第三十一話 再会~揺れる心~ ①
「まずは順調なスタートが切れたわね。次は惑星ヘンドラーか……まあ、“紅龍”のステルス能力は、建造時点での性能予測を大幅にクリアーしているから、問題なく潜入できるでしょう」
サクヤからの報告を受けた詩織は、ファーストミッションを無事に完遂できた事に安堵し、同時にイ号四○○潜の驚異的なステルス性能に興奮を隠せないでいた。
レーダー波を吸収する特殊塗装で覆われたイ号潜は、ランズベルグ皇国母星近辺を警戒するレーダー衛星やパトロール艦艇にも探知されず、まんまと防衛ラインを潜り抜けて見せたのだから、新米艦長の重責に耐えていた詩織が歓喜したのも無理はなかった。
現在“紅龍”は皇国を後にし、ロックモンド財閥の拠点でもある惑星ヘンドラーを目指して順調に航程を消化しており、幸先の良いスタートを切れたのも幸いして、艦内の雰囲気は頗る良かったのだが……。
※※※
「ふうっ……」
熱いミルクティーの芳醇な風味を堪能するユリアは、その愛らしい唇から微かな含み笑いを零す。
詩織やサクヤと一緒に就寝前のティータイムを楽しみながらも、彼女は出発前の些細な騒動を思い出して、とても幸せな気分に浸っていた。
その些細な騒動とは……。
仕方がない事とはいえ、頻繁に航海に同行させられるユリアの身を案じたクレアが、今回の任務に対して異議を唱えたのだ。
『この娘は都合の良い道具ではないのですよ? ユリアにはユリアの人生があるのです……超常の力があるからといって頼りにするのは間違っています!』
柳眉を吊り上げて達也に食って掛かるクレアの想いが嬉しくて、自分はこんなにも大切にされているのだと、ユリアは心温まる気分だった。
家族に愛して貰える……。
それが如何に幸せで尊いものかを知る少女は、その喜びを噛み締め、自分を慈しんでくれる母親に改めて深い感謝の念を懐くのだった。
しかし、そんな心地良い想いに浸っていたユリアは、耳に飛び込んで来た言葉で現実へと引き戻されてしまう。
「ロックモンド総帥と面識があると言っていたけれど、何処で知り合ったの?」
何の前触れもなくそう詩織に問われたのだが、それは彼女にとっては触れられたくないものであり、眉間に皺が寄るのを自覚せざるを得なかった。
しかし、それは話を振ってきた詩織が悪いわけではないし、彼女に対し含む所などユリアにある筈もない。
ならば、何が少女の気分を害したのかというと……。
その問いの中に図々しくも登場して名指しされた人物こそが諸悪の根源であり、彼女を不快にさせる原因そのものだったからだ。
(顔を思い浮かべただけで、これほど不愉快にさせてくれるなんて……あの単細胞生物めっ!)
グランローデン帝国皇帝に面会する旅の途上で出逢った銀河系最大企業連合体の盟主でもあり、僅か十五歳にして天才実業家の名を欲しいままにする少年こそが、ジュリアン・ロックモンドその人だ。
だが、ユリアにとっては生意気で鼻持ちならない勘違い男でしかなく、寧ろ天敵に等しい存在だとさえ思っていた。
しかし、煩わしく思いながらも、嫌っている訳ではないという複雑な心情を持て余しているのも事実なのだ。
(まあ……多少は真面な気概は持っていたけれど……でも、思い上がりも甚だしいとは、あの男の為にある言葉だわっ!)
僅かばかりの時間を共にした事で彼の生い立ちや苦衷を知り、甚だ不本意ながらも、外見からは窺い知れない真摯な生き様に好感を懐いたのは確かだ。
しかし、現在ユリアの中でジュリアンに対する評価は大暴落した儘だった。
(な、何が、『結婚を前提にしたお付き合いをさせて下さい!』よっ!? 然も、選りにも選って、それをお父さまの前で口にするなんてぇぇッ!)
別れ際にジュリアンが放った突拍子もない交際宣言を思い出したユリアは、自分でも気付かない内に顔を朱色に染めてしまう。
それは怒り故か、はたまた照れているのか……。
兎にも角にも質問者である詩織を放置した儘の少女は眉根を寄せるや、こめかみの辺りを人差し指で解し始めた。
さっぱり事情が分からない詩織とサクヤは、普段とは別人の様なユリアの様子を怪訝な表情で見守るしかない。
(でも、きっと大丈夫……お父さまには口止めしたし、誰にも知られたりする筈がないわ。でも、あっ、あんな事……あんな恥ずかしい事をクレアお母さまに知られでもしたらっ!?)
完全に自分の世界にトリップしているユリアは、最悪の未来予想図に戦き身悶えしながら、顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。
楚々とした彼女らしくもない変貌ぶりを心配したサクヤが、不穏な雰囲気を執り成そうと、極めて無邪気なフォローを口にしたのだが、それは、ユリアの精神を混沌の底に叩き落とすに等しい悪手だった。
「そう言えば、私もクレア姉さまと一緒に面会して色々と御話をさせて頂きましたが、年若いにも拘わらず情熱的な方でしたね……去り際に『何れはお義母様と呼ばせて戴くのだから、ジュリアンと呼び捨てにして下さい』と姉さまに詰め寄って。傍で聞いていた私の方が照れてしまったのを覚えています」
サクヤが洩らした秘話に反応した詩織が、興味津々といった風情で追撃を浴びせようとしたのだが……。
「ひいっ!!」
やや俯き加減で黙り込んでしまったユリアに声を掛けようと顔を寄せた詩織は、掠れた悲鳴を喉の奥から漏らすや、全力で飛び退いてしまった。
ほんのりと桜色に染まっていたユリアの顔からは一切の色素が抜け落ち、白磁の陶器の如き呈を為している。
然も、全身からは強烈な怒りの思念波が駄々洩れになっており、それに当てられたサクヤも、詩織同様に顔を引き攣らせて口を噤むしかなかった。
そして、心許せる彼女たちの存在さえ意識の片隅から抹消した元帝国十八姫は、怒り渦巻く感情の儘、その口元を邪悪に歪めて嘯いたのだ。
「ふっ……そうですかぁ……単細胞生物の分際で『お義母様』と口にした挙句に、汚らしい名前を呼べと強要したのですね……ゾウリムシ如きが、何と大それた思い上がりを……既成事実を作ってお母さまを丸め込もうという浅ましい魂胆ッ!! どうやら命が惜しくはないようですね……いいでしょう。望み通り叩き潰してあげるわ! 楽しみにしていなさい、ジュリアン! ふふっ、うふふふ……」
不穏な空気を纏って哄笑するユリアを、詩織とサクヤは抱き合ったまま見つめるしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「あぁ。それで構わないよ……輸送対象は我がグループの事業に関係する物だけだと連邦運輸局に答申するように。承認され次第暫時稼働させるから、そのつもりでいてくれ」
執務机に置かれた大型の情報端末経由で担当重役から報告を受けたジュリアンは、通話状態が解除されたのを確認してから立ち上がった。
厚さ十㎝はある硬質ガラスの向こう側には、無数の星々の輝きを散りばめた様な都市部のイルミネーションが鮮やかに輝いている。
しかし、惑星ヘンドラー自慢の夜景を以てしても、重く沈んだ彼の心を浮揚させる事はできなかった。
(あれからもう一か月が経過してしまった……ユリア、君は今何処でどうしているんだい……)
当初の計画通り、白銀達也を支援する体制は着実に整いつつある。
経済人の彼から見ても現在の銀河連邦評議会の雲行きは怪しいものであり、今後不測の事態が勃発する可能性は極めて高いと言わざるを得ない。
だが、台頭が予想される邪な勢力に対抗する旗頭が消息不明では、全ての準備が水泡に帰する最悪のシナリオも覚悟しなければならず、財閥の総力を挙げて行方を捜索してはいるが、その痕跡すら掴めないのが現状の全てだった。
その旗頭とは白銀達也に他ならず、その生死が銀河系の未来を左右すると言っても過言ではない、とジュリアンは思い詰めているのだ。
しかし、何よりも彼を悄然とさせているのは、想いを寄せている少女の行方が、杳として知れないという一点に尽きる。
見た目は幼い容姿でありながらも、凛然とした雰囲気を纏った少女に出逢って早々に心惹かれてしまった。
所謂一目惚れという奴だ。
辛辣な物言いでズケズケと遠慮なく説教をしたかと思えば、微笑みと共に優しい言葉で慰めてもくれた女性。
配下の者たちに造反されて絶体絶命の危険に晒された時も、超常的な力で窮地を救って貰った……。
そんな彼女の生い立ちと境遇を聞かされた時、この娘は僕が一生を懸けて護るのだと柄にもなく心に誓った程の女性……それがユリアだ。
彼女が死ぬはずがない……必ず生きている……。
そう信じてはいても、手掛かりひとつ掴めない現状では無為に時間だけが過ぎて行き、大丈夫だと自分に言い聞かせる度に不安という名の悪魔が囁いて、彼の心を搔き乱すのだ。
『何もかも無駄さ。彼女もとっくに死んでいるし、全てが水の泡になるのだよ』
そんな幻聴を追い出すかの様に頭を振った時だった。
「財閥総帥なんて随分と暇な商売みたいね? 夜景を眺めながら感傷に耽られるなんて、本当に羨ましい限りだわ」
何処か刺々しい言葉で背中を叩かれたジュリアンは、その懐かしい声音に意識をぶん殴られて弾かれたように振り向いていた。
そして、視線の先に恋い焦がれて再会を願ったユリアを捉えた彼は、茫然自失の体で立ち尽くしてしまう。
一方のユリアは酷く腹を立てていた。
勿論、それは憎しみや怨嗟が介在するものではなく、敬愛する父母に対する無礼な行為によって、恥ずかしい思いをさせられた事に対する純粋な憤り……。
所謂、照れ隠しに他ならない。
しかし、その感情を本人が自覚できない儘に持て余しているのだから、尚更性質が悪いと言える。
(この単細胞生物めぇぇッ! お父さまの前で交際宣言しただけでは飽き足らず、お母さまにまで無礼を働くなんてッ! 絶対に許さないんだからッ!)
「これだけはハッキリさせておき──っ!? ひいぃぁ???」
勢い込んで怒りを込めた文句を叩きつけようとした刹那、ユリアは不意打ち同然に抱き締められてしまい、吃驚して可愛らしくも間抜けな悲鳴を上げてしまう。
瞬間移動宛らの勢いで急接近して来たジュリアンに、正面から抱きすくめられていると知ったのは、たっぷり五秒は経過した後だった。
「なっ、なっ、何をするのよッ! ち、ちょっと、放しなさいっ! 放しなさいったらぁ──!!」
慌てて抵抗するものの、比較的小柄とは言えジュリアンも男の子である。
男の両腕で抱き締められれば、ユリアにその逞しい腕から逃れる術はない。
一瞬で全身を貫いた羞恥に煽られ、顔を真っ赤に染めて藻掻いた時だった。
「よ、良かった……生きていてくれた……生きて……生きていて……」
明らかに湿り気を帯びた涙声……。
然も途切れ途切れに漏れ落ちる安堵を含んだ同じ言葉……。
それは彼の想いの深さと歓喜の全てが込められたものに他ならず、その感極まった想いに耳朶を打たれたユリアは罵声を呑み込むしかなかった。
(しっ、心配してくれていたの? 私なんかを?)
身体を接しているジュリアンからは、一途に自分のことを案じていてくれていたであろう想いが伝わって来る。
それは、クレアや家族から惜しみなく注がれる愛情と何ら変わるものではない。
そう思い至った瞬間、それまで懐いていた憤りも何もかもが雲散霧消し、ユリアは彼の抱擁を受け入れていた。
「馬鹿ね……私が死ぬ筈がないじゃない。お父さまが護って下さっているのよ? 神将の称号は伊達ではないんですからね」
そう答えながら、ユリアは彼の背に自分の細腕を廻して優しく抱き返す。
「あっ、あぁ……そうだったね……でも不安で堪らなかったんだ。部下達の前では平静を装っていたが、もう二度と逢えないんじゃないかと気が気じゃなかった……でも良かった、君が無事で本当に良かった」
その切ない言葉に胸を衝かれたユリアも熱い想いに絆され、彼の背に廻した腕に力を込めた。
しかしながら、ふたりを包み込んだ甘い雰囲気は、傍観者の介入によって一瞬で粉々にされてしまう。
「あのぉ~~盛り上がっている所を恐縮なのですが……余り時間もありませんし、そろそろ本題に入らせて戴いて宜しいでしょうか?」
咳払いひとつで彼らの注意を現実に引き戻したサクヤが、如何にも申しわけなさそうに、そして遠慮がちに声を掛けたのだ。
その声で我に返ったユリアは……。
「ひいっ! い、いやあぁぁ──ッ! 何をするのっ! この単細胞生物ぅっ!」
あられもない悲鳴を上げるや否や、顔を上げたジュリアンの頬を思いっきり引っ叩いたのである。




