第二十二話 逝く者と遺されし者達 ①
「敵護衛艦隊二群。減速したものの、尚も接近中! それぞれ四時方向と七時方向より、各二隻ずつが肉薄してきます! 味方の砲撃で八隻は脱落した模様ですが、止めを刺すには至っておりません」
「敵艦砲火によるバラディースの被害は軽微。しかし、現状のまま戦況が推移した場合。シールドジェネレーターのリミッターが作動する可能性があります!」
矢継ぎ早の報告に耳朶を打たれるラインハルトは、眉ひとつ動かさず刻々と変化する戦況に対処し続けている。
「脱落した敵艦を深追いする必要はない。リスクを冒した挙句、敵と刺し違える様な真似はするなと各艦に徹底させろ。そして、動力と生命維持装置へのエネルギー分配を維持して民間人の生命を優先的に守るべく配慮せよ」
戦闘と同時に始まった決死の逃避行も既に三時間に及んでおり、当初三隻だった敵親衛艦隊も、彼らが呼び寄せた別動隊九隻が順次参戦し、熾烈な追撃戦を仕掛けて来ていた。
一方で防戦側のバラディースだが、三隻の随伴護衛艦とラルフ率いる二十五機の航空戦隊の連携が功を奏し、八隻の敵艦に深手を与え脱落させており、多勢に対し一歩も引かずに善戦している。
しかしながら、味方も無傷という訳にはいかない。
イェーガーが直接指揮する艦はほぼ無傷だが、残り二隻は敵の砲撃によって損傷を受けているし、攻撃のため敵艦に肉薄しなければならないティルファング隊も、対空火器による濃密な弾幕に晒されて無傷な機体は殆んどなかった。
(兵装を追加したとはいえ、ビーム砲にエネルギーを割けば、必然的にシールドの強度に問題が生じる……とはいっても、精鋭の親衛艦隊相手では、本艦の主砲など豆鉄砲同然……ものの役にも立ちはしない)
胸の中で騒めく焦燥を顔に出さない様に努めながらも、最良の方策を模索せんとするラインハルトの苦境は続く。
(敵本隊に遭遇する前に残り四隻を振り切り、この宙域を離脱するのが最善手なのだが……味方の損耗状況では厳しいか……)
思わず出そうになる溜息を呑み込んだのと、メインブリッジのドアが開いて一人の女性士官が足早に入室して来たのは同時だった。
バラディースは基本的に移民船であり、一般的軍用艦とは異なって航海指揮艦橋と戦闘指揮艦橋は分離されておらず統一されている。
しかし、形式上は軍艦である以上、ブリッジ要員でない者が戦闘中に無闇矢鱈と出入りして良いものではないのは当然だ。
だが、今は非常事態の最中でもあり、白銀艦隊乗員が纏う紅の軍服に身を包んだ遠藤志保は、状況報告の任を果すべく慣例を無視してラインハルトに歩み寄った。
彼女の待遇については、残念ながら当主である達也が不在の為に判断が保留されており、正規の軍属ではなく善意の協力者と認識されている。
しかし、その立ち居振る舞いには実戦経験者の面目躍如たるものがあり、不利な戦況にも動揺した素振りもなく、艦橋の面々にも違和感は懐かせなかった。
「閣下。御指示の通り民間人の退避が完了しました。全員脱出カプセルにて待機しています……ただ、パニックによる無用な混乱を避ける為、十五歳以下の子供達にはコールドスリープを施しました……事後報告になるのを許して欲しいと、アルエット・イェーガー様からの伝言を御預かりしております」
普段の飄々とした軽薄な雰囲気は微塵もなく、志保は粛々と報告を終えた。
ラインハルトは満足そうに頷き、彼女に視線を向けて新たな要望を伝える。
「身分保障も明確でない貴女にサポートを御願いするのは恐縮だが、差し支えなければ、此の儘ブリッジ勤務を手伝っては貰えないかな? 人手不足でオペレーターが足りなくてね」
「はっ! 喜んでお手伝いさせて戴きます」
即答する志保の表情に軍人の覚悟を見て取った彼は、感謝の意を込めて目礼し、その厚意に応えた。
「席はクレア少将の隣。航空隊のオペレートをお願いします。我儘な連中ですから言う事を聞かなければ、怒鳴りつけてくれて構いませんので」
爽やかな笑みを浮かべた司令官にそう言われ思わず破顔した志保は、明るい声で物騒な台詞を宣い、周囲の面々を苦笑いさせる。
「私に反抗すればどんな目に遭うか、彼らは骨の髄まで熟知しておりますので逆らったりはしないでしょう……そうそう、閣下も是非とも格闘術の訓練に参加なさいませんか? 肉弾戦に不慣れなパイロット達では私のフラストレーションが溜まる一方で……」
期待に顔を綻ばせる彼女から視線を外したラインハルトは、自らを地獄に誘うであろう悪魔の誘惑を聞かなかった事として脳内処理するのだった。
◇◆◇◆◇
一方、ラルフ率いるティルファング隊は、個々のパイロットが類稀なる技量を遺憾なく発揮し善戦を続けていた。
「遠慮するなっ! たらふく喰らえぇッ!」
敵護衛艦の熾烈な対空砲火を掻い潜ったラルフは、敵右舷後部の動力部に狙いを絞りミサイルの残弾全てを叩き込んだ。
卓越したスラスター操作で機体を反転降下させ、爆発による損害で大きく傾いだ敵艦を回避する。
戦力比と搭載火器の脆弱な威力が災いして大破撃沈には至らないものの、今は敵艦の航行能力を喪失させられれば上出来だと割り切るしかない。
(幸い撃墜された味方機はいないが……被弾していない奴もいないか……)
流石は銀河連邦宇宙軍の精鋭艦隊だけあって、艦の防御力も対空砲火の苛烈さも此れまで経験した敵の比ではなかった。
それでも戦局を圧倒しているのは、傭兵団でも腕っこきだった仲間達の個人技に頼る所が大きく、そんな中でも群を抜く技量を誇るアイラの活躍は目を瞠るものがある。
事実、一人で二隻の敵護衛艦を戦闘不能に追い込んだという事実が、彼女の実力が本物なのを如実に物語っていた。
『よしッ! 三隻めッ! 頂き──ッッ!!』
レシーバーに入って来るお転婆娘の歓声を聞いたラルフは、指揮官として喜びを覚えながらも、父親としては酷く複雑な気分にならざるを得ない。
(あいつ……自分が女だって事を忘れてないか? まさか此のまま結婚もしないで、戦闘機乗りを続ける気じゃないだろうな?)
そんな戦場にはそぐわない心配をしているうちに、他の敵残存艦もイェーガーが指揮する味方護衛艦の砲撃で沈黙し、戦場に束の間の静寂が生まれた。
「全機に告げる。直ちにバラディースに帰艦し各自補給を急げっ!」
全員が奮戦して稼いだ貴重な時間だからこそ、一秒たりとも無駄にはできない。
全艦で緊急転移し戦場を離脱するのが最善手だが、それが叶わないのであれば、次戦に備えて応急修理と補給を迅速に終えておく必要がある。
だが、戦場を俯瞰する戦神はひどく気紛れであり、彼らを更なる窮地に導くかのように運命の天秤を傾けた。
『ティルファング隊へッ! 重力振を探知した! 至近距離に転移して来る艦隊があります! 厳に警戒されたしッ!』
色濃い緊張を含んだクレアの声がレシーバーを震わせた瞬間、バラディース左舷九時方向に眩い光芒を煌めかせ、多数の戦闘艦艇が次々とその姿を現す。
シルフィードと同型艦の弩級戦艦一隻を含む総数二百隻を擁する、銀河連邦宇宙軍親衛艦隊の本隊が満を持して戦場に着陣したのだ。
軍令部が統括する親衛艦隊は、アスピディスケ・ベースの直衛が主たる任務であり、基地航空隊の完全支援が得られるため航宙母艦は配備されていない。
しかし、所属する十隻の戦艦クラスの艦艇には、それぞれ十機程度の直掩戦闘機が搭載されており、この時も転移アウトと同時に総数五十機にも上る有人機が戦場に解き放たれたのである。
「残弾がある奴は各自迎撃せよっ! それ以外は急いで補給を済ませろっ!」
最低限度の命令を下したラルフは、バラディースに機首を向けて突撃する敵機群の横腹目掛けて猛然と躍り掛かった。
チラリと周囲を見た限りでは、アイラ以下十機ほどが付き従っていると思ったが、のんびり確認している余裕はない。
(帰艦した連中が再出撃するまでの時間を稼がないとッ!)
ラルフは一機、また一機と敵を屠りながらも、込み上げて来る焦燥感に歯噛みする思いだった。
撃ち洩らした敵機がバラディースに取り付いた為に、その迎撃に労力を取られて明らかに艦の速度が落ちている。
(この儘では、直ぐに敵本隊に捕捉されて集中砲火を受けてしまうぞっ!)
逼迫した窮状を打破しようと次々に敵を撃墜したが、頼みの綱の残弾が底を尽いて防戦する手段を失ってしまう。
「こちらアサルトリーダー! 残弾が尽きた。補給に戻るが、用意するのは機銃弾だけでいいっ! それから、給弾が終わった機体からさっさと再出撃させろっ!」
舌打ちし大喝した彼の視界が逃げる敵機に追い縋る真紅のティルファングを捉えたが、同時にその機体目掛けて死角から猛追して来る敵機の存在にも気付いた。
「馬鹿野郎──ッッ!!」
警告を発する暇はない。
直感的にそう判断した彼は双発のエンジンをありったけ吹かすや、増速した己の機体を急旋回させてアイラ機と敵機の間に割り込ませる。
娘が駆る機体から放たれた銃弾が追尾中の敵を屠ったのと同時に、彼女を庇ったラルフの機体を敵の凶弾が容赦なく貫いた。
「ぐうぁぁッッ!!」
激しい衝撃に機体が震え、同時に焼けつくような激痛に襲われたラルフは、堪え切れずに苦悶の声を漏らしてしまう。
敵の銃弾はエンジン部から機体中央部に集中したらしく、愛機が致命的な損害を受けたのは容易に理解できた。
辛うじて自動消火装置が作動したお蔭で炎上爆発こそ免れたものの、機体の各部位やシステムの異常を知らせる警報がコックピット内で大合唱されており、まさに絶体絶命だと自覚せざるを得ない状況だ。
安定性を失い、何時コントロールを失ってもおかしくない愛機。
あまつさえ、被弾した際にコックピット内を跳ねまわった無数の破片によって、身体にも相当なダメージを負ったようだとラルフは自己分析する。
もはや、完全に戦闘力を失ったのだと悟った彼は、不思議な程に凪いだ心中で呟いた。
(痛みを感じないってのは重傷ってことか……ふっふふ……余命短いパイロットと弾なしでボロボロのポンコツ機体……これで何ができるのか、奴らに見せてやろうか……なあ、レックス!)
「とっ、父さんっ!? 父さあぁぁぁぁんッッ!」
悲痛な絶叫を振り絞るアイラの声も、朦朧とし始めた今の彼には届かない。
脳裏に浮かんだ今は亡き盟友の懐かしい面影が、このまま黄泉路を導いてくれる……そんな甘美な幻想に身を任せたいと渇望するラルフ。
しかし、歴戦の戦隊指揮官たる彼はそんな誘惑を意志の力で捻じ伏せ、最後まで自分が戦士である事をやめようとはしない。
だから、自分に残された全てを燃やし尽くしてでも、戦闘機乗りとして恥じない最期を飾りたい……。
そう決断したのである。




