番外編 ラスボス劇場完成1年前
9話目の前に、ちょっとだけ番外編を書いてみました。
よろしくお願いいたします。
どんよりと曇った空だった。
灰色の雲が少年の頭上高くにのしかかり空を閉じていたが、所々には雲の切れ目があり、太陽の光が零れ落ちていた。雲の端にも光が宿り、内部からの光がまるで空の金継ぎのごとく風情があった。
少年はゴクリと息を飲んだ。
一生踏み込むことのないと思っていた貴族街の、しかも最上級の地に立つローエングリム公爵家の裏門に少年は来ていた。少年だけではない。大勢の人間が列を作っている。少年のように貧しい身なりの者も多いが、貴族らしい立派な服装の者も少なくない。
皆、ローエングリム公爵家の使用人募集の応募者であった。
正直に言って少年は自分が合格するなんて思ってもいなかった。王都の貧困層に育ち、読み書きも計算もできない。それでも一芸に秀でる者は応募が可能であった。だから少年も応募の列に並んだ。不合格でも足代として銀貨が1枚もらえたからだ。銀貨が1枚あれば病気の母親の薬が買える。ほぼ銅貨しか知らない少年にとって銀貨は大金であったのだ。
「年齢は?」
「じゅ、13歳です」
「一芸での応募だね?」
「は、はい。俺、いえ、ぼ、僕は人間の顔を覚えるのが得意です。へ、変装した人でも、目や鼻や口や輪郭や耳や顎や額とかの特徴、色々の部位の位置と距離と形状などで人違いをすることはないです。か、顔を認識? っていうんですか、とにかく顔を一度見れば忘れません」
「ほう? 少しテストしてもいいかい?」
「は、はい!」
銀貨1枚のために少年は一生懸命に頑張った。
少年には意味不明なテストも幾つかあったが、素直に受けた結果。
「合格! 試用期間は三ヶ月、問題なければ本採用となる」
「え、えぇ!? う、嘘?」
信じられずに唖然とする少年に面接官は微笑んだ。面接官は特殊スキル持ちで、相手のオーラが視えた。
少年のオーラは濁っておらず清らかであった。念のために背景確認の調査は何重にも入るが、仮契約としては及第点で通過したのだ。
「嘘ではないよ。合格だ、おめでとう」
さっ、と案内人が少年に近寄った。
「手続きをしようね。こちらにおいで。文字は読めないんだね? 口頭で教えるから大丈夫だよ。明日からは読み書きの勉強から始めよう、勉学中も給料はきちんと支払われるから安心して。字を理解してから正式な契約書での署名となる。それと使用人宿舎は今日から入れるよ」
「しゅ、宿舎!?」
仰天して少年は叫んだ。
「で、でも俺、病気の母さんが……」
案内人は優しく目を細めた。
「お母さんも一緒なら家族用の宿舎があるよ。それに使用人もその家族も敷地内にある無料診療所で病気も怪我も診てもらえるから。薬も無料だよ。ローエングリム公爵家は他の貴族家とは桁違いに使用人に対しての支援が整っているんだ。無料の学校もあるんだよ。全部オリヴィア様のおかげなんだよ、この試験も努力をする者に門戸を開くようにとオリヴィア様が提案してくださったんだ」
「……あ、あの、本当に? 母さんをお医者様に診てもらえるんですか?」
「本当だとも。……泣かなくてもいいんだ。診療所の先生は名医だよ、今日でも明日でもお母さんを診察してもらいなさい」
ぽろぽろ涙を流す少年の背中を案内人が軽くさすり、
「先に家族宿舎に行こう。家具付きだから困ることはないよ。引っ越しの手伝いは必要かい?」
と尋ねた。まだまだ説明することは多いが、母親も同席してからの説明にした方がいいかも知れない、と案内人は思案する。
ぶんぶんと少年は首を振った。
「に、荷物なんてほとんどないです。母さんも弱っているけど歩けるし」
「そうかい? でも荷馬車を出してあげるよ、お母さんを乗せてあげなさい」
ガン、ガン、ガン!
ゴン、ゴン、ゴン!
遠くから劇場を建設する音が響いた。
その音は少年にとって幸福に繋がる福音に聞こえた。深々と案内人に頭を下げて、少年は再び泣いたのであった。
1年後。
完成した『ラスボス劇場』のゲーム室で背筋を伸ばし礼儀正しく働く少年の姿があった。
元気になった母親はローエングリム公爵家での下働きの仕事が決まり、休日には学校にも通い文字を勉強していた。
そしてローエングリム公爵家の使用人の特権ともいえる壁側で、時間と機会が許せばオリヴィアの映画を観て、親子そろって感動するのであった。
「何!? ローエングリム公爵家の使用人募集の試験を受けたいと言うのか?」
男爵家の次男は父親に向かって頷いた。
「父上、チャンスです。ローエングリム公爵家では敷地内に巨大な劇場を建設予定なので、使用人を増加させるようです。普通ならば紹介状などが必須なのに、試験にて合否が決定するらしいのです。僕のような下級貴族には公爵家の使用人は勝ち組です」
「それはそうだが。難しいのでは?」
「一般試験の他に、一芸試験というものがあるそうです。僕は数字に自信があるので両方受験します。ずっと家の経理を担当してきましたが、そろそろ独立をしたいのです」
「わかっておる。これ以上のチャンスは二度とあるまい。おまえに頼っていたからな。おまえの穴を埋めるために長男をもっと鍛えるか」
同じ部屋にいた長男は硬直して顔色を変えたのであった。
1年後。
この次男は『ラスボス劇場』オープンの招待状を持参して男爵家に帰ってきて、家族から大歓迎をされることになった。
「男爵家で招待されるなんて数えるほどだぞ!」
「高位貴族がメインですからね!」
喜びあう男爵と長男から、男爵の妻と長男の妻が招待状を取り上げる。
「この招待状は二人分ですからね」
「お義母様、お供しますわ」
次男は足音を消して後退した。
バチバチと火花を散らす男性陣と女性陣の争いから、こっそりと次男は戦線離脱してローエングリム公爵家にいそいそと戻る。足取りが軽い。
「今夜はヴァイオレットたんの第七話だ。実家での飼い殺しから脱出できて、給料も待遇も最高だし、ローエングリム公爵家は天国だ〜」
「おまえとは婚約破棄だ! おまえのように背の高い女はみっともなくてエスコートなんてできない!!」
伯爵家の嫡男は婚約者の令嬢に怒鳴った。その腕には恋人の令嬢がくっついていた。
婚約を破棄された令嬢は動揺すらしていない。
冷静に澄んだ黒い瞳で元婚約者を見つめた。夜空のごとく澄んでいる故に冷たい視線であった。
背が高く、凛々しく美しい令嬢だった。特に瞳は黒真珠のように艶があり、夜の星を宿しているみたいに麗しかった。
元婚約者の浮気には気付いていたし、嫌われていることも知っていた。
「承知しましたわ。実はわたくし『花と歌の歌劇団』に合格しましたの」
「え! 『花と歌の歌劇団』!?」
元婚約者の恋人の令嬢が目を輝かせた。ぽいっと元婚約者の令息の腕を離す。
「あら? ご存じですの?」
「まだ規模は小さいですけれどもローエングリム公爵家のダンスホールの舞台で何度か公演をしていて、王妃様が大ファンだとお茶会で評判になっています。流行をリードする斬新な劇団であると憧れの的ですわ」
「詳しいのですね」
「だって、だって、王妃様のご贔屓の劇団ですよ。羨望しますわ!」
情熱的な口調で恋人の令嬢が言う。もはや令息など眼中にない鼻息の荒さである。
「わたくし男装女優になる予定ですの」
「まあぁぁぁ! ステキです! 流行物が大好きですのよ、必ず観に行きますわ!!」
熱心に身を乗りだす恋人の令嬢は興奮してすっかり舞い上がっていた。元婚約者は無視されて忘却の彼方である。
「おいっ!」
腹を立てた元婚約者が恋人の肩を掴もうとしたが、恋人は強かった。護身術を習っていたので、振り払った手で拳を作ってパカーンと元婚約者の顎にヒットさせて倒してしまったのである。
「まぁ、事故ですわ。男性が女性に一撃されるなんてありえないですものね。事故です、事故。ついでにお別れしましょうね。ハンサムだからアクセサリーになると思ったけれども流行の方が百倍大事ですもの」
自分勝手な元婚約者にある意味お似合いな、自己中心的な令嬢であるが行動力はあるので、すぐに新しい高位貴族の恋人をつくってメロメロにさせた。狙いは『ラスボス劇場』のオープンである。
1年後。
背の高い令嬢は男装女優として成功して王妃を感涙させて、握手会で貢がれまくることになるのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。




