第八十六話 ジュリアン救出 ⑥
気風の良い男前の言動が災いしてか、せっかちで直情径行だと誤解され易い志保だが、事前の作戦会議などでは納得するまで議論を重ねる慎重な一面も持ち合わせており、周囲からの評価は極めて高かった。
嘗て無能な上官の所為で大勢の仲間を喪った経験があるからか、作戦細部に至るまで検証を疎かにはしない慎重居士の一面も併せ持っているのだが……。
いざ作戦が開始されれば、危険も顧みずに獅子奮迅の暴れっぷりを披露するから性質が悪い……。
これも周囲からの高い評価の一部なのが何とも悩ましい、と親友のクレアも嘆息する少々困った点も御愛嬌の一言で片付くのだから、やはり志保の人徳には並々ならぬものがあるのだろう。
尤も、それは彼女と敵対した者達にとっては純粋な災厄でしかなく、その脅威は本作戦でも遺憾なく発揮されたのである。
『ブレーキが壊れた~~』とか『暴走特急』とか『世紀末破壊者』とか……。
部下たちが志保を称賛(?)する二つ名は枚挙に遑がないが、その信頼と期待を裏切らないのは流石と言うべきか否か……。
乱暴にも乗機していたシャトルを地下駐車場メインゲートに突っ込ませて物理的に閉鎖したかと思えば、味方の正確な戦力を敵に悟らせない為に、真っ先に監視システムを無力化して革命政府守備隊の目と耳を奪った抜け目のなさは、彼女が硬軟併せ持つ一流の戦隊指揮官である証明に他ならない。
勿論、敵の戦力を把握していないのは志保らも同じだが、主導権を握りさえすれば、攻撃側が有利に戦術を駆使できるのは自明の理だ。
その結果……。
◇◆◇◆◇
「まったく……呆れるしかないわね。夢見がちな狂信者に率いられた甘ちゃん集団では、足止め役すら満足に務まらないとは……」
最下層に設えられていた狭い監禁部屋からジュリアンを連れ出したグロリアは、キャメロットが『我が魂の故郷』と呼んだ大量の医療器機で埋め尽くされた研究室へと移動していた。
当然だが、そこにはマチルダの生命を繋いでいる冷凍睡眠設備もある。
なぜ、こんな逃げ場のない場所へ移動したかといえば、この部屋にある情報端末は地下層の全てのシステムと連動しており、状況の把握が容易いという理由からだが、そこで得たのは一方的に翻弄される味方の惨状でしかなかった。
この施設の守備を任されたレンセンとソラリア両大尉が率いる兵力は、中隊規模としては平均的な二百名で編成されている。
元より警備対象外の一般人向け病院施設には兵士を配してはおらず、地下施設に全兵力を分散配備していたのだが、それが仇になった。
シャトルでの強行突入という荒業に面食らったのも束の間、敵戦力を把握できないままに監視システムを潰されたのだから堪らない。
それでもB5Fを最前線と設定し、敵兵士らが進攻してくるであろう上階からの通路前に防衛ラインを構築して見せた手際は、称賛されて然るべきレベルだったと言えるだろう。
だが、この局面で敵の戦力を把握していないというミスが、彼らを奈落の底へと突き落す事になるのだから、やはり志保の方が一枚も二枚も上手だったようだ。
地下駐車場の空間は殊更に音が響く所為もあり、B4Fへ敵部隊が到達したのは容易に察せられた。
しかし、いざ戦闘開始……そう守備隊の兵士らが緊張の中で身構えた時だ。
各階の進入口に隣接しているエレベーターが一斉に動き出したものだから、彼らが驚いたのも、同時に勇み立ったのも無理はなかった。
突入先の状況を確認せずにエレベーターを使用するなど迂闊に過ぎる……。
狭いエレベーターの中では逃げ場はなく、防御も儘ならずに蜂の巣にされるしかない……そうほくそ笑んだ守備隊兵士らは一斉に銃口を向けたのだが……。
ドアが開くのと同時に目も眩む強い閃光と大音響に見舞われたかと思えば、強烈な爆風によって周囲の何もかもが薙ぎ払われてしまったのだ。
「高性能爆弾を満載させたエレベーターで奇襲するなんてね……引っ掛かった方が愚かだと言うべきでしょうが、戦場慣れしていない新兵には効果的な戦術ね」
グロリアの立場では自軍の愚かさを嘆く場面だが、彼女からは不甲斐ない味方への焦慮は微塵も感じられず、寧ろ楽しげであるかの様にさえ見える。
そんな彼女の態度に疑問を覚えたジュリアンは、この正体も定かではない不思議な女性の胸中を探るべく口を開いた。
「味方が劣勢に陥っているのに随分と呑気な物言いですね? それとも何か逆転の妙手でもあるのかな?」
ジュリアンにしてみれば、今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
そんな切羽詰まった状況だからこそ、謎多きグロリア・ルフトという女性士官の思惑を確かめたかったのだ。
(所属している革命政府軍に不満を懐いている様子はないが、上官の二人は元より総帥であるキャメロットすら眼中にない言動が目立つ……それが生来の気質なのか否か……確かめないと救出に来てくれた方々に危害が及ぶ恐れがある)
ジュリアンの懸念はこの一点に尽きたが、返って来た答えは思ってもみないもので、少なからず動揺せずにはいられなかった。
「あらぁ? 呑気なのは貴方の方ではなくて? ジュリアン・ロックモンド君……敵軍が優勢な現状ならば、指揮官のレンセン大尉やソラリア大尉は、貴方の排除を躊躇わない筈よ。憎い敵の資金源など葬ってしまえばいい……そう考えているのは間違いないわね」
「そんな……ですが、キャメロット総帥は……」
「譬え貴方を害する気が総帥になくても、取り巻き連中までもが同じだとは限らないわ。そもそもが視野の狭い狂信者の集団なのよ。身勝手な妄想に捉われて蛮行に及んだとしても不思議じゃないでしょう?」
然も困ったわ、との表情で嘆いてみせるグロリアの真意は定かではないが、その言葉の説得力を否定する材料をジュリアンは持ち合わせていなかった。
だが、だとしたら益々彼女の真意が分からなくなり、謎は深まるばかりだ。
「それは、貴女も同じではありませんか? こんな逃げ場もない場所へ連れ込んだのは、早々に私を始末する気で……」
自分で言葉にしておきながらも、その内容には恐怖を懐かずにはいられない。
しかし、艶美な微笑みを浮かべるグロリアは、口元を軽く吊り上げたまま無言で立ち尽くすのみだった。
すると……。
「どうした!? まだ始末していないのか?」
不機嫌さを隠そうともしないレンセンとソラリア両大尉が足音も荒々しく入って来たかと思えば、実弾装備の汎用型突撃銃の銃口を突き付けてきた。
その武骨な鉛色の銃身から伝わって来る圧は半端なく、まるで彼らの殺意が形を成したのではないか、と錯覚したジュリアンは身震いするしかない。
だが、そんな殺伐とした重苦しい空気など何処吹く風と言わんばかりのグロリアが含み笑いを漏らしたものだから、レンセンとソラリアは不快さを滲ませた眼差しで彼女を睨みつけた。
「何が可笑しいのだ? 万が一にも敵部隊の襲撃があった場合は、速やかにこの男を始末しろと厳命してあった筈だ! 何を愚図愚図しているのだッ!?」
嚇怒したレンセンから苛立ち交じりの叱声が飛ぶが、まるで動じる様子も見せないグロリアは、艶然とした笑みを浮かべて反論する。
「今更ジタバタしても如何しようもありませんわね……ほら、聞こえるでしょう。どうやらB9Fとの通路も奪取されたみたい。味方は壊滅状態で敵兵が雪崩れ込んでくるのは確実……ならば、ジュリアン氏の身柄を盾にして脱出を図るのが賢明ではないかしら? それなのに殺してしまえだなんて……やはり、狂信者の集団なんて馬鹿の集まりでしかないのね」
「巫山戯るなッ! この期に及んで我が身可愛さにキャメロット様への忠節を蔑ろにする我らだと思ったかッ!?」
挑発的なグロリアの物言いに激昂したレンセンが怒鳴り返せば、目尻を吊り上げたソラリアも間髪入れずに叫ぶ。
「こうなった以上は是非もないッ! その男を血祭りに上げ、一人でも多くの敵兵を道連れにして大義に殉じるのみだッ!」
二人の顔に滲む狂気には大の大人を委縮させるに充分なものがあり、向けられた銃口がいつ火を噴くか、ジュリアンは気が気ではなかった。
扉の外から伝わって来る喧騒は激しさを増しており、徐々に近づいて来ているのは分かったが、その前に引き金を引かれるのは確実だ……。
そう、ジュリアンが覚悟を決めた時だった。
「ジュリア──ンッッ!!」
血生臭い戦場にも仄暗い地下の研究施設にも似つかわしくない少女の悲鳴が木霊したものだから、室内にいた面々は虚を突かれて一斉に入口へと視線を投げた。
そこに佇んでいたのは、その可憐な顔立ちを歓喜で朱に染めたユリアに他ならず、ジュリアンは夢でも見ているのではないかと惚けてしまう。
だが、敵である他の面々の反応は、彼とは違い穏やかなものではなかった。
レンセンとソラリアの両名は迷わず銃口をユリアに向けるや、一瞬の躊躇もなく引き金を引き絞る。
連続する激しい銃撃音と共に弾丸が放たれたが、後方から伸びて来た手で襟首を掴まれたユリアの身体は強引に引き戻され、間一髪の所で最悪の事態は免れた。
「何をやっているのッ! 焦るなって言ったでしょぉ──ッ!」
「そうだよぉ! お姉ちゃんが怪我したら何にもならないよぉ!」
「ご、御免なさい……ジュリアンが生きていると分かったら我慢できなくて……」
壁に遮られて顔は見えないが、その声を聞き間違える筈もない。
志保とさくら、そして愛しいユリアの声だ。
そう確信したジュリアンは、彼女らを害そうとする敵を排除しなければと決意を新たにしたのだが、もう一人の敵であるグロリアの様子を窺い見て愕然としてしまった。
レンセンらから銃口を向けられても平然とした体を崩さなかった彼女が、優美な表情を驚きに歪めて焦慮を露にしているのだから、一体全体なにがあったのか、とジュリアンが訝ったのも無理はないだろう。
おまけに、余りにも似つかわしくない悪態を、その可憐な朱唇から零したとなれば尚更だ。
「何をやっているのかしらねぇ……あの人達は? 呑気な夫婦だとは思っていましたが、戦場に娘を連れて来るなんて非常識も甚だしい……」
その苦り切った物言いからは苛立ちしか感じられず、虚を突かれたジュリアンとしては、何と声を掛ければ良いのか分からずに立ち尽くす他はなかった。
だが、そんな事情とは無縁のレンセンとソラリアは、最早これまでと意を決したのか、携帯していた投擲タイプの手榴弾を手にする。
火薬の質も量も強力極まる代物で、とても狭い室内で使用するものではない。
彼らの手持ちの手榴弾四発が炸裂すれば、この最下層に居る全ての者達が道連れになるのは確実だ。
兵器の性能には疎いジュリアンだが、彼らの高揚した表情から危険な臭いを感じ取った瞬間、恐怖も忘れて飛び掛かっていた。
(駄目だッ! ユリアやさくらちゃんが危ないッ!)
しかし、その懸命な想いも空しく、レンセンとソラリアが伸ばした指が一瞬だけ早く手榴弾の起爆ピンへと届いた……と思ったのだが……。
「馬鹿な真似は止めて貰えませんかねぇ……あの子達まで巻き添えにされたのでは堪ったものではありませんよ」
一体全体いつの間に移動したのか……。
唖然として立ち尽くすジュリアンを後目に上官らの背後へ高速移動したグロリアが、彼らの首根っこを片手で掴んで悪態をついているではないか。
「ぐうわぁぁ──ッ!」
「は、離せッ、な、何をするかぁ──ッ!」
大の男二人が苦悶の表情で藻掻き苦しむものの、女性の細腕でしかないグロリアはビクともしない。
そして、その最後の悪足搔きも、僅か数秒で終わりを告げるのだった。
「ふんっ! 他愛もない……大人しく私の提案を受け入れてさえいれば、痛い目は見ずに済んだでしょうにねぇ……」
そう忌々し気に呟くグロリアの迫力に戦くしかないジュリアンだったが……。
「ジュリア──ンッ!」
「ぐほっ!??」
両の瞳から涙を溢れさせたユリアのタックルを喰らい、情けなくもその場に重なり合う様にして倒れ込んでしまう。
だが、それでも想いが胸の奥から溢れて来てしまい、愛しい恋人の華奢な身体を抱き締めたジュリアンは、感極まって素直な気持ちを吐露していた。
「こんなにも早く君に逢えるなんて思ってもいなかったよ……あぁ、本当に君なのかい、ユリア?」
「えぇ……私以外の誰が貴方なんかを迎えに来ると思っているのよ……心配したのだからね……ジュリアンは無事だって自分に言い聞かせて、でも、それでも不安で仕方がなくて……」
その先はもう言葉にならない。
ジュリアンの両腕から伝わって来る彼の想いが胸に染み入ったから……。
周囲の喧騒が収まる中、二人の抱擁はいつ終わるとも知れずに続くのだった。
だが、そんな良い雰囲気など知った事ではない人間が一人いる。
言わずと知れたグロリアだ。
見目麗しい外見には凡そ似つかわしくはない力技で、大の男二人を絞め落とした彼女を敵視する者はいないが、呆れとも怒りともつかない微妙な表情で恋人たちの傍に立つ姿には、志保やヒルデガルドも警戒を深めるしかなかった。
彼女の足元で感極まって抱き合っているジュリアンとユリアや、その傍で喜びを露にしているさくらへ危害を加える気配があれば、即座に叩き伏せて拘禁するべく身構えていたのだが……。
「あなた達は一体全体なにをやらかしているのですかねぇ……こんな物騒な場所は子供の遊び場ではありませんよ? あの能天気な御両親が許したのですかねぇ? だとしたら、セレーネに帰ったら問題にせざるを得ませんよ?」
などと叱責を始めたものだから、志保もヒルデガルドも目を点にするしかなかったのだが、周囲の脱力気味の反応を他所に、不思議そうな眼差しでグロリアを見上げていたさくらが漏らした突拍子もない一言で、再び両の眼を見開く事になるのだった。
「あぁ──ッ! クラウスおじさんだぁ! どうして今日は美人さんの格好をしているの? さくらビックリしちゃったよぉ──ッ!」




