第七十六話 ジュリアン受難 ①
各国の軍関係者が一堂に会した会議を終えた達也は、無償譲渡が決まった艦艇の分配に関する調整をラインハルトに任せ、一足先に迎賓館へと向かった。
それは、初の対外的な御披露目の場に臨んだクレアの事が心配だったという事もあるが、彼女の秘書官として同行しているシレーヌが、獣人であるが故に謂れなき誹謗中傷を受けていないか不安だったからでもある。
しかし、会場正面入り口から中を窺った達也は、その懸念が杞憂だったと知って安堵したものの、目の前の光景が如何にして起こったのか分からずに小首を傾げてしまった。
会場の中央部分の開けた空間では、皇王家お抱えの楽団が奏でる優雅な曲に合わせ、幾つものカップルが華麗なダンスに興じているのだが、その輪の中にシレーヌの姿を認めた達也は大いに驚いたのである。
獣人に対する偏見は今尚厳然と存在するし、それは上流階級と呼ばれる人間達の中では殊更に顕著だと言っても過言ではない。
しかし、どうした事か、現在彼女をエスコートしているのは、その立派な身なりと洗練された立ち居振る舞いから、正真正銘の貴族だと推察できた。
それに、まだまだぎこちないステップしか踏めないシレーヌを見事にリードしているその男性貴族は、苦労しながらも一生懸命な彼女に好意的な微笑みを向けており、とてもではないが嫌々パートナーを務めている様には見えない。
また、周囲の人々も慈愛溢れる視線でシレーヌを見守っており、何処かほのぼのとした雰囲気が会場全体を満たしている様にも感じられた。
そして、演壇の上では、女主人であるソフィアやケインらを囲んで懇談している人々の輪があり、ひっきりなしに聞こえて来る笑い声からも、随分と話が弾んでいる様子が窺える。
しかし、ランズベルグが主催するパーティーに於いて、この様な光景は珍しくもないが、今宵に限っては些か様相が違っている様にも感じられた。
そして、その違和感の正体に気付いた達也は思わず相好を崩してしまったのだ。
(なるほど、皇后陛下が御引き立て下さったのか……どうりでね……)
壇上の人垣の隙間からチラリと見えたのはクレア本人に間違いはなく、どうやらソフィアの隣で招待客らと談笑しているようだった。
実際に何があったかまでは分からないが、クレアの寛いだ笑顔を見れば、アマテラスにとって良い方向に話が転がったのは一目瞭然だ。
そう察して込み上げて来る喜びを噛み締めた達也は、ほっと一息吐いた。
気掛かりだった懸念が払しょくされて肩の荷が下りた事もあり、給仕役のコンパニオンから皇王家秘蔵のワインで満たされたグラスを受け取った達也は、空いているテーブルへと移動する。
ソフィアはクレアを解放する気はないようだし、シレーヌはシレーヌで一曲踊り終えたにも拘わらず、直ぐに別の男性客からダンスを申し込まれてしまい、照れくさそうにしながらも断る気配は見られない。
そんな時に顔を出して仕事の邪魔をしては悪いと考えた達也は、彼女達の笑顔を肴に銘酒を堪能しようと決めたのである。
(一体全体なにがあったのやら……話を聞くのが楽しみだな)
彼是と想像しながらグラスを傾けていると、慌てた様子のヨハンが小走りに近付いて来るや、視界の邪魔にならない様に斜め後方で立ち止まって敬礼した。
「御来場に気付かずに申し訳ありませんでした。会議の方は終られたのですか?」
「つい先程ね……鹵獲した戦利品と引き換えに軍事技術の供与は断念させたよ」
「そうですか! それは良かった。おめでとうございます、白銀提督」
先史文明が遺した驚異的な技術の処遇を巡っては、梁山泊軍内部でも意見が百出しているが、他国への供与を是としている者は皆無だと言っても過言ではない。
その力を実際に戦場で行使した彼らだからこそ、その危険性も充分に知り尽くしており、達也同様に人間が手にするには早過ぎるものだと考えていた。
また、これらのオーバーテクノロジーは、そう遠くない未来に封印すると達也が明言しており、それが、竜母セレーネと大精霊ユスティーツとの約束によるものだというのは皆が知って納得している。
それ故に鹵獲艦の大半を気前よく供与する事で、技術流出を阻めるのならば上々だというのは、梁山泊軍に所属する者達ばかりではなく、アマテラスの国旗の下で生きる人々全ての共通した想いだった。
そして、その想いは嘗ての教え子である地球統合軍からの合流組も共有しており、だからこそ、交渉が上手く運んだ事をヨハンは喜び安堵したのだ。
「ありがとう。苦労した甲斐があったよ……それにしても、一体これはどういう事なんだい? クレアにしろシレーヌにしろ歓迎ムード一色じゃないか」
軍事的な成果を達成した以上、気になるのは政治的に得る物があったのか否かという点に尽きた達也は、想像以上に好意的な会場の雰囲気の理由が知りたくて問うたのだが、その返答を聞いて苦笑いするしかなかった。
「実は……皇后陛下が、クレア大統領の事を今一番のお気に入りだと……」
そう切り出したヨハンは、オルグイユ連邦共和国の宰相ホドスや、その甥であるマッシーモとの揉め事に始まり、颯爽と入場して来たソフィアが壇上に引き上げたクレアを絶賛した所まで淀みなく、そして熱く語ったのだ。
その様子からは、オルグイユの使節団との遣り取りで溜め込んでいた鬱憤を晴らしてくれたソフィアに対する感謝と尊敬の念すら窺え、達也は一本気な彼らしいと素直に感心したのである。
だが、皇后陛下の為人を良く知る達也にしてみれば、事は単なる善意から発したものではないと分かってしまうだけに、心中穏やかではいられない。
(監視カメラか何かでオルグイユの連中との一部始終を見ていたのだろうな)
勿論、会場に配していた皇王府のスタッフからも報告はされていたのだろうが、その場で仲裁に入る愚を避けたソフィアは、皇国の威信を損ねない範囲で、彼女に許された最大限の報復措置を選択したのである。
ホドスらが散々愚弄したアマテラス使節団に過剰な敬意を尽くす事で彼らの面子を潰し、自分や皇王家にとってクレアは大切なパートナーだから礼を失した真似は許さない……と暗に釘を刺したのだ。
確かにその効果は覿面だったらしく、現在は会場の何処にもオルグイユの関係者らの姿を見る事はできなかった。
恐らくは、自らの軽率さに気付いた彼らは、早々に撤退を選択するしかなかったのだろう。
(連中には同情するしかないな。皇后陛下を怒らせた失態を如何にして償うか……今頃は盟主共々に御前会議の真っ最中だろう)
ソフィアの逆鱗に触れたホドスやマッシーモの自業自得だとはいえ、達也としては、余り嬉しい展開でないのも事実だ。
会議の場で遣り合う羽目になったオルグイユ盟主のナーメ・アハトゥングの態度にも不気味なものがあるし、その上に晩餐会に参加した側近らとも遺恨が生じたとなれば、国同士の関係にも影響が出るのは確実だろう。
(厄介な展開にならなければ良いが……)
形を成さない漠然とした不安を懐く達也だったが、ダンスを終えたシレーヌが、パートナーを務めてくれた男性に恭しく頭を垂れている姿が目に入るや、懸念を胸の中へ押し込んで平静を装った。
達也に気付いた彼女も小走りに駆けて傍まで来るや、ほんのりと淡い朱色に染まった表情を綻ばせて頭を垂れる。
「御来場に気付かず失礼致しました。達也様」
「気遣いは無用だよ。それにしても見事なダンスだった……周囲の方々も好意的な態度だった様に見受けられたし、これならば心配する必要はなかったね」
達也からの賛辞に照れるシレーヌだったが、一転して表情を曇らせて自嘲めいた言葉を漏らしてしまう。
「御褒め戴き真に恐縮ですが、私の力ではありません……全てはアナスタシア様の過分な御厚情の御蔭です……私はクレア様に御迷惑をお掛けしただけで……」
「そんな風に言うなよ! オマエは立派だった。俺はそう思っているぞ!」
すっかり意気消沈して俯くシレーヌの言葉を全力で否定するヨハン。
然も、さり気なく自らの気持ちをアピールする彼の台詞に違和感を感じた達也は、〝あれっ?”と小首を傾げてしまった。
ましてや、励まされて益々頬を赤らめたシレーヌが、星が飛び散っているかの様なキラキラした瞳をヨハンへ向けているのを見れば、如何に唐変木認定されている達也とはいえ、ふたりの間に甘酸っぱい何かがあったのだと察せざるを得ない。
とはいうものの、下手な言葉を掛けて若者らを萎縮させるのも忍びないと考え、彼らの心中には気付かないフリをして含み笑いを漏らすに止めておく。
改めて何があったのかと聞いてみれば、躊躇うシレーヌに代わってヨハンが事の経緯を解説してくれた。
「晩餐会が始まるや否や、シレーヌを引き連れたアナスタシア様が招待客らの間を積極的に挨拶して廻ったんですよ。そして、行く先々で『私が手塩にかけて育てた者達の中でも、このシレーヌは五本の指に入る逸材ですわ。何れはアマテラス共生共和国を背負って立つ日も来るでしょう。その日の為に皆様も今のうちから懇意になさっては如何?』……と喧伝なされたのです」
その話を聞いた達也は〝なるほど”と納得して何度も頷いた。
マッシーモやホドスから理不尽な仕打ちを受けたシレーヌを案じた彼女が、その立場が許す範囲の中で最大限の援護射撃をしてくれたのは容易に想像がつく。
何といっても謂れなき誹謗中傷で女性を不当に貶める輩を蛇蝎の如くに忌み嫌うアナスタシアだけに、お気に入りのシレーヌを辱められたと知った時の怒りがどれ程のものだったかは容易に想像できる。
しかし、どうやらシレーヌは未熟な自分を不憫に思ったアナスタシアが、過剰に持ち上げてくれただけだと勘違いしているらしい。
だから、達也は祝福の意味も込めてシレーヌに真実を伝えたのである。
「もう少し自信を持ってはどうだい?」
「えっ? 達也様……それはどういう意味なのでしょうか?」
「譬え、何かしらの思惑があったとしても、あの御方は追従や忖度とは無縁の存在だ。アナスタシア様が『五本の指に入る逸材』だと断言されたのならば、それは、紛う事なき真実なのさ……人物の真贋を見極める能力で、あの御方の右に出る者はいないよ」
その言葉に目を丸くするシレーヌだったが、じわりと胸に込み上げて来た感慨に目頭を熱くして嗚咽を漏らしてしまう。
「あとは君次第だよ。アナスタシア様の御言葉が正しかったと証明するのも、唯の妄言だったと皆から嘲笑されるのも、全ては君の生き様に懸かっている。精進してみなさい。いつの日か君があの御方の期待に応える成長を遂げたならば、誰よりも喜んでくれる筈だ。アナスタシア・ランズベルグとは、そういう御方だからね」
「は、はいっ……が、頑張ります……そして、必ず、必ずアナスタシア様の御厚情に応えてみせます……」
両の瞳から溢れ出る涙を見られまいと小さな手で顔を覆ったシレーヌだったが、その言葉には確固たる決意が滲んでいると達也には感じられた。
そして、そんな彼女の肩をそっと抱くヨハンの姿を見れば、ふたりの未来に祝福がありますように……そう願わずにはいられなかったのである。
◇◆◇◆◇
ランズベルグ皇国に於いて秘密同盟結成の為の折衝が進んでいたのと同じ頃。
事前の通告もなしに銀河連邦軍一個艦隊が首都上空に現れた惑星ヘンドラーは、その目的が判然としないだけに騒然とした状況に陥っていた。
この星の統治権を持つヘンドラー経済連合は、派遣艦隊に対して正式に抗議したものの、それは受け入れられず、郊外に着陸した艦艇から出撃した戦闘車両の行列を見守るしかなかったのである。
そして、その集団が目指したのは、高層建築物が立ち並ぶ首都の中でも一際目を引く巨大なバベルの塔……ロックモンド財閥本社ビルだった。




