さらっとフェードアウトしましょう!
卒業パーティーの会場である講堂の正面扉から外へ出ると、そこにはいくつかのテーブルや椅子が用意されていて、父兄と思われる年配の方々や、生徒たちが何人か休んでいました。とはいっても3月の頭というやや肌寒さの残る気温であるため、人影はそう多くありません。
私はその方々の気を惹かないよう、引き続き気配を消しながら壁伝いに別館の方へと進みます。コソコソと進んだその先、講堂の横にあるクラブ棟への渡り廊下付近には、王城より派遣されたと思われる近衛騎士たちが立っていました。
今日は王立である学園の卒業式、並びに卒業パーティーが開催されていますからね。先程も国王陛下がおみえでしたし、父兄と限定されているとはいえ外部の人間が出入りしています。よって当たり前ですが普段よりも警備が厳重なのでございます。
しかし私の黒髪はこういう場合、身元を証明するのにとても便利でして。
互いの姿がはっきり視認できる灯りの下へ進み出れば、難なく道を譲っていただけました。いつの間にか私の背後に付き従っていた、クラウドも同様です。彼の場合、有名なのは髪色ではなく茜色の瞳ですがね。
先生に見咎められる前に退散しようと、無言のまま足早に講堂を後にします。
「エスコートを頼んでおきながら直前で断ることになって、ごめんなさい」
別館の前庭までやってきてようやく口を開き、クラウドを振り返りました。
走ると目立つので競歩かという勢いで歩いてきたのですが、当然のようにクラウドの息は全く乱れていません。日々の鍛錬の成果か、私もゼーハーしてはいませんが、それでも鼻息では荒くなりそうだから口で息をしています。
なんとなく悔しくてじっと見上げていると、彼は黒の夜会服の裾を引き、襟を正してから右手を胸に当てて慇懃に一礼しました。
「では、埋め合わせに一曲踊っていただけませんか?」
なかなか粋なお誘いに、ちょっとときめいてしまいましたよ。
月明かりの下、2人きりでダンスとか。乙女ゲームにありがちな展開ではありませんか。
「ええ。よろしくてよ」
己の役柄である悪役令嬢っぽく高圧的な笑みを浮かべながら、心の中で「なんちゃらパワー! 以下略」と唱えて本日着用する予定だった黒のドレスに着替えました。そして1つに束ねてあった髪をほどきます。軽く頭を揺すれば、ただそれだけで癖のない黒髪が綺麗に背へ流れました。
びばゲーム補正。
丁寧に差し出された左手へ、もったいぶってゆっくり自分の右手を重ねます。そして微かに、しかも途切れ途切れにしか聞こえない音楽に合わせて踊り始めました。
ダンスタイム中盤に流れる割とテンポの速い曲ですが、お互いに気心が知れた仲だからなのか、これもまた毎日の鍛錬のおかげなのか、ダンスのテストだったら確実に高得点を狙えるだろう出来栄えだと思います。知った曲を頭の中で補完しながらあっても、危なげのないダンスというものはとても楽しいものですね! 足を踏まれる恐怖が無いだけでもこの解放感!
引きずるほど後ろが長い裾を汚さないようにと、私は左手にドレスを摘まんでいます。そのせいか体が離れてしまったらしく、クラウドがぐっと私の腰を引き寄せました。もっと精進するとしましょう。
「鍛練もいいですが、たまにはこうして踊りましょうか」
そう言うと、クラウドが瞳を細めてとても楽しそうに笑いました。
「はい。カーラ様」
リズムよく足を踏み出し、引いて、次はターン。
決まり通りにクラウドから体を離しかけた瞬間、身の毛がよだつ感覚と共に視界が何かで遮られました。クラウドの硬い胸板へ押し付けられているからだという事を認識する前に、金属がぶつかり合う甲高い音が何度も響きます。
割とすぐに解放され、こちらへ向けられたクラウドの背の向こう。嫌な気配がひしひしと感じられる方向から、場違いに明るい声が聞こえました。
「あるぇ? ちゃぁんと姿消してるんだけどなぁ。なぁんでばれたのぉ?」
この声。どこかで聞いた事があるような・・・。
状況がよくわからなくて、取り合えず目先の疑問から解決しようとつい下がってしまった視界に、私の影がさざ波のように揺らめいているのが映りました。オニキスがかなり警戒しているようですね。
「フィーリ様?」
記憶から掘り起こした学園の治癒術師の名を呟けば、声とは別の方向からはっと息を飲んだ気配がしました。しかし相変わらず姿は見えません。
「誰のことぉ?」
「・・・雪華・・・その体・・・名前」
「そうだっけぇ? でもさぁ、どうせ近いうちにこの体死んじゃうんだからぁ、別に覚えなくても良くなぁい?」
やはり2人いるようです。姿どころか気配も消しているようで、たまに砂利や枯れ葉が動く様子、月明かりにうっすらと落ちる影から、辛うじて推測される程度にしか位置がわかりません。
おそらく先程の鳥肌は、殺気を感じ取ったが故ものなのでしょう。そして攻撃直前に発されたそれへ、即座に反応で来たクラウドはすごいと思います。
「そぉうだ! あんたもこれと同じ薬飲むぅ? 気持ち良ぉく精神破綻できるわよぅ。・・・あぁ、でもぉ、深淵にその体使って逃げられると面倒だわぁ。やっぱ無しぃ」
声は確かにフィーリ様のものなのに雰囲気が全く違います。直接会話をしたのは入学式をサボった時以来ですが、それでもかなりの違和感があるほど別人のようです。
とりあえず、こんなに甘ったるい話し方ではなく、ピリピリした不快を感じさせるような人でもありませんでした。
「月華様の第1候補をぅ、奪ったやつ消したかったけど遠いしぃ。星華様のお体はぁ処刑されそうだしぃ。日華様の体候補もぉ行方知れずだしぃ。鴻大は裏切るしぃ。おかげで薬飲ませるはめになってぇ、予定より早く月華様が降臨されたのにぃ、この体死にそうだしぃ。御一緒できる時間が減ってぇ困っちゃうぅ。これが死ぬ前にやることがねぇ、たぁくさんあるのぉ。早く消えてぇあっちへ深淵を戻してよねぇ」
「・・・雪華・・・うるさい・・・体・・・動かす」
「了解ぃ、氷華。とりあえずこの男から消すよぉ」
ヘラヘラといろいろ教えてくれるのは、きっと逃がすつもりがなく、また仕留める自信があるからでしょう。
クラウドがやや短い細身の剣を構え、重心を低くしました。その5感を研ぎ澄ましている緊張感で、私の首の後ろがチリチリします。
息をするのも気を遣う。そんな一触即発な空気を割くように、私の影からオニキスが飛び出してきました。
「っ! 深淵?! 契約?!」
「やだぁ。ほんとに契約してるぅ。鴻大がその場しのぎで吐いたぁ、でまかせだと思ってたのにぃ。これじゃあ、宿主殺すだけで済まないねぇ」
姿の見えない襲撃者たちがいるらしい方を見据えながら、私とクラウドを庇っているだろう位置へオニキスが進み出ました。
『下がれクラウド。人の身で奴らを相手取るのは荷が重い。奴らには決して触れるな。近付くのも駄目だ』
唸るオニキスが大きな力を使うときの、あの重力が増すような圧迫感を放ち始めました。その右後ろ足が不思議なリズムを踏んでいます。
それを目にしたクラウドが、私の位置を確認するようにちらりとこちらを見ました。
「氷華ぁ。今すぐ砂華を呼んでぇ。あたしはぎりまで使ってあっちへ帰るからぁ、後はよろしくぅ」
視界が赤と白に染まりかけるのと、クラウドが私の肩をつかんだのは同時でした。
「はえ?! 何?!・・・あれ? ここ・・・オアシス?」
突然視界が変わったのと、浮遊感の後に足裏へ感じた覚えのある砂の感触。さらに目前にそびえ立つ巨石から、砂漠のオアシスへ転移させられた事に気付きました。
私の肩から手を離したクラウドが、反対の手に持っていた剣を腰元から鞘を出して収めます。その影からモリオンが顔を出しました。
『真白は触れるのはもちろん、近付くのも危険っすから、オニキス様が逃がしてくれたっす。あの合図があった時は、カーラ様を連れてここへ転移する約束なんっすよ』
合図というと・・・あの不思議な後ろ足の動きですかね。って、オニキスがいない!
「オニキスは?! まさか逃げ遅れた?!」
気配を探ろうとする私の足元で、モリオンが飛び跳ねました。
『待つっす、カーラ様! 大丈夫っす! 今行っても、僕たちでは足手まといにしかならないっすよ! いない方がオニキス様に有利っす!』
必死に飛び跳ねながら訴えてくるモリオンをキャッチして、そのまま腕に抱きます。行くと邪魔になるようなので大人しく待つことにしますが、無事かどうかを探るだけなら問題ないでしょうか。
そう思って探り当てたオニキスの意識に触れた途端、その場に崩れ落ちました。
「がっ・・・はぐっ・・・っ」
「カーラ様?!」
『駄目っす! 今、意識を繋いじゃ駄目っす! カーラ様!!』
痛い痛い痛い痛い!! 痛いっ!!!
身を絞られるような、全身を刺しぬかれた上に抉られているような。とにかく激痛としか言いようのない感覚が流れ込んできます。
痛みのあまり砂に額を擦り付けて縮まる私の下で、モリオンが潰されながらも私の気を惹こうと、懸命に手を舐めています。私の横に膝を付いたクラウドも背を撫でてくれていますが、どちらの感覚も遠く感じるほどに全身が痛くてたまりません。
私が感じている激痛。これは今、彼が感じている痛みです。実体のない精神生命体である彼が、これほどの痛みを感じるなんて。
一体、何が起こっているの?
「・・・っ?! ・・・っ!! 何で?!」
呼びかけたくて。彼の名を呼ぼうとして、愕然としました。
名が。彼の名前が出てきません。
彼の、私の精霊の名前。夜の闇のように黒い・・・黒い・・・? 黒い、何の姿だった?
「っは・・・ヤダ! ヤダヤダヤダ!! 何で?! ぐっ・・・どうして?!」
何故?! 何で?!
彼といた時間も、話した内容も。これまで一緒に過ごしてきたすべての記憶があるというのに、名が、姿が思い出せません。
ただ。
ただ思い浮かぶのは。
暗闇の中、月明かりを受けて夜空のように星が煌めく、黒い闇色の瞳だけ。
優しく、慈しみにあふれた。美しい、闇色の瞳。
私の・・・私の大切な・・・。
私は絶望に染まる思考と、耐え難い痛みに負け、ついに意識を手放してしまいました。




