状況を把握しましょう!
くてっと全身の力を抜いた「好きにして」状態の子犬オニキスを膝の上に下ろし、ワシャワシャと遠慮なく体を撫で回します。時折『はぅ』とか『あぁぅ』とか悩ましげな声を上げるものの、されるがままなことに気をよくして堪能していたら、本体の方のオニキスがクラウドの斬撃を食らってしまいました。ダメージはないようですが、どうやら気が削がれてしまうようなので、残念ですが自粛するとしましょう。
しかし、いつもでしたらすでにクラウドが地に這い、オニキスがその背で跳び跳ねている頃なのですが、今日は時間がかかっていますね。周囲の地形の変化も控えめですし。なんとなく両者共に余力を残しながら戦っている気がします。
「ねぇ、オニキス。もしかして以前より大きくなってます?」
普通に頭を撫でる程度に留め、気になっていた疑問を口にします。
実はオニキスが記憶を取り戻す前、私が一度気を失い目覚めた時からずっと、息苦しいような圧迫感があるのですよね。彼が大きな力を使うときのような感じの。
膝の上の子犬は気まずげに愛らしい瞳をそらしながら、小さな声で答えました。
『・・・真白を食いかけた時、痛みに負けてあちらに置いてあった体を全部持ってきてしまった。あちらに体の一部があるうちは出し入れができたが、全部こちらにあると戻すことができないらしい。邪魔な部分は異空間収納へ入れてあるが・・・やはり分かるか?』
『カーラ様! オニキス様は元々物凄く大きな黒様なんっす! あっちでも「深淵の黒」って呼ばれるくらいに大きい、もう本当に大っきい黒様っすよ! 並ぶ者なんていない、圧倒的な大きさなんっす!』
それまで大人しく私の横でお座りしていたモリオンが、唐突に会話へ参加してきました。立ち上がり、キラキラしたつぶらな瞳を私へ向けてくるモリオンの黒しばもどきな体が、一回り大きく見えるほど毛を逆立てています。
うん。何度も言うほど大事なことなんですね。わかります。
珍しく興奮しているモリオンは、更に小さな体で跳び跳ねて全身で凄さを伝えようとしています。精霊にとって大きさというものは、魅力を左右するもののひとつのようです。
そんな賞賛を受けてもどこか居心地が悪そうな、オニキス。彼にとっては畏怖される原因でもあった特徴なのですから、そう手放しで喜べるものでもありませんよね。
「ちなみに今、どのくらいの大きさなのですか?」
『・・・カーラの太ももほど薄く伸びれば、この大陸を覆える』
「っ―――そう。」
あのですね。他に的確な比較対象はなかったのですか? 深い意味は無いと思いますが、卑猥に感じてしまいましたよ。
なんとなく気恥ずかしくてモジモジしていたら、まだ暴れたりなさそうな2者が戻ってきました。
いつも大人げない程に圧倒的な魔法でねじ伏せる、オオカミ犬版オニキスはともかく。クラウドの方も少し夜会服がくたびれてはいるものの、すっきりしたような顔で、軽くウォーミングアップを終えて試合に挑もうとするスポーツ選手のような雰囲気です。これからですよキリッ、てな感じ。
「もう終わりですか?」
『あぁ。体を分散させて気配を追いにくくしてある上に、いくら大きな真白だとしても力を行使し、自身をすり減らしてまで追っては来ないだろうが、警戒しておくにこしたことはない』
どうやら意図的に余力を残すというか、準備体操程度で収めたようですね。
私の膝の上にいた子犬オニキスが場所を譲るように立ち上がり、近付いてきた本体の影に溶け込みました。
やはり本体であるオオカミ犬版オニキスの方が、圧迫感が強いですよ。と、いうことは私もレイチェル様のように忌避されるようになりそうです。すでに畏怖されて避けられていますから、たいして変わりはないでしょうけれども。
そういえば。レイチェル様の精霊も真白、光の精霊でした。あの明らかにレイチェル様にベタぼれな精霊が、彼女へ危害を加えるとは思えませんが、大丈夫でしょうか。
「オニキス。レイチェル様はご無事ですか?」
『・・・無事ではあるが、王子たちを庇いながらでは鴻大でもきついだろうな』
ん? どういう意味でしょうか。
ええと、庇いながらすることと言えば・・・。
「まさか戦闘中ですか?!」
『そうだ』
あっけらかーんと言ってのけたオニキスが、自然な動作で私の膝の上へ頭を乗せてきます。私はその頭をわし掴むと、口角を上げながら日ごろの鍛錬の成果を発揮すべく握力を込めました。
「今、すぐ、こちらへ、転移して、くださいませんか。」
『はい。』
精神生命体である精霊に物理攻撃をしても効かないはずですが、オニキスはきゅーんと耳を倒して尾を股へ挟み、ぶるりと身を震わせます。そして間髪入れずに、複数の人影が眼下の砂地の上に現れました。
「ふぇ?! 何?! 今度は何なの?! 深淵って何?!」
「・・・砂漠?」
「あ。カム」
発言はレイチェル様、ヘンリー殿下、レオンの順で。そしてツヴァイク様、そんな「出た! ラスボス!!」と言うようなお顔をしないでくださいよ。
勝手に助け出したものの、どう声をかけるべきか迷っていたら、大剣を手品のように消したレオンが私のいる巨石の上へと飛び乗ってきました。そして座ったままの私の横へしゃがみこみます。
むう。ボタンを3つめまで開けられた臙脂の軍服の中、アレが見えそうで見えない色気垂れ流しの胸元にぶら下がってるのは、毒舌精霊レグルスを封じていたペンダントではないですか。それに付与されている異空間収納を、レオンがいつの間にか使いこなしています。
「助かったよ、カム。殿下とレイチェル様が中庭で内緒話していたら、突然何かに攻撃されてさ。姿が見えないのにトゥバーンは近づくなって言うし、こっちは護衛用の剣とナイフぐらいしか仕込んでないし。投げナイフが底を付いて、仕方がないから割と間合いが取れる大剣で戦っていたんだけど、こっそり出せるような大きさでもないから・・・これ、ばれちゃった。ごめんね」
色気がだだ洩れな胸元からペンダントを摘まみ出し、ぺろっと舌を出しながらウインクしてくる、レオン。
免疫のないお嬢様方ならバチコーンとハートを射抜かれてしまうのかもしれませんが、すでに免疫を獲得済みな私には何の効果もなく。無言でペンダントトップに触れ、勝手に闇魔法で「身に着けている者は傷害無効」を付与しました。
真白相手に効くかどうかはわかりませんが、先程彼らに私たちが襲われた時も魔法ではなく物理攻撃でした。オニキスは彼らが魔法を使用する時、消しゴムのように身を削るのだと言っていましたし、できる限り魔法は使わない方針なのかもしれません。とりあえず、無いよりもましだとは思います。
「・・・いいの?」
取り上げられると思っていたらしいレオンが、ペンダントから手を離した私を見つめながら首を傾げました。
仕舞いこまれて埃をかぶっていたならともかく、さすがに使いこなしている物を取り上げるほど意地悪ではないつもりです。それにレオンには「私に関することを許可なく他者に話せない」呪いがかかっていますし、出どころさえバレなければきっと問題ないでしょう。
私は巨石の上へ上がれそうなところを探すヘンリー殿下と、それを止めようとオロオロしているツヴァイク様、「だから深淵ってなに?! どこへ逃げようって言うの?!」とか精霊と言い争っているようなレイチェル様の方を意識して見ないようにして、レオンへ向かって気にかかっていた質問を口にしました。
「ルーカスは一緒ではなかったのですか?」
レイチェル様とその精霊に契約を隠すためなのでしょう。魔法を使う気のないヘンリー殿下の「私を上へ上げろ」という視線に気付かなかったふりをし、レオンは私を安心させるようにキリリとした護衛らしい顔で答えます。
「うん。僕らが会場から出る時、ルーカスはテスラ侯爵令嬢と踊っていたよ。襲ってきた奴の狙いは大公閣下のご令嬢みたいだったし、心配ないんじゃないかな。それに姿が見えなかったから手応え的にたぶんだけど・・・致命傷まではいかないまでも、襲撃者にはそれに近い損傷は与えたし。会場内にいれば大丈夫だとは思う」
真白たちの狙いがよくわかりませんが、私が襲われたのはオニキスの中にあるという「悲嘆の黒」の記憶が目的だったそうです。
レイチェル様が襲われたのはたぶん「鴻大」と呼ばれることもある、彼女の精霊メディオディアに理由があるのだと思います。甘ったるい話し方をする真白が、裏切ったとかなんとか言っていましたし。
考え込んだために視線が下がった私の顔を、覗き込むようにしてレオンが付け加えました。
「ちなみにアレクシス様は、殿下の代わりに陛下に捕まってた。だから生命の危険はないよ」
「・・・そう。」
すっかり失念していましたが、そういえばアレクシス様もヘンリー殿下と行動を共にすることが多い人物でしたね。最近はちょっと・・・浮いた話を耳にした事もありますし、別行動が増えていましたけれども。
さて。この後どうしたものか。
そう悩んで顔を上げた私の耳に、レイチェル様の今にも泣きそうな、震え気味の叫び声が聞こえました。
「逃げるなんてダメよ! カーラを見張っていないといけないの!!」




