第八十四話 御魂安らかなれ ③
「敵G群、スポット372より離脱するも反転を開始。スポット411より再突入を図る模様。J2,並びにN、H2群の殲滅を確認……K群とS群は再編を終えてスポット115へ向かっています」
艦隊周辺の戦闘宙域に於けるナイトメア部隊の動向をクレアが正確にトレースして見せれば、その情報を瞬時に精査した達也が指示を下す。
「ブルー・12、35、50、Uー2。アンバー・7、28、Dー1。パープルとブラウン・3、33、49、Rー2。ホワイト・22、41、42、Lー2」
そんな二人の遣り取りを詩織以下、大和艦橋スタッフは唖然とした表情で見守るしかない。
(し、信じられないわ……訓練の時はA判定がやっとだったのに……)
そう詩織が驚嘆するのも無理はないだろう。
全艦艇参加による対ナイトメア迎撃訓練が開始されてからというもの、かなりの時間が経っているが、その成果は決して芳しいものではなかった。
『艦隊を構成する外周部は長中距離の砲撃精度向上を……それ以外の艦艇は、俺の指示を迅速且つ正確に遂行できるようになってもらう』
達也から告げられた訓練の概要が示している様に、梁山泊軍艦隊将兵に求められたのは、全艦艇で構築された密集陣形に於ける正確で素早い艦隊連携行動の完遂という至極当たり前のものだったが、それは口で言う程に簡単ではない。
最初に問題になったのは、要求を満たす技量を有するオペレーターが皆無だったという点だ。
冒頭部分でのクレアのオペレートを例にとれば、各アルファベットは敵編隊を、そして、スポット番号は自艦隊外周部分にある誘引口を表している。
今回の作戦でオペレーターに課せられたのは敵航空編隊のトレースを完璧に行う事なのだが、熟練の腕前だと評価されている者でさえ、学習能力が高いAI無人機の軌道を正確に予測するのは困難を極め、訓練を重ねて熟練度を上げたベテランでもA判定が精々という有り様だった。
だが、だからと言って管制担当官らを責めるのは酷だろう。
唯でさえ高機動による変幻自在の回避性能を誇る厄介な相手が、戦闘行為を重ねる事で更に能力を向上させるのだから、ある程度の技量の持ち主では、時間の経過と共に対処不能の状況に陥るのは自明の理だ。
当然だが、彼らの不手際は達也の指揮にも影響し、その結果として自艦隊の被害が拡大するのは避けられないと首脳陣は覚悟していたのだが、そんな憂慮もクレアの前では杞憂に過ぎなかった。
(大統領の職務に追われて陸に訓練をする暇もなかった筈なのに……敵編隊の軌道を完璧にトレースした上に、行動予測もドンピシャだなんて……)
そう詩織が感嘆する程にクレアのオペレートは完璧だった。
彼女の予測は唯の一度も外れる事はなく、敵は導かれるかの様に告げられた番号の開口部へと飛び込んでいく。
そうなれば、後は達也の仕事だ。
今回の迎撃フォーメーションは、個別艦隊が密集して形成されたものではない。
外周部を取り巻く艦艇以外は長大な単縦陣で構成された五十個の艦隊に再編されており、それらが一定の法則に従って独自の密集陣形を形作っているのだ。
それぞれのカラーは艦隊を、そして数字は艦艇を表しており、Uは上、Dは下、Rは右、Lは左への移動、並びに続く数字は移動幅を示している。
『対空迎撃は狙って当てるものではない。誘い込んで一網打尽にするものだよ』
訓練時に達也が漏らした言葉の意味を当時の詩織は明確には理解できなかったが、次々に撃破されていくナイトメアの末路を目の当たりにすれば、嫌でも納得するしかなかった。
全ての僚艦で構成された広大な迷宮。
複雑に入り組んだ広狭相成す黄泉路は、迷い込んだ敵を濃密な弾幕が支配する空間へと誘い、その命脈を確実に絶っていく。
当然ながら、ナイトメアに搭載されたAIも直ちに情報を修正して最適なルートを導き出すが、その更新された情報すら達也によって誘導されたものでしかないのだから、事態が好転する筈もなかった。
つい先程までは安全に通過できたルートが死地へと変貌する。
そんな状況下に置かれた時、優秀な指揮官ならば、そこに何かしらの敵の意図があると看破して根本的な対処に踏み切るだろう。
だが、集積した情報を精査して弾き出された膨大な選択肢の中から最も有益だと判断した手段を選択するAIは、最上位者からの指令か、部隊の損害がある一定のレベルに達しない限り、絶対的行動ルーチンに固執して単一の行動パターンを繰り返すという脆さも併せ持っている。
つまり、優秀な性能を誇る機動兵器であっても、その根幹となる頭脳が未熟では、戦場慣れした熟練の将官に及ばないのも当然だろう。
然も、〝神将″とまで称せられた達也にしてみれば、戦場での経験も覚束ない新型兵器の思考パターンを手玉に取るなど、赤子の手を捻る様なものでしかない。
『配下の艦隊を思いの儘に動かして見せれば指揮官としては一人前だ……だがな、一流と呼ばれる指揮官は敵をも己の意の儘に操ってしまう。どうせなら、その程度にはなってみせろ。お前なら不可能じゃないさ、如月艦長』
嘗て、そう激励された時は『何時かは自分も!』と高揚して奮起した詩織だったが、その神業を実際に目の当たりにすれば、己の思い上がりを痛感して恥じ入るしかなかった。
(この場で戦っているのは白銀提督とクレア大統領だけだわ。私達は指示に従って操艦しているに過ぎない……どれだけの経験を積み重ねれば、こんな奇跡が可能になるのかしら……)
詩織の驚嘆は間違ってはいないが、必ずしも正しいとは言えないだろう。
密集陣形下でのフォーメーション変更は口で言うほど容易いものではない。
隣接する僚艦との接触を避けながら、矢継ぎ早に下される命令に即応するなど、乗員の熟練度が高い梁山泊軍艦隊だからできる曲芸に過ぎないのだ。
傍目には達也とクレアの独壇場にも見えるだろうが、その活躍を支えているのは、紛れもなく練達の将兵らの研ぎ澄まされた技量なのである。
そして、気忙しくも困惑に満ちた時間は唐突に終わりを告げた。
「敵編隊は再突入を断念した模様……退避行動に移行します」
「残存機数は?」
「……154機です。敵戦力の約90%を撃破しました」
「ふん……まあ、上出来な方かな」
クレアと達也の遣り取りが敵の第一次攻撃隊を退けた事実を艦隊将兵らへ知らしめたが、安堵するには早いと戒めたのも、やはり達也だった。
「皆よくやってくれた……想定通りの結果とはいえ、諸君らが厳しい訓練の成果を遺憾なく発揮してくれた事に心から謝意を表す……だが、直ぐに第二波が襲来するだろうから、各艦とも気を抜かずに作戦の完遂に全力を尽くしてくれ」
その言を訝しむ者は少なくなかったし、現に詩織もその中の一人だ。
想定外の結果を鑑みれば、敵が第二次攻撃を選択するとは考え難い……。
それが、彼らの偽らざる本音だった。
「敵は一方的に損害を被ったのですよ? 状況の精査もせずに第二次攻撃隊を出すでしょうか? 寧ろ、優勢な艦隊戦力による力攻めに転じる可能性が高いと思いますが……」
その進言は現実的であり正鵠を射ていると言っても過言ではなかったが、達也は淡々とした口調で否定した。
「AI制御の無人機動兵器の力を誇示した上で勝利する必要が連中にはあるのさ。敵無人機の総戦力は定かではないが、第一波が1500ならば最大でも5000が限度だと見ていいだろう。未だ70%近い戦力が残っているのならば、意地になって第二波を嗾けてくるだろうよ」
「つまり、敵総帥が主張するAIに管理統括された世界実現の為には、それを民衆に納得させる戦果が必要という事ですか? その為ならば、虎の子の無人機部隊の損害は顧みないと?」
詩織にしてみれば、達也が主張する敵の真意には違和感を覚えざるを得ない。
その狙いや手法は分からないでもないが、釈然としない何かが胸の中で蟠って上手く言葉にできないのだ。
すると、そんな彼女の困惑を察した達也は皮肉げな笑みを浮かべた。
「連中の根幹を成しているのは〝革命者″でありたいという自負だから、必要以上に体裁を気にする……だが、そんなものは政治家の領分だ。軍人のする事ではない。だから、唯の数字でしか損害を把握できないのだ。罪もない者達の命を踏み躙っておきながら、臆面もなく無人機動兵器だと言い張る……そんな愚か者共は生きている値打ちすらない……一人残らず黄泉路の片道切符をくれてやる」
これまでも何度か耳にした断罪の台詞に耳朶を揺さぶられた詩織は、その物言いから滲みでる達也の怒りに戦慄して表情を硬くするしかなかった。
(そうか……敵は既に戦後の事を考えているのね……だからこそ、勝ち方に固執して凡そ軍人らしくない戦い方をせざるを得ないのだわ……それにしても、ここまで提督を怒らせるなんて……憎い敵とはいえ同情を禁じ得ないわ)
そう納得すれば、次に胸の中に込み上げて来た感情は紛れもない憤りだ。
「随分と軽く見られたものですね。意地でも負けられなくなりました!」
鼻息を荒くする艦長の物言いにブリッジスタッフも改めて表情を引き締める。
すると、沈黙した儘レーダーを凝視していたクレアが緊張した声を上げた。
「敵艦隊より機動兵器出現っ! 機種照合 ナイトメア。第二波攻撃隊と確認ッ! 総戦力は第一波同様1500機です!」
予想通りの展開に達也は内心でほくそ笑んだ。
油断はできないが、クレアが居る限り迎撃戦に於ける優位は動かないのだから、この前哨戦の勝利は揺るぎないと確信していた。
しかし、戦場に確実な事は何一つないし、不安が尽きないのも事実だ。
(ならば、躊躇わずに作戦の第二段階に移行するべきだろう。敵の援軍が到着する前にケリをつける……それ以外に我々に勝機はないのだから)
過酷極まる戦場での綱渡り。
渡り切れるか否かが、己と仲間達、そして銀河の命運を決める……。
理不尽な重圧に戦きながらも、そんな素振りなど微塵も見せない達也は、一切の感情を感じさせない声で矢継ぎ早に命令を下すのだった。
「艦隊全乗員に告げる。捕らわれた同胞らの魂を解放する為にも襲来する敵は全て撃破しなければならない。外周艦隊は対空迎撃榴弾を撃ち尽くす覚悟で迎撃せよ。他の艦艇は私の指示に即応する様に……気楽にいこう。先程と同じ事をするだけだ。尚、敵第二波を殲滅した後に突撃を敢行する。各員一層奮励努力せよッ!」
ものの数分もしないうちに、外周部に陣取った大和級や主力護衛艦の主砲が火を噴き、対空迎撃戦第二ラウンドが開始された。
そして、第一波同様に達也とクレアの的確な指示のもと、葬送の為のセレモニーと化した戦いが繰り広げられたのである。
(せめて御魂だけでも、故郷に住む大切な者達の元へ還らん事を……)
最後のナイトメアが撃破されるまで、そう心の中で祈り続ける達也だった。




