第十一話 商人と守銭奴の見る先は ②
「ほ、本当に申し訳ありませんでした! ユリアに成り代わって、あの娘の無礼を御詫びしますっ!」
羞恥に顔を赤くするクレアは、平身低頭の体で謝罪するしかなかった。
『早く人間に進化する必要があるんですよ』
そんな突拍子もない台詞を宣ったジュリアンが、その意味と経緯を笑顔で語ったのだが、クレアにしてみれば、彼に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ただ、初対面の相手にユリアが暴言を吐いたという事に驚きはしたものの、恋愛事に不慣れな愛娘の事情を鑑みれば、それも已むを得ないという気持ちがあるのも確かだ。
しかしである……。
(いくら唐突に告白されたからって……ゾウリムシはあんまりでしょうに……)
見た目からは想像もできないほど大人びていて礼儀も弁えているユリアが、顔を真っ赤にして罵倒する様子がありありと脳裏に浮かんでしまい、眼前でニコニコと微笑む少年に対して憐憫の情を禁じ得なかった。
だからこそ、その葛藤から来る憤懣は、ユリアに同行した能天気な夫にぶつけるしかなかったのである。
(もうッ! 達也さんったらぁッ! こんな大切な事を話してくれないなんて! いったい何を考えているのよっ!?)
帝国皇帝との会談の詳細は達也から聞かされてはいたが、ジュリアンとの出会いや、それに纏わる騒動については何の説明もなかった。
それだけに、怒りの矛先は全て無精者の夫へ向けられてしまい、脳裏に浮かんだ愛しい旦那様の幻影に向って声なき罵倒を叩きつけたクレアは、帰還したらユリア共々にお説教だと強く心に誓ったのである。
尤も、この件で達也に対して憤るのは、些か筋違いだと言うべきだろう。
それは、ジュリアンとの一件を口止めしたのが他ならぬユリア本人であり、達也の意志は一ミリも介在していないからだ。
『いいですかっ! お父さまっ! 今回の忌まわしい出来事は誰にも口外しないと約束してください! 特にお母さまには絶対に言わないで下さいね!』
顔を朱に染め柳眉を逆立てるユリアから強硬に懇願された上に。
『もしもお母さまに告げ口なんかなさったら……一生! お父さまを怨みます!』
とまで言われれば、父親としては迂闊に口を滑らせる訳にもいかないだろう。
たとえ、口では嫌がる素振りを見せる娘が、別れの際には満更でもない顔で彼と会話をし、口元を綻ばせていたとしてもである。
その事実を指摘すれば、ユリアが益々意固地になってジュリアンの存在を否定するのは確実だし、照れという不慣れな感情を持て余した挙句、折角の出逢いを自ら台無しにしたのでは可哀そうだと達也は考え、今回ばかりは愛娘の心情に配慮したという次第だった。
「謝罪の必要などありませんよ。要は僕が人間に進化したと、お嬢さんに認めさせれば良いのですから。今はしがない繊毛虫ですが、すぐにランクアップしてみせます! ですから御期待下さい」
「は、はぁ……お気遣い感謝いたします。娘には、私からきつく言っておきますので、あまりお気になさらないでくださいね……」
飽くまでポジティブに意気込む少年の笑顔が却って胸に痛く、胸の中で彼に詫びたクレアは、ユリアへの説教ネタを心のメモ帳へ赤字で書き込んだのである。
しかし、同時に母親として懐いた看過できない想いをその儘にはしてはおけず、姿勢を正してジュリアンに告げた。
「貴方様のお気持ちは良く分かりましたわ。しかし、主人に御力添え戴く対価に、大切な娘の人生を差し出すつもりはございません……あの娘はとても優しくて家族想いです。いざとなれば、自分の気持ちを押し殺し、私共の為に自らを犠牲にして憚らないでしょう」
それまで黙っていたサクヤも続けて言葉を重ねる。
「貴方様の御申し出は大変有難いのですが、大切な家族を犠牲にしてまで乞い願うものではありませんわ。クレア様をはじめ、子供達が私を受け入れてくれた様に、ユリアさんの意志と願いを尊重する……その大前提は譲れません」
穏やかな表情で二人の決意を聞いていたジュリアンは、更に嬉しそうにその笑みを深めて大きく頷く。
「御心配なく。彼女の意志は尊重しますし、助力の対価にお嬢様との交際を認めて欲しいと懇願する気もありません。そういうのは『みっともない』と祖父に叩き込まれておりますので……我が財閥の売り込み、それが本日御伺いした目的です」
彼の返答にクレアは安堵し、サクヤは再び交渉モードへと気持ちを切り替える。
「先程、白銀伯爵が銀河連邦の改革を目指しているとお伺いし、訪ねて来た甲斐があったと確信いたしました。僕も御主人様と全く同じ事を考えていましたからね。兎にも角にも、最近の貴族連中の増長ぶりと専横には目に余るものがあります」
一転して苦々しげに口元を歪めたジュリアンは自身の想いを語りだした。
「代々系譜を繋ぐ貴族の家に生まれたというだけの輩が、能力もない癖に踏ん反り返って大きな顔をしている。そんな厚顔無恥な連中が幅を利かせ、真っ当な人間が虐げられて活躍する場を奪われている……それが今の銀河連邦の実態です」
「確かに……私の故国も大国とは言われていますが、貴族閥の中でも急速に台頭して来た新興勢力に手を焼いておりますものね」
「仰る通りです。門閥貴族の系譜に連なる若い連中なのですが、家柄を笠に着て平民を虐げても悪びれもしません。表立って公言こそしていませんが、選民思想を妄信しているのは明らかで、連邦内で活動している企業体にも我が物顔で難癖をつけてくる始末なのです」
ジュリアンの話を聞いたクレアとサクヤは、お互いに憂鬱な顔を見合って小さな吐息を漏らしてしまう。
銀河連邦評議会はその理念に《多文化主義》と《文化相対主義》を掲げ、全ての民族に優劣は無く平等であると謳っている。
しかしながら、貴族閥が我欲に任せて暴走を始めれば、軍や評議会で優勢な彼らによって、銀河連邦の高邁な理念すら形骸化されるかもしれない。
その先に待つ未来が如何なるものになるのか……。
クレアは不安げな口調でジュリアンに問うた。
「難癖と仰いますが、具体的にはどのような事が?」
「今の所は自領の開発事業に対する資金提供の要請程度でしょうか……尤も、要請という名の強要ですし、開発事業など影も形もありませんから、ただの強請り集りといった方が正しいでしょうがね」
片頬を歪めてそう吐き捨てたジュリアンは小さく首を振って続ける。
「軍部の方も芳しくはありませんよ……軍令部と軍政部は既に貴族閥の牙城と化していますし、航宙艦隊幕僚本部を良識派のガリュード様が抑えておられるといっても、人事と兵站を握られていては張子の虎同然で何もできはしません。白銀提督が総長職を望まなかったのは正に慧眼と言う他はなかった」
「大伯父様の御力を以てしても、軍部の実権をエンペラドル派とモナルキア派から奪うのは難しいと?」
サクヤが眉を顰めて訊ねると、ジュリアンは小さく頷いてその問いを肯定した。
「御身内を貶されて御不快かとは思いますが、【冥府の金獅子】の御威光を以てしても難しいでしょうね。自分達の意を押し通す為には理不尽な手段も辞さない……彼らの根底にあるのは醜い我欲ですから」
さすがに【鬼才】と恐れられる敏腕経営者だけの事はあると、サクヤは彼の怜悧な状況分析に感じ入ってしまう。
(この人ならば、達也様の御力になってくれる……)
確信にも似た感情に衝き動かされたサクヤは、言葉を飾らずに最も大きな疑問を口にした。
「真に的確で公正な分析だと感じ入りました。しかし、相手は強大な権力を有しており、それと引き比べて我が家は余りに微力です。それにも拘わらず当家を支援して戴けるのは何故でしょう? 貴方様の御存念をお聞かせ願えませんか?」
その問いにジュリアンが見せた表情にサクヤは思わず目を瞠って息を呑んだ。
先程までの温厚さは微塵もなく、鋭い光を宿した双眸と吊り上げた口元で不敵な笑みを浮かべたジュリアンは、然も当然だと言わんばかりに言い放つ。
「僕が敬愛して已まない祖父を超えるため……つまらない自己満足だと笑われるでしょうが、引き継いだロックモンドの名を自分の力で不動の物にしたい……それが一番大きな理由ですね」
「ロックモンド財閥の名を知らない人間が、この銀河系に存在するとは思えませんが? それに貴方様が継承されてから今日までに財閥はより大きく成長しているではありませんか?」
「曾祖父と祖父が築いた土台を使って家を建てたに過ぎません。寧ろ『物足らない』と泉下の二人に叱られそうで……」
サクヤの問いに照れ臭そうに答えたジュリアンは姿勢を正した。
「僕の個人的な願望等はさておき……膨張する貴族閥の横暴を許せば、まともな経済活動までもが死に絶える……そんな危惧を覚えずにはいられないのです」
権勢を誇る大貴族達や、その大樹に群がって甘い蜜を吸おうと欲する有象無象は掃いて捨てるほど存在しており、銀河系の巨大経済連合体にも食指を伸ばしているとジュリアンは語る。
彼らが己の利を満たす者を重宝するのは自明の理であり、逆に逆らう者には容赦ない仕打ちをして恥じ入る事もない。
そんな不愉快な話はサクヤも耳にしていた。
「彼らの専横に憤りを覚える者もいますが、積極的に媚びを売って取り入り財貨を献上して後ろ盾を得る……そんな恥知らずな連中が後を絶たないのも事実です」
一旦言葉を切り紅茶で喉を湿らせたジュリアンは、クレアとサクヤに真摯な視線を向けて決意を吐露した。
「白銀提督の本意が銀河連邦の改革にあるのならば、肥大化する貴族閥との衝突は避けられません……ならば、経済界という僕が生きる世界を護る為にも、白銀達也という人間に全てを賭けると決めたのです」
その言葉を聞いたクレアは感嘆するのと同時に漠然とした危惧を覚えて、躊躇いながらも彼に訊ね返す。
「貴方様のお気持ちは本当に嬉しいと思います……ですが、お話を伺う限り、貴族の陣営には数多くの企業が協力しているのではありませんか? それらを敵に廻すリスクをお考えなのですか?」
美しい顔を憂いに曇らせる彼女の心遣いにジュリアンは笑顔で応えた。
「勝負にリスクが付き纏うのは当然です。しかし、僕は負けるつもりはありませんよ。経済人の《賭け》は《博打》とは違う。情報を精査し必勝の策を練って勝負を仕掛ける……やる事は軍人である御主人様と何ら変わる事はありません。違うのは我々の武器は資本という名の財貨であるという点だけです」
その回答に今度はサクヤが挑発的な物言いで問う。
「その自信の根拠をお聞かせ願えますでしょうか? 私としましても、口先だけの御方と運命を共にする酔狂を旦那様に勧奨できませんので」
ジュリアンは不敵に笑って見せるや、舌鋒鋭く言い放った。
「私は商人です。財閥の総帥と祭り上げられてはいても、祖父の教え通り、一人の商人としての矜持を忘れてはいません……商人は資本を世界に流動させる事で財貨を生かし、世の中を豊かにする者の事を言うのです」
「貴族閥に群がる者達は、商人ではないと仰いますの?」
「彼らは己の保身と我欲の為に、稼いだ財貨を貴族に貢ぐだけの愚かな連中です。それは金を死蔵させ、この世の繁栄を停滞させる愚行なのです。彼らは断じて商人ではありません。ただの守銭奴です! そんな連中に負けてやるつもりなど毛頭ありません!」
饒舌な啖呵の最後に見惚れるほどの笑みを浮かべたジュリアンを見て、クレアとサクヤはこの少年を信じて受け入れようと決意する。
達也が視察から帰還するのを待って正式に推挙した後に顔見せを行う事で双方は合意し、買収した企業連合体をロックモンド財閥の傘下に委ねる覚書がサクヤから渡され、その対価と支援の具体案はジュリアンから達也に直接伝えると決まった。
ただ、別れ際に彼はクレアの度肝を抜く発言を残して行ったのである。
「そうだ! 『貴方様』等と堅苦しい呼び方は無用です。いずれは『お義母様』と呼ばせて戴くのですから、気軽にジュリアンとお呼びください」
さすがに面食らって苦笑いするしかないクレアだったが……。
(今の彼の台詞はユリアには黙っておいた方が良いわね……あの娘が知ったら照れ隠しに怒って見せるに決まっているもの。でも、この人も仕事以外では鈍すぎるわ……ある意味で達也さんに似ているから、存外ユリアとはお似合いなのかも知れないけれど……)
奇しくも達也と同じ結論に達したクレアは、まだまだ女心には疎い未来の娘婿(?)を見て溜息を漏らすのだった。
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