第二十九話 流転する世界 ②
(俗物共め……高が軍と評議会を掌握しただけで、既に天下を獲った気で浮かれるとはな……何とも御目出度い連中だ)
微動だにしない表情の裏で盛大に毒を吐いたキャメロットは、己の執務室に戻るなり持っていた情報端末をデスクの上に乱暴に放り投げた。
倹しいながらも酒席が用意された幹部会は宴会宛らの盛り上がりを見せたのだが、その低俗な狂態には吐き気すらするというのが正直なところだ。
忍耐の限界を迎える前に退席を許可されたから良かったものの、あの場にい続けていたら、苛立ちを抑えられなかっただろう……。
キャメロットは、そう嘆息する他はなかったのである。
「お帰りなさいませ、キャメロット様」
腹心の配下二名が質素な来客用の長ソファーから立ち上がり、彼らの真の盟主を敬礼を以て出迎えた。
その内の一人はニクス・ランデル中佐。
バラディース追撃任務の指揮を執り、彼の船が異次元に呑み込まれるのを確認した男だ。
もう一人はレクト・オルドー大尉。
童顔故に若く見られがちだが、二十代後半の鼻筋の通った美丈夫である。
この者達はキャメロットの配下の中でも特に優秀な腹心であり、彼の右腕と評しても過言ではない存在だ。
その二人が秘かに盟主の執務室に参集しているのは、早急に片付けるべき問題を相談する為だった。
「その御様子では、呑気な御老人方は相変わらずのようですね」
「まあ……あそこまで己の欲望に忠実な俗物たちも珍しいが……一緒にいて気分の良いものではありませんからね」
ソファーに腰を下ろしたキャメロットの微妙な表情から、主の不快を読み取ったランデルが苦笑いを浮かべれば、オルドーも肩を竦めて追随する。
「報告を聞かせて貰おうか……」
その短い言葉から伝わって来る憤りを察したランデルは表情を改めて姿勢を正すや、先の戦闘後に行われた調査の詳細を語った。
「都市型移民船バラディースが、次元崩壊に巻き込まれて消息を絶った件ですが、周辺宙域を徹底的に調査致しました結果、新しい発見は何もありませんでした」
彼自身、目の前で彼のバラディースが成す術も無く次元の狭間に呑まれて行くのを目撃しており、念を入れての再調査を命じられた時には些か慎重に過ぎないかとも思ったが、命令とあれば是非もない。
だが、それは白銀達也の死を再確認しただけで終わり、徒労に等しい任務だったと言っても過言ではなかった。
「念のために、エスペランサ星系にも調査艦隊を派遣しましたが、複数のブラックホールの影響が拮抗している為か星域内の星間物質の乱流が酷く、艦船の航行にも支障が出る有り様ですし、各惑星も生物が生息できる環境にはありません。これで白銀達也の死は確定した……そう判断して差し支えないのではありませんか?」
ランデルの控え目な物言いにキャメロットは眉根を寄せて瞑目する。
その彼の所作が、白銀達也という男にたいする最大の敬意に他ならないと察した腹心達は、表情にこそ出さなかったものの、苦々しいまでの嫉妬を覚えずにはいられなかった。
そんな彼らの心中を知ってか知らずか、キャメロットは静かに双眸を開いて腹心の言を受け入れたのである。
「いいだろう……無為に立ち止まっている時間はない……この件はこれで終わりにしよう。戦場から持ち帰った例のサンプルはどうなっている?」
その問いに緊張の色を濃くしたオルドーは躊躇いがちに報告した。
「最高評議会の息が掛かった技術開発局は避けて、軍政部が資金援助しております研究所に極秘の裡に運び込んで調査しておりますが……」
ヒルデガルド・ファーレンが開発したと目される近接迎撃兵器を偶然にも無傷で鹵獲した張本人のランデルが、その何処か歯切れの悪い盟友の物言いを怪訝に思い単刀直入に問う。
「何か不味い事でもあったのか?」
「いや……不味いどころの話じゃないんだ。あれは彼らの手に余る代物だというの分かってきてな……解析を手掛けた科学者たちが揃いも揃って大いに悩乱している有り様なのさ」
その溜息交じりの言葉にはランデルも驚倒を禁じ得なかった。
「世間には秘匿されているあの研究所に名を連ねている連中は、各分野の第一人者ばかりだぞ……その彼らが持て余す程の代物だったのか?」
「誇張でも何でもない……事実だよ、ニクス。超小型のグラビティキャンセラーを搭載しており、高性能の小型スラスターと貫通性の高いビーム兵器を満載……あのコンパクトなボディーにこれらを収める技術だけでも驚倒に値するそうだが、無いんだよ……」
怪談話でも始めそうな親友の物言いに、ランデルは眉を顰めて嫌そうな顔をせざるを得ない。
そんな彼には構う余裕もないのか、オルドーは眼前で拝むように合わせた両手を口元に添えて言葉を続けた。
「無人兵器であるにも拘わらず、それらの機能を遠隔操作するためのシステムが、一切搭載されていないそうなんだ……」
流石にこの言葉にはキャメロットも驚きを隠せなかったようで、珍しく話の途中で口を挿んだ。
「では一体どうやって、あの【黒衣の未亡人】を瞬殺せしめた、驚異的な対空迎撃能力を実現せしめたというのかね?」
バイナ共和国戦に於いて、猛威を奮った無人兵器ヴァルキューレⅩ999を容易く葬って見せた白銀艦隊の秘匿兵器。
終戦後銀河連邦軍はその性能の開示を要請したが、開発者であるヒルデガルドの断固たる拒絶の前に、詮索を断念するしかなかった曰くつきの代物だ。
そのキャメロットからの質問への答えをオルドーは持ち合わせていなかったし、抑々が解析に当たった科学者たちの誰一人として正答を導きせなかったのだから、彼を責めるのは酷だと言わざるを得ないだろう。
然もあのシステムが、たったひとりの少女の異能を十全に発揮させる為の物だと推察しろというのは無体であるし、その真実を看破して同じ物を生み出せというに至っては、夢物語だと断ずるしかなかった。
譬え、各分野の第一人者とはいえ、ヒルデガルド・ファーレンに比肩する者など銀河系には唯の一人も存在しないのだから……。
しかし、全く手掛かりがない訳ではなかった。
「それは今後の調査を待たなければ何とも……現状で辛うじて判明しているのは、システム制御の中核を為す部分に、ある貴石を製錬した物質がふんだんに使用されているという調査結果だけであります」
「ある貴石? おいレクト、勿体ぶらずにはっきり言えよ!?」
焦らされるのが嫌いなランデルが急かすと、オルドーは両肩を竦めて忌々しそうな顔でとある名を口にした。
「精霊石……ファーレン王国でしか、その存在が確認されていない希少鉱石さ」
情報の開示を拒んだ当人の出身国であり、七聖国の一柱でもあるファーレン王国の名に側近らが忌避感を示すのは無理もなかった。
だが、この符号の一致には何かがあると直感で悟ったキャメロットは、その根拠を詳らかにするべく新たな命令を下す。
「ファーレンか……どのみち、我々の大望の為には邪魔な存在であることに違いはない……科学者達にその精霊石の能力の解明を急ぐように伝えよ。モナルキア派の重鎮共には知られぬようにな……」
その盟主の言葉に執念にも似た強い決意が滲んでいるのを察した二人は、恭しく頭を垂れた。
キャメロットは一度だけ軽く頷くと、別の懸案事項に意識を切り替える。
「情報局のリューグナー少将はついては?」
曖昧なその問い掛けに頷いたランデルは、この場にいる三人以外の誰に聞かれる訳でもないのに声を潜めた。
「取り立てて怪しい動きはありませんが……正直なところ、あの男がなにを考えているのかは……直属の部下とも深い付き合いはしておらず、友人と呼べる様な者も確認できませんでした」
何と言っても情報局局長クラウス・リューグナー少将は、今回の陰謀劇の一翼を担った存在と言っても過言ではない。
【グレイ・フォックス】の異名に恥じない鮮やかな手管で情報戦を制し、銀河連邦評議会と地球統合政府を手玉にとった手腕がなかったら、キャメロットらの計画もここまで円滑には進まなかっただろう。
本来ならば、優秀な人材を得て万々歳だと喜ぶべきなのだが……。
「近いうちに彼は不幸な事故に遭うかもしれないね……世の中には、思い掛けない災難など何処にでも転がっている……そうだろう?」
抑揚のない酷く冷淡な盟主の言葉だったが、然して驚いた様子も見せないふたりは再度頭を垂れ、キャメロットの意に沿うべく行動を開始するのだった。
◇◆◇◆◇
(全く……世の中という物は儘ならないものですねぇ)
情報局局長クラウス・リューグナー少将は、部下からの報告に目を通しながら、小さな溜め息を零した。
彼の手元の情報端末に羅列されているのは、ランズベルグ皇国や地球統合政府の事件後の動向と、その内情を探らせた調査データーだ。
白銀達也とゲルトハルト・エンペラドルの両名が不慮の死を遂げて一ヶ月。
『両政府や軍部の動きを見る限り、両名の死は確定的と判断せざるを得ない』
複数の情報員からの報告は総じて変わり映えのしないものばかりであり、然しものグレイフォックスも落胆せずにはいられなかった。
(とんだ買い被りでしたかねぇ……白銀達也。貴方になら……子供を……あの娘を託しても大丈夫だと思ったのですが……)
刹那の間に脳裏を掠めた未練を振り払ったクラウスは、端末のデーターをすべて消去してから立ち上がる。
短命種同士が互いに喰いあう様など滑稽以外の何物でもないし、関心を示すにも値しない……長命種の彼は、そう信じて疑ってはいなかった。
今回の闘争で誰が勝ったとしても、手に入れた権力と栄華を未来永劫維持する事など誰にもできる筈がないのだから。
「所詮は泡沫の夢……儚いものですねぇ……人の世というものは……」
千年の時を生きるファーレン人の彼にとって、砂上の楼閣が如き幻想に妄執する短命種の行為など到底理解できないし、その必要もないとずっと信じてきた。
だが、半ば諦めていた我が子という存在を得てからは、その考えが変わったのを不本意ながらも認めざるを得ない。
神の悪戯か悪魔の御業なのか……嘗て任務を遂行するための手段として利用したクレア・ローズバンクとの間に誕生した女の子。
繁殖力が弱いという宿命を背負う長命種にとって、我が子が如何に尊く掛け替えのない存在であるか……クラウスは初めてその意味を知って歓喜したのだ。
同時に、長年連れ添った妻に懐いた後ろめたさに懊悩しながらも、それを悟られまいと振る舞うのに気疲れする日々を送ってもいる。
(しかし、それもあの娘の死と共に終わりです……一度も抱く機会はありませんでしたが……その方が良かったのかも知れませんねぇ)
最後に白銀達也に会ったのは、彼らがグランローデン帝国皇帝との面会に向かう直前だった。
その時に報酬代わりに要求していたさくらの3Dホログラムを受け取ったのだが、後日になって別の新作を手に入れたのである。
皮肉な事にクラウスが統合政府に対する工作のために地球に出向いている間に、律儀にも情報局宛てにGPO経由で届けられており、第一級の秘匿情報扱いされていたのには驚かされてしまった。
その時は、達也なりに気を使ってくれたのだと好意的に解釈したのだが……。
「しかし、其れも此れも、死んでしまえばやはり泡沫の夢ですねぇ……どうも私は彼が言う所の縁というものには恵まれていないのかもしれませんねぇ……」
クラウスは最後に瞑目するや、ファーレンに古から伝わる弔いの言葉を呟く。
それは彼がいつも行う、未練と決別する為の儀式だった。




