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第七十九話 盛者必衰 ④

 頬を通して伝わって来る床の冷たさが、己が置かれている状況が夢幻(ゆめまぼろし)(たぐい)ではないのだと教えてくれる。

 人類最大の生活圏である銀河系に君臨する最高権力者も、自力で立ち上がる事も出来ずに床に()(つくば)っているのでは、威厳も何もあったものではない。

 普段の彼ならば、(たとえ)え、どれほど体調が悪かろうが、この様な醜態を晒しはしなかっただろうが、(すで)に四肢は己の意志に従うのを放棄して小刻みに痙攣を繰り返すのみであり、体裁を取り繕う事すら儘ならないのが実状だ。


「な、何だ……何が、どう……なっておるぅ……だ、誰か、誰かあるッ!?」


 懸命に声を振り絞るものの上手く言葉にならず、己の身に降り懸かった正体不明の災禍にモナルキアは切歯扼腕(せっしやくわん)するしかなかった。


 完全自立型AIに制御された高性能無人兵器によるオルグイユ連邦共和国の殲滅を機に、それまでの劣勢を覆した銀河連邦軍は、一気呵成に大攻勢を仕掛ける準備を整えていた。

 そして、本日開催される最高評議会に()いて、大々的に作戦開始の号令が発せられる手筈が整っていたのだ。

 勿論(もちろん)、その宣言を為すのは銀河連邦大統領であるモナルキア以外にはなく、今日こそが真の支配者として、銀河史に名を刻む記念すべき日になる筈だった。

 だが、その栄えある舞台へ登壇する直前に全てが暗転したのである。

 議場に向かう前に最側近らと打ち合わせを兼ねた会合の場を設けたのだが、そこで供された高級酒を口にした途端、眩暈(めまい)と共に脱力して床に崩れ落ちたのだ。

 吃驚(きっきょう)して助けを求めるが、声は掠れて上手く唇が動かせない。

 (しか)も、辺りの様子を(うかが)おうにも、身体はおろか首を動かす事すら儘ならず、視線を巡らせるのが精一杯という為体(ていたらく)

 そして、その苦境に追い打ちを掛けたのが、彼と同じ様に床に倒れ伏す側近らの哀れな姿だった。

 (かす)かに動きを見せる者もいるが、視界に捉えられる限りでは、大半の者達が完全に沈黙して死体の(ごと)くに横たわっており、災禍を逃れた者は皆無だと判断せざるを得ない。


(ま、まさか、あのワインに……)


 何かしらの薬物が仕込まれていたのだと気づいたものの、事ここに至っては全てが後の祭りであり、モナルキアは()(だぎ)る怒りに歯噛(はが)みするしかなかった。


(誰がッ!? 一体全体何者の仕業なのだッ!?)


 銀河連邦の頂点に君臨した事で多少慢心していた感は否めないが、何食わぬ顔で裏切りを画策する輩の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許すほどに耄碌(もうろく)はしていないとの自負はある。

 当然だが、大統領府を仕切っている側近らも評議会議員の面々も絶対的な忠誠を誓っており、甘い蜜に等しい既得権を手放してまで反旗を翻すもの好きがいるとも思えない。


(こんなふざけた真似をした奴は、必ず八つ裂きにしてくれるッ!)


 地に這う事を余儀なくされ、己の置かれた屈辱的状況に苛立つモナルキアだが、不意に脇腹を強く押された所為(せい)で自由の利かぬ身体は半回転し、強制的に仰向けにされてしまう。

 無造作に足先で転がされたのだと察して嚇怒するが、煌々と灯る照明の光と重なる人物の正体を知った彼は、驚愕のあまり絶句するしかなかった。


「き、きさまは……キャメロット……ま、まさか、お前が……」


 何の感情も(うかが)わせない仮面の様な顔で見下ろしているのは、配下の中でも右腕に等しい存在だと信頼を寄せていた筆頭補佐官ローラン・キャメロットだ。

 その口元に(あざけ)りの笑みが浮かぶのを見たモナルキアは、今回の裏切りを画策したのがこの男だと(ようや)く気付いたのである。


「お、おのれ……一体……ど、どういう……つもりじゃ!?」


 服用させられた薬の効果で呂律(ろれつ)が廻らなくなっているにも(かか)わらず懸命に言葉を紡ぐが、それは、彼の終わりの時をほんの(わず)かばかり遅らせただけだった。


            ※※※


 足元に横たわる男の顔が困惑から憎悪へと変化していく様は、正に滑稽(こっけい)だと言う他はなかった。

 ワインに仕込んだのは神経系に害を及ぼす即効性の強いものだ。

 服用すれば立ち所に身体に麻痺症状が出る代物だが、そんな状態でも意識だけは鮮明に保たれるのが特徴だ。

 しかし、それが必ずしも幸運だとは言えないだろう。

 さっさと自我を喪失していた方が、断罪される理由や己の惨めな末路を知らずに済んだのだから、(むし)ろ、不運だと言うのが適切なのかもしれない。

 つまり、この老醜の(かたまり)と化した男へ安らかな死を与える気など、キャメロットは(はな)から持ち合わせてはいなかったのである。


「どういうつもりも何も〝盛者必衰(じょうしゃひっすい)″は世の常でありましょう? それは閣下も例外ではなかった……唯それだけの事ですよ」

「き、貴様ぁ……い、今更、ち、父親の復讐……のつもり……」


 (かつ)て非人道的な人体実験として激しい非難を浴びた〝フォーリン・エンジェル・プロジェクト″の主任研究者であったウィルソン・キャメロット博士が、ローラン・キャメロットの実父であるのはモナルキアも承知していた。

 敵対派閥の人間だった彼の寝返りを受け入れる段階で徹底的な身辺調査が行われたし、彼自身もその事実を隠そうとはしなかったので、()えて問題にはせずに黙認したという経緯がある。

 だが、あの事件にはモナルキアも秘かに関与しており、その後ろ暗い過去を自覚しているだけに、今回の暴挙の原因が復讐によるものだと考えたのは、何ら可笑(おか)しな事ではなかった。

 しかし、その見当外れの憶測をキャメロットは鼻先で(わら)い飛ばす。


「馬鹿々々しい。表沙汰にはなっていませんが、閣下はプロジェクトへ少なくない資金を援助しておられましたね……勿論(もちろん)、研究成果が莫大な金を()むとの皮算用があったのでしょうが……」


 当時、サイモン・ヘレ博士とウィルソン・キャメロット博士の共同研究は数々の偉大な成果を残しており、有望な投資先として大貴族らが競って資金援助をしたという事実が、事件発覚後に明らかになっている。

 ウィルソン・キャメロット博士自らの告発で非道なプロジェクトの全貌が明らかになるや、不正投資の容疑で多くの貴族達がGPO(銀河警察機構)に検挙されたのだが、その中にカルロス・モナルキアの名前はなかった。


「事件が発覚するや、縁戚だった下級貴族に因果を含めてスケープゴートに仕立てた貴方は、臆面もなく手の平を返してプロジェクト関係者を糾弾なされましたね。その行為は恥知らずの(そし)りを免れないでしょうが、私は気にもしていませんよ」

「なっ、で、では、何故(なぜ)、こ、こんな真似を……か、金か? それとも地位か? の、望むものは何でもくれてやる……だから……」


 あの事件以外ではキャメロットとの接点に思い至らないモナルキアは、己が置かれている理不尽な状況から逃れるべく、一縷(いちる)の望みを託して交渉を持ち掛けた。

 しかし、その命乞いは言下のもとに切って捨てられてしまう。


「勘違いなさいますな。私の父が獄死したのは因果応報でしょう。(たと)え近しい者の命を救う為とはいえ、罪もない人間を玩具(オモチャ)にして良いという道理はありません……ですから、閣下が父の死を御気に病む必要はないのですよ」

「な、ならば……何故(なぜ)だ? 何故、この様な……」


 最早(もはや)訳が分からずに悩乱するモナルキアが悲痛な声を上げれば、その端正な顔に歪な微笑みを浮かべるキャメロットは慇懃(いんぎん)な物言いで問い返す。


「この銀河系の秩序を回復して人類の延命を図る為……そう言えば御納得いただけますでしょうか?」

「い、意味が……分からん。な、何を言いたいのだ!?」

「閣下はどの様に御考えですか? 人間がこの世界の支配者に相応(ふさわ)しい存在だと、本当に思っておられますか? だとすれば余りにも浅はかではないでしょうか? (おの)が欲望と利益のためならば他者を(おとし)めても恥じ入る事もない……貴族と呼ばれる特権階級の者達は言うに及ばず、如何(いか)にも善人であるかの様に振舞う一般大衆も、一皮むけば己の都合で言を左右する愚物ばかりではありませんか?」


 普段から能面の(ごと)き無表情がトレードマークのキャメロットが、憂いを滲ませた顔で嘆じる様子は、モナルキアの目には奇異なものに映った。

 この男の本質が正義を気取る改革者でないのは明らかだ。

 実の父親が(たずさ)わった研究を非道なものと断じた挙句(あげく)に、その死を自業自得と切り捨てておきながら、父の研究成果を彼自身が利用しているという矛盾。

 そして、その口から飛び出した人類という存在への諦念(ていねん)は、これまでのキャメロットのイメージとは掛け離れたものであり、そこから感じる得体の知れない何かにモナルキアは恐怖するしかなかった。


「だ、だから、粛清(しゅくせい)……するというのか?」


 それは彼の中に芽生えた恐れが言わせた言葉だったが、口元を(ほころ)ばせたキャメロットは、ゆっくりと左右に(かぶり)を振って、その問いを否定する。


「それは神の御業(みわざ)です。高が人間でしかない私には荷が重いですし、何人(なんぴと)たりとも手を出してはならない領域ですよ。ただ、現状の儘では、人間という傲慢な存在が社会秩序を崩壊させ、そう遠くない未来に滅びの時を迎えるでしょう……その悲劇を避ける為にも、人は管理されて(しか)るべきだと考えているのですよ」

「き、貴様ぁぁ……く、狂っているのか……」


 そう(つぶや)いたのと同時に周囲が慌ただしくなる。

 何事かと視線を巡らせれば、倒れ伏していた配下達がストレッチャーに乗せられて次々と運び出されていく光景が目に映った。


「どうやら時間切れの様です。閣下を始め貴族と称される方々は実に良く踊ってくれました。ですが、貴方達の出番は此処(ここ)までです。閣下の御名は〝銀河連邦最後の大統領″として永遠に銀河史の片隅に刻まれる事でしょう。筆頭補佐官として心から御歓び申し上げます」


 その決別の言葉を拒もうと躍起になるモナルキアだが、薬で自由を喪失した身体では如何(いかん)ともし難く、青年将校らに両脇を抱えられるや、実に呆気なく寝台に乗せられてしまう。


「ま、待て……わ、儂は他の連中とは違う……役に、役にたつ人間ぞ!」


 威厳も何もない必死の懇願からは見苦しさしか感じられず、侮蔑の色を滲ませた瞳で(かつ)ての主を睥睨(へいげい)したキャメロットは、冷然とした口調で引導を渡した。


「えぇ……勿論(もちろん)、最後まで役立って戴きますよ。以前、閣下も仰ったではありませんか、『生きている価値なき者は新兵器のユニットとして活用すれば良い』とね。替えは(いく)らあっても困らぬものです。貴方様も貴族の方々も、その命を(もっ)て人類の未来の(いしずえ)となるのですから本望でありましょう?」


 己の末路を知ったモナルキアは、蒼白の顔を絶望に(ゆが)めて(わめ)きたてる。


「い、嫌だ……や、やめろ……儂は大貴族だぞぉ! やめろぉぉ──ッ!」


 だが、彼の言葉に耳を貸す者はおらず、悲痛な叫び声だけを残した元大統領は、歴史の表舞台からの退場を余儀なくされるのだった。


 そして、全ての貴族らが運び出された後、静けさを取り戻した室内に一人で(たたず)むキャメロットは、無表情を取り繕った仮面の下で(うそぶ)く。


(白銀閣下……舞台は用意いたしました。後は審判を待つばかり……私と貴方の何方(どちら)が望む世界を手に入れるのか……存分に想いをぶつけ合いましょう)


 胸に灯った(かす)かな熱が、()も言われぬ歓喜となって身体を駆け巡るが、その想いを押し隠した彼は渇望する世界を手に入れるべく、悠然とした足取りで部屋を後にするのだった。

◎◎◎

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[一言] キャメロットくん……なかなか壮大な事を考えるじゃないか。 でもってそのための手段……まさかナノマシンを全人類に植え付けたりするつもりなのか(;'∀')
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