第八十三話 オープニングセレモニー ③
(冴えない顔しやがって……幼馴染のくせに今更何を遠慮する必要があるんだ? いや、付き合いが長いからこそ、変に気を使ってしまうのか?)
自他共に認める朴念仁の達也だが、詩織や蓮と過ごした月日の長さを鑑みれば、その微妙な心の機微を察するのは然して難しい事ではない。
義兄が入室して来た途端に表情を曇らせた詩織と、チラリと視線を艦長席へ投げた時に蓮が見せた微かな悔恨の情は、長い戦場暮らしの中で頻繁に目にして来たものと何ら変わるものではなかった。
だからこそ、その原因が分かり過ぎるだけに、達也は如何したものかと閉口してしまうのだ。
(付き合っているのはバレバレなのに、コイツらは上手く隠し通せていると勘違いしているし……おまけに変な所で責任感が強くて職務に忠実だから、余計に始末に悪いんだよな)
そう達也が嘆くのも無理はなかった。
出撃までの十日間というもの、蓮も詩織も己に課せられた職務を言い訳にして、唯の一度も帰宅しなかったのだ。
流石に出撃に際して見送りに来た春香や愛華との面談を辞退するような不義理はしなかったが、ほんの数分だけの寂しいものだったと、クレアからも苦言を呈されていた。
若くして艦隊旗艦の艦長に抜擢された詩織が、悪戦苦闘しながらも懸命に職責を果たさんと努力しているのは評価できるし、高性能新型機を乗りこなすべく、血が滲む様な訓練に没頭する蓮の想いも充分に理解できる。
そんな事情があるからこそ、自分自身や家族を顧みる余裕がないと考えているのだろうが、それでは駄目だというのも厳然たる事実なのだ。
(生きて帰る……どれほどの決意と確固たる信念があっても、その想いを叶えるのは並大抵の事ではない。戦場を徘徊する死神は時として残酷極まりなく、その大鎌を振るって平然と命を刈り取っていく……)
戦いに際して生還を期すのは誰しも同じだが、その想い叶わずに戦場で命を散らせた者達を達也は数多く見て来た。
だからこそ、死の間際に後悔がない様に、成すべき事は事前に済ませておくべきだと肝に銘じているし、その程度の余裕は彼らにも持って欲しかったのである。
だが、今も出撃準備を終えた〝疾風″に関する報告をしている蓮の顔は強張った儘だし、艦長席にしがみ付いて離れ様ともしない詩織が、殊更に瘦せ我慢しているのは明々白々だ。
(仕方がないな……いらぬ御節介かもしれないが、見て見ぬフリもできまいよ)
そう決めた達也は報告が終わったのを幸いとばかりに、チョイチョイと手招きをして蓮を呼び寄せるや、他の連中には聞こえない様な小声で促す。
「御苦労だったな、真宮寺。ついでと言っては何だが、ちょいと耳を貸せ」
当然ながら、蓮は怪訝な顔をして躊躇したが、総司令官の命令に逆らえる筈もなく、言われる儘に達也の傍まで近寄って上半身を屈めた。
すると、更に声を潜めた達也は、言葉を飾りもせず蓮の耳元で囁いたのだ。
「決戦を前にして必死になるのは分かるが、もう少し余裕を持て。如何に生還するのが最優先だとはいえ、恋人や家族すら顧みないのは間違っている。どんな場合でも絶対は有り得ない……万が一の時に後悔しない為にも、伝える事、そして、成すべき事はキチンと済ませておけ」
「えっ!?? そ、そんな事……」
動揺して弁明しようとする蓮よりも早く達也は言葉を重ねる。
「馬鹿者。お前らの関係が気付かれていないとでも思っているのか? 下手に騒いで逆効果になっては拙いと皆が自粛しているだけでバレバレだ。況してや、御父上からは『蓮と詩織が結婚式を挙げる時は、媒酌の労をお願いします』と頼まれている……クレアも楽しみにしていたぞ」
想定外の事態に直面した蓮は挙動不審者の如く狼狽えてしまい、反論も言い訳も儘ならずにアタフタしてしまう。
そんな様子がひどく滑稽だったらしく、艦橋に勤務する面々は一様に怪訝な視線を投げ掛けるが、誰よりも不安げな表情を隠せないのは、他ならぬ詩織だった。
決戦まで間がないというのに、旗艦艦長がこの為体では士気に関わる。
だから、当の本人達に問題を解決させるべく達也は命令を下した。
「艦長。コイツの報告では整備体制の状況確認が不十分だ。君が一緒について行き、その辺りの事を確認してくれ。大和以外の艦では〝疾風″の修理補給は行えないからね。念のために頼むよ」
「は、はいっ! 了解いたしました」
詩織が困惑しながらも了承したのを確認した達也は、改めて蓮へと視線を移すや、最も重要な事を念押しした。
「いいか……俺とお前が出撃するのは敵艦隊を混乱に貶めた後だ。目標は敵首魁のローラン・キャメロット、そして、無人兵器であるナイトメアやユニコーンの運用母艦だ。それ以外には目もくれるな」
困難な事は百も承知の上での命令だ。
その言の重みは蓮も理解しており、先程までの狼狽ぶりが嘘だったかの様に真剣な表情で敬礼を返すのだった。
その後、蓮と詩織が艦橋から姿を消すや否や、揶揄う気満々のクレアが話しかけて来た。
「司令官閣下も御成長なさいましたわね。部下の恋愛事情にまで御配慮なされるとは……私も感無量ですわ」
「言ってろ。柄じゃないのは分かっちゃいるがね……アイツらを見ていたら、昔の自分を見ている様でイライラするのさ。だ・か・ら、要らぬ御節介を焼きました。はい! この話は此れで終わりだ! 作戦開始まで時間がないぞ。全艦に最終点検を厳にする様に通達せよ!」
どうにも気恥ずかしくて仕方がないのか、さっさと話しを打ち切った夫の態度が可笑しく思えてしまい、必死で笑うのを堪えるしかないクレアだった。
◇◆◇◆◇
「何だか、凄く気を遣って貰ったみたいね」
エレベータの扉が閉まるのと同時に、詩織は口元を押さえてクスクスと笑った。
ヒルデガルドが心血を注いで完成させた人型機動兵器 疾風は、専属の整備用アンドロイドがメンテナンスの全てを担当しており、そのプログラムに問題がないのは、既に確認済みだ。
それは、艦長である詩織自らが電子機器担当の整備士から報告を受けているのだから、間違いはなかった。
つまり、取って付けたかの様な達也の命令は、作戦準備に追われて陸に帰宅もしなかった自分達への配慮なのだと、詩織は正確に察したのである。
「そうみたいだな……俺も迂闊だったよ。疾風を乗りこなす事ばかりしか頭になかったからさ……詩織の事を気遣ってやれなかった。ごめんな」
一方で達也から聞かされた暴露話のダメージを引き摺る蓮だったが、ハッキリと言葉にして貰えた事で却って踏ん切りがついた気がしていた。
だから、愛しく思う相手へ素直に頭を下げて謝罪したのだ。
「ば、馬鹿ね……私だって出撃準備や訓練に忙殺されて余裕なんか微塵もなかったもの……慣れない新型機で戦わなければならない、あなたの不安を察してあげられなかった……ずっと後悔していたわ。ごめんね、蓮」
伝えられなかった言葉を口にして安堵したふたりは、同時に含み笑いを漏らす。
そのタイミングで目的の階層へと到着したエレベータの扉が開いたのだが、通路へ降りたのは蓮だけだった。
「言葉を交わせて随分と気持ちが楽になったわ。ありがとうね、蓮。お互いに全力を尽くそうね……そして、父さんやお義母さん、愛華の待つお家へ一緒に帰ろう」
これ以上、顔を合わせていたのでは辛くなるばかりだ……。
そう思った詩織は、第一艦橋と表示されたボタンを押そうとしたのだが、指先が触れるか否かというタイミングで伸びて来た蓮の手で手首を掴まれてしまう。
「ちょっと、蓮ったら……」
未練がましいのは嫌だと思い抗議しようとした詩織だが、視線の先にある恋人の真剣な表情を見れば、それを言葉にする事はできなかった。
片や蓮にしてみれば、このまま何も告げずに別れたのでは、折角の達也の厚情を無にしてしまうという強迫観念にも似た葛藤に苛まれていた。
お互いを愛しているという点では自分も詩織も異論はないし、いずれは結婚して新しい家庭を築きたいと思ってはいたが、具体的なプランなど無いに等しいのも、また事実だ。
だが、『義父から媒酌人を頼まれた』と聞かされてしまえば、一番呑気に構えていたのが他ならぬ自分達だったと嫌でも認識せざるを得なかった。
このまま漫然と日々を過ごしていると、お祭り大好きな両親の段取りに流された挙句に、プロポーズの言葉もなしにゴールインさせられる可能性を否定できない。
極めて常識人の両親だが、そういう点では世間様とピントがズレているのを蓮は誰よりも良く知っていた。
(そ、そんな事になったら、詩織から一生愚痴を聞かされるぞ……)
恐怖の未来予想図に背中を押された蓮は、掴んだ詩織の手首を強引に引く。
そして、倒れる様にエレベーターを降りた恋人の華奢な肢体を優しく抱きしめるや、精一杯の想いを込めた言葉を贈るのだった。
「この戦いを必ず生き残って皆が待つ家へ一緒に帰ろう……そして、全てが終わったら、俺と結婚してくれないか? 俺は詩織と一緒の未来が欲しいんだ」
腕の中の恋人の身体が微かに震える。
流石にいきなり拒絶されるとは思わなかったが、生真面目な詩織の性格を考えれば、『決戦を前に不謹慎よ!』と叱責されて有耶無耶にされるかもしれない。
だが、それならば、OKを貰うまで何度でも言葉を重ねる覚悟だった。
しかし……。
「……うん……いいよ……私も蓮と同じ時間を生きていきたいから……私を貴方のお嫁さんにして下さい」
涙声で掠れた途切れ途切れの返事には喜色が滲んでおり、感極まったふたりは、相手の温もりを離すまいとして、互いの身体へ廻した両腕に力を入れるのだった。
◇◆◇◆◇
「遅くなりました。メンテナンスサポートシステムは正常に稼働しており、提督が御懸念なさる事はないと断言いたします」
十五分ほどで艦橋へ戻って来た詩織の様子からは、蓮との間に何かしらの進展があったのかは読み取れない。
しかし、その迷いのない立ち居振る舞いを見れば、詮索するのは野暮だろうなと思った達也は、無言のまま一度だけ頷くに止める。
すると、艦長席へ戻る刹那、声を潜めた詩織が呟いた。
「ありがとうございました……お気遣いに感謝申し上げます」
そして、何事もなかったかの様に自席へと戻っていく。
だが、それで充分だ。
全ては、この戦いを終わらせた先にあるのだから。
そして、運命の刻がやって来る。
「定刻だな……全艦隊へ通達! 作戦開始ッ! 全艦グラシーザ星系へ最終転移を開始せよ!」
達也からの命令が下るや否や、梁山泊艦隊は最後の戦いの舞台へと飛び込んでいくのだった。




