第七十三話 一抹の不安 ④
強大な戦力を誇る銀河連邦軍とはいえ、八大方面域軍のうちの二つが離反するという事実は極めて重く、銀河系内の軍事バランスが崩壊するという言い種も、強ち大袈裟だとは言い切れないだろう。
だが、それでも反銀河連邦同盟の総戦力は敵の三分の一程度でしかなく、劣勢を強いられるのは火を見るよりも明らかだ。
然も、物量の差以上に厄介なのが、両軍が保有している兵器の性能差だった。
火力、装甲、機動力など、銀河連邦軍の装備は全ての面で他国のそれを圧倒しており、その差を加味すれば、両軍の戦力差を単純な物量差では推し量れないと達也は確信している。
それは、ガリュードやハーフェン、クロイツ両大将も同じであり、今後の戦局を楽観視できないという意見で一致していた。
だが、他の国々の行動の根底にあるのは、銀河連邦評議会を牛耳っている貴族閥への強烈な憤懣と嫌悪感であり、それが、反銀河連邦同盟の結成という事態に触発されて表面化したという感は拭えない。
その様な中、敵である銀河連邦軍から二つの方面域艦隊が寝返り、十五万隻もの最新鋭艦隊が味方に付いたとなれば、実情を知らぬ者達が浮かれるのも仕方がないのかもしれない。
しかし、同盟軍の中核を成す面々が慢心していたのでは、僅かばかりの光明さえもが絶たれ、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。
そんな愚かな結末など断じて受け入れられる筈もなく、円卓に座すお歴々を厳しい視線で見据えた達也は、無礼は承知の上で彼らの勘違いを戒めたのである。
「高が十五万隻程度の高性能艦が味方に付いたぐらいで、戦局が有利になると考えておられるのであれば、その先には滅亡という未来しかない……私はそう申し上げているのです」
その言はハーフェンとクロイツ率いる離反軍を軽視している様にも聞こえるが、事の本質はそこではない。
強力な味方を得たのは良いが、その事実に浮かれて必要以上に敵戦力を軽視してはならない、という諫言だったのだが、素性も定かではない若造の大言壮語を快く思わない者は当然ながら存在する。
だから、見縊られたと憤る彼らが声を荒げたのは、至極当然の成り行きだった。
「無礼であろうッ! 傲慢極まる貴族閥の横暴により腐敗の一途を辿る銀河連邦を正しい姿へ戻さんと決意なされたハーフェン閣下とクロイツ閣下、そして、麾下の両方面域軍将兵達の尊い想いを“高が”と嘲笑うつもりかッ!?」
真っ先に声を上げて憤怒の形相で達也を睨みつけたのは、オルグイユ連邦の盟主であるナーメ・アハトゥングだ。
今回参集要請に応じた国々の中では、銀河連邦本部があるグラシーザ星系に最も近い位置にあるのがオルグイユ共和国であり、精強な武力を背景にした軍事政権が国政を掌握している国家としても夙に知られた存在だった。
その軍事力は伊達ではなく、戦線への投入可能戦力は航宙艦二万隻とも言われており、新同盟結成の暁には連合軍の中核を成すと見られている存在でもある。
そしてナーメ・アハトゥングは国軍の総司令官である元帥位にあり、同時に政権を率いる盟主としてオルグイユ共和国のトップに君臨している人物だった。
そんな有力者が口火を切り、議長のレイモンド皇王がその言を咎めずに黙認したとなれば、他の国々の代表者らが追随するのも当然だろう。
「戦う前から滅亡の二文字を口にするなど笑止千万ッ!! 臆病風に吹かれるのも大概にするがいいッ! 貴殿も嘗ては銀河連邦軍の将官だったと聞き及んでおる。ならば、英断を以て壮挙を決意なされた両提督を誹謗するなど無礼の極みだ!」
「その通りである! 剰え国防を使命とする我々軍人に対し、自国の滅亡を覚悟せよとは不遜極まる物言いではないかッ!」
「高がと言うならば、それこそ貴国は誕生したばかりの雛鳥に過ぎぬだろう!」
「その通りッ! 然も、国家の実相を秘して何の情報開示もないッ! これでは、何か腹に一物抱えていると、要らぬ疑念を懐かれても致し方あるまいッ!」
まるで堰を切ったかの様に、各国の代表者達は憤懣を口にする。
勿論、彼らとて“神将白銀達也”の名前と功績を知らぬわけではない。
“日雇い提督”と揶揄されていた頃の彼ならばいざ知らず、太陽系土星宙域に於けるバイナ共和国軍との戦闘で名を馳せ、アルカディーナ星系戦役では、銀河連邦軍とグランローデン帝国軍合計八万隻の大艦隊を相手取って勝利を収めたのだ。
その力量を明確な結果を以て証明して見せた以上、達也と梁山泊軍の存在を軽視する浅薄な人間など居る筈もなかった。
だが、先の戦役で成した偉業の詳細は未だに公けにはされてはおらず、侵攻した両軍に対する戦後処理や、生存将兵の処遇すら明らかにされてはいない現状では、何か不都合な事実があるのではないかとの疑念を各国が懐いているのも確かだ。
本来ならば、栄えある勝利を喧伝して存在感を示し、自国の地位向上と新同盟内での発言権確保に躍起になって然るべきにも拘わらず、そんな素振りも見せない。
そうかと思えば、まだ若輩の身であるのも省みず、辛辣な言葉を吐いて喧嘩腰の問答を挑む。
一国の軍事を司っている高官らが、そんな達也の態度に反感を募らせたのは至極当然の事だった。
しかし、当の達也は非難の只中にありながら小動もせず、落ち着き払った表情で反論に転じる。
「臆病風に吹かれるとは心外な……負ければ滅ぶ。その単純明快な摂理すら失念した軍人に国家の安寧を託せましょうか? 敗北後の悲劇を骨身に刻むからこそ! 必勝の信念を以て策を巡らし、勝ち抜く事ができるのではありませんか?」
その言は虚勢でもなければ、その場凌ぎの言い逃れでもない。
その真っ当な言い分を突き付けられた面々の中には口籠る者も少なくなかった。
「それから、勘違いなさらない様に言っておきますが、私はハーフェン閣下並びにクロイツ閣下を誹謗するつもりは毛頭ありません。飽くまでも十五万隻程度の戦力では、必勝を期すには心許ないと言ったのです」
見当外れな批判を真っ向から否定した達也は、視線を険しくする面々には構わず己の真意を詳らかにする。
「未だに終息の兆しすら見えないグランローデン帝国内の紛争を鑑みれば、当面は帝国の脅威に備える必要はないと考えるのが妥当でしょう。すると、銀河連邦軍は東部方面域から南西部方面域に配備している方面域艦艇総数三十万隻を自由に動かせる様になります。後顧の憂いがなくなった巨大戦力が、満を持して我々に挑んで来るのは必定……それを杞憂だと嗤えますか?」
達也の戦略論が特別に秀でている訳ではない。
寧ろ、この程度は一端の指揮官ならば、誰もが共有して然るべきものだ。
しかし、自軍にとって不都合な展開には敢えて目を瞑りたいのか、強気一辺倒で鳴るアハトゥング元帥が鼻を鳴らして反論を捲し立てた。
「余りにも大袈裟に過ぎるッ! 譬え帝国が混乱の極みにあって敵対する可能性が低いとはいえ、銀河連邦軍が方面宙域を空にするなど有り得ないッ! ましてや、北部並びに北西部方面域軍が寝返るという事実は、貴官が考えているよりも遥かに重いのだッ! 両提督と十五万隻の戦力の決起を知れば、数多の連邦軍将兵が追随するのは必至であるッ!」
その勇ましい物言いに同意して頷く代表者らの数は決して少なくはなかったが、そんな希望的観測が通用しないのは、既に明らかにされているのだ。
その情報源が他ならぬハーフェンとクロイツ本人である以上、反同盟軍が置かれている状況は決して安閑としていられるものではないとの確信が達也にはある。
だから、その危機感をこの場に居る全員で共有するべく、両提督が齎した情報を開陳したのだ。
「これは両提督から御聞きした情報ですが、既に八大方面域各軍の司令官並びに、全ての幕僚の首が挿げ替えられ様としています。ハーフェン閣下もクロイツ閣下も中央司令部から罷免を申し渡されており、配下の参謀部も全て解任されて指導部は一新されるとか……」
ほんの一瞬静寂が議場を支配したが、それは直ぐに地鳴りの様な呻き声に取って代わられ、騒然とした雰囲気がホールの隅々まで伝播していく。
そして、達也の言葉が偽りではないのを証明するべく、ハーフェンとクロイツが情報を補足した。
「新しく方面司令官やその幕僚に抜擢された者達は、貴族閥の中でも実務派で知られた連中ばかりだ。思想は過激で目的を達成する為ならば、手段を選ばない危うさがある……然も、よくよく調べてみれば全員が大統領筆頭補佐官ローラン・キャメロットと繋がりがある軍属だと判明した」
「これまで裏方に徹していた男が動き出した……今回の強硬人事の根底に如何なる思惑があるのかは分からぬが、人事の発令が明後日となっている以上は我々も手を拱いている訳にもいかないのでな……」
痛苦の表情を隠そうともしない両提督とは裏腹に、円卓に座す諸将は困惑と疑念を持て余すだけであり、誰も事態の深刻さに思い至る者はいない。
彼らにしてみれば、ローラン・キャメロットなる者など路傍の石に等しい存在でしかないし、裏方の補佐官風情に何ができるのかとの思いもある。
正直な所、そんな小者相手にハーフェンとクロイツ程の勇将が何を取り乱しているのか……そう胸の中で嗤った者も少なくはなかった。
だが、そんな彼らが等しく驚愕して双眸を見開かねばならない事実が、レイモンド皇王の口から語られたのである。
「先程クロイツ提督が言ったであろう。明後日には人事が発令されると。そうなれば八大方面域全ての艦隊が敵に廻る。それを避ける為にも明日には決起宣言を銀河系全域に向けて発せねばならぬのだ。既に北部並びに北西部方面域へ派遣されている新司令官とその幕僚は全員拘束した。この事実が明るみに出る前に我らの意思を知らしめ、少しでも多くの同志を募らねばならないのだ。一同左様に心得て審議を尽くして貰いたい」
皇王の重い言葉に耳朶を打たれた参加者らは一様に顔を青褪めさせるのだった。




