第八十一話 譲れない想い ③
既に、銀河史の一部と成り果てて久しい銀河連邦だが、その一千五百年にも及ぶ歴史の陰には、拡大に伴う数多の陰惨な抗争があったのも事実だ。
それが特に顕著だったのが南部方面域を中心とした周辺宙域であり、自国が掲げる独自路線を堅守せんとする国々が犇めいていたという事情もあってか、政治的にも経済的にも不安定な状態が、長らく放置されたままだったのである。
そんな混沌とした情勢に変化が訪れたのは、威勢を増したグランローデン帝国が拡大政策へと舵を切り、銀河連邦の勢力圏を窺う気配を見せ始めた頃だ。
それ以降は、互いを挑発する小競り合いが頻発する様になり、それぞれに与する宗教勢力の確執もあってか、政治的には長く断絶状態が続いたのである。
しかし、敵対していた銀河連邦とグランローデン帝国が、共に政変に見舞われて凋落するとは、誰が想像できただろう。
とは言え、短期間に二度のクーデターが勃発した帝国と比べれば、組織中枢部の粛清のみで済んだ旧銀河連邦の方が断然有利なのは明らかだ。
だからこそ、連邦の後釜に座った革命政府は、混乱の最中にあるグランローデン帝国が立ち直らぬうちに、南部方面域で暗躍する不穏分子を一掃しようと目論んだのだが……。
◇◆◇◆◇
嘗ての南部、南東部、南西部の三方面域は、銀河連邦崩壊後に台頭した革命政府の方針により統一され、南部方面域総司令部が実権を掌握していた。
その指揮を任されたのは、キャメロット派から抜擢されたジュール・アイオーン元銀河連邦宇宙軍大将という人物である。
元々軍政官だった彼は、連邦軍艦隊とルーエ神聖教国との間を取り持つ調整役として辣腕を振るっていたのだが、今回の三方面域軍統合に際して貴族閥の上位将官が軒並み失脚した為、期せずして最高司令官の座を手にする事になったのだ。
長年裏街道を歩いて来たアイオーンに、前線指揮、剰え、最高司令官の要職が務まるのかとの懸念はあったが、曲者揃いのルーエ聖教府の生臭坊主どもを相手に実績を積んで来た経験値は伊達ではなかった。
『実戦指揮や戦術の構築は経験不足の私には荷が重い。三方面で参謀を務めていた者達の中から優秀な人材を選抜し、新たな幕僚部を編成してくれたまえ』
自らが持つのと同等の権限を委譲した上で、問題が発生すれば責任は自分が取ると明言した事で、アイオーンに対する評価と信頼は確固たるものになり、銀河連邦崩壊に伴う混乱も収束に向かうかと思われたのだが……。
※※※
(次から次へと……くそッ! 一体全体、何が如何なっているのだッ!!)
まるで示し合わせたかの様に各方面域で続発する騒動は、アイオーンが立案した作戦スケジュールを無意味なものへと変え、当初予定されていた遠征艦隊の派遣にも支障を及ぼしていた。
とは言うものの、ほんの数日前までは、全ての作戦プランが順調に推移しており、梁山泊軍が根城としているアルカディーナ星系への艦隊派遣も間近に迫っていたのだから、この急変は正に青天の霹靂だと言う他はないだろう。
当初から様子見を決め込んでいた元銀河連邦加盟国家らは沈黙を貫いた儘だったし、懸念されていたグランローデン帝国軍の動向も想定の範囲内であり、革命政府の思惑は、概ね順調に達成されつつあるかの様に見えていた。
だが、そんな為政者らの消極的な姿勢に業を煮やした民衆らが決起し、デモ行進を中心とした抗議活動が頻発し始めてから情勢が一変したのだ。
然も、その模様が民間の情報ネットワークで報じられるや否や、その熱が伝播したかの様に、複数の星系で民衆の決起が相次いだのである。
革命政府が掲げた〝AIに統治された未来″という理想に忌避感を示す声が勢いを増すに従い、当初はデモによる抗議程度だったものが過激化し、一部では武装蜂起した者達まで現れるという信じられない事態になっていた。
それらの被害報告や救援要請が押し寄せている総司令部は、不確かな情報に振り廻されて有効な対策を打ち出せないでいるのだ。
「一般大衆が武装蜂起だとぉ? 対戦車バズーカ砲まで持ち出して暴れている? 一体全体なにがどうなっているのだぁッ!?」
不測の事態に対して悩乱するしかないアイオーンは癇癪を爆発させるが、取り巻きの幕僚達も、総司令官の憤りを鎮めるほどの答えは持ち合わせてはいない。
「民衆の多くは、一貫して革命政府の方針に異を唱えております……」
「如何にも胡散臭い連中が住民を扇動しているとの報告も入っており、恐らくは、重火器の類を持ち込んだのも……」
未確認情報が錯綜しているからか幕僚達の歯切れも悪く、時間の経過に伴い状況ばかりが悪化していく。
特に、シュレッケンや他の二国で行われた虐殺行為がライブ放送されてからというもの、民衆の抗議活動は加速度的にエスカレートしており、今や各国の警察機構では対応できず、軍へ出動要請が為される有り様だ。
挙句に、この事態に際して反旗を翻したのは一般大衆ばかりではなかった。
「出動した国軍の中からも、民衆側へ寝返る兵士らが続出しております……」
「それらの中には大隊クラスの部隊まで含まれているとの報告もあり……」
「民衆の騒乱がクーデターへ発展するのを恐れた各国政府は強硬策を手控えざるを得ず、国家元首自らが説得へ乗り出す事態に陥っております」
一部の参謀らが口にした通り、各国の国軍からも抗議の声を上げる者達が続出し、完全武装した実戦部隊までもが造反するという異常事態が起こっているのだ。
だから、これ以上の混乱は国家の存亡に係わると判断した為政者らは、積極的な武力行使を封印して対話による説得を優先させているのである。
「とは言え、各国首脳の説得も空しく大規模な反乱行為へと発展した場合、各星系に駐留させている艦隊を出動させ、騒乱の鎮圧に当たらせざるを得ませんぞ」
「馬鹿な事を言うな。キャメロット様の檄は発せられたのだぞ。梁山泊軍を名乗る賊軍討伐の為に主力艦隊十万隻の遠征が決まっているのだ! 全支配域の数千か所で勃発している反乱鎮圧の為に戦力を割くなど不可能だ!」
「喫緊の懸案事項はそれだけではないッ! グランローデン帝国軍の艦艇が頻繁に緩衝地帯を窺う様子を見せているのだ!」
「どれもこれも未確認の情報に過ぎないッ! そもそも、帝国内の対立構造も解消できずに戦闘が継続している状況で、他国に手を出す余裕など有る筈がない!」
「だが、万が一にも帝国内の騒乱が自作自演のフェイクだったならば、南部方面への侵攻を絵空事だと笑う事はできまい。もしも、その様な事態に陥ったら、全方面域艦隊合計二十万隻の全力を以て迎撃せねばなるまいよ」
想定外の事態に直面して焦燥ばかりが募るからか、配下の幕僚達が喧々諤々の議論を交わすが、その内容にアイオーンは切歯扼腕するしかない。
(明らかに扇動者がいる……民衆の抗議活動も一部の国軍兵士らの反乱も、周到に準備された計画あってのものだろう。恐らく、グランローデン帝国の行動は、唯の牽制だろう……だが、万が一を考えれば無視できるものではないのも事実だ)
正に蜘蛛の巣に絡め捕られた獲物になった気分だが、そんな弱気な事は口が裂けても言えないアイオーンは、部下達の手前もあり無言を通すしかなかった。
だが、配下の幕僚らとは違い、今回の首謀者の正体には思い当たる節がある。
(大掛かりな演説をぶって銀河連邦へ喧嘩を売ったのは、あの男が先だ……民衆や反乱軍人達も、あの白銀達也の決起宣言を聞いたからこそ、キャメロット様の理想へNOを突き付けて立ち上がったのだろう)
彼の神将提督と直接の面識はないが、銀河連邦軍に奉職していた時に達也の噂はアイオーンも耳にしており、同じ軍人として敬意を懐いてはいた。
そんな神将の優秀さを知るからこそ、今回の騒乱を画策したのが、キャメロットと敵対している白銀達也だと思い至ったのである。
(だが、どうすればいい……ブラフだと分かってはいても帝国艦隊の動きを軽視はできない。各惑星国家で武力蜂起した連中と手を結ぶ様な事態になれば、正真正銘の銀河大戦が勃発するぞ……帝国の動きを牽制しながら方面域内の騒乱を収束させる為には、戦力を分散運用する余裕は……だが、キャメロット様の大望を成すには我が艦隊の戦力は不可欠……)
堂々巡りの思案に暮れるアイオーンと幕僚達。
結果的に彼らが逡巡して動きを鈍らせた事が戦局を左右してしまうのだが……。
それは、南部方面域軍の命運と併せ、正に神のみぞ知る事だった。
◇◆◇◆◇
「……と言う訳で、灰色狐こと、クラウス率いる情報部の攪乱工作が功を奏し、南部三方面域では大規模な混乱が拡がっていると報告が入っている」
事もなげに言い切って平然としているのは達也だけであり、クレアら政府関係者は元より、梁山泊軍の面々も唯々唖然とした表情で言葉を失っている。
今回の最終決戦に於ける最大の懸案事項は、南部方面から革命政府中央軍へ派遣される援軍を妨害、もしくは遅滞できるか否かだった。
他の方面域からの援軍を足止めできる目途が立った上は、残る南部方面域からの援軍を絶つ、もしくは、出撃を遅延させさえすれば、味方が有利になるのは自明の理だ。
だから、その為の工作を達也はクラウスに依頼したのである。
そして、彼と配下の者達は、期待に違わない成果を上げたのだ。
「それにしてもさぁ。クラウス情報局長……随分と無理をしたんじゃないの?」
胸の中の同情を隠そうともしないエレオノーラの言は、決して大袈裟なものではないだろう。
一体全体どのような手品を使えば、流言飛語のみで此処まで大規模な騒乱を演出できるのか……。
「民衆の扇動に留まらず、国軍士官まで幻惑した挙句にグランローデン帝国軍まで動かしてみせるなんてね……いやはや、恐れ入ったよ」
ラインハルトに至っては、完全にお手上げの様だ。
「グランローデン帝国軍艦隊の動きは牽制目的の陽動でしかないよ。そう遠くないうちに、前皇帝派もシグナス教団の残党も殲滅できるだろうが、現状では南部方面を切り取るなど夢物語でしかないからね。飽くまでも素振りだけ……まぁ、我々としては時間稼ぎができれば充分だ。無理を聞いてくれたセリスにも、困難な任務を完遂してくれたクラウスにも感謝するしかないな」
瞑目して謝意を口にした達也は、直ぐに眼を開いて言葉を続ける。
「お陰で貴重な時間が稼げたよ。また、南部方面域艦隊から派遣される予定だった艦隊も、その数を大幅に減じる事になるだろう……これで、決戦に際しての下準備は全て終わった。あとは諸君らの健闘を期待するのみだ」
決意の言葉を受け、眼前に居並ぶ面々の眼差しが鋭利なものへと変化し、それを見て満足げに頷いた達也は最後の懸案事項を口にした。
「残る問題は、我々が出撃した後のアルカディーナ星系の防衛と、テベソウス王国主星ダネル王都を強襲する地上部隊の作戦概要だが……」
ある意味で最も不確定要素が多く、臨機応変な判断が求められる作戦だ。
本来ならば、捕縛されているジュリアン救出の件もあり、自ら指揮を執るべきだと達也は考えていたが、肝心の敵主力艦隊戦も、神将の指揮なしでは勝利は覚束ないという幕僚達の声は至極真っ当なものだと言える。
となれば、大気圏降下を強行し、戒厳令下の王都に展開する敵地上戦力を殲滅するという困難な任務を任せられるのは、これまでの実績を鑑みても一人しかいないだろう。
そして、期待に満ちた皆からの視線を一身に受けるその一人が口を開く。
「ふんっ。やっと私達の出番ね。待ち草臥れたわよ」
その何処か喜色を滲ませた声の主は、妖艶な微笑みを口元に宿した志保に他ならなかった。




