第八十三話 オープニングセレモニー ②
革命政府軍の哨戒艦隊を一蹴した梁山泊軍艦隊は、アルカディーナ星系を進発して一路グラシーザ星系を目指した。
各航路に常設されている転移ゲートには何かしらの細工が施されている可能性もあり、端から単独での連続転移を敢行せざるを得なかったのだが、幸いにも、先の戦闘で鹵獲して改修した銀河連邦軍護衛艦群からも脱落艦はなく、無事に最終待機ポイントへと到着したのである。
あと僅か一度の転移で敵本拠地とは指呼の距離に到達できるのだが、先行している支援艦隊らが全て配置につくには今暫くの時間が必要だし、何よりも敵軍の情勢も把握しておかなければならず、安全な宙域に留まっているという次第だった。
「先行しているイ号潜部隊より暗号通信が入りました……翻訳を開始します」
レーダーによる索敵、並びに管制任務を担当する首席管制官の席を占有しているのは、アマテラス大統領であり、達也の妻でもあるクレアだ。
その政治的立場と他国への影響力を考えれば有り得る事ではないが、総司令官である達也が黙認している以上は他の士官らが異論をはさむ筈もなく、寧ろ、盛大な歓呼を以て彼女は歓迎されたのである。
元々軍人だったクレアは退役する前は中将の地位にあり、通信索敵分野に於いては、並ぶ者がない程の卓越した技量と見識を兼ね備えたスーパーウーマンだった。
おまけに人柄も良く、部下達からも慕われていた彼女の復帰は、最終決戦を前にした艦隊将兵の緊張を和らげ、士気高揚にも大きな役割を果たしたのである。
そんな経緯もあってか、クレアが首席管制官の座に就く事に異を唱える者は皆無で、実際に通常任務の範囲内では何の問題も起きてはいなかった。
「報告します。『敵艦隊ハ アスピディスケ・ベース前面ニ展開シ 迎撃態勢ヲ整エツツアリ』 です。再度詳細を問い合わせますか?」
ごく短い報告に確認の有無を具申したが、それが承認される事はないとクレアは分かっており、飽くまでも形式的な手順の確認でしかない。
案の定、達也は首を左右に振って見せた。
「必要ない。敵艦隊の陣容はダネルに潜入している情報員からの報告で把握済みだし、変更があればイ号潜からの報告に在った筈だからね。それよりも、下手に通信を重ねて潜入部隊に無用なリスクを背負わせたくはない」
その真っ当な返答を聞いたクレアは、常日頃と変わらない冷静な判断をする達也の様子に改めて頼もしさを覚えてしまう。
しかし、それを口にして『贔屓の引き倒し』だと揶揄されたのでは堪らないし、そんな羞恥プレイは家の中だけで充分だと自制した。
(最近は、ユリアもさくらも容赦がなくなって来たというか……『何時までも新婚気分でいるなんて変!』とか言いだすし……)
秘かに胸の中で愚痴を零していると、達也が艦長の詩織に話し掛ける。
「先行しているイ号潜部隊と航宙母艦群の配置完了まで、あとどれぐらいだ?」
「作戦要綱通りならば、約一時間後には完了します。念の為に完了予定時刻に現状確認の符号を発信しますか?」
「いや、それも必要ない。定刻に達すると同時に作戦を開始。予定通り主力艦隊は全艦を以て最終転移を敢行し、敵本拠であるアスピディスケ・ベースへ侵攻する」
淡々とした物言いだったが、その言には厳然とした圧があり、大和の第一艦橋に配置されている面々は知らず知らずのうちに姿勢を正していた。
作戦が発動されると同時に転移すれば、実に三十倍以上の敵軍を相手にして雌雄を決せねばならないのだから、緊張するなと言う方が無理だろう。
しかし、そんな面々を後目に、相変わらずマイペースなのは詩織だ。
数々の作戦を経て成長したからか、最近では熟練の艦長らしい風格まで身につけつつあり、他の艦長らや仲間達も一目置く存在になっている。
だから、彼女なりに感じている疑問を口にするのにも、一切の忖度はなかった。
「アスピディスケ・ベース周辺宙域に敵艦隊が展開したのは予測の範疇なのでしょうか? 圧倒的に優勢な戦力を鑑みれば、艦隊を複数に分けて散開し、多方面から押し包んで一網打尽にする方が理に適っていると思えるのですが?」
詩織の問いは至極当然のものだろう。
全軍を一極集中させて迎撃作戦を展開するのは戦力的に劣る側が採る常套手段であり、数字的に優位に立つ側が好んで選択するのは稀だ。
だが、寸毫も表情を変えない達也は、淡々とした口調で彼女の疑問に答えた。
「確かに艦長の言い分は理に適っているが、ある意味では、油断と慢心を誘発する危険な要因も内包している……艦隊同士の連携が不十分であれば、各個撃破される可能性を否定できない」
「分遣艦隊とはいえ、総戦力は一万隻から二万隻にはなる筈ですよ?」
「それでもだ。戦いに於いて絶対はないし、必ずしも優勢な戦力が戦局を左右するとは限らない。アルカディーナ星系での銀河連邦軍との戦いで、その事は君も痛感したのではないかね?」
そう言われれば詩織としては異論を挟む余地はなく、したり顔で頷くしかない。
「確かに……然も、あの戦闘の実相を敵が把握していない以上、様子見で慎重になるのも仕方がないという訳ですね」
アルカディーナ星系戦域に於いて、梁山泊軍へ有利な戦況を齎した要因。
各種レーダー波を吸引無効化する粒子と、それを軍事目的に利用して開発された特殊兵器〝八重霞″、そして、その中であって自軍のみに索敵を有効にする精霊達の助力は、今回の最終決戦でも勝敗を分ける可能性を秘めている。
しかし、その利点を熟知している詩織は得意げに断言したが、達也には別の考えがあり、苦笑いしながら口を開いた。
「まぁ、敵の思惑には不透明な部分もあるが、我々にとっては厄介な事になったと肝に銘じた方がいいだろう。裏を返せば、派手で見栄えの良い勝利には目もくれず、必ず敵を殲滅するという堅実な策を選択したという事に他ならないからね……キャメロットと幕僚達は微塵も油断してはいない。我々も覚悟して戦に臨むべきだと思う」
艦橋勤務の面々にとって、敬愛する司令官が漏らした言葉は予期せぬものだったらしく、その真意を測りかねて顔を見合わせてしまう。
すると、困惑気味の呈を隠そうともしない詩織が質問を重ねる。
「それは……敵の意思決定に何かしらの変化があったという事でしょうか?」
その問いにも達也は顔色一つ変えずに応じた。
「変化と言えるかどうかは兎も角、軍の意思決定の場から貴族閥の将官が排除された点は見逃せないだろうな。現在、敵軍の主力を担っている指揮官の多くは、実戦経験豊富な民間出身の将官で構成されているだろう。銀河世界の未来をAIに委ねるという冷徹な理想を懐くキャメロットの事だ……合理的な人材登用は必然だし、必勝の一手を躊躇う筈もないからね」
その憶測は正鵠を射ており、事実、革命政府軍の艦隊司令官を務めているのは、達也と同じ民間出身の将官ばかりだ。
然も、その中には達也と同様に〝日雇い提督″として数多の辛酸を舐めさせられた者も多く交じっており、その能力に疑問を懐く余地はないだろう。
つまり、今回の最終決戦では、これまでの様に敵の慢心による自滅行為を期待する訳にはいかず、真っ向勝負を余儀なくされる事を覚悟しなければならないのだ。
艦の性能では数段勝るとはいえ、腰を据えて待ち構える優勢な敵が相手では劣勢は免れないと、詩織以下士官らは心構えを新たにするのだった。
すると、今度は自席に座っていたヨハンが、何処か納得がいかないといった風情で発言する。
戦闘中はCICで戦闘指揮を統括している彼だが、それ以外では第一艦橋で勤務している事が多いからか、未だに居残っていたのだ。
「しかし、分からないものだよなぁ……貴族閥に名を連ねていた将官らが無知蒙昧なのは仕方がないとしても、普通の平民出の軍人が、AIによって支配統治された未来を望むなんて……どう考えても違和感しかないんだが?」
それは、質問というよりも独り言の類だったが、詩織や神鷹、そして他の士官らも頷いているのを見れば、放置するわけにもいかないだろう。
そう考えた達也は、重い口を開かざるを得なかった。
「何処の世界でも組織や上役からの無理強いは在るが、軍人のそれは命が懸かっているだけに始末が悪い。お前達だって士官候補生だった時に受けた仕打ちは覚えているだろう? しかし、現場を預かる指揮官の苦労は、その比ではない……直卒の艦隊も与えられず、鞄一つ持って激戦地を転戦させられた挙句〝日雇い提督″などと嘲笑される……その屈辱と憤懣は、経験した者にしか分からないだろうな」
それが〝日雇い提督″の代表格だった達也の言葉だけに、クレアは元より詩織らも口を差し挟めずに押し黙るしかない。
「キャメロットの理想に賛同した連中の真意までは分からないが、下らない妄執や虚飾に塗れた人間よりもAIの方がマシだ……そう考えたとしても不思議ではないと俺は思うよ」
それは、敵将のキャメロットとは対極の位置にある達也の言葉とは思えないものであり、その場に居た多くの者達は面食らうしかなかった。
だが、クレアだけは別だ。
夫の何処か不貞腐れた態度から、それが真意ではないのを見抜いてしまう。
「また意地悪な事ばかり言って……皆が目を白黒させていますわよ。若い人たちを揶揄って楽しむ悪い癖は何とかしてくださいね。総司令官閣下殿?」
それは、大統領としてではなく妻としての苦言であり、達也としても苦笑いするしかなかった。
「意地が悪いのは俺の方かい? まぁ、女房殿の忠告は無下にはできないからね。本音を語らせて貰えば、俺も戦闘にAIを導入する事には反対はしない……いや、寧ろ、積極的賛成派だと断言しても良いぐらいだ」
それは、達也の偽らざる本音に他ならない。
「我が艦隊も、乗員不足の問題を解決する為に多くの特化型アンドロイドを配備しているし、改修した鹵獲艦は全艦がAI制御の無人艦だ。人命の損失は可能な限り避けた方が良いのは当然だからね。実際に戦場でのドンパチを人間の代わりに機械がやってくれるのならば、俺は大歓迎だよ」
総司令官の真意を測りかねて騒つく艦橋の面々だったが、続く達也の言葉を聞いて、自身の胸の中に芽生えた懸念が杞憂だと知る。
「だがな……決断は人間が自らの意志で下さなければならない。譬え、機械同士での戦争が可能になったとしても、その結果は必ず人間社会に跳ね返るのだ。負けた方が素直に譲歩を受け入れる筈もないだろう……況してや、機械は人間の命も想いも唯の数字でしか把握できない。嘗ての貴族閥の高級将官らがそうであった様に、AIが統治する世界は、人間の命が数字以下の軽さしか持ち得ないものになる事を意味するのだ」
それは、銀河連邦軍という旧態依然とした組織の中で辛酸を舐め続けて来た達也だからこそ言える言葉だった。
「だからこそ、決断は人間が自ら行わなければならないのだ。悔恨の情と罪悪感に苛まれて藻掻き苦しむからこそ、人は二度と同じ悲劇は起こすまいと自戒できる。その苦しみは絶対に必要なものであり、それすらも放棄するのであれば、ただ享楽を貪る存在でしかない人間は、銀河世界にとっては無用の長物に成り下がってしまうだろう……そんな未来を子供達に残すなんて真っ平御免だよ、俺はね」
その言葉と想いは聞いた者達の心へ深く染みていく。
だから、それ以上の問答は不要だとの雰囲気が艦橋に満ちたのだが、その余韻は唐突な訪問者によって掻き消されてしまう。
「真宮寺 蓮。御報告に上がりました!」
扉が開いて艦橋へ入って来たのは、人型機動兵器〝疾風″パイロットの蓮だった。
だが、彼の顔を見て表情を和らげたヨハンや神鷹とは違い、微かだが苦渋の色を瞳に滲ませた詩織の変化を、達也は見逃さなかったのである。




