第十一話 商人と守銭奴の見る先は ①
子供達の失踪騒ぎから数日が過ぎ、バラディースは表面的には平穏な日常を取り戻していた。
《表面的》と注釈をつけたのは、彼らを取り巻く環境が日に日にキナ臭さを増しているからだ。
白銀達也を次期指導者として待望する民衆の声は日増しに高まっており、『地球統合政府の要職を望むなど有り得ない。自分は軍人ですから』と達也自らが声明を出したにも拘わらず、その熱が衰える気配はなかった。
また、統合政府の浅慮に過ぎた懐柔策は却って国民の反感を買い、民心の離反を招いた挙句に政治家達を大いに狼狽させたのだ。
その結果、何をやっても好転しない状況に苛立つ政府関係者からは『全ての元凶は白銀達也だ!』との、逆恨みにも等しい声が漏れ聞こえるようになり、それらはバラディースに暮らす人々の耳にも届くようになっていたのである。
◇◆◇◆◇
「リスト通りですね。問題ありませんので、予定通り搬入を開始してください」
クレアは情報端末に表示されたチェックリストに目を通して内容を承認すると、新しく配下になった女性士官らに手早く指示を出す。
今回、少将に任命された事で船務参謀という役職を拝命し直卒の部下を持つ身になってしまった彼女は、慣れない環境に戸惑い混乱の最中にあった。
(実戦経験なんかないに等しいし、部下など指揮した事もない私が少将? 誰か『これは夢だ』と言ってくれないかしら)
自分には分不相応だと頻りに嘆くクレアだったが、皮肉な事に彼女の意に反し、ラインハルトを筆頭に周囲の幕僚達からの評判は頗る良い。
『簡略化した要点を伝えただけで、船務関連の仕事を把握してしまうなんて驚きだよ。然も、彼女が統括する様になってから効率が向上し、部下や業者の評判も良くて助かっている』と、お褒めの言葉を戴いている。
また、彼女の人柄のせいか、部下はいうに及ばず、他の部署の乗員からも慕われる人気ぶりで、周囲の耳目を一身に集めていた。
仕事が出来る上に美人で性格も温厚、然も誰にでも親切となれば、それも当然の結果だと言う他はないだろう。
真紅の短ジャケットに白いスカートという全女性乗員共通の軍服の上に、同じく紅い将官用ロングコートを纏うクレアは見目麗しく、そんな彼女の颯爽とした姿に憧れる女性士官は日を追うごとに増える一方だった。
そんな穏やかな日々の中、シルフィードが地球を発って五日後の午後に来訪者があり、クレアを名指しして面会を申し込んで来たのだが、その人物の名前を確認したラインハルトとクレアは、思わず顔を見合わせてしまった。
「ジュリアン・ロックモンドですか……あの【鬼才】と謳われたロックモンド財閥総帥が、いったい何の目的があって訪ねて来たのか……」
ふたりが視線を向けているモニターには、若すぎると言っても過言ではない少年が、リラックスした風情で寛いでいる様子が映し出されている。
ラインハルトは突然の訪問者の真意が分からず、まして達也ではなく、クレアを名指しした理由も判然としないとあって、面会の許可を出すか否か逡巡せざるを得なかった。
しかし、門前払いにする訳にもいかないと考えたクレアは、自主的に面談を了承し、その旨をラインハルトに告げた。
「面会は屋敷の方で行います。もし経済絡みの御話であれば、サクヤ様にも同席して戴いた方が都合がいいでしょう。お客様に了解を戴けたならば三十分後に屋敷へ御案内するようにと、艦内警備の担当者に申し付けて下さい」
それだけ依頼すると携帯端末でサクヤに連絡を入れ、事情を説明し同席の了承を得る。
彼女と簡単な打ち合わせが終わったのと同時に、来訪者が申し出を快く受け入れたとの報告があり、クレアは家路を急ぐのだった。
◇◆◇◆◇
「初めて御目に掛かります。ロックモンド財閥で総帥職を務めておりますジュリアン・ロックモンドと申します。今後とも懇意にして戴きますよう御願い致します」
「御挨拶痛み入ります……私は白銀達也の妻でクレアと申します。こちらの女性は我が家の運営に御協力賜っております、サクヤ・ランズベルグ様で御座います」
とても年相応には見えない……それが彼に懐いた正直な第一印象だ。
洗練され落ち着いた物腰で自己紹介する訪問者に感じ入ったクレアは、サクヤの正体も偽らずに紹介した。
それは、この期に及んで下手な隠し事をしても、この少年には看破されてしまうだろうと直感的にそう思ったからに他ならない。
寧ろ、正直に腹を割って話した方が信頼を得やすいのではないか……。
そんな漠然とした推察による行為だったのだが、その予感が正鵠を射ていたのを彼女は直ぐに知るのだった。
「これは嬉しいですね……サクヤ様の御素性まで明かして戴けるとは恐縮の極みであります」
破顔したジュリアンは大袈裟に喜んで見せたが、それは決してクレアを揶揄した訳ではなく、第一皇女の正体を明かしてくれた誠意に感嘆したからに他ならない。
「隠すほどのものではありませんし、今は皇国の姫でもありませんわ……達也様の妻の末席に加えて戴きたいと願うひとりの女ですから。それで? 本日はどのような御用向きでの御来訪でしょうか?」
笑顔の姫君から明け透けに告白された内容に意表を衝かれたジュリアンは、懸命に表情を取り繕わねばならなかった。
おまけに人格者だと思っていた達也が、意外にも色好みだったという事実に触れれば、『さすが英雄だ』と妙な所で感心してしまう。
尤も、それは大きな誤解なのだが……。
(あんな人畜無害な顔でハーレム願望体現者とはね……然も相当にレベルが高い。さすがに僕の目標だけの事はある)
とは言え、この程度の奇襲攻撃で心の中の動揺を顔に出すようでは財閥総裁など務まらない。
自分もユリアと……という不謹慎な本音はひた隠して、ジュリアンは用件を切り出した。
「失礼ながら、貴方様の御実家が支援なされる事になった複合企業体について……と言えば御察し戴けるのではありませんか?」
「はて? 私は元皇族ではありますが、皇国宰相府の決定に干渉する権限はございませんわ……お訪ねになる場所を御間違えではありませんの?」
温厚な笑みを浮かべたまま繰り広げられる腹の探り合い。
共に十代の少年少女が垣間見せる強かな一面に、隣に座っているだけのクレアは圧倒されて言葉もなかった。
「ふむ……貴女様の御素性を偽らなかった時点で、私を信頼して戴けたのだと思っていたのですが……」
「ふっふふ……女に全てを曝け出させたいのであれば、それ相応の覚悟が殿方にも必要ではありませんの?」
その可憐な外見とは裏腹に、艶美な笑みを浮かべて意味深な言葉を零すサクヤ。
『そんな台詞を何処で? 誰に教わったのですかっ!?』と思わず声にしそうになったクレアは、懸命に平静を装うしかなく、普段の何処かおっとりしたサクヤとは全く別人の姿に唖然とするしかない。
「なるほど覚悟ですか……分かりました。今更腹の探り合いは必要ないでしょう。私の方から手札を晒しますので御検討下さい」
そう前置きしたジュリアンは、その表情から柔らかい笑みを消し去り、来訪した目的を話し始めた。
そもそも財政が逼迫している訳でもないランズベルク皇国とファーレン王国には、今更企業買収を行う必要性がない点。
両国と比較すれば格下とはいえ、一定の勢力を誇る貴族閥と対立するのは、譬え七聖国であってもデメリットが大きい点などなど……。
「以上の問題点等を考慮すれば、本命の隠れ蓑の役処を両国が担ったと考えるのが合理的でしょう。ならばその本命は? 我が財閥の調査部があらゆる手段を講じて情報を収集し精査した結果……【神将】白銀達也伯爵しかいない……そう結論づけたのです」
ここまでの推論が間違っていないか視線で問うと、サクヤは微笑みを以って肯定してくれた。
「両王家と繋がりが深く将来的な財源に不安がある。貴族に叙せられたとはいえ、領地もなく俸給もない。莫大な恩賞が下賜されているとはいえ、早晩行き詰るのは確実。そんな八方塞がりの現状を打破するには『その恩賞を使って収入を生み出せばいい』……あの方ならばそう考える……と、勝手に推察した次第です」
実際に考案したのはサクヤだが、それは些末な事なので敢えて訂正はしない。
「なるほど、さすがは【鬼才】と称せられる方ですわね……『腹の探り合いはしない』と仰いましたが、そこまで承知した上で当家をご訪問下さいましたのは、如何なる思惑あっての事でございましょう?」
ジュリアンの推論を言下に認めたサクヤも単刀直入に問い返し、その打てば響くかの様な反応に彼はほくそ笑んだ。
「やはり絵図面を描かれたのは貴女様でしたか……アナスタシア・ランズベルグ様の真の後継者と噂された御方の仕事ならば納得する他はありませんね。ただ、このプランには一つだけ不確定要素があります。御承知しておられますか?」
「貴方様が仰りたいのは、当家が黒幕だという事実を長期的には隠し通せないという事でしょうか?」
その返答に狼狽したのはジュリアンではなくクレアだった。
先日の会議でその様な話は聞いていなかったし、それが事実ならば『暫くの間は力を蓄える』という方針にも影を落とすのは確実だからだ。
しかし、そんな彼女の不安を振り払うように双眸に強い意志の光を宿したサクヤは、ジュリアンの目を見据えて言い放った。
「その程度は想定の範囲ですわ。達也様は我欲に満ちた魑魅魍魎が跋扈する銀河連邦の制度改革を断行なさる御積りなのです……その険しい道を選んだ以上は、連邦評議会に帰属する全ての貴族閥を敵に廻すのは確実。ならば私が成すべきは、主が大望を果たす為の道を切り開く……これを以って他にはありませんわ。たとえ買収した企業連合体の実質的なオーナーが当家だと知れても、問題がないよう策は準備しておりますので御心配なく」
鬼気迫るという言葉の意味を痛感させられたジュリアンは、姫君の度胸に感嘆して舌を巻くしかなかった。
所詮は皇族の姫君の手慰みと高を括っていた浅慮を恥じ入ると同時に、サクヤの揺るぎない覚悟を見せ付けられ、己の認識が甘かったと思い知らされてしまう。
だが同時に、痛快な思いに胸を揺さ振られて気が付けば呵々大笑していた。
「あっははははは! なるほどねぇ。そんな大それた博打を打つつもりだったとはね……これは予想外だったな。クックックッ……」
一転して無邪気に笑う財閥総裁の姿は年相応の少年のものにしか見えず、今回の会談が彼にとっては無意味なものになった証だと、サクヤとクレアは判断した。
「どの様な目論見が御有りだったのかは存じませんが、今回は御縁がなかったようですわね……」
会談を打ち切ろうとサクヤが促すが、漸く笑いを堪えたジュリアンは頭を左右に振ってそれを拒絶する。
そして、彼女に劣らない強い意志を宿した瞳を眼前のふたりへ向けたのだ。
「失礼しました……久しぶりに痛快な思いをさせて戴きましたのにお代も御支払いせずに辞去してはロックモンドの名が廃ります……クレア様。サクヤ様」
麗しい女性二人の名を口にし一拍おいてから言葉を続ける。
「良いお話を聞かせて戴いたお礼といっては不遜ですが、その両企業連合体を我が財閥が言い値で引き取りましょう。そして今後は我がロックモンド財閥が、全力で白銀伯爵家を支援させて戴きたいと考えております……如何でしょうか?」
ジュリアンの提案に、今度はクレアとサクヤが驚きを露にする番だった。
サクヤが買収した二つの企業連合体は、確かに中堅としては一頭地を抜く実力を有してはいるが、銀河系全域にネットワークを持つロックモンド財閥と比べれば、その規模と財力は元より、現存する国家に対する影響力の点でも足元にも及ばないのは明らかだ。
いわばロックモンド財閥とは、銀河系を経済の面で支配する怪物と呼んで差し支えのない絶対的強者なのである。
その財閥の支援が得られるという事実が、どれ程大きなアドバンテージになるか理解できないサクヤではなかったが……。
そんな破格な申し出を平然と口にする少年の真意を測りかねていると、それまで黙っていたクレアがジュリアンに訊ねた。
「身に余るお申し出を戴きながら、この様な事を訊ねるのは失礼かと思いますが。貴方様の御厚情に対し、それに見合った物を当家が御返しできるとは思えません。無礼を承知の上でお尋ねいたします。当家に何を御望みなのでしょうか?」
彼女にしてみれば留守を託された身として曖昧にはできない問題だ。
甘言に釣られて将来に禍根を残せば、達也はもとより苦労を覚悟して力を貸してくれている仲間達にも申し開きができない。
そう考えて言葉を絞り出したのだが、ジュリアンからの返答は彼女の理解の範疇を大きく逸脱したものだった。
「その様に身構えられては僕の立つ瀬がありません。申し出の理由は幾つかございますので御説明致しますが……個人的には、頑張って点数を稼いで早く人間に進化する必要があるという事でしょうかね」
「「はぁっ??」」
その意味不明の回答を耳にしたクレアとサクヤは、揃って間抜けな声を発してしまう。
どうやらこの人も、アナスタシアやヒルデガルド同様に一筋縄ではいかない人物なのだと、クレアは心の中で盛大な溜息を漏らすのだった。




