優しい時間
「うわぁ、可愛い!」
思わずつぐみの口から声が出た。
洗面台には、黄色の犬の描かれたパジャマが置いてある。
ポケットの部分から犬がこちらを覗き込んでいる可愛らしい柄に、たまらずぎゅっとパジャマを抱きしめてしまう。
パジャマの上には巾着のポーチが置いてあり、中には歯ブラシや化粧水、さらには使い捨て用のペーパーショーツまで入っていた。
まさに至れり尽くせりだ。
シャワーで軽く汗を流してから、浴槽につかり体を伸ばしていく。
自分の部屋の狭い浴室と違って、しっかりと足が伸ばせるお風呂に入るのは久しぶりだ。
大きく伸びをすると、自分の動きに応じてちゃぷりと音を立てる水音がとても心地いい。
「それにしても、まいったなぁ」
先程見た資料の内容をつぐみは思い返していく。
不明者に対する詳細な情報もさることながら、沙十美の参考資料の方にはつぐみのデータまで入っていた。
行きつけのスーパーの情報まで載っており、かなり恥ずかしい。
家庭事情のデータが無いのは、品子がヒイラギ達に見せないように配慮してくれていたのだろう。
しかしながら、どうやって店を見つけたらいいのだろうか。
早くしないとまた、行方不明の人が出てしまうかもしれない。
今日中に資料を読むために泊まってほしいという品子の意図も、そこに在るのだろう。
「もう少し読み込んだら、何かわかるかもしれない。徹夜になってもいいから頑張ってみよう!」
決意を新たに浴槽からざばりと立ち上がる。
「私に、私にだから出来ることをやるんだ!」
◇◇◇◇◇
つぐみがリビングに戻ると、机の上にあった資料は片づけられ、代わりに美味しそうな食事が並んでいた。
ほうれん草の入った卵焼きにお味噌汁、つぐみが作った豚バラも盛られた皿で湯気を立てている。
品子はそれをこぼれんばかりの笑顔で食べていた。
「おかえり! 先に頂いてしまっているよ~。匂いとか大丈夫かな?」
匂いで気分が悪くなることはなさそうだが、まだ食べる気にはなれない。
「はい、大丈夫みたいです。すみませんが、私はこのまま資料を読ませてもらいますね」
机の横に置かれた資料に手を伸ばすと、品子から声が掛けられる。
「でもヒイラギが、君にってスープ作ってあるよ?」
「え、そうなんですか?」
つぐみはヒイラギの方を見るが、彼は黙々と食べている。
ちらりとつぐみを見たものの、彼はすぐに視線を逸らしてしまった。
「みっ、みそ汁のついでに作ったやつだ。食欲が無いなら食うな」
ヒイラギは早口に話すと、かなりの勢いでご飯を口へと入れている。
「台所のコンロにあるやつだよ。見てから考えれば?」
のんびりとした口調の品子が言うままに、つぐみは台所へと向かう。
コンロには鍋が二つ並んでいた。
一つには味噌汁が、もう一つの小さな鍋の方に野菜を煮たスープが置いてある。
コンロの脇に置いてある椀を手に取り、ゆっくりと注ぐ。
皆の方に行こうかとも考えたが、もし体調が悪くなってしまったら迷惑が掛かる。
このまま、台所のテーブルの方で食べようと席に着いた。
食べられるだろうかと思いながら、つぐみはスープを口にする。
薄味だけれども、だしの香りがふわりと広がるとても美味しいものだ。
中の野菜は白菜と大根で、こちらも胃が受け付けやすいようにと、細かく切って入れてある。
味もさることながら、ヒイラギの優しさに心も体も温められていく。
気が付けば、器はすっかり空になってしまっていた。
ほぅ、と息がこぼれ、おもわずにっこりとしてしまう。
リビングに目を戻せば、品子とヒイラギがこちらを見つめていた。
同時に視線を逸らすつぐみとヒイラギを見た品子は、なんだかとても楽しそうだ。
「いいねぇ。美味しいご飯は人を幸せにするよなぁ。そして青春って感じもいいよねぇ」
品子の言葉に、つぐみの顔は真っ赤に染まっていく。
慌ただしく使ったお椀を洗い、改めて資料の読みなおしに取り掛かる。
先程のことで動揺したためだろうか。
目はただ文字を追っているだけで、文章が頭の中に入ってこない。
「冬野君、今日はここまでにしよう」
品子の声を受け時計を見ると、すでに日付が変わっていた。
「鈍くなった頭で考えてもうまくいかないよ。今日は休もう」
品子に肩を軽く叩かれ、つぐみはうなずく。
「そうですね。少し頭を休ませてから、考えた方が良さそうです」
「うんうん。ここの隣の部屋に、布団を敷いておいたからそれを使ってね。おやすみ~」
伸びをしながら、品子は廊下の方へ去っていった。
同じようにぐっと体を伸ばしながら、布団のある部屋へと向かう。
「うん、明日になれば、何か気づけるかもしれない」
敷いてもらった布団にくるまりながら、つぐみはそう呟き眠りにつくのだった。




