第十九話 哀哭 ③
「志保……貴女の気持ちは理解できるわ。でもね、過去に固執して無用なリスクを負う必要が何処にあるのよ? 万が一にも貴女に危害が及んだら……」
真剣な表情で忠告してくれる親友の言葉に志保は苦笑いせざるを得なかったが、その態度が癇に障ったクレアは声を荒げてしまう。
「何が可笑しいのよっ!? 相手は軍という巨大組織なのよ? 貴女一人が意地を張った所で彼らは痛痒にも感じやしないわ! それどころか、陰惨な報復を仕掛けて来るかもしれないのよ」
「あははは。ごめんごめん。悪気はないんだってば。随分と久し振りだなと思ってね……本気のアンタに説教されるのはさ」
「もうっ、何を呑気な事をっ! 私は何時だって本気よ。笑い話にして誤魔化せるなんて思わないで頂戴っ!」
飄々とした態度で穏和な物言いをする志保に、益々声を荒げるクレアだったが、同時に親友が相当な覚悟をしているのにも気付いてしまう。
一方の志保は、気心知れた腐れ縁が口では厳しいことを言いながらも、誰よりも自分の気持ちを慮ってくれているのを察して感謝していた。
「誤魔化すつもりはないわ。でも、アンタも分かっているんでしょう? 何時までも、こんな恥知らずな愚行を見て見ぬ振りはできない……ってさ」
「それはそうだけど! 何も貴女が無茶をしなくても……」
志保の心情を察したクレアの歯切れが悪くなる。
彼女自身も昂った感情が急速に醒めていくのを自覚していたし、自分が同じ立場であったならば……。
そう考えれば、志保を責めるのは筋違いではないかとさえ思えてしまい、躊躇わざるを得なかったのだ。
「ありがとうね……アンタだけは私の気持ちを分かってくれる……やはり持つべきものは腐れ縁の親友よね」
葛藤するクレアの心情が手に取るように分かる志保は、口元を綻ばせて最大級の感謝を伝え、静かに言葉を重ねる。
「初陣で味わった理不尽な経験には今でも忸怩たる想いがあるわ。でもね、何時までも過去の遺恨に囚われている場合じゃない……そう思えるようにもなったのよ。悔しいけど、それはアンタの旦那さんのお陰かな」
そう言ってクスリと微笑む志保にクレアは怪訝な顔をして問い返す。
「旦那って……達也さんがどうかしたの?」
「最近エレオノーラが頻繁に我が家を訪ねてくれてね、心臓の調子が良い母さんも交えて三人で酒盛りをしているのよ。ふふっ、アンタの旦那の昔話を肴にしてね」
その時の事を思い出したのか楽しげに破顔する志保を見たクレアは、不謹慎にも羨ましいと思ってしまい、何食わぬ顔を取り繕わねばならなかった。
「彼の武勇伝を聞けば聞くほど驚くやら呆れるやらでね。エレンも口が上手なものだから、私も母さんもつい聞き入ってしまってさ。飛び抜けた才能を駆使して戦果を挙げても、日雇い提督なんて揶揄されて……」
エレオノーラが面白可笑しく語った話を披露する志保だったが、熱弁を振るった後に小さく息を吐いて肩を落とす。
「卓越した才能を持っていながら、何時も貧乏くじばかり引かされて……それなのに腐りもせずに身を挺して弱者を守って戦う。話を聞いているうちに自分を省みて恥ずかしくなったのよ」
「恥ずかしい?」
「ええ。アンタの旦那は正しいと信じる事に全力を尽くしている。自分の為にではなく他人の為に……称賛も出世も、剰え対価など何も求めずにね。そんな彼と引き比べて、私はどうなんだろうってさ」
志保は頭を傾げて自嘲気味に笑う。
「行動の根底にあるのは理不尽な上層部に対する怒り……そして、私を捨てた男への怨みだけだと気付いたのよ。凄く惨めだったわ……自分の矮小さが腹立たしくて仕方がなかった」
「志保……」
自虐的に口元を歪める親友へ何と声を掛ければいいか困惑していると、急に顔を上げた志保は、軽やかに微笑んで声を弾ませた。
「でもさ。悩んで落ち込むなんて私らしくない……そう気付いたら、ウジウジしているのが馬鹿々々しくなってさ。白銀達也を見倣って私も行動してみよう……そう思ったのよ。少なくとも、私には教え子達に対する責任があるからね。軍を改革する為にも声を上げようって」
最後には、毎度の如く満面の笑みと共に宣言する親友を見たクレアは、呆れるやら羨ましいやらで大きな溜息を零してしまう。
「やっぱり貴女は『男前』だわ……出逢った時から何も変わってない」
「むっ!? ちょっとクレア。それは褒め言葉じゃないからね! せめて『気っぷが良い』ぐらいにしときなさいよ!」
顔を見合わせて静かに笑い合ったふたりだったが、クレアは表情を改めて自身の想いを口にした。
「志保……統合軍を辞めて、私と一緒に新天地を目指してみる気はない?」
唐突な勧誘に面食らったが、志保は直ぐに苦笑いを浮かべて視線を逸らす。
「落ち着き先はまだ決まっていないけれど、きっと、達也さんが何とかしてくれるから! 貴女の想いがどれほど尊くて堅固であっても、形骸化した古い組織を変えられるとは到底思えない……それぐらいの事は分かっているのでしょう?」
懸命に言い募るクレアに再び視線を向けた志保は、ゆっくりと首を左右に振る。
「ありがとうクレア。でも、それは無理……気持ちだけ受け取っておくわ」
「どうしてっ!?」
「母さんのたった一つの願いなのよ……『私が死んだら、父さんと同じ墓にお骨を入れてくれ』ってね。場所が信州の山奥だし、だから地球を離れる訳にはいかないわ。娘としては叶えてやりたいじゃない……母さんの願い」
思い掛けない理由を聞かされたクレアは言葉を失ってしまう。
普段から口では何だかんだと文句を言いながらも、たった一人の肉親である母親を大切にしている志保ならば……。
そう思い至って沈黙したクレアは、悄然として肩を落とす他はない。
そんな親友の姿を見て、これ以上語るのは野暮だと見切りをつけた志保は、席を立つや項垂れるクレアの肩をポンと叩いた。
「本当にありがとうね……そう遠くない内に旅立つのでしょう? 出航が決まったら必ず連絡しなさいよ。盛大に送別会をやりましょう! 楽しみにしてるわ」
殊更に明るく振る舞う彼女の言葉にクレアは居ても経ってもいられず、離れていく親友の腕を掴むや、返却された銀色のリストガードを押し付けていた。
「ク、クレア!?」
そして、戸惑う親友を射貫かんばかりに睨みつけて懇願したのだ。
「これは貴女が持っていて! そして、今度上層部から提出を求められたら、変な意地を張らずに叩きつけてやりなさい! お願いだから……お願いだから無茶はしないで……貴女だけなのよ? この世で私が『腐れ縁の親友』と呼べる人間は」
必死さが滲んだ瞳からは涙が溢れており、両頬の曲線に沿って滴り落ちていく。
その真摯な想いに絆された志保は、クレアの身体を抱き締め、涙で彩られた微笑みで謝意を伝えるのだった。
志保を入管ゲートまで見送ったクレアは、彼女を乗せたランチが桟橋に接岸するまで立ち尽くしていたが、思い立った様に近くに居た担当士官に声を掛けた。
「航空隊のラルフ・ビンセント中佐に連絡し、私の執務室に来るようにと伝えてください」
士官が復唱するのを待つ事もせずに踵を返したクレアは、何かに急き立てられるかのように歩を速めるのだった
◇◆◇◆◇
間もなく午後七時になろうかという頃に、漸く自宅マンションに帰り着いた。
この時間ともなれば熱気は薄れ、夕間暮れに秋の気配を感じた志保は、物寂しさを感じて胸の中で呟く。
(クレアには最後まで心配ばかり掛けちゃうわね……)
昼間に司令部に呼び出されて不愉快な思いをしたものの、心許せる親友の想いに触れたお蔭で気分はとても穏やかだった。
(別れ際に大袈裟な物言いをしてしまったけれど、これが今生の別れになるわけでもあるまいし……ふふっ、さくらちゃんや子供達にも、何かお別れのプレゼントを用意しなきゃね)
近日中には開催するであろうお別れ会の段取りを考えながらエレベーターを降りた志保は、軽い足取りで我が家の玄関前に立ったのだが、微かにドアに隙間があるのを見て眉を顰める。
(ドアが開いている?)
几帳面な美緒がドアを閉め忘れるなんて在り得ない……。
得体の知れない不安に衝き動かされた志保は、扉を引き開けるや室内に跳び込んだが、その様変わりした光景を見て立ち尽くすしかなかった。
全ての部屋にある家具の扉が無造作に開け放たれ、中の物がフローリングされた床やカーペットの上に散乱しており、何かを物色したのは明らかで、それが何なのかは容易に察せられる。
しかし、そんな事よりも重要なのは、母親の安否以外にはない。
「母さんっ! 母さんっ!?」
焦りを含んだ声で叫んだが、さして広くもない間取りの室内に人の気配はなく、無残に荒らされた室内はしんと静まりかえっている。
此処で何が起こったのかは考えるまでもないだろう。
(選りにも選って強盗紛いの真似をするなんてッ!!)
志保は『ぎりっ』と音がする程に奥歯を噛み締め、込み上げる怒りに身体を震わせた。
その瞬間を見計らったかの様に教官用の携帯端末が着信音を奏でる。
個人専用の端末機ではないのが相手が何者なのかを雄弁に物語っており、志保は間を置かずに受信スイッチを押す。
「巫山戯た真似をしてくれるじゃない!? 母さんを何処へやったのッ!?」
激昂して叫ぶや、端末のスピーカーから聞き覚えのある耳障りな声が流れ、その正体が予想通りの人間だった事に志保は怒りを募らせてしまう。
『そう熱り立つなよ。志保』
「その声は……諒次っ!! やっぱりアンタ達の仕業なのね! 答えなさいっ! 母さんを何処へ連れて行ったのっ!?」
別れ際に背中に投げ掛けられた怨嗟の声が脳裏に蘇り、それと同じ雑音を耳にした志保は、嫌悪の情を露にして怒鳴り返した。
そんな彼女の取り乱した様が面白いのか、早瀬諒次統合軍少佐は傲慢な物言いで、次に採るべき行動を示唆する。
『安心しろぉ。危害は加えてはいないさ。だが、無事に返して欲しいのならば……どうすれば良いのか分かるだろう?』
志保は苦悶に顔を歪めて臍を噛むしかなかった。
無意識の内に指先が触れている銀のリストガード……彼、いや、統合軍上層部が欲しているのは、この試作品以外にはない。
『我々が望む物を持って指定する場所まで来て貰おうか……場所はⅮ埠頭突堤部にある倉庫街のB03倉庫前だ』
「いいわ。直ぐに行くから待っていなさい。ただし、母さんに傷一つでもつけたら許さないからね……皆殺しにされたくなければ丁重に扱いなさい」
怒りに震える声で告げるのと同時に端末機の通話が途切れた。
志保は躊躇わずにバトルスーツユニットを起動させるや、ベランダの鉄柵を乗り越え薄暮に包まれた空へと飛び出したのだ。
ただ一心に母親の身を案じながら……。




