第二十話 決別 ②
「話にもなりませんね。自衛のために已む無く応戦しただけだと、部下から報告を受けております。寧ろ、責められて然るべきは、仰々しい人型機動兵器まで持ち出した其方なのではありませんかな?」
ブリッジに到着したクレアが目にしたのは、飄々とした態度のイェーガーが、地球統合軍の方面司令官を相手に交渉している光景だった。
敬礼を以て出迎えてくれた各担当部署の士官達に答礼したクレアは、ラインハルトに歩み寄り声を潜めて訊ねる。
「遅くなりました……先方は随分と荒れていますわね?」
「御覧の通りですよ。尤も、あの程度ではイェーガー閣下の顔色ひとつ変えられないでしょうがね」
交渉している二人の余りに対照的な様子を目の当たりにしたクレアは、ラインハルトの見解に納得して頷くしかなかった。
余裕のあるイェーガーとは対照的な統合軍司令官は、自らの方に負い目があるのを理解しているからか、論理だてた会話などできずに居丈高に振る舞うばかりだ。
おまけに何を勘違いしたのか、尊大な物言いで事件当時者の引き渡しを要求するのみなのだから、一向に埒が明かない事態となっている。
「それは已むを得ないだろう! 貴軍の装備の危険度を鑑みれば、当然の自衛措置だッ! 兎に角。我が地球統合軍としては、遠藤志保中尉と、我が軍兵士に多大な損害を与えた犯人の引き渡しを要求せざるを得ない!」
「自衛措置とは恐れ入りますな。そもそも、当方で開発中の新装備を貴軍上層部が欲して強引な手段に打って出た……それが、根本的な原因でありましょう?」
「なっ、何をいわれるかッ!? 如何に知己の間柄とはいえ、他軍の士官に新兵器の評価試験を依頼するなど、非常識極まる行為だと非難されても仕方がない暴挙であろうッ!?」
声を荒げて反論する将官とは裏腹に、肩を竦めながら何度も頷くイェーガーは、その余裕の態度を崩さずに意地の悪い笑みを浮かべた。
「確かに非常識ではありましょうが……遠藤中尉に依頼した相手はヒルデガルド・ファーレン殿下ですぞ? 七聖国の一柱ファーレン王国の次期女王候補に軍関係の常識が通用するか否か……難しい所ですなぁ」
イェーガーの何処か人を喰った物言いが癇に障ったのか、統合軍将校が更に言い募ろうとしたのを、堪りかねて飛び出したクレアが遮る。
「御話の途中に言を差し挿む無礼をお許しください。私は白銀達也の妻でクレアと申します……白銀家最高顧問であるヒルデガルド殿下考案の装備を遠藤志保中尉に貸し出し、評価試験を依頼したのは確かに当方の落ち度でした」
「おぉぉッ! 貴女が……そう御理解頂けるのであれば、当方としても必要以上に事を荒立てる気はないのです! しかしながら、今回の要求は最低限度のケジメとして必要であります。どうか御承服戴きたい!」
クレアが地球人であり、ほんの二ケ月前までは統合軍軍人だったのは事前情報として把握しており、手強い交渉相手に代わって組し易そうな彼女がしゃしゃり出て来た状況に、司令官は好機到来と内心でほくそ笑んだのだが……。
「その要求には応じかねます」
言下に要求を切り捨てられて嚇怒した彼は、顔を朱に染めて怒鳴り返そうとしたが、地球統合政府と軍に対する不信と怒りが濃く滲むクレアの双眸に射竦められて反論を封じられてしまう。
「勘違いなさらないで下さい……非は双方にある筈だと申しているのです。貴軍は当家に一言の断りもなく、遠藤中尉に評価試験を依頼した装備を徴収なさろうとしました。それは火事場泥棒同然の卑劣な行為ではありませんか?」
「なっ!? 何を言うかっ……」
「あまつさえ、拠出を拒んだ遠藤中尉の御母堂を拉致し。彼女の身柄と引き換えに新型装備を手に入れようとした貴軍の卑劣な行為に至っては、断じて納得も承服もできません! よって彼女達と対応した当家の者の身柄引き渡しに応じるつもりはございませんので……あしからず」
そう宣言したクレアが右手を軽く振るや、その意図を察した通信士が回線を遮断して通話を打ち切る。
そして、憂いを帯びた表情で小さく吐息を洩らすや、イェーガーとラインハルトへ向き直って深々と頭を下げた。
「出しゃばった真似をして本当に申し訳ありませんでした。嘗ては自分も所属していた組織の無慈悲さに我慢ならずについ……両閣下の尽力に水を差し、己の浅慮を恥じ入るばかりです」
しかし、謝罪された両名は特に憤慨した様子もなく、恐縮する彼女に笑顔を向け慰めの言葉を掛けた。
「なんの。どうせ話し合いは平行線でしたからなぁ……埒が明かない様であれば、私も貴女と同じ事を言っていたでしょうから、どうか御気になさらずに」
「そうですとも。彼方さんにとっても、我々との交渉は体面を取り繕う方便に過ぎないでしょう。少しでも時間を稼ぎたいというのが本音でしょうから、貴女が気に病む必要はありませんよ」
「時間稼ぎ……ですか?」
ラインハルトの言葉に疑念を懐いた彼女が問い返すと、彼は笑顔を消して現在の状況説明をしてくれた。
「先刻から統合政府発表の情報として、今回の騒動の顛末がメディアを通じて世界中に発信されております……尤も、脚色まみれの噓八百ですがね」
彼の説明によると、巷に流布されていたグランローデン帝国との不適切な関係を論った噂に関連して、白銀達也が地球統合政府に対し理不尽な内政干渉を強行しようとしている……。
政府高官がそういう類の談話を、頻りにメディアにリークしているらしいのだ。
込み上げる怒りを押し殺したクレアは、冷静な声を取り繕って問い返した。
「統合政府や統合軍は、本気で我々と対立するつもりなのでしょうか?」
彼女の問いに答えたのは、思案顔で小首を傾げるイェーガーだ。
「そこまでの根性はないでしょう。彼らは我が提督の所為で国民からそっぽを向かれている状況です。提督の信望を貶め、民衆の批判を我々に向けさせて自分たちの失地回復を図る……その程度の浅知恵だと思います。ただ……」
最後に言い淀んだ彼に代わってラインハルトが補足する。
「これは推測に過ぎませんが、今回の件には地球統合政府の背後で糸を引いている黒幕がいると思われます。恐らく銀河連邦宇宙軍。正確には貴族閥の連中でしょうが……まず間違いないと思います」
クレアはそう言われて初めて地球統合軍の強硬な振舞いに合点がいった。
(銀河連邦がバックにいるから強気に出たのね……何て浅ましいッ!)
嘗て所属した軍の矮小ぶりに、落胆を深くすると同時に悲憤の涙が滲んだが、今は泣いている時ではないと気持ちを奮い立たせたクレアは涙を拭って二人を見据える。
「これ以上地球に留まるのは、我々にとって得策ではないと考えます」
「政府や軍を相手にしても此方が一方的に悪者にされるだけでしょうな。頃合いを見てビンセント父娘のコンバットスーツに記録された騒動の映像データーを、全ての通信手段と放送用電波に乗せて発信しましょう……そうしておけば、民衆が政府の言い分を鵜呑みにして騒ぐ事はないでしょうから」
イェーガーの案にラインハルトも同意した。
「対外的にはそれで充分でしょう。出航は遠藤中尉の母君の手術が終わるのを待つとして……明朝を目途に地球を発ち、達也の調査組との合流を目指します。但し、地球統合軍の妨害も予想されますので、戦闘に備えて市民を緊急シェルターに退避させた方が良いでしょう」
クレアは大きく頷いて二人のプランに追随し、直ちに市民の安全を確保する為に行動に移るのだった。
◇◆◇◆◇
手術開始から六時間余りが経過しており、既に日付は変わっていた。
バラディース最下層にある軍施設内の医療区画には、銀河連邦内でも最先端医療の粋を集めた医療機器が取り揃えられている。
ほぼ全ての手術や治療は万能機器で行われるのが現代では普通であり、嘗て医者と呼ばれた者達の役割は、エンジニア兼オペレーターと呼べる物に推移していた。
とはいえ、これらの繊細な医療器械を扱うのにも医学知識は不可欠であり、寧ろ昔よりも専門性が増している職業だと言っても過言ではないのだ。
《CLOSED》の赤色表示が浮かんだ立体スクリーンが手術室の前に立ちはだかっており、廊下の長椅子に腰を降ろしている志保は、上半身を前屈みにして握り合わせた両手を額に押し当て、一心不乱に母親の無事を祈り続けていた。
一度は自分の腕の中で息絶えた母……。
あの時の絶望と恐怖は一生忘れられないだろう。
そして、生死の狭間を彷徨う母親の生還を祈るしか術がない志保は、無力な自分が恨めしくて歯噛みする思いだった。
「志保。これ……少しでも喉を湿らせておいた方が良いわよ。今更ジタバタしても仕方がないもの……私達にできるのは小母さまの無事を信じて待つ事だけよ」
温かい気遣いに満ちた声音に耳朶を打たれた志保は、憔悴した顔を上げて声の主を見る。
視線の先には、泣き腫らして真っ赤になった瞳で微笑むアイラが、ホットミルクが入ったカップを差し出してくれていた。
しかし、彼女の顔にも疲労と不安の色が濃く刻まれているのは隠しようもなく、年下の妹分にまで心配を掛けている己の不甲斐なさに、志保は羞恥を覚えずにはいられなかった。
(いつまでもメソメソしていられないわ……早く切り替えないと……)
そう自分に言いきかせた志保は、姿勢を正して小さく息を吐くや、差し出されたカップを受け取り、何くれとなく尽力してくれたアイラに礼を言う。
「心配かけて悪かったわね……それから遅くなったけれど、危ない所を助けてくれて本当に感謝している……ありがとうね、アイラ」
思いがけない謝意に照れ臭そうに口元を綻ばせたアイラは、志保の隣に腰を降ろすと、目の前の扉を見つめながら呟く。
「礼を言われる程の事じゃないわ。困った時はお互い様よ。それに心配しなくても大丈夫。小母さまは絶対に助かるから……なんたって父さんが後生大事に仕舞っていた《蘇生剤》まで使ったんだよ。効果がなかったら、あの世の副団長をぶっ飛ばしてやるんだから!」
その言葉の一節にあった《蘇生剤》なる物が、一旦は心停止した母親に使用した救命アイテムだと思い至った志保は、思わせぶりなアイラの台詞が気になり、遠慮がちに訊ねた。
「赤髭が使ってくれた《蘇生剤》というアイテムのお陰で母さんは命を取り留めたのよね? 後生大事に仕舞っていたってどういう事なの? 何か曰くがある品じゃなかったの?」
問い返されたアイラは『しまった!』という顔をしたが、真剣な志保の眼差しには逆らえず、観念して昔語りを始めるのだった。




