第七十七話 人の心に潜む闇 ②
『ロックモンド財閥総裁逮捕』の一報が達也の元へ齎されたのは、皇国本星セーラを出立してセレーネ星へ帰還する途上だった。
「覚悟していたとはいえ、やはり現実のものとなると胸が痛むね」
表情を硬くするラインハルトが慨嘆すれば、その美貌に影を落とすクレアも悄然として呟くしかない。
「えぇ……ジュリアンにとっては譲れない矜持なのでしょうが、私達の身代わりに貧乏くじを引かせてしまった様なものですから……」
その指摘には達也も同意せざるを得ず、表情を曇らせて溜め息を零した。
「他に選択肢が無かったとはいえ、彼の厚情に縋ったのは事実だ。確かにクレアの言う通り、ジュリアンは俺の身代わりになったも同然だよ」
しかし、幾ら悔やんだ所で事態が好転する訳ではないのだから、今後の対応を如何するかを話し合う方が建設的だと判断した三人は、表情を改めて姿勢を正す。
現在、彼らが居るのは大和艦橋最上部の司令官公室であり、今回の新同盟結成に於ける成果と問題点を共有するべく、話し合いの最中だった。
「貴族閥の連中も当面は無茶な対応はしない筈だよ。ジュリアンは無力な一般人ではないからね。彼の身に危害が及べば財閥からの報復は必至だ。そんな事態になれば、破産して家名断絶の憂き目を見る貴族は相当数に上る」
「経済援助という甘い蜜と引き換えに、自らの生殺与奪権を売り渡していたと気づいた連中は戦々恐々としているだろうからね。地位と財産を守る為に敵対している人間を擁護しなければならない……そんなジレンマを抱えて歯噛みしている筈さ」
達也の言を肯定するラインハルトの顔には侮蔑の色が濃く滲んでおり、それは、彼の心情を如実に物語っていた。
彼自身も銀河貴族の系譜に名を連ねている歴とした上級貴族だが、選民思想に拘泥する輩を多く見てきたからか、今では実家とさえ距離を置くほどに貴族と名の付くものを忌避している。
だからか、彼の貴族に対する評価は、総じて辛辣になってしまうのが常だった。
そんな親友の暗黒面を見せつけられた達也は苦笑いするだけだが、クレアにしてみれば、愛娘の想い人でもあるジュリアンが理不尽な扱いを受けてはいないか……万が一にも生命に危機が及ぶような事態にはならないかと気が気ではない。
「そのように事態を楽観視していいのでしょうか? 取り調べに対して非協力的な態度を貫けば、相手を刺激するだけでしょう? ヒルデガルド殿下のナノマシンを服用しているから毒薬や特殊薬物を無害化できるとはいえ、直接的暴力を行使されたら……」
クレアの懸念は強ち杞憂だとは言えないだろう。
尋問では埒が明かないと取調官が判断すれば、肉体への拷問という手段に訴える可能性は否定できないし、その蛮行がエスカレートすれば、反乱勢力に対する見せしめとして処刑される恐れさえある。
そんな事になれば、彼を慕っているユリアが悲嘆に暮れるのは避けられず、何かしらの対処策がないかと、クレアが躍起になるのは達也にも充分理解できた。
しかし、獄中にあるのを幸いに、人知れず処刑を断行する可能性は無いに等しいとも思っている。
司法取引を持ち掛け、身柄の保障と保釈を餌にして多額の裏金をせしめるという遣り方は、貴族閥の連中が好む常套手段だ。
そんな欲深な亡者達が、一銭も手にしないうちに最上級の金蔓を手放す筈もなく、その一点だけを考慮しても、高い確率でジュリアンの安全は担保されていると達也は確信していた。
とは言え、愛妻が懊悩する姿は不憫でならず、その不安が幾分かでも和らげばと思った達也は、密かに進めている策略を明かしたのである。
「既に連邦情報局には密偵を潜入させてある。クラウス直属の優秀な配下で、彼と同じファーレン人だと聞いているよ。どんな手品を使ったのかは知らないが、担当取調官の一人としてジュリアンの近くで様子を窺っているそうだ」
達也の口からクラウスの名を聞かされれば、未だに複雑な感情を覚えないではないが、彼の助力がジュリアンにとって有利に働くのであれば、それは喜ぶべき事に他ならない。
気休めに過ぎないかもしれないが、少なくとも接触の手段は確保しているのだから、やり様は幾らでもある筈だとクレアは胸を撫で下ろした。
「そう……今度会う機会があれば、私からも礼を言っておくわ。でも、配下の人を潜入させたという事は、万が一の事態に備えての配慮なのかしら?」
「そうだね。君の懸念が現実のものになった時には、ジュリアンには申し訳ないが、少々乱暴な手段を用いてでも救出作戦を敢行する様に指示は出してある」
ジュリアンが逮捕拘禁される前に先手を打っていた達也の周到さにクレアは驚くばかりだが、続けてラインハルトが明かした秘事に、更に目を丸くしてしまう。
「アスピディスケ・ベースの近在宙域には、隠密裏に第七イ号潜艦隊を配置しています。ジュリアン氏の身が危ないと潜入している工作員が判断した場合は、直ちに攪乱工作を行い、救出部隊を掩護する手筈が整っています」
かなり強引な作戦に違いはないが、不意さえ衝ければ充分に成算はあると達也は考えており、表情を綻ばせた愛妻へ素直な気持ちを語った。
「彼には返し切れないほどの恩義がある。絶対に見捨てる訳にはいかないんだ……それに、二度とユリアを悲しませたくはない……あの娘には幸せになって貰いたいからね。それが、亡き御両親やザイツフェルト陛下の御霊を安んじる唯一の事だと思っている……まあ、父親として娘のウェディングドレス姿を見たいという願望も否定はできないがね」
最後は冗談めかしに戯けて見せた達也だったが、その言葉が胸に染みたクレアは目頭が熱を持つのを堪えきれなかった。
子供達への夫の想いを疑ってはいなかったが、きちんと言葉にしてくれた事が、何よりも嬉しくて堪らなかったのである。
「ありがとう……私も想いは同じだわ。だから、あなたの言葉を信じます」
そう言ってクレアが納得したのを機に、慎重に事態の推移を窺う事で意見が一致した三人は、別の懸案事項へと話題を切り替えた。
※※※
「反銀河連邦同盟が結成され御披露目も済んだ。華々しい式典の模様は銀河系の隅々までライブ中継され、かなりの衝撃を齎したのではないかと俺は思っている。極秘裏にだが、参加を打診して来ている国もあるらしい」
丁度三日前になるが、ランズベルグの檄に呼応して参集した国々により、反銀河連邦を理念とする新同盟〝フェアシュタント″が結成された。
この報は瞬く間に銀河系を席巻し、体制派、非体制派に拘わらず、決して少なくはない衝撃を数多の国々へ与えたのだ。
それらの中には早々に参加を打診してきた国も一つや二つではなく、時間を追う毎に数は増えつつあるとの報告も入っている。
何といっても銀河連邦軍から離反した北部と北西部艦隊の存在は大きく、同盟国が保有する戦力と併せれば連邦総軍にも見劣りはしないとの判断が、それらの国々の決断を後押ししたのは間違いないだろう。
また、モナルキア体制に移行してからの連邦評議会の遣り様に不満を懐く人々は多く、新しい価値観と秩序の担い手としての役割を、フェアシュタントに期待する声も強くなっていた。
しかし、傍から見れば、まさに順風満帆の船出を果たしたと言っても過言ではない新同盟だが、その内情はひどく不安定なバランスの上に成り立っていると達也は考えている。
それは、クレアやラインハルトも同じ意見を共有するものであり、彼らの懸念がオルグイユ連邦共和国という存在に集約されるという点も全く同じだ。
「盟主のナーメ・アハトゥングは自尊心の塊みたいな男だったよ。傲慢で独善的な考えの持ち主でね……俺の事も毛嫌いしているようだったな」
苦笑いする達也がそう言えば、不快感を隠そうともしないクレアは、眉を顰めて棘のある言葉を漏らした。
「ホドスと名乗った宰相も尊大で上から目線が強烈な御仁だったわね……それに、甥っ子のマッシーモに至っては最低最悪よ。あんな下劣極まる連中が国家指導者だなんて世も末だわ」
普段は滅多な事で他人を悪く言わないクレアだったが、シレーヌへの無礼の数々を思い出せば怒りが蘇るようで、胸の内の憤りを隠そうともしなかった。
だが、それでも憤慨を私的なものだと切り捨てた彼女は、為政者の顔になるや、私心を排して素直な疑問を口にする。
「今回の新同盟設立の意義を彼らは本当に理解しているのでしょうか? 保有戦力では他国と比較しても一頭地を抜く存在だと聞いていますが、あれでは、同盟内部の秩序を乱しかねないのではありませんか?」
その懸念は良識ある人間ならば誰もが懐くものであり、オルグイユ連邦共和国に対する的確な評価だといえるだろう。
協調性に乏しく、他国よりも優位な位置を得んとする唯我独尊ぶりが仇となり、これまでにも数々の問題を起こしてきた過去がある。
それにも拘わらず、彼の国は新同盟に参加したのだ。
その理由が判然とせずに困惑するクレアは、皇王家に対して不遜だとは思いながらも、更なる疑問を吐露した。
「第一、レイモンド皇王陛下やソフィア皇后陛下は、如何なる思惑があって彼らの蛮行を黙認しているのでしょう……私も元は軍人でしたから、キレイ事だけで戦いに勝利できないのは重々承知しています。ですが、それでも、彼らの存在は新同盟には相応しくはない様に思えて仕方がないのです」
珍しくも皇王家に対して批判的な物言いをするクレアの表情は暗い。
そこには、何かしらの重要な思惑があるのだと分かってはいるが、全ての憤懣に目を瞑れと言われても、ハイそうですかと言い難いのも偽らざる本心だ。
しかし、そんな愛妻の疑問に答えたのは、他ならぬ達也だった。
「君の疑問は尤もだよ。本来ならば、オルグイユは貴族閥と思想を同じくする勢力だ。しかし、その強すぎる自尊心が仇になり、新同盟に加わるという選択肢を選ばざるを得なかったのさ」
その意味深な言葉を聞いたクレアは益々疑問を深くしたのである。




