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第七十五話 皇后陛下のお気に入り ③

(ふんっ! 身分(いや)しい獣人風情が……一人前の官吏面(かんりづら)をして私の立場に配慮したつもりかッ!? 身の程知らずも(はなは)だしいッ!)


 軍事大国として知られているオルグイユ連邦共和国の盟主ナーメ・アハトゥングを父に持ち、自身も将来の指導者の地位を約束されているマッシーモは、シレーヌの気遣いを(さか)しらな真似だと切って捨てた。

 彼にしてみれば相手は小国の使節団の一員でしかなく、新同盟の中核を(にな)うオルグイユ代表使節団の重鎮たる己の要望に応えるのは当然だとの思いがある。

 しかし、そんな上級者である自分が声を掛けたにも(かか)わらず、小賢(こざか)しい浅知恵を(ろう)して要求を拒み、その結果として折角の厚情を無にしたのだ。

 それだけでも噴飯ものなのに、相手が生体兵器の成れの果てだと卑下される獣人だという事実にプライドを逆撫でされたマッシーモは、瞬間湯沸かし器よろしく嚇怒(かくど)して声を荒げていた。


「薄汚い獣人の分際で()いた風な口をきくな! キサマ(ごと)下賤(げせん)の者が私の要望を拒むなど言語道断だ! それが如何(いか)に罪深いか思い知らせてやるッ!」 


 幼い頃から彼の周囲を取り巻いていたのは阿諛追従(あゆついしょう)を得意とする御調子者ばかりであり、それは今日に至るまで改善される事はなかった。

 そんな環境の中で『偉大な盟主の息子』『未来の指導者』だと()(はや)されれば、(こら)え性のない愚者に成り果てたのも当然の結果だろう。

 だから、マッシーモにとって己の要求や行動を他者が受け入れるのは当り前の事であり、その(ことわり)に反する者は無知蒙昧(むちもうまい)慮外者(りょがいもの)でしかないのだ。

 そんな(ゆが)んだ価値観に拘泥(こうでい)気色(けしき)ばんでシレーヌに詰め寄った彼は、その華奢(きゃしゃ)な腕を掴もうとして右手を伸ばす。

 その途端に表情を強張(こわば)らせた相手の様子に多少は溜飲を下げたマッシーモだったが、(よこしま)嗜虐心(しぎゃくしん)に衝き動かされている彼が、その程度で満足する筈もない。

 相手を完全に屈服させてこその勝利だと信じて疑わない彼は、己の欲望と自尊心を満たすべく更に歩を進めてシレーヌへ肉薄する。

 しかし、思い描いていた至福の結果をマッシーモが手にする事はなかった。


「さあ、来いぃッ! 高貴なる者への礼儀を(しつ)けてやろ──ッッ! ぐわぁ! な、何をするかぁ!? は、放せッ! 腕を放せッ、無礼者めぇッ!」


 高揚する感情の儘に(たかぶ)る彼が伸ばした手が、後退(あとずさ)る憐れな獲物の腕に触れようとした瞬間、悲鳴を上げたのはシレーヌではなくマッシーモの方だった。

 伸ばされた手は彼女の細腕に届く前に別の手によって掴まれ、遠慮会釈もない力で締め上げられたのだ。


「ぎがァァ──ッ! 手、手首が潰れるぅ! キサマらぁ! 何とかしろぉ!」


 手首から生じた激痛に見栄も体裁もなくのた打ち回るマッシーモの悲鳴に周囲は騒然となり、八人の護衛官らも血相を変えて事態に対処するべく身構えたのだが、この事態を(もたら)した当の本人は顔色ひとつ変えずに(うそぶ)いた。


「散々我が国の大統領補佐官を侮辱したんだ……手首の一つや二つ握り潰されても文句は言えないよな?」


 そして、恐怖から解放されたシレーヌは安堵して表情を(ほころ)ばせるや、窮地を救ってくれたヒーローの横顔へ喜色を隠そうともしない眼差しを向け、その名を(つぶや)いたのである。


「ヨハン……」


            ※※※


 剣呑な気配を(あらわ)にして身構える相手の護衛官らを視線で牽制したヨハンは、無様にも悲鳴を上げながら無意味な抵抗を続けるマッシーモを解放してやった。

 その途端に勢い余って床に尻餅をついた自称大国の高貴な御方は、見た目だけは端整な顔を憎悪に(ゆが)め、怒りを滲ませた双眸でヨハンを(にら)みつけて(わめ)き散らす。


「キサマァァ──ッ! たかが下賤の武官風情が一体全体何をしたか分かっているのかッ!? 私はオルグイユ連邦共和国使節団の一員だぞ! 盟主であるナーメ・アハトゥングは我が父でもあるッ! それを、それをぉぉぉッ!!」


 その残念な物言いを聞かされているヨハンとしては、『それが、何か?』というのが正直な感想でしかない。

 (もっと)も、以前の彼ならば、この男がシレーヌを侮辱した時点で問答無用で叩きのめしていただろうし、そうでなかったとしても、親の七光り自慢以外の何ものでもない言葉を聞かされれば、確実にキレていただろう。

 そうしなかったのは彼自身が様々な面で成長したからに他ならなず、アマテラス共生共和国やクレアの体面を(おもんばか)って自重する分別を身に着けた証でもある。

 だから、眼前で顔を朱に染めて(わめ)いているボンボンの無分別には唯々呆れるしかなく、(むし)ろ、手首の骨を粉砕しなかった恩情に感謝して欲しいとさえ思っていた。

 とは言うものの、自分の対応が会場の彼方此方(あちらこちら)で事態を見守っている来賓の方々に緊張を()いたのは確かだ。

 それに対して申し訳なかったという気持ちはあるし、何よりも()れ以上の介入は護衛官の職責の範疇(はんちゅう)から逸脱するというのも充分承知していた。

 だから、その立場に相応(ふさわ)しい人物に舞台を譲る事にしたのである。


「アンタが何処(どこ)の何様でも知った事ではありませんね。私に与えられた任務は彼女の護衛ですから、職務を全うしたに過ぎませんので、御無礼の段は平に御許し頂きますように」


 そう謝罪して慇懃(いんぎん)に腰を折ったが、その顔には欠片(かけら)ほども悪怯(わるび)れた風情は無く、戸惑うシレーヌの腰を抱いて後方に下がる。

 だが、その上から目線の言葉が(かん)(さわ)ったのか、護衛官らに助けられて立ち上がったマッシーモは、尚も怒りに血走った目でヨハンとシレーヌを(にら)みつけて鼻息も荒く捲し立てた。


「許せるものかぁ──ッ! このマッシーモ・アハトゥングに狼藉(ろうぜき)を働いておいて無事に済むと思うな! その思い上がりも(はなは)だしい獣人女共々、死にも勝る苦痛と後悔を与えてくれるぅッ!」


 しかし、その罵声を馬耳東風とばかりに聞き流して平然としているヨハン。

 傍から見れば何方(どちら)に非があるかは明白であり、この騒動の成り行きを(うかが)っている周囲の者達が、彼らを比較して如何(いか)なる感想を(いだ)くかは火を見るよりも明らかだ。

 その結果として分が悪くなるのは自分達の方だと理解したホドス・アハトゥングは、舌打ちしたくなる思いを押し隠して甥っ子の肩に手を置いた。


(愚か者めがッ! 取るに足らぬ獣人相手に無様な真似を曝しおってぇッ!)


 胸の中で渦巻く憤懣に知らず知らずの中に力が入ったのか、肩に置かれた手から加えられた握力に顔を(しか)めたマッシーモが不満げな視線を向けて来る。

 だが、こんな些細(ささい)なアクシデントで自国の評価を落とす訳にはいかないホドスは、怜悧で酷薄な意志を滲ませた視線で暗愚な甥っ子を黙らせた。

 そして、下っ端が相手では話にならないと言わんばかりの態度で責任を問われるべき人物に向き直るや、内心で荒れ狂う感情を押し殺して舌戦を挑んだのである。


「これは困った事になりましたな? 白銀大統領閣下……この不始末を如何(いか)にして(つぐな)うおつもりですかな?」


 たかが小国相手に大人げないと思わないでもなかったが、現盟主の息子であり、将来のオルグイユを背負って立つマッシーモの失態を放置してはおけない。

 多少強引でも相手に非を認めさせて謝罪させなければ、せっかく傘下に納めた国々の信頼を失う恐れもあるし、()いては新同盟内での自国の立ち位置が微妙なものになる可能性もある。

 現在別会場で軍事関係者らが集う会合が開かれているが、その場に参加している実兄が同盟軍の主導権を握るのは確実な状況だとホドスは確信していた。

 本部に反旗を翻した銀河連邦軍方面艦隊を除けば、二万隻にも及ぶ戦力を有している大国はオルグイユだけであり、その巨大戦力を背景にした発言力を無視できる筈がないのだ。

 それ(ゆえ)に、政治的にも主導権を握る事が盟主であるナーメから課せられた使命であり、その双方を手中に収めて新同盟の舵取り役を(にな)う。

 そして、その地位を盤石のものにし、(いず)れはランズベルグ皇国やファーレン王国を追い落として覇権を手にする。 

 それが、彼ら兄弟が思い描いた戦略目標であり、その先に輝かしい自国の未来と繁栄を夢見ていたのである。

 だからこそ、ぽっと出の弱小国相手に醜態を曝すなど断じて許される事ではなく、衆人環視の中で相手を完膚なきまでに遣り込める事で失地回復を図るしかなかった。

 多少強引であっても、相手は海のものとも山のものともつかない新興国ならば、少し脅しさえすれば大国の威に屈して必ず膝を折って謝罪する。

 そう考えていたのだが……。


「不始末? 何か不都合がございましたでしょうか? 彼は私が与えた命令を忠実に果たしたに過ぎませんわ。それに……無知で無礼極まる言動をとったのは其方(そちら)の従者の方が先でございましょう? 私どもの方こそ納得のいく御説明を頂きたいものですわ。アハトゥング宰相閣下?」


 返って来た言葉は想定外の代物でしかなく、大国の威に屈して謝罪するどころか不満を(あらわ)にした批判に他ならず、虚を突かれたホドスは言葉を失ってしまう。

 クレアの表情からは臆した風情は見受けられず、凛とした(たたず)まいからは揺るぎない決意と覚悟が垣間見えた。

 当然だが、その反論に吃驚(きっきょう)したのはホドスだけではない。

 彼女の傍で事の成り行きを見守っていたアリエスとレイチェル母娘を始め、周囲のギャラリー達も意外な展開に目を白黒させている。

 そして、それはホドスにとっては好ましい事態ではなく、思い描いていた思惑を台無しにされた彼は、激昂して声を荒げるのだった。


            ※※※


「次期盟主に対しての悪口雑言(あっこうぞうごん)は許さぬぞ! (しか)も、自らの乱暴狼藉は棚上げしておいて、相手に釈明を求めるとは言語道断であろうがッ! 小国の分際で勘違いも(はなは)だしいぞッ!」


 紳士然とした仮面を投げ捨て、高圧的な口調で(すご)むホドスの豹変ぶりを目の当たりにしたクレアは、その品性の卑しさに嫌悪感すら(いだ)いてしまう。


(次期盟主だと言うのならば、それに相応(ふさわ)しい見識と立ち居振る舞いを身につけるべく教育するのも宰相の責務でしょうに……大国の優位性を笠に着て相手を恫喝する卑しい品性の持ち主が幅を利かせているのでは、新同盟の先行きにも不安要素はあると考えておく必要がありそうね。でも、この者達の様な尊大で傲慢な指導者が幅を利かせている国の力まで頼りにしなければならないとは……皇王家の御方々の御心痛は如何(いか)ばかりか……)


 強大な銀河連邦と敵対する以上、少しでも多くの味方が欲しいのは確かだろう。

 (たと)え、それが、目指す理想や理念が異なる国だとしても、有益な戦力を保有しているのならば、ある程度の妥協は仕方がないとクレアも理解はしている。

 しかし、何事も度が過ぎれば害悪にしかならないのも事実だ。

 それが分かっているからこそ、彼女はオルグイユ連邦共和国と、その指導者らに見切りをつけたのである。

 ましてや、思い上がりも(はなは)だしい大国へ()(へつら)う必要も、その理不尽で身勝手な言い分を甘受するつもりも最初からないのだから、表面だけ取り繕って相手に迎合する気は微塵もなかった。

 だから、折角の晴れがましい席に招待してくれたソフィア皇后に心の中で詫びながらも、毅然とした態度でホドスの言に異を唱えたのである。


「随分な仰りようですが、乱暴狼藉に及んだのは其方(そちら)が先。当方が謝罪しなければならない理由がありませんわ。貴方様方が大国の重鎮であるのは重々承知しておりますが、大国ならば何をしても良いという事はないでしょう。ましてや、小国には小国の意地がございます。貴国の次期盟主殿が、私の補佐官を侮辱した行為は断じて看過できません。正式に謝罪を要求致します」


 (ひる)むどころか面と向かって反論される等とは思ってもいなかったホドスが愕然として言葉を失う中、他の使節団の面々が漏らす騒響(ざわめき)が会場を満たしていく。

 皆が畏怖する実力者からの恫喝に敢然と反論して見せたクレアへの評価は意見が分かれる所だろうが、あからさまに批判的な視線を向けて来る者は居なかった。

 それは、不本意ながらも、常日頃(つねひごろ)から大国の意向に従わざるを得ない立場にある彼らだからこそ理解し()る、小国の悲哀を噛み締めてきた者に共通する想いの発露だったのかもしれない。

 ()にも角にも、白銀クレアの名前は強烈なインパクトを(もっ)て皆の胸に刻まれたのである。

 そんな空気を敏感に感じ取ったホドスは嚇怒(かくど)して再起動した。


「ふっ、巫山戯(ふざけ)るなッ! 卑しい獣人風情を侮辱したから如何(どう)だというのだッ!」

「我がアマテラス共生共和国の理念は『共生社会の実現』ですわ。それは銀河系に生きる全ての命が対象です。勿論(もちろん)その中には彼女の様な亜人も含まれています」

「そんな荒唐無稽な夢物語が実現する訳もないだろう! 所詮(しょせん)は獣人など銀河世界の荷物でしかないのだ! そんな厄介者と共生する? 馬鹿も休み休み言えッ!」

「理想とは常に荒唐無稽で達成に困難を伴うものですわ。ですが、(はな)から実現困難だと諦めていては、人の世に未来はないのではありませんか?」


 荒ぶるホドスに対して一歩も退かずに論陣を張るクレア。

 その姿に感じるものがあったのか、大国オルグイユの傘の下に身を寄せた者達までもが何処(どこ)か居心地の悪そうな表情をしているのを見れば、論戦を有利に進めているのが何方(どちら)かは明白だろう。

 しかし、大国の矜持(きょうじ)に固執するホドスが自ら不利な形勢を認める筈もなく、不毛な遣り取りが続くかに思われたのだが、それは突然会場に流れ始めたオーケストラの演奏と、(ようや)く演壇に姿を見せた晩餐会の進行役によって終了を余儀なくされたのである。


『皆様。長らくお待たせいたしました。これより、ソフィア皇后陛下並びにケイン皇太子殿下の御入来であります! くれぐれも礼を失さぬ様に御願いいたします』


「ちいッ! 命拾いしたなッ! だが、この儘では済まさぬぞ。必ず思い知らせてやるから覚悟しておくがいいッ!」


 今宵の晩餐会に集う関係者のなかで最も重要な相手が姿を現す以上、取るに足らない小国の相手などしている暇はないと判断したホドスは、忌々しげに吐き捨てるや会場の中央部へと急ぐ。

 そんな叔父に追随するマッシーモも、憎しみが籠った視線でヨハンとシレーヌを一瞥(いちべつ)して立ち去った。

 すると、それを待っていたかのように入場口の扉が従者によって開かれ、威厳と美しい装束を身に纏ったソフィアとケイン、そしてアナスタシアが姿を見せたのである。

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[一言] かっこえぇぞぉー大統領!!( ´∀` ) このまま出禁にしたれ!!( ´∀` )
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