第三十六話 悪魔の御業ふたたび
銀河標準暦・興起一五〇一年一月。
グランローデン帝国にてクーデータ勃発。
新年早々銀河中を席巻したこのニュースに隠れて目立たなかったものの、帝国を仮想敵と見ている銀河連邦も、その様相を大きく変貌させようとしていた。
熾烈な権力闘争を繰り広げていた一方の雄であるエンペラドル元帥の戦死を契機にして、危ういながらも均衡が保たれていたパワーバランスが崩壊。
盟主を喪ったエンペラドル派の面々が恐慌をきたし、雪崩を打ってモナルキア派へ服属した為、軍内の勢力図は一気に独裁の色合いを強めていた。
その様な中、貴族閥に反目する面々の拠り所でもある航宙艦隊総長ガリュード・ランズベルグ元帥は、苦しい立場ながらも良く奮闘していたといえるだろう。
だがそれも、蟷螂の斧が如き虚しい足掻きに過ぎず、時代の趨勢に抗うには余りにも力不足であり、それ故に勇名を馳せた嘗ての英雄が、遠からず更迭の憂き目に遭うのは避けられないだろう、そんな噂すら飛び交っている有り様だ。
威勢を増すカルロス・モナルキア元帥の独り勝ちという状況の中、近い将来彼が銀河連邦の実権を握るのは確定的であり、軍内部の権力闘争の帰趨は、連邦評議会にも影響を及ぼして水面下で派閥同士の綱引きが激しさを増すのだった。
◇◆◇◆◇
飛ぶ鳥を落とす勢いのモナルキア派を実質的に差配しているのは、盟主の懐刀と目されているキャメロット大佐である。
彼は正邪硬軟の手法を駆使し、軍内部の主導権を確固たるものにした。
そして、エンペラドル亡き後の軍令部総長のポストも掌中に収めるや、済し崩し的に各部署の重要な地位に自派閥の重鎮を据えたのだ。
しかしながら、彼自身は栄達には見向きもせず、盟主直々の重職への就任要請も丁重に固辞して筆頭補佐官の立場に留まっている。
『私如き若輩者が、派閥の重鎮たるお歴々を差し置いて軍の要職に就けば、要らぬ軋轢を生みましょう。貴方様を銀河連邦の盟主に押し上げるのが私の悲願なれば、それまでは御傍に在って尽力致したく思います』
そのキャメロットの言葉に感激したモナルキア大元帥は、派閥幹部が居並ぶ前で彼を強く抱擁して『貴君こそが忠臣であり、我が分身である!』と声高に宣言して皆を驚かせた。
それは取りも直さず、キャメロットこそがナンバー2であると盟主自らが認めたに等しく、この瞬間に派閥内での彼の地位は不動のものとなったのである。
※※※
(心にもない事を口にしたものだ……我ながら呆れてしまうな)
銀河連邦軍本部であるアスピディスケ・ベースを頭上に頂く惑星ダネル。
その王都中心市街地に聳え立つ一流ホテルは、地上百階地下十階の堂々たる威容を誇り、銀河連邦加盟国に広く根を張る巨大ホテルグループの総本山としても良く知られている。
その地下駐車場の出入り口から走り出した、オートパイロット・エアカーの後部シートに身を委ねるキャメロットは、だらしなくも相好を崩した己が主の顔を思い出し、自嘲ぎみに口元を歪めた。
今やモナルキア派だけではなく、銀河連邦軍の人事権を握っていると周知されている彼が、仕立物とはいえ、地味なスーツ姿で護衛もつけずに単独行動をするなど本来ならば有り得ないのだが……。
現状彼の計画は極めて順調に推移しており、モナルキア派に名を連ねた高級士官の数は、銀河連邦軍所属全士官の実に七割を占めている。
また、ゲルトハルト・エンペラドルとクラウス・リューグナーの死によって空席となった軍令部総長、情報局局長のポストは言うに及ばず、これまでモナルキア派の勢力外だった各部署の重要ポストも根こそぎ掌中のものにしていた。
水蜜桃の様に甘い、権力という名の椅子に群がる亡者達……。
その破廉恥極まる醜態を思い出すだけでも気分が悪くなるが、悲願達成の為にも今は我慢しなければ……。
そうキャメロットは自分に言い聞かせた。
(本格的に行動を開始するには、まだ下準備が不充分だ……あと二年か三年は必要だが、サイモン・ヘレ……あの悪魔なら上手くやるだろう)
つい先程までホテルの一室で密会していた男との会談に彼の意識は飛んだ。
※※※
側近中の側近であるランデルやオルドーすら同行させなかったのは、眼前にいる男との関係を秘匿せねばならないからに他ならず、キャメロットの野望にあらゆる意味で必要不可欠な男……それが、サイモン・ヘレだった。
無造作に背に流された白色化した長髪と無数の皺が刻まれた顔は、とても五十歳を超えたばかりの男のものとは思えず、小柄な体躯に地味なスーツを纏った姿は、貧窮し、うらぶれている老人にしか見えない。
しかし、両の瞳には妖気と表現するに相応しい暗く澱んだ意志を滲ませており、その双眸は油断なくキャメロットを観察している。
「久しぶりだのう、ローラン! 八年……いやっ、十年ぶりか? それにしても、益々死んだウィルソンに似てきたのう?」
何が楽しいのか、然も愉快そうにヘレは嘯いて握手を求めたが、キャメロットはそれを無視して口を開く。
「死んだ人間を懐古する趣味を御持ちだとは知りませんでした……久闊を叙するのも吝かではありませんが、余り時間を掛けては、貴方も都合が悪いのではありませんか?」
表情も変えずに淡々と喋るキャメロットの言葉に苦笑いで応えたヘレは、両肩を竦めながら同意する。
「やれやれ……そういう面白味のない性格も父親そっくりだな……まあ良かろう。さっさと本題を片付けて、我々の大望の準備に取り掛かるとしようかの」
このサイモン・ヘレという男は、嘗て無人兵器開発の分野では、銀河系で五指に数えられる研究開発者だった。
親友であったウィルソン・キャメロット博士と共に連邦大学を舞台にして数々の研究成果を世に送り出し、広くその名声を銀河に轟かせていたのだ。
次々と有益な兵器を開発しては実用化していく実績に対し、彼らを称賛する声は弥が上にも高まっていった。
しかし、ある事件を切っ掛けにして彼らの名声は地に墜ち、一転して汚辱に塗れたのである。
『フォーリン・エンジェル・プロジェクト』
人間の脳を機構の一部に取り入れた、無人機専用ユニット開発プロジェクト。
その悪魔の御業の開発者として告発された彼らは、世間の厳しい非難に晒される中、破滅という名の坂道を転がり落ちる事になった。
内部告発したのは責任者のひとりであるウィルソン博士本人であり、非道な人体実験の中で良心の呵責に耐えられなくなった末の選択だったと言われている。
彼がGPO(銀河警察機構)に自首し、痛ましい事件の全容が白日の下に曝され、開発者や彼らを支援していた軍需産業体など、関係者の大半が逮捕され裁かれたのは不幸中の幸いだった。
しかし、プロジェクトを主導したヘレ博士は、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた捜査網を巧みに掻い潜って逃げ果せてしまい、その後の足取りは杳として知れなかったのである。
彼とは対照的に告発者のウィルソン博士は、日増しに高まる世情の非難と厳しい取り調べの中で獄死するという、救いようのない最後を迎えたのだった。
「ええ……それが賢明でしょう。軍内に私の直属の機関を発足させる段取りが整いました。貴方にはその中の一部門をお任せします……そして、即急に解明して戴きたい案件がこれです」
ヘレ博士の物言いを不快に思いながらも、キャメロットは淡々と状況を説明し、懐から取り出した紙の資料を差し出す。
軽く鼻を鳴らしてその紙を受け取った彼だったが、一読するなり皺だらけの顔を驚愕に歪ませる。
しかし、それは見る見るうちに喜色へと変化し、爛々と輝く双眸を、その資料に釘付けにして歓声を上げたのだ。
「こ、これはっ! あの悪名高きヴァルキューレXX999を瞬殺した正体不明の秘匿兵器ではないかっ!?」
「技術局のスタッフが総出で解析しましたが、ほぼ御手上げ状態です」
喰い入る様に資料に目を通すヘレ博士は唇を歪めて嘯いた。
「ふんっ! 体裁ばかりを気にする御用学者に何ができるものかっ! それで? この資料を私に見せた以上、何かしらの手掛かり位はあったのだろう?」
此方の手の内を見透かしたかの様なその物言いに、小さく吐息を吐いたキャメロットは情報を開示する。
「機構の彼方此方に、ファーレン王国でしか採取されない希少鉱石……《精霊石》が使われているのです」
◇◆◇◆◇
(あの男ならば理論の解析は容易かろう……その内容次第では、ランズベルグよりも先にファーレンを処理しなければならないかもしれないな)
国営の交通公団が運営するエアカーのシートに背を預け、今後のシナリオに思いを巡らせる。
そう遠くない内に、カルロス・モナルキア大元帥を擁する一大勢力が、銀河連邦そのものを掌握するのは確実な情勢だ。
そして、予定通りに決行されたグランローデン帝国の軍事クーデター。
これらの要素が複雑に絡み合った末に生まれる混沌とした未来にこそ、キャメロットが望む世界がある。
(それまでは、利用できるものは何でも利用する……譬えそれが唾棄すべき存在だったとしてもだ)
彼の心の深淵に澱む昏い闇は、その濃さを増していくばかりだった。
思考に空白が生まれたのとエアカーが徐々に減速を始めたのは同時で、車は本日最後の目的地である巨大な白亜の建物の正門を潜る。
ティベソウス王立病院。
最先端医療のフロントランナーとして、銀河連邦内で勇名を馳せている医療機関であり、各種研究施設も充実した医学の聖地と呼んでも過言ではない存在だ。
正面玄関に続く車寄せに停まったエアカーから降りたキャメロットは、軽く服装を正してから軽快な足取りで歩を進めた。
(さて……お姫様は御機嫌麗しいかな……)
そう心の中で呟いた彼の顔には、驚いた事に人前では見せない柔らかい微笑みが浮かんでいたのである。
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