第八十話 その視線の先にある未来 ②
ローラン・キャメロットとの面談が叶うと知ったジュリアンは、高揚する気持ちを胸の奥に隠して平静を装った。
拘禁されて以降ずっと黙秘を貫いて来ただけに、急に感情を露にすれば、邪な目論見を懐いているのではないかと疑われるかもしれない。
その挙句に会談が中止されたのでは堪らないし、彼に会いたいと思ったのは純粋な好奇心によるものだから、何かしらの駆け引きをするつもりはなかった。
それ故に感情の変化を察知されない様に表情を取り繕ったのである。
(ゲルトハルト・エンペラドルとカルロス・モナルキア……貴族閥きっての実力者らに仕えて信任を得た男。しかし、それが全て擬態で、秘めた野望を実現する為の手段だったなんてね……喰えない人物なのは間違いないな)
この数日の間に断行された革命の実相を知るにつけ、キャメロットに対する興味は増すばかりだ。
彼の白銀達也が敵と見定めた人物だけの事はあると感嘆したジュリアンは、最愛の女性へ懐くのと同等の胸の高鳴りを抑えられずにいた。
(せっかく得た機会だ。ローラン・キャメロットなる人物を見分させて貰おうか。白銀提督が早くから気に掛けていた人物というだけでも興味を引かれるし、鮮やかな手際で革命を成し遂げた手腕も賞賛に値する……楽しい逢瀬になりそうだね)
そんな思いにほくそ笑むジュリアンは、先導役として前を歩く担当取調官の一人でもあるグロリア・ルフトに付き従うが、何時もとは違う建物内の景色と、閑散としている周囲の状況を訝しんで小首を傾げてしまう。
理由を知ったからといって何らかの対応策が取れる訳ではないが、心構えをする事ぐらいはできるだろう。
そう考えたジュリアンは、簡潔な問いを眼前の女性取調官へ投げ掛けてみた。
「取調室へ行くのではないのかい?」
気安い口調で話し掛けてみたものの、何かしらの有益な情報を得られると思っての事ではない。
短い間だが尋問という特殊な状況下で感じたグロリア・ルフト大尉への所感は、極めて優秀な軍人官僚だという一点に尽きる。
ジュリアン・ロックモンドにしては甘い人物評価だと、彼を知る人間ならばそう言って驚くかもしれない。
しかし、他の男性取調官らと比較しても、群を抜いた巧みな話術と切れる頭脳の持ち主であるのを目の当たりにして来ただけに、それが決して過大評価ではないと彼自身は確信していた。
職務に忠実だからこそ、彼女が答えを返すとは思っていなかったのだが……。
「会談は別の場所で行うと通達がありました。革命暫定政府から指定された場所まで私が御案内いたしますわ。但し、くれぐれも逃亡しようなどと考えませぬ様に。下手な真似をすれば射殺しても良い……そう言われておりますので」
感情を窺わせない淡々とした物言いは何時もと同じだが、尋問時とは違ってその言葉には不穏なものが含まれている様にも感じられる。
それが何かは分からないが、下手に藪を突いて蛇を出す事もないだろうと直感で判断したジュリアンは、歩みを速めた彼女の背を黙したまま追うのだった。
◇◆◇◆◇
地下駐車場へ移動したふたりを待っていたのは、黒塗りのリムジンだった。
てっきり護送車か軍の特殊車両での移動だと思っていたジュリアンは、思わず揶揄を含んだ言葉を漏らしてしまう。
「どうやら過分な御気遣いを戴いたみたいだね。だが、他に車両は用意されていないようだし、護衛官達の姿も見当たらない……これでは、先程の〝逃げるな″という言葉が不自然に思えるのだが?」
本来ならば、護送対象者を乗せた車両の前後をガードするのはフォーメーションとしては基本中の基本だが、周囲を見渡した限りでは、それらしい車両は見当たらない。
何らかの思惑あっての事かとジュリアンは勘繰ったのだが、彼を取り巻く状況に変化があったからだと、グロリアは説明する。
「ローラン・キャメロット氏の演説は御聞きになったのでしょう? 貴方へ嫌疑を掛けた旧銀河連邦評議会は解体され、その権限は暫定革命政府へ移っています……それにより、つい先程ですがキャメロット氏の裁定で貴方の無罪が確定しました」
いきなりの無罪確定宣告には面食らうしかないが、それだけでは質問の答えにはなっていない。
然も、余裕すら感じさせる女史の物言いに、へそ曲がりを自認するジュリアンは大いにプライドを逆撫でされ、思わず皮肉を込めた嫌味を返していた。
「なるほど、無罪放免ならば監視の対象ではなくなったという訳ですね。それでも〝逃げるな″というのは、革命暫定政府とやらのために莫大な保釈金を支払えという意味に解釈すれば良いのでしょうか?」
しかし、その挑発にも表情を変えないグロリアは、軽く肩を竦めて事務的な模範解答を口にするのみだ。
「私の様な末端の軍人風情には分かりかねる質問ですわね。しかし、丁度良いではありませんか……これから御会いになるのですから、御本人から直に聞かれるのが宜しいかと……さあ、約束の時間まで間がありませんので急ぎましょう」
上手く手玉に取られた感は否めないが、彼女の言い分に理があるのは認めざるを得ない。
ましてや、会談まで時間がないと言われればジュリアンとしても引き下がるしかなく、不承不承ながらもリムジンの後部座席へと乗り込んだ。
それを見届けたグロリアがジュリアンの隣へ身を滑り込ませるや、周囲を一瞥した運転手は車を発進させた。
地下駐車場を出た車は速度を上げ、主要幹線道路を北上しながら郊外へ向かう。
長らく幽閉同然の扱いを強いられ、窓もない独房と取調室を往復するだけの生活を送っていたからか、久しぶりに浴びる陽光がやけに眩しく感じられる。
だが、その一方で、拘禁される前と比較すれば、明らかに変化したと分かる街中の様子を目の当たりにしたジュリアンは、眉を顰めざるを得なかった。
テベソウス王国の王都でもあり、そして、銀河連邦という巨大組織の総本山として繁栄を極めた大都市に嘗ての面影はない。
道路を行き交う車両は治安出動している革命軍のものだけであり、普段なら人で溢れている繁華街や中央官庁街にさえ人影はなかった。
戒厳令下にあるのだから当然ではあるのだが、大勢の人間で賑わっていた光景を知るジュリアンが、ゴーストタウンと化した街に薄ら寒い何かを感じたのは仕方がない事だったのかもしれない。
キャメロットの演説は有りと有らゆる通信システムを通じて放送された為、独房に居たジュリアンも革命による顛末は把握していた。
しかし、それはキャメロットが一方的に語った内容でしかなく、革命暫定政府を名乗る彼らに都合の良いプロパガンダである可能性は排除できない。
(キャメロットとの会談までに情報を仕入れたいところだが……)
それが可能ならば上出来だが、流石に便利な情報ツールの持ち合わせはないし、仮にあったとしても戒厳令下では厳しい統制が敷かれているのが当たり前だから、有益な情報を得るのは絶望的だと判断せざるを得ず、ジュリアンは焦慮に駆られてしまう。
残された方法は、現在隣に黙して座っているグロリア女史と会話を交わして聞き出す以外にはないが、職務に忠実で頭脳明晰な彼女が易々と此方の思惑に乗るとは考えられない……。
そう慨嘆するジュリアンだったが、他に手がないのならば試してみるのも一興かと思い直し、恐る恐るといった風情で話し掛けてみた。
「かなり締め付けが厳しいみたいだね。戒厳令下とはいえ人っ子一人いないなんて……嘗ての繁栄も見る影もなしか……何だか寂しいな」
何かしらの反応があれば儲けもの……その程度の試みだったが、その意に反してジュリアンへ視線を向けたグロリアは艶然と微笑んだ。
「厳しくて当然でしょう……如何にモルキアを筆頭にした貴族閥の専横に辟易としていたとはいえ、その先にあるのが〝機械に統治された新世界″というのでは民衆は納得しませんわ」
返答が貰えるとは思ってもいなかったジュリアンは正直面食らったが、その言葉から微かだが哀切の情を感じた彼は、胸騒ぎを覚えて続きを促す。
「納得しないでしょうねぇ……ですが、王家も司法当局も解体されたも同然の現状では打つ手がないでしょうに……となると、デモによる抗議ですか?」
「えぇ……演説の翌日には五千人の市民が抗議の声を上げながらデモ集会を決行したのですが、敢え無く全員が武力制圧されましたわ。モナルキア前大統領や配下の貴族閥の面々とその近親者ら、そして王家や有力な家臣に至るまで……先の市民と合わせれば、実に二万人近い人々が革命軍によって拘禁された様ですわね」
「二万……」
想像を超える数字にジュリアンは絶句するしかなかったが、そんな彼に追い打ちを掛けるかの様にグロリアは言葉を続ける。
「然も、その全てが今も所在不明です。地上の施設では収監しきれないという理由から、アスピディスケ・ベースへ移送されたとの話も耳にしましたが、飽くまでも噂の域をでないものですので……」
そう告げたグロリアは含み笑いを漏らしたが、ある仮説に思い至ったジュリアンは、捕縛された者達が辿るであろう悲惨な未来を想像して身震いした。
(白銀提督の懸念が現実のものになる……このタイミングで……最悪だ……)
嘗て東部方面域ヴェールトで行われていた獣人売買。
その目的が非合法な人体実験の被検体の確保にあるのだと達也から聞かされていたジュリアンは、消息を絶った人々が生きた生体部品に姿を変え、先日オルグイユ連邦軍艦隊を蹂躙した無人兵器ナイトメアのコアユニットとして活用されるのだと看破し、その非人道的な行為に激しい嫌悪感を懐かずにはいられなかった。
この事実を達也が知れば同じ結論に達するのは容易に想像できる。
あの高性能を誇る無人機動兵器の量産が可能になれば、唯でさえ寡兵の梁山泊軍が劣勢を強いられるのは火を見るよりも明らかだ。
そして、罪もない人々の命が踏みにじられるのを座視するような白銀達也ではないと知るジュリアンは、この状況が作為的に演出されたものだと気づいて歯噛みするしかなかった。
(そうか……ローラン・キャメロットは端から白銀提督を唯一の敵だと見定めていたんだ……だから、このタイミングで提督が一番嫌う蛮行を敢えて行った……全ては提督に決戦を決断させるため……)
嫌な汗が背筋を伝うかのような不快感に苛まれるが、同時に己の憶測に違和感を覚えた彼は、その正体を確かめるべく更に思考を深くする。
(敢えて蛮行を行ったのは何故だ? 人命を軽視する愚策を知った提督が早期決戦を挑んでくるのは容易に想像できるだろう。だが、革命軍にしてみれば開戦は遅ければ遅いほど都合が良い筈だ。その間に無人兵器を量産すれば、自らの勝利は揺るぎないものになるのに……何故わざわざ挑発してまで決戦を急ぐのか……)
乾坤一擲の総力戦により早期決着を目指すのは達也の基本戦略であり、梁山泊軍が勝利する唯一の道だ。
本来ならば、戦力的にも地の利でも圧倒的有利な革命軍が勝負を急ぐ理由は微塵もないし、キャメロットが敵に塩を送って悦に入る享楽的な人間だとも思えない。
それにも拘わらず決戦を促すような動きを見せるのは何故なのか……。
彼是と考えを巡らせるジュリアンだったが、結論が出ないままに思案を中断せざるをえなかった。
「目的地が見えて来ましたわ。あれが本日の会談場所に指定されたテベソウス王立病院ですわ」
グロリアの声で我に返ったジュリアンの視線が捉えたのは、整備された緑地の中にある白亜の巨大な建造物だ。
あの中に白銀達也が宿敵と見定めた男が居る……。
その事実に表情を引き締めたジュリアンは決意を新たにするのだった。




