第八十話 その視線の先にある未来 ④
「つまり、今回のクーデターは、無念のうちに憤死した御父上と理不尽な境遇へと追いやられた妹さんの復讐という訳ですか?」
思わず口を衝いて出た問いだったが、それが目の前の男の真意だとはジュリアンも思ってはいない。
我が子可愛さに狂気に走るしかなかった父親と、原因不明の病魔に冒され十歳で人生の刻を止めざるを得なかった幼い妹への憐憫の情は、キャメロットが吐露した言葉からも犇々と感じられた。
だが、それにも拘わらず、罪を犯した父親ばかりではなく、死神に憑りつかれた妹にまで酷薄な仕打ちをした世間を恨んでいる風には見えないのも事実だ。
ジュリアンはそれが不思議でならなかった。
だからこそ、キャメロットの本心を知るべく、選択肢の中でも一番可能性が低い問いを敢えてぶつけてみたのだが、案の定、如何にも不本意だと言いたげに左右に頭を振った彼は、柔らかい物言いで否定の言葉を口にする。
「父と妹の事は飽くまでも私個人の心情に過ぎないよ……その程度の些末な執着が決起理由であるのならば、銀河連邦軍を掌握できるほどの数の青年士官らが、同志となって協力してくれる事はなかっただろう」
そこで一旦言葉を切ったキャメロットは口元に冷たい笑みを浮かべた。
「まあ、結果的に父を見捨て自分だけ逃げ延びたヘレ博士や、プロジェクトの恩恵に与りながらも、いざ事件が明るみに出た途端、素知らぬ顔で糾弾する側に廻ったモナルキアら貴族連中を始末したのは事実だから、個人的な復讐ではないかという貴方の指摘を否定するのは難しいだろうがね」
その言葉からは何の気負いも感慨も感じられなかったが、それ故に彼を突き動かしているものが、自己弁護の為の安っぽいヒロイズムではないのだとジュリアンは確信するしかなかった。
勿論、人類世界へ彼が突き付けた宣言に賛同する気は微塵もないが、少なくとも私利私欲による行動でないのは理解できる。
(しかし、大勢の人々を非道な生体ユニットに仕立て、兵器の一部として活用しながらも平然としているのも事実だ……そんな酷薄さを併せ持つこの男は……)
キャメロットの人物像に整合性を見いだせずに戸惑うジュリアンだったが、逆に質問を返されて思考を中断せざるを得なかった。
「白銀閣下ならば、私の宿願を理解してくれるかもしれないね。銀河世界の安寧と秩序の構築……そして、誰もが等しく平和を享受しながら生を全うできる世界。目指しているものは同じなのだよ。聡明な貴方なら御分かりだろう?」
「白銀提督と貴方が同じだって? そんな馬鹿な……」
その余りにも突飛な物言いに狼狽するジュリアンは、自分の耳がおかしくなったのではないかと吃驚したものの、辛うじて否定の言葉を口にした。
しかし、そんな彼には委細かまわず、キャメロットは淡々とした口調で長年胸に秘めていた想いを吐露し、更にジュリアンを困惑させたのである。
「同じだよ……銀河連邦軍所属の将官の中で彼ほど理不尽極まる環境に置かれた者はいない筈だ。『日雇い提督』と揶揄され、直卒する艦隊も信頼できる幕僚も与えられず、不利を通り越して絶望的だと断ずるに等しい戦場を渡り歩く事を余儀なくされた……その程度の事は貴方も承知しているのだろう?」
白銀達也に関する調査は財閥が誇る情報部門が徹底的に行っており、その不遇な経歴はジュリアンも熟知していた。
しかし、白銀達也を指して自分と同じだと嘯くキャメロットの真意がまるで見えてこない。
「勿論……ですが、その全ての戦場を白銀提督は勝ち抜いた。それ故に多くの将兵からの信頼を得たし、事実、先のアルカディーナ星系戦役では提督に畏怖していた士官らの造反が相次ぎ、それが銀河連邦軍派遣艦隊の崩壊を招いたと言っても過言ではないでしょう……都合が悪い存在を排斥するだけの貴方と白銀提督は違う」
「ほう……違うと断言できる根拠があるのかね? 己が置かれた状況に憤り、軍政改革の必要性を痛感して行動を起こした点では、私も彼も大差はないだろう。その大望を成すのに既存の権力階級を打倒しなければならないのは自明の理だ。事実、自らの手を他者の血で染める事を白銀提督も否定してはいないじゃないか」
まるで値踏みするかのような彼の視線と、その何処か楽しげな物言いが酷く癇に障ったジュリアンは、語気を強めて彼の指摘を否定した。
「断じて違うッ! 白銀提督が排斥しようとしたのは我欲に塗れた権力者達と劣化した政治システムであり、何の罪もない民衆ではない。況してや、日々の暮らしにも困窮している弱者を騙し、非道な人体実験のモルモットにしたりはしないッ!」
だが、その強い反論にさえ微塵も表情を揺らさないキャメロットは、まるで諭すかの様に言葉を紡ぐ。
「貴方の言い分は間違ってはいないだろう。彼と私の何方を支持するかと問えば、大多数の人間が白銀提督を選択するのは自明の理だ」
「それが分かっているのならば……」
「まあ、話は最後まで聞きたまえ……確かに白銀提督は軍人としても人間としても素晴らしい方だ。しかし、だからこそ、崩壊の瀬戸際にある銀河系を救う事はできないのだ」
「…………」
キャメロットが何を言いたいのかは分からないが、黙って話を聞けと釘を刺されれば、ジュリアンも口を閉じるしかなかった。
「この世に腐らないものなど何一つとして存在しないのは歴史が証明している。高邁な理想を掲げて発足した銀河連邦も長い年月の中で腐敗して、今や跡形もない有り様だし、それは、国家、貴族、民衆も例外ではない……つまり、存在しているだけで周囲の全てを腐らせていくのが人間なのだ。謂わば病原菌のようなものだと解釈しても差し支えないだろう」
滔々と語られる言葉には失望感が滲んでおり、その得体の知れない薄気味悪さにジュリアンは身震いしてしまう。
「この人類という名の病原菌は実に傲慢で強かでね。己が利を守る為ならば平気で他人を陥れる厄介な存在だ。然も、身分や立場に拘わらず、己だけが正しいのだと自己主張して悪びれる事がないのだから始末に悪い」
「それは、余りにも一方的な偏見ではありませんか?」
「偏見? これは可笑しい。君だって経験した筈だよ? 我が身かわいさに狂った人間は平気で他者を踏みつけて恥じない。それは、血の繋がった肉親とて例外ではないのだ……君の両親や親族が何をしたのか忘れた訳じゃあるまい?」
古傷を抉られたジュリアンは、怒りを滲ませた視線でキャメロットを睨みつけたが反論はしなかった。
先般勃発したロックモンド財閥乗っ取り事件に、両親を含む肉親が関与していたのは紛れもない事実だ。
それを否定する気はないし、彼らを断罪した己が酷薄だとも思わなかった。
しかし、だからと言って、この世の全てが欲深な人間ばかりだと断ずるのは乱暴に過ぎると言わざるを得ないだろう。
だから、敢えて肉親の事には言及せず、キャメロットの真意を探ろうと試みたのである。
「つまり、この世界に害をなす人間は根絶されて然るべきだと言うのですか?」
口にするのも悍ましかったが、ジュリアンの選択は間違ってはいなかった様で、鉄面皮を貫いていたキャメロットの表情が微かに笑み崩れた。
「そうだね。それ以外に此の世界を救済する術はないと確信している。白銀提督の遣り方は一時的な対処療法に過ぎない。見事な手術で身体を蝕む癌細胞を摘出したとしても病巣は尽きないものだ。そこから派生した新たな癌細胞が次から次に転移すれば、やがて患者は疲弊し息絶えるだろう」
「…………」
「今や瀕死の状態にあるのが我々が生きているこの銀河系だ。自らの繁栄と享楽を甘受する為ならば、人間は他の生命体を平然と虐げて恥じ入りもしない。その挙句に同じ人間同士で争い、殺戮の歴史を連綿と繰り返して来た。人間種が知的生命体の頂点だとは思い上がりも甚だしい妄執だ。だからこそ、その腐った秩序を破壊して過ちを正さなければならない……その為には荒療治が必要なのだよ」
語られる言葉からは微塵も猛々しさは感じられないが、キャメロットの胸の奥底に渦まく仄暗い感情が滲み出ている様にも聞こえる。
それは、経営者として数多の修羅場を潜り抜けて来たジュリアンだからこそ知覚できたのであり、彼以外の人間には到底無理だったに違いない。
「だから、人間は自由意志を捨ててAIに盲従しろと言うのか? それが、安寧を得る為の唯一の道だから黙って従えと? 貴方は狂っている……」
キャメロットの行動原理の根幹を成すのが、人間という存在への絶望と、拭いきれない諦念によって占められているのだとジュリアンは気付いてしまった。
だから、嫌悪感を露にした非難が口をついて出たのだが、その程度の事は想定内だったらしく、キャメロットは小動もしない。
寧ろ、はっきりと分かる程に表情を綻ばせた彼は、何の遠慮も虚飾もない本音を零してジュリアンを不快にさせた。
「人は厩舎で飼われる家畜として生きれば良い。AIに管理統制された社会で労働のみに従事し、その対価として生を保証される世界。他者との争いも競争もなく、心穏やかに一生を終える……それが、人類に残されたラストリゾートだと私は確信しているよ」
キャメロット自身が如何なる願望を懐こうが、それは個人の自由だ。
しかし、何の議論も経ぬ儘に実力行使に及ぶのは間違っているし、それが他者を虐げるものであるならば断じて容認できるものではない。
況してや、生殺与奪権をAIに委ね、家畜として生きる人生を一体全体誰が受け入れるというのか。
懲戒として蹂躙されたオルグイユ共和国の悲劇は記憶に新しいが、隷属か死かと問われれば、自らの命を賭してでも抗おうとする勢力が台頭するのは火を見るよりも明らかだろう。
また、キャメロットが懐く尊大な自信を支えているのが無人機動兵器ナイトメアの存在だったとしても、所詮機械は機械でしかない。
全幅の信頼を置くには余りにも脆弱な代物に思えたジュリアンは、暴論に対する反論を棚上げして疑問を突き付けた。
「随分と高慢な物言いですが、所詮は〝絵に描いた餅″に過ぎないのではありませんか? 銀河ネットワークを形成する〝マザー・ウィズダム″が如何に優秀だとはいえ、その学習能力には自ずと限界がある。新規で高性能の拡張機能かサポートシステムを付加するにしても、AIの自立性が飛躍的に発展するはずもないでしょう。つまり、貴方の目論見は実現不可能だと言わざるを得ませんね」
現状の科学技術を鑑みれば、その指摘は正鵠を射ていると言えるだろう。
完全自立型のスーパーコンピューターの実現など、現段階では夢物語でしかないというのが一般的な認識だからだ。
だが、その事実を突きつけられても、キャメロットの表情は一切揺らがない。
その得体の知れない自信が何処から来るのか分からないジュリアンは、胸の中に広がる不安に眉を顰めるしかなかったが、そんな彼にキャメロットは驚愕の事実を独白したのである。
「心配はいらないよ……新しく付加される機能は私自身だからね。私こそが、父が遺した〝フォーリン・エンジェル・プロジェクト″唯一の成功例であり完成体だ。自らの思考力を昇華発展させて無限の進化を遂げる存在、そして、絶対的な支配者としてAI社会を統べる〝神″……それが私だ」




