けるべき審判者である。この囁かれしミーカ、試合裁定の大役を担う身なれど――ただ一人の人間の、ただ二つの目のみで完全なる真実を見届けられるものと驕ってもいません。故に女王は諸君らの観戦を、史上の王城試合が民の目に触れ、その決着が広く知られることをお許しになられている! ならば、その得難き立会の光栄を忘れ、野蛮な望みのままに流血の結末を導こうとする不埒者は、この中にあるか!」
両腕を後ろに組み、有無を言わさぬ口調で演説を続けながら、ミーカは場内を回るように歩いた。観客の一人ひとりを、その眼力で黙らせた。
「この試合は本来、黄都の収益となるものでもない! 純粋な強者決定のための試合は、刹那の一撃一斬の内に終わることこそ望ましいものである! 諸君らが公正なる六合上覧を野蛮な剣闘場の晒し物に貶めるのであれば、私はそのように広告した商店を裁かねばならない!」
六合上覧の本来の意義は、そのようなものである。
その建前に反論できる者はいない……だが。
「それでも諸君らは、壮烈なる闘争の娯楽こそが望みか? 結構! このミーカの名に懸けて、最も近い距離で存分にその娯楽を味わうことを許そう! 商店に支払った金銭の補償を求めるか? 結構! たった今名乗りを挙げるのならば、王城試合の報奨を存分に与えると約束しよう! 皆の者! 降伏を選んだメステルエクシルの怯懦を嘲るならば……まさに貴様こそが全てを懸けた真業の舞台へと進み出て、メステルエクシル以上の勇敢を示してみせよ!」
まだ、微かに交わされる囁き声の波はある。それでもミーカの一喝で、不満の大波の兆しは目に見えて凪いだ。
ケイテは未だ、先程起こった事態の全貌を把握しきれぬ。彼は歯噛みした。
(……詭弁だ)
多数の商店がこの六合上覧を興行化しているのだとしても、その流れを煽っているのは、間違いなく黄都議会だ。
土地の貸し出し。『商標』の使用権。単に商店を介しているだけで、黄都が民からの莫大な収益を回収していることは、明白な事実である。
それにも関わらず、試合をここで終わらせようとしている。それはメステルエクシルの敗北を意味する。
(狙撃を……駄目だ。もはや試合は終了している……! 今の段階でゼルジルガを狙撃したとて、誰の目にも明らかな反則! どうにかして試合を再開させなければ……! だが、おのれ……何ができる……!)
あの一瞬、狙撃隊の射線を遮った煙幕。ケイテの策にとってのそれは、致命的な不運であった。メステルエクシルが動けぬ場合に備えて用意した狙撃が、備えの意味をまったく成さずに終わっている。
あるいは、策の全てを読まれていたのか? 恐ろしい予感が冷や汗となって、ケイテの背筋を走った。
「クソッタレが! アタシが直々にブッ殺してやる!」
「おい、やめろ婆ちゃん! 待ッ……やめろ!」
出し抜けに立ち上がったキヤズナを、ケイテは必死に抑えた。彼女ならば本気でやりかねない。やるだろう。
小柄な体でジタバタと暴れながら、老婆は叫んだ。
「あんなクソふざけた砂人なんざ、一発でバラバラにしてやらあ! ああ!? あのクソ女ァ、代わりの候補が出ろって言ってるだろうがよ! アタシがやりゃあ済む話だろうが!」
「済むわけないだろう! 危ない! 落ち着いてくれ!」
一方。ミーカの演説が終わると同時、渦中の砂人はおずおずと進み出て、ミーカに具申した。勝利にも関わらず、彼女自身が気まずそうな態度である。
「えーと、ミーカ殿? どうでしょう。全力を尽くさねば勝てない相手であったといえ、一撃の決着が却って客の不興を買ってしまったこと、確かに道化の名折れでございます。埋め合わせとして……少しばかりの芸で、彼らの目を楽しませる時間をいただくというのは……」
「厳正な試合において、それは許容できかねます。しかし六合上覧の試合場は決着に伴い閉場することが原則。終了より間を空けず旧市街広場を使用するというのならば、構いません。通常の大道芸認可の規則に従いなさい」
「アッヒャヒャヒャ! ありがたき幸せ! それと、ついでの幸せを願いたいというか、だいぶ申し上げにくいのですが……私、今はこうしてこのように、メステルエクシルをどうにか抑えております」
ゼルジルガは蜥蜴めいた顔を僅かに歪めて、糸を引き直すように両腕を引いた。
その手の動きに合わせて、メステルエクシルはガタガタと揺れる。
「そこで、そのう……これを解いた後の私の安全の保証などは?」
「……」
「おや? ございません? ならば大変ですよ? 観客の皆様! ただいま私、この試合への皆様の期待を越える大技にて、心ばかりのもてなしを……と、思っていたところなのですが……こ、これは……おおっと……っと……どうしても! 両手を使わなければできない芸でございまして……!」
ゼルジルガは何度か腕を引き直し、大きな力に引かれたように三歩よろけ、再び体勢を持ち直した。
観客のいくらかが息を呑んで、旧市街広場に緊張が走った。
「お気をつけください」
試合結果に不服を唱えていた観客も、そこでようやく気付いた――メステルエクシルは、決して戦闘可能のまま降参したのではなかった。
ミーカはまさしく勝敗を裁定していた。彼が戦闘することができなかったのは……気球の墜落に紛れる早業で、蜘獣の糸に拘束されていたためだったのだと。ゼルジルガは既に、その瞬間で敵を倒していた。
「……どうか、お気をつけください! お気をつけください! 無双の機魔が解き放たれますよ! 残念ながら……二度この技が通用するものかどうか、私には到底自信がございません! さあ後ろの皆様は道を避けて! 三、二、一!」
「ウ、ウ、ウウウ、ウ、ウ……!」
観客の悲鳴が左右に割れて避けていく中、メステルエクシルは不明瞭に起動した。
そして砲弾の如くゼルジルガへと突進する。ゼルジルガは回転した。
「……さあて、皆々様!」
回転と共に奔った糸に、軌道を逸らされたように見えた。
巨重は突進の勢いで転倒し、広場の外へと飛び出していった。
糸使い。触れずとも縛り、操り、敵を裂く力。
機魔が飛び込んだ一角からは悲鳴が、その他の席からは、一瞬の手並みの鮮やかさへの驚嘆の声が漏れた。
「本日はぜひとも、ご老人からお子様まで! 笑顔で帰っていただきたい! アッヒャッヒャッヒャ! このように! ……奈落の巣網のゼルジルガの、王城道化にも劣らぬ芸当の極致! どうか長く御照覧あれ!」
流れるような動きで極彩の小花火を放り、ゼルジルガが大道芸を開始する。
キヤズナは席を蹴った。ゼルジルガとの試合に乱入するためではない。明確な危機を予感していた。
「……おい」
「婆ちゃん、落ち着けったら……方法はまだ考えてる!」
「違う。メステルエクシルはどうした。どこに消えた」
「何?」
ゼルジルガの大道芸が繰り広げられている。糸は空中で鮮やかな蜘蛛の巣を織り、いくつものボールが、まるで意思持つように宙を飛ぶ。
視線誘導だ。観客の目はそれに釘付けになっていて、先程まで戦っていた危険な機魔に注意を払う者など、どこにもいないように見えた。
客席を越えて消えたメステルエクシルは、なぜ戻ってこないのか?
ケイテとキヤズナは旧市街を走った。
商店を曲がり、裏路地へと入る。メステルエクシルの消えた観客席の影。
どこにもいない。消えている。
「……どうなっている……!」
第四卿は、激情を抑えるように口元に手を当てた。
「そもそも、糸の拘束程度でメステルエクシルを止められるわけがない……奴の膂力を抑え込む強度の繊維など存在しない! 音の兵器を使う様子もなかった……! ゼルジルガが事前に機能を破壊していたのか? もしくは、メステルエクシルが裏切ったとでも……!」
民は疑いを持たぬだろう。第一試合や第三試合の如き理外の達人を目にした者に対し、今日見た全てが糸の技であると納得させる材料は揃っている。
観客は――どころかケイテ以外の擁立者の大半すら、メステルエクシルが真に無欠なる戦闘生命であることを知らない。彼が、ただ負けたように見える。
ならば、最初からそのための糸使いだったのか。
敵を縛り操る、別種の力から目を逸らすための。
「あいつの意思じゃねえ。独り立ちなら裏切られてもいいが、あれは別物だ!」
「ならば制御を奪う術でもあるのか……! 機魔とはいえ、機械のはずだ」
「違う。不正侵入やら権限偽装なんてのは、そりゃ“彼方”の機械だけの話だ。機魔は詞術の生き物だ。制御権限なんざ――」
旧市街の裏路地に差し掛かったところで、老婆の足が止まった。
二つの意思によって制御される、地平でただ一例の魔族。故に、他の機魔には存在し得ない脆弱性があるのだとしたら。
「……ある。そうだ。命は二つとも等価だが、権限は“彼方”の知識を持ってるエクシルのが上だ……! 同じ権限で判断させちまったら、命令系統の衝突が起こるからだ! 理屈が分かるかケイテ!」
「つまりどうなる! 造人の方をやったとでも……!」
「胸の装甲が割れてたのは、中身に到達させるための傷だ。生身の生き物相手なら、上位権限に割り込める奴らがいるだろう!」
「……血鬼……!」
「奈落の巣網のゼルジルガは血鬼だ。辻褄が合う!」
“黒曜の瞳”。それは一人ひとりが恐るべき傭兵であり、斥候であり、全貌は一切不明の集団。構成員は決して口を割らず、末端を討ったとて中枢に辿り付けぬ、闇の奥底の不可解なる組織であった。
構成員の急激な離散によって壊滅が確認された後も、その組織の核心までを証言する者はいない。
「連中の実態が屍鬼の軍勢だったとしたら、どうだ……! エヌは“黒曜の瞳”の残党を捜査していた。チッ、なら捜査記録は残っているか……?」
「そいつもとっくに支配下だろうよ。ブッ潰すしかねえぞケイテ。戦争だ」
「……だが、奴はメステルエクシルに降参させた。血鬼の支配だと言うなら、どうやってその言葉を出した!? 行動を操るだけならともかく、言語に関わる支配には母体の直接指令が必要なはずだ!」
「じゃあ他にあんのか! 時間がねえだろうが! ああ!?」
「だから今考えているだろう! 婆ちゃんは知らないかもしれんが、屍鬼化の感染にも、相当量の母体血液を投与する必要がある……! ただ傷を与えればいいというものではない。血の一滴や、微粒子……ごく少量でも感染できるような変種なのか? そもそも血鬼という結論自体が正解かどうか――げうっ!?」
思考を続けていたケイテは突如として襟首を掴まれ、地面へと引き倒された。
致死の円盤が、上を向いた鼻のすぐ上を通り過ぎていった。
「すぐやらなきゃなんねえんだよ! 始末に来やがった!」
キヤズナは、路地の突き当たりの屋上を見据えている。そこには四足で構える、異形の人間が。ケイテは発条の如く起き上がり、瞬時に抜剣した。
「――婆ちゃんッ!」
影のように現れていた狼鬼の大爪が、ケイテの剛剣を受けて捕えている。
今の瞬間まで、接近に気づけていなかった。この巨体にして、あり得ざる無音の足運び。並の剣士であれば機に間に合わず、二人諸共に引き裂かれていた筈だ。
唸りと共に、握力が鍛えた鋼を引き裂いていく。ケイテは剣から手を離し、耳を塞ぐ。狼鬼は次撃の爪を振りかざす。遠く、四足の狙撃手が新たな二つの円盤を構える。
「よく塞いだケイテ!」
輝きが破裂した。暴力的な轟音が狼鬼の戦士すらも怯ませ、太陽の直視に等しい光に、狙撃手も標的を見失った。
「よしッ、ずらかるぞ!」
「何を言ってるのか全く聞こえん!」
閃光と爆音の消え去った後、二人の姿は消え失せている。
攻防の寸前、キヤズナが地に転がした小さな六角柱の正体を知る者もいない。
M84スタングレネード。
全てが収まった後で、変動のヴィーゼは光摘みのハルトルへと合流した。
「……無事かハルトル。先の武器は。あれが“彼方”の代物か?」
「平衡感覚の回復に、多少時間がかかった。支障はない。追い詰め、殺す」
最大の生産手段を喪った今、敵に残された反撃の武器は限られている。
まして、逆転の可能性に至っては……




