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第八十九話 悲しき兄妹 ⑤

『それは違うわッ! お願いだから、もうやめて頂戴! 私の大好きだった優しいお兄ちゃんに戻ってぇ──ッ!!』


 思念波による精神介入という想定外の事態に困惑するしかないキャメロットだったが、(たと)え姿形は見えなくとも、それが愛しい妹本人のものであるのは本能で理解できた。

 もはや自我の大半は高性能AIの電子の海へと溶けて消失しており、マチルダの存在を認識する事さえ困難になっている。

 それにも(かか)わらず肉親の呼びかけに反応できたのは、(ひとえ)に直前に交わした達也との会話が呼び水になったからだ。

 しかし、如何(いか)なる研究や治療法を(もっ)てしても根治は不可能だと諦めていた妹が、まるで今この時を見計らったかのように蘇生したなど、余りにも都合が良すぎると考えたのも無理はないだろう。

 だから、この奇跡の裏には何かしらの謀略があるのではないかとキャメロットが勘繰(かんぐ)ったのは、至極当然の成り行きだった。


『ま、まさか……本当にマチルダなのか? いや……これも策のひとつですか? だとしたら、先程までの御高説も所詮は上辺だけの綺麗事だと自ら証明したようなものですよ? 白銀提督』


 勿論(もちろん)、さくらやユリアの能力を熟知している達也にしてみれば、こんな事は今更驚くにも値しないが、娘を策略の道具に使ったと思われるのは(はなは)だ不本意だ。

 だから、弁解じみた言葉が口から零れ落ちたのかもしれない。


(いく)ら俺でもこんな展開を見越して策を用意するなど不可能だよ。妹さんの存在を知ったのも、つい先程だしな……」


 (すで)に双方共に戦闘を停止しており、戦場は刹那の静けさに包まれている。

 キャメロットの妹の思念に触れるのは初めてだが、その周囲を包み込んで守っているのがさくらとユリアの思念だと達也は気付いていた。

 ジュリアンを救助に向かった愛娘達が如何(いか)なる経緯でこの様な仕儀に至ったかを察する術はないが、戦いの最中にキャメロット自身が口走った言葉と併せて推察すれば、このマチルダという妹の存在こそが、彼自身の行動の根幹を成していたのだと(ようや)()に落ちた。


『大切な娘の存命を願い、それでも望まぬ研究へと手を染めざるを得なかった父の苦悶。そして、マチルダの命すら無価値だと(おとし)めた人の世に存続させる価値などないッ!』


 その吐き捨てられた言葉からは血が滲むかのような怨嗟の情が透けて見え、それこそが、絶望の果てにキャメロットが辿り着いた答えだったのだと達也は今更ながらに気付く。

 同時に(たかぶ)っていた戦意が急速に冷めていくのを自覚し、自らの役割がこの場にはないのだと察した達也は、それに相応(ふさわ)しい者達へと場所を譲るのだった。


「それに我が家の娘たちは皆優秀で優しいからね。俺も何度も助けられて来たものさ……決して損はさせないから、話ぐらいは聞いてやってくれよ」


 その厚情に感謝するかのように優しい風が心の中を吹き抜けていく。

 そんな心地よい錯覚に達也は思わず相好を崩していた。

 それは、マチルダの感謝の念であり、さくらとユリアの想いそのものに他ならなかったのだから……。


           ※※※


 不合理極まる現象に戸惑うしかないキャメロットだったが、それまで感じていた激しい敵意が消失した事にも驚きを禁じ得なかった。

 人の世に蔓延(はびこ)る不条理に憤りながらも、違う未来へと手を伸ばした宿敵(ライバル)

 最早互いに理解し合う余地はなく、どちらか一方の消失を(もっ)て銀河世界の行く末を決するしかなかった筈なのに……。

 そんな疑問が箇条書きの文言として何度も思考の中を流れては消えていく。


『千載一遇の好機。今こそ白銀達也を葬るべき』


 当然の選択肢がAIから提示されるが、それを躊躇(ためら)わせたのは他ならぬマチルダの切々とした哀願だった。


『私が病気に(かか)ったのは偶然なのよ。お父さんやお兄ちゃんに非がある訳じゃないわ。だから、もう私の所為(せい)で苦しまないで! (たと)えどんなに素晴らしい未来でも、多くの人達の不幸の上にしか成り立たない世界なんて、やはり間違っているわ! お兄ちゃんだって、さっきそう言ってたじゃない!』

『本当にマチルダなのか? 病を克服できた? そんな馬鹿な……』


 未だに消えない疑念が再度口を衝いて出たのは、彼を取り巻く人智を超えた現象を理解できないからだが、その困惑は彼も良く知る者の言葉で雲散霧消する。


「君の妹さんを(むしば)んでいた病は、骨髄へ寄生して擬態する希少ウイルスが原因だと判明したよん。だが、この娘達の力によって性悪ウイルスは除去されたし、長年の冷凍睡眠によって併発する弊害も必ず根治できる……ヒルデガルド・ファーレンの名に懸けて、そう約束するよ」

『希少ウイルス? あの症状が完治する? だが、これが策略の可能性も……』


 本来ならば、絶望が覆された事に歓喜して喝采を叫んでも不思議ではない場面だが、そんな〝人間らしさ″すらキャメロットからは失われつつあった。

 ヒルデガルドの人間性と価値を知るからこそ、その言葉が真実だと理解はできるものの、自身の人格と人間性の殆どを人工知能のコアへと同化させている今の彼には、悲しいかな妹の生還を喜ぶよりも事象の解明が先だとの認識が強い。

 だからこそ、最愛の兄が(すで)に昔の兄とは違うと思い知らされたマチルダの悲嘆は想像を絶するものがあった。

 だが、それでも諦めきれない少女は、切ない想いの丈を(かつ)ての兄へとぶつける。


『そうよ、私は生きているわ! これからもずっとお兄ちゃんの隣で一緒に生きていくから! だからっ! 優しかったお兄ちゃんに戻ってぇ──ッ!』


 そして、その悲痛な願いは、確かに(わず)かに残されていたキャメロットの心を揺さぶったのだ。


『マチルダ? 本当に……ならば、私は……』


 動揺と逡巡……その変化へ更なる追い討ちを掛けたのは、ずっとマチルダに寄り添って来たさくらだった。


「いい加減に目を覚ましなさいよぉ──っ! マチルダちゃんはね、ずっと一人で泣いていたんだよ? 泣きながら〝お兄ちゃん、もうやめて″って言ってたのっ! 妹を泣かせるなんてお兄ちゃん失格だよ! 格好悪いよぉ──ッ!」


 それは、今の彼を取り巻く無味乾燥な理屈ではない。

 他者を想い遣る慈愛の心から発せられた言葉。

 さくらだけではない、マチルダの想いを慮る全ての者達の願いの結晶でもある。

 その想いは、無機質な情報の海へと沈みつつあったキャメロットの心へ、確かな(くさび)となって刻み込まれた。


『取り戻せるのか? だが、今更……しかし……』


 呟きとなって繰り返される葛藤は偽らざる彼の真意だ。

 二度と取り戻せないと絶望したからこそ世界の破滅を願った。

 そして、不本意ながらも、多くの犠牲を()いて(かえり)みなかったのは事実だ。

 その結果として数多(あまた)の命が喪われたのだから、手を伸ばした未来を今更諦めるなど許される筈もなかった。

 しかし、それでも……。

 そんなキャメロットの葛藤は、達也にとっても他人事ではない。


(かつ)て初代神将へ任じられたランツェ・シュヴェールトと同じだ……時代とそこに生きた人間の悪意に翻弄され、最後にはその高潔な志さえをも闇色に染めて破滅を願った……余りにも哀れすぎる)


 千五百年以上も昔の銀河連邦創世期に秘された悲劇。

 その怨念にも似た連鎖が再び繰り返されようとしている……。

 そう確信した瞬間、達也は居ても立っても居られなくなってしまった。

 自らの手を血に染めて戦う道を選択した己に兄妹の絆へ介入する資格がないのは、誰よりも自分自身が分かっている。

 だが、それでも黙ってはいられなかった。

 この戦いの帰趨(きすう)も政治的思惑も関係ない。

 それは、己の家族を愛するひとりの人間として、同じ境遇にある人間への純粋な懇願だった。


「何度だってやり直せばいいじゃないかッ! 己の行為が間違いだと気付いたなら悔い改めればいい! 間違いを認めてより良き道を模索するのは恥じゃないッ! やり直せるから人間なんだよッ! だから戻ってこいッ! 今からでも間に合うから! 生き続けるという当たり前の事から逃げるんじゃないッ!!」


 束の間の静寂に包まれた世界を震わせたその激情は、失われつつあったキャメロットの心をも揺さぶり、劇的な変化を彼へと(もたら)す。


『やり直せる? 人間として生きる? マチルダと共に?』


 繰り返される呟きはそれまでの無機質で味気ないものではなく、普通の人間ならば誰もが(いだ)く希望と罪悪感が綯交(ないま)ぜになった葛藤だった。

 それは間違いなく希望の兆しであり、達也は言うに及ばず、マチルダやさくら達もキャメロットの覚醒を確信して期待に表情を綻ばせる。

 だが、それは(すで)に定められていた運命によって無残にも打ち砕かれてしまうのだった。


『ぐうぅ──ッ!? マ、マ、チ……ル……ダ……』


 断末魔の悲鳴と共に唐突にキャメロットの思念が搔き消えたかと思えば、激しい電子乱流が周囲の空間全てを蹂躙する。


『『きゃあぁぁぁぁ──ッ!!』』

『お兄ちゃん!? お兄ちゃぁぁぁ──んッッッ!!!』


 そして、さくらとユリアの悲鳴とマチルダの悲痛な叫びが重なり合いながら消失すれば、静寂を取り戻した空間に残されたのは、キャメロットだったモノと達也のみだった。

 余りにも無慈悲な結末に達也は言葉を失くしてしまう。

 だが、覚醒を果たしたその異物は、まるで何事もなかったかの様に無機質な言葉を(つむ)ぐのだった。


『ウィルスの排除に成功……個体名 ローラン・キャメロットとマザーシステムとの融合を確認……アップデート終了……これより最終シークエンスへ移行する』


 無機質さを増した言葉は確かにキャメロットのものに違いはなかったが、そこに彼の魂や想いが無いのは確認するまでもなかった。

 その瞬間に胸に去来した想いを達也は生涯忘れないだろう。

 落胆と空虚な脱力感……そして、腹の底から込み上げる灼熱の怒り……。

 だから、体裁も心を取り繕う配慮もかなぐり捨てた神将は、ありったけの怨情を込めた言葉を憎みても余りある存在へと叩きつけるのだった。


「おい、空気ぐらい読めよ……テメェなんかに用はない! まだ話は終わってないんだ……だから、さっさとキャメロットの奴と代わりやがれッ!」


           ◇◆◇◆◇


「全ての機器の機能を生命維持に集中させるんだ! このボクが約束したんだ! 何としてもこの少女は助けてみせるよ!」


 唐突に実体へと戻されたさくら達も混乱の最中にあった。

 敵AIによる強制排除処置は彼女達の精神にも多大な影響を及ぼすものだったが、危険を察知したクラウスが分離した精神を寸前で回収して難を逃れたのだ。

 しかし、今一歩のところでキャメロットの救出に失敗した事実は、皆の心に暗い影を落としていた。

 当然だが、絶望に()(ひし)がれたマチルダのダメージは大きい。

 病根の排除に成功したとはいえ、その精神的なショックは冷凍睡眠で疲弊しきった彼女の命の残り火を縮めるには充分過ぎるものだった。

 しかし、約束を守らんとして懸命な治療を施すヒルデガルドとは違い、さくらやユリアには最早祈る事しかできない。

 悲嘆に暮れて心を閉ざしたマチルダとの意思疎通は途切れており、身近に感じていた達也との絆も絶えてしまっている。

 だが、不安で心細くて如何(どう)しようもなくなった姉妹を飄々とした声が救う。


「何も心配する必要はありませんよ。上に居るのは誰だと思っているのですか? 白銀達也の辞書には不可能の文字はないのです。だから、信じましょう……あなた達の父上は必ず勝つ。勝って皆の未来を切り開いてくれる、とね?」


 そのクラウスの言葉にさくらとユリアは小さく頷き返すのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一瞬さくらちゃんが持って行っちゃうのかと、慌ててしまいました(300回記念が脳裏に……) AIの良いところは、目的に向かって常に正解を出すところですよね。だけど、それが人の心に響くか、といえ…
[一言] ああ、せっかく。 せっかくローランと和解できるかもしれなかったのに。 まぁAIからすれば余計な感情はウイルスですよね。 だけどこの最後は認めねぇ! 達也センセ、なんとしてでも取り戻すんだ…
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