第七十三話 一抹の不安 ①
三日の航海を経て無事ランズベルグ皇国母星セーラへ到着した大和は、皇都港湾都市の沖合海上に錨を降ろしている。
だが、翌日に開催が予定されていた国家代表者らの親睦パーティーと軍事担当者だけで執り行われる事前会合は、複数の参加国の延着を理由にして一日延期されるとの通達があり、達也らは肩透かしを喰った気分だった。
皇王家からはレイモンド皇王の名代として第四皇子であるマーカスが大和を訪艦し、不手際を詫びるのと同時に『皇都見物でもなさっては如何?』と気遣ってくれたのだが、達也はその申し出を丁重に固辞した。
それは、参加国の実相と動向が定かではない今、迂闊に行動するのは得策ではないと判断したばかりではなく、既に情報収集を開始している諜報員からの報告を、いち早く手にしたいとの思惑があったからに他ならない。
その様な事情から大和乗員への皇都上陸許可は見送られ、ショッピングを楽しみにしていた詩織ら女性士官らを大いに落胆させたのである。
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「ねえ、詩織。栄えある艦隊旗艦の艦長が、そんな無様な為体で部下達に示しが付くと思っているの? それにも増して、二十歳過ぎのイイ女が草臥れ果てた姿を晒しているなんて……蓮に愛想を尽かされても知らないわよ」
大和艦内の大食堂の一角にあるテーブルに陣取るアイラは、対面で机上に突っ伏している親友へ呆れ果てたと言わんばかりに忠告したが、当の詩織は反論するのも面倒臭いのか、これまた億劫そうに返事をするのが精一杯だった。
「その蓮もヴァーチャル・トレーニングルームの簡易ベッドの上で大の字になっているわよ……愛想尽かす気力なんか有る筈がないでしょう」
詩織の指摘は間違ってはおらず、無様にも生ける屍と化した蓮の為体はアイラも確認済みだ。
蓮が新型人型機動兵器“疾風”への執着を露にしていたのは知っていたが、実際にその性能を体感済みのアイラは、現在の補助システムでは、生身の人間が“疾風”を乗りこなすのは到底不可能だと判断し、早々に機種転換を断念していた。
当然ながら、蓮も何れは諦めるだろうと思っていたのだが、精霊ポピーの助力を得て先行きに目途が付いたと聞いた彼女は、居ても立ってもいられず、真実を確かめるべく大和を訪れたのだ。
しかし、実際に己の目で確認してみれば、それは乗りこなしているというレベルには遠く及ばず、目を見張る様な成果を期待していたアイラとしては落胆するしかなかったのである。
ラウルや志保と共に“ランズベルグ皇国解放作戦”に参加したアイラは、所属する攻略支援艦隊で無聊を託っていた。
事実、第二航空戦隊の司令部の面々は元より、前皇王家の御方々が逼塞していた私邸を討伐軍の攻撃から守り抜いた志保ら空間機兵団や、ラルフやアイラが率いて獅子奮迅の活躍を披露した航空隊の面々も、終戦当初は前皇王派の貴族や民衆から熱烈な歓迎を以て迎えられたが、その熱気は戦後の慌ただしさの中で既に過去の物になっている。
本来ならば早々にセレーネへ帰還するのが筋なのだが、銀河連邦軍が攻勢に転じ新たな艦隊を派遣する可能性を否定できない為、皇国母星セーラの守備警戒の任務を果たすべく、暫しの駐屯を余儀なくされていた。
そして、司令官である達也の皇国来訪を以て作戦は完了したのだが、司令部から『引き続き大和にて白銀クレア大統領閣下の護衛任務に就くべし』との命令を受けたアイラは、“疾風”への興味もあって、大和への着任を急いだのである。
因みに志保と空間機兵団の一部にも護衛任務の命令は伝えられており、今夕には着任する手筈になっていた。
だが、勇んで大和に乗艦してみれば、余程に訓練が厳しかったのか、トレーニングルーム備え付けのベッドに突っ伏す蓮は息も絶え絶えという為体であり、真面に相手にして貰えなかったアイラの憤懣は募るばかり。
だから、その憂さ晴らしの相手に恋人をターゲットに選んだのだが、その詩織までもが疲労困憊して無様な姿を晒しているのだから、それが尋常な事態でないのは彼女にも理解できた。
「確かにアンタの言う通りだったけどさぁ……此処に来るまでに何かアクシデントでもあったの? 大和単艦による隠密行とはいえ、白銀提督が乗っておられたのだから、詩織の出番なんか微塵もなかったでしょうに」
アイラには他意などなく至極真っ当な見解を口にしたのだが、詩織にしてみれば軽んじられたかの様にも聞こえてしまい、どうにも面白くなかった。
だから、ノロノロとテーブルに伏せていた上半身を起こすや、如何にもといった風情で唇を尖らせ、この三日間の地獄の日々で積もり積もった愚痴を吐き出したのである。
「そりゃあね……銀河連邦軍の監視は無いに等しかったから、私の出番なんか何もなかったけどさ。だからこそ訓練が過酷を極めたのよ!『暇を持て余しては士気も下がる。だから訓練で乗員を鼓舞しよう。新型フォーメーションも早急にマスターしなければならないから一石二鳥だ』とか何とかラインハルト閣下が言ってさぁ、三時間ぶっ通しの訓練を僅かな休憩を挟んで何と五セット、然も三日連続よっ! これはパワハラよ。完全なる過剰労働だわ! 断固抗議するわ! おまけに楽しみにしていたショッピングは御預けになって、正に踏んだり蹴ったりよぉ……」
(最後のが本音よね……でも、今ならセレーネの方が品物の量も豊富だし、新作もいち早く入荷するから、ランズベルグで買う物なんて何も無いけどね)
詩織が憤る理由を看破したアイラだったが、敢えて口にする愚は避けた。
それは、同意しても反論しても延々と愚痴に付き合わされるのが目に見えているからだが、詩織が口にした艦隊フォーメーション訓練について、その過酷さを経験しているアイラ自身も疑問を懐いていたからでもある。
先日、同様の訓練を行うようにとの命令が第二航空船団にも下命されたが、その余りの煩雑さと緻密な連係を強いられる陣形には、各艦の艦長は元より操艦を担当する面々からも悲鳴が上がっているのが実情だ。
何といっても、旗艦から単信号で指示が下される度に素早く正確な陣形の変更が求められる為、僚艦と接触する危険を鑑みれば、求められる操艦技術が並大抵のものでないのはアイラにも理解できた。
只でさえ、戦闘中の陣形変更は敵軍に付け入るスキを与えるが故に禁じ手とされているのに、危険な訓練を課してまで新型フォーメーションをマスターしなければならないのは何故なのか、その理由も未だに明確にはされていない。
そもそもが、この様な複雑怪奇な艦隊行動を必要とする局面があるのかさえ疑問に思えるというのが、二航戦艦隊将兵の偽らざる気持ちだった。
(あの白銀提督が無意味な訓練など強要する筈がないのは分かっている……でも、その意図が見えないのでは、寧ろ逆効果になるのではないかしら……)
そう懸念するアイラだが、達也ら梁山泊軍首脳陣がその思惑を秘している以上、詮索は無用だと半ば悟ってもいる。
そもそも、このフォーメーション発動中は艦隊から距離を取る様に厳命されているアイラ達航空師団にとって、飽くまでも今回の艦隊訓練は他人事であり、詩織らの苦労に憐憫の情を懐きながらも傍観するしかないのが実情だ。
ならば、気休めでも無いよりはマシだろうと思い、未だにブチブチと愚痴を垂れ流している艦長殿に慰めの言葉を掛けようとしたのだが……。
「おい。艦長。何時まで休んでいるんだ? あと十分で訓練開始だぞ」
「うえぇぇ……もうなの? 鬼よ! ラインハルト閣下は私達を殺す気なのよ!」
詩織の泣き言はさておき、背後からの声にアイラが振り向けば、そこには呆れ顔のヨハンと苦笑いする神鷹が立っており、久しぶりの再会に彼女は顔を綻ばせた。
「久しぶりね、ヨハンも神鷹も元気そうで何よりだわ」
アイラに気付いたふたりも相好を崩して再会を喜ぶ。
「やあ、アイラ。おまえさんも元気そうで何よりだ。ランズベルグ解放戦での活躍は聞いているぜ。今度ゆっくり武勇伝を聞かせてくれよな」
「怪我もなくて何よりだったね。奇襲作戦とはいえ、寡兵だったから心配していたのだけれど、無事に作戦を完遂したと聞いて胸が空く思いがしたよ」
二人から手放しの喝采を受けたアイラは照れ臭くて仕方がなかったが、それでも賞賛の言葉を返すのを怠りはしなかった。
「そっちこそ四十倍の敵を相手取っての完勝じゃない。『銀河連邦軍大敗す!』の一報が齎された時の皇国の熱狂は尋常じゃなかったわよ。本当に大したものだわ」
そのアイラの言に気を良くしたのか、不貞腐れていた詩織が立ち上がるや、さり気なく自慢を口にする。
「アルカディーナ星系に引き込んだ時点で勝ちは決まっていた様なものだけれど、常日頃の厳しい訓練の賜物であるのも確かよね」
「それが分かっているのなら、さっさと艦橋に行くぞ。次回も訓練の賜物で勝てたと言いたけりゃあ、こんな所で泣き言を並べている暇はないだろうが」
だが、その言は藪蛇だった様で、ヨハンからのツッコミを受けた詩織は顔を顰めざるを得ない。
そんなふたりの遣り取りには苦笑いするしかないアイラだったが、やたら元気なヨハンの態度には疑問を覚えずにはいられなかった。
武器管制と攻撃指揮が本職とはいえ、それは艦や艦隊の動きを無視して成立するものではなく、指揮を執る詩織や操艦担当の神鷹と同様の負荷が掛かるのは自明の理だ。
それにも拘わらず、三人の中で一番元気で溌溂としているヨハンの様子を不審に思ったアイラは、その理由を問い質そうとしたが、それは新たな人物の登場により遮られてしまった。
「お忙しい所に恐縮ですが、大統領からの最優先要請事項ですので、御検討の上で承認下さいます様お願い致します」
控え目な物言いで情報端末を差し出したのは、今回の件で大統領秘書官に抜擢されたシレーヌであり、当然ながらクレアとも縁のある詩織やアイラとは友人関係を築いているアルカディーナのひとりだ。
物静かで理知的な性格だが、その能力は彼のアナスタシアのお墨付きを得ており、将来のアマテラス共生共和国を背負って立つであろう人材として、皆から期待されている逸材でもある。
だが、そんな彼女にも弱点はあるのだと、アイラは初めて知るのだった。
「よう、シレーヌ。先日は妹達や他の子供達の為に骨を折ってくれて助かったよ。学校に受け入れて貰えた子供達も喜んでいた。ありがとうな」
「あっ! ヨ、ヨハン。や、やめて下さい。私は自分の職務を遂行しただけです。それに、避難されて来た方々が精神的安寧を得るお手伝いをするのは、当然の義務ですから……」
「それでもだよ。この先の人生に不安を懐いて暗い顔をしていた妹達が、見違えるように元気になって学校に行くのを楽しみにしている……本当にアルカディーナの人達の厚情には感謝するしかない。ありがとうなシレーヌ」
「そ、そんな……私なんか大した事は何も……あうぅ……」
感謝しながら頭を下げるヨハンと、狼狽を露にしながらも微かに頬を赤らめているシレーヌの様子を目の当たりにしたアイラは、状況が理解できずに小首を傾げてしまう。
然も、ふたりとも敬称抜きで互いの名を呼びあっているではないか。
そこには何かしらの甘酸っぱい雰囲気が形成されているのだが、自他共に認める武闘派のヨハンと優秀な官僚でもあるシレーヌとの接点が見えないアイラは戸惑うばかりだ。
すると、見かねた神鷹から耳打ちされた内容に、彼女は思わず頬を緩めてほくそ笑むのだった。
「不平不満を募らせていた移民団の若手連中がシレーヌとトラブルを起こした時、ヨハンが単身で彼女を庇ってさ。それ以来、何かと理由を付けては頻繁に会っているようだよ。尤も、まだそれ以上の関係ではないようだけれどね」
その物言いには明らかにヨハンとシレーヌの今後に期待するニュアンスが含まれており、アイラとしても、それが事実なら祝福するのも吝かではなかったが……。
「何をまだるっこしい真似をしているのよ。さっさと付き合っちゃえば良いのに。何時までグズグズとしているのやら……武闘派の看板が泣くわよ? ヨ・ハ・ン」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる詩織が揶揄うぐらいだから、ふたりの関係は周知の事実らしいと思い至るアイラ。
そして……。
「なっ!? き、如月ッ! てめえぇ!」
「し、し、詩織さぁぁんッ!???」
と、明らかに狼狽えるヨハンとシレーヌの様子に春の訪れを確信するのだった。




