第七十二話 秘密同盟の舞台裏で ②
『厄介な案件』……。
達也が何を言いたいのか理解できない訳ではなかったが、国家の根幹を成す問題に係わる事でもあり、大統領という責任ある立場のクレアが本心を詳らかにすれば軽率だとの誹りは避けられないだろう。
だからこそ、胸の中にある思惑は秘した儘『厄介な案件』についての見解を擦り合わせるべく、言葉を選びながら訊ねたのだ。
「アルカディーナを含む亜人種の人々との共生社会の実現について、今回の会議に参加する国々の中には、反発を覚える国も少なからず存在するという懸念よね?」
念を押すかの様なその物言いに不快感が滲んでいるのを敏感に察した達也だが、敢えて言い訳がましい弁明はせずに無表情を貫く。
銀河系世界に於ける亜人種への偏見は今も根強く、今回の反銀河連邦同盟結成に賛意を示した国々といえど、獣人という存在に忌避感を示す可能性は極めて高い。
勿論、あからさまに獣人の排斥を唱える国は極稀だが、指導者達や一般の国民が亜人への潜在的恐怖を懐いているのも事実なのだ。
それらを考慮すれば、亜人との共生を国是に掲げているという点を問題視され、アマテラスへの不支持を表明する国家があっても不思議ではないだろう。
それは、新国家として産声を上げたばかりのアマテラスにとってはマイナス要因でしかないし、同盟を主導したランズベルグやファーレンの面子をも潰す事になりかねない。
そんな事態だけは、絶対に避けなければならないのだが……。
「つまり……あなたが言う“厄介な案件”とは、“亜人との共生”という繊細な問題に道筋がついていないにも拘わらず、秘書官にシレーヌを抜擢したばかりか、彼女の帯同を許可した事を指しているのかしら? あの娘が獣人だから、今回の会合には不適格だとでも?」
剣呑な心情を隠そうともしないクレアは口調を厳しくして言を重ねたが、それは飽くまでも表面上の事であり、達也がそんな無知蒙昧な人間だと本気で思っている訳ではなかった。
ただ、この場に居る三人ならば、回りくどい物言いをせずに本音で意見をぶつけ合った方が、より良い結果が得られると判断したからこそ、歯に衣着せぬ物言いをしたのだ。
そして、その想いは達也やラインハルトも共有するものであり、だからこそ言葉を飾らずに真意を吐露したのである。
「そういう意味ではない。寧ろ、亜人との共生を掲げる我がアマテラスの使節団が人間種だけで構成されていたのでは、却って諸国家からの嘲りを受けるだろう……『共生などと謳ってはいても所詮は綺麗事か』と揶揄されるのがオチだ……だが、使節団の裏方を担う一員ならばまだしも、大統領筆頭補佐官ともなれば、彼女だけが悪目立ちするのではないかと心配でね」
憂いを滲ませた顔で達也がそう言えば、ラインハルトも表情を険しくする。
「ランズベルグとファーレン……同盟の実質的盟主から国家として承認された事により、他国からの羨望は否応なく高まるでしょう。『成り上がりものめ』との嫉妬や侮蔑を受けるのは確実ですから、相応の覚悟をする必要があります」
夫らの懸念は尤もな事であるし、他の参加者からの誹謗中傷に曝される可能性が高いシレーヌの身を案じているのは、クレアにも充分理解できた。
当然だが同様の不安は事前の閣僚会議でも俎上に上がったし、周囲の予想に反して使節団に抜擢されたシレーヌも、恐懼して辞退を申し出たという経緯もある。
だが、渋る閣僚とシレーヌを説得したのは他ならぬクレア自身であり、それは、アマテラス共生共和国の大統領として絶対に譲れない信念故の決断だった。
その想いは今も変わらないし、変えるつもりもない。
だから、クレアは胸の中の想いを包み隠さず吐露したのである。
「今回参集する国々や使節団の方々が、我が国に対して良い感情を懐いていないのは想定済みです……何処の馬の骨とも知れぬ小国が七聖国の一角を担った大国から認められ、剰え、対等の条約を結んだのですからね。それは嫉妬もするでしょうし、嫌味の一つや二つは覚悟していますわ……ですが、それでも我が国の理念だけは、絶対に譲る訳にはいかないと考えています」
「君の決意は立派だが、相手は海千山千の曲者ばかりだ。新参者の出鼻を挫く為に難癖をつけてくる可能性は極めて高いよ?」
「だからこそだわ。何事も最初が肝要ですもの。言い換えるならば、ここで妥協しては我が国の未来はないし、他国と対等な関係を結ぶなど夢のまた夢になってしまう……だから、引き下がる訳にはいかないのよ」
そう言い切ったクレアの言葉からは何の迷いも感じられず、達也は思わず苦笑いせざるを得なかった。
温厚で他者との争いを好まない愛妻が、信念を貫き通す為には一歩も退かないと宣言したものだから、どんな顔をすれば良いのか困ってしまうのだ。
だが、その説明でも完全には納得できなかったラインハルトが、最も懸念されるべき問題を問い質す。
「同盟の是非と発足を協議する本会議よりも、寧ろ、各国の要人や夫人らが一堂に会して執り行われる親睦パーティーの方が厄介です。酒席になるのは避けられませんし、中には泥酔したフリをして絡んで来る輩も居るでしょう……そんな不愉快な連中の好奇の目に繊細なシレーヌが耐えられますか?」
達也もラインハルトも一貫して最重視しているのは、クレアを筆頭に使節団の面々の安全確保であり、そして、人間種に対する嫌悪と偏見を自らの努力で払拭しつつあるアルカディーナ達が、更にその理解を深めて人との融和を進める一助になればという願いに他ならない。
それ故、常にクレアの傍らにあってパーティーにも出席するシレーヌへ配慮するのは当然の事であり、参加者らの好奇の目に曝された彼女が傷つくのだけは避けなければならないと考えているのだ。
「確かにな……間の悪い事に、パーティーが開催されている時間は我々軍関係者の重要会議とダブっているからね。俺もラインハルトも、君達をフォローしてあげられないから、万が一の事態は考慮しなければな……」
ラインハルトに続いてそう不安を示す達也だったが、クレアは何時もと変わらない柔らかい微笑みを浮かべながら、彼らの懸念を否定した。
「護られてばかりでは成長は見込めないし、あの娘も不本意でしょう。今回の経験はシレーヌにとって飛躍の切っ掛けになる筈です……まぁ、未だに諦めがつかずに悩んでいるみたいだけれど、きっと大丈夫ですわ。外交交渉も彼女の事も私に任せて下さい」
何やら胸に秘めた思惑がありそうなクレアがそう言い切れば、達也もラインハルトもそれ以上の反論はできず、政治的な対外交渉は大統領に一任する事で合意するしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
基本方針を確認し終えるや、新しく立案された艦隊フォーメーションの習熟訓練の指揮を執らなければならないラインハルトは退室し、部屋には達也とクレアだけが残された。
クレアはクレアで使節団の随行員らと打ち合わせがあるのだが、約束の時間までは余裕があるので、二人きりになったのを此れ幸いとばかりに、もう一つの憂慮を解決する為に夫へ話し掛けたのである。
「ねぇ、あなた……ロックモンド財閥やジュリアンの身柄に対し、銀河連邦評議会に何か動きはないの?」
必勝確実といわれた遠征軍が大敗を喫した所為もあり、銀河連邦は血眼になって白銀軍の情報収集に明け暮れていた。
その調査が進めば、梁山泊軍に対して様々な支援を惜しまなかったロックモンド財閥の存在が詳らかになるのは時間の問題であり、その結果総帥であるジュリアンが捕縛される可能性は極めて高いと言える。
また、彼自身も財閥と部下達を護る為、司直からの追及を甘受する覚悟をしているのを知るだけに、ジュリアンと恋仲にあるユリアの心情を慮るクレアは、多くの難題を抱えている夫には申し訳ないと思いながらも、状況を訊ねずにはいられなかったのだ。
先程までの快活な表情は消え失せ、不安げな視線を向けて来る妻が可哀そうではあるが、ジュリアンの意志は固く、救済策を固辞されている今の段階では達也にも成す術はない。
また、情報部からは『現状では表立った動きなし』との報告も受けており、明確な予測ではなく憶測に基づいた答えを返すのが精一杯だった。
「先の敗戦が相当な痛手だった様で未だに混乱が続いているからね。我々に助力した支援者が居るとは思っているだろうが、派遣艦隊の損害把握に追われて特定には至ってはいない……そんな所だと思う」
「でも……それも時間の問題なのでしょう?」
クレアの懸念は正鵠を射ており、達也もそれを否定できない。
「そうだね……予想以上に手間取っているが、ここ半月余りの中には、何かしらの動きがある筈だ」
「あぁ……」
ソファーに並んで腰を下ろす達也は、悲嘆に暮れる妻の肩を抱いて問い掛ける。
「ユリアの様子は?」
「普段と変わらないわ……でも、私達の前では笑顔を取り繕ってはいても、一人になれば悲しげな顔でぼんやりしているもの……心配で心配で堪らなくて、それでも不安に押し潰されまいと気丈にしているあの娘が不憫で……」
語尾が涙で掠れたのは察したが、下手な慰めが何の役にも立たない事を知る達也は、ジュリアンの身を護る為に講じた策を淡々と語って聞かせた。
「仮に不当行為の嫌疑をかけられて捕縛されたとしても、直ぐに処断される訳ではない。幸いにも、想定以上に銀河連邦の混乱が長引いたお蔭で時間稼ぎはできた。今回の同盟が成れば、間を置かず新同盟結成の宣言が為される手筈になっている。それは、連邦評議会に対する宣戦布告に等しいからね」
「そ、それじゃあ……」
クレアの表情に幾分かは明るさが戻る。
「うん。決戦は思ったよりも早くなるだろう……ジュリアンの連行先は評議会本部がある惑星ダネルしかない筈。ならば、アスピディスケ・ベース攻略作戦と同時に別動隊を編成し、彼の救出作戦を敢行するのも可能だ」
それ以外にも、ヒルデガルドが開発した“代謝サポート・ナノマシン”を服用させているから、向こう二年間は毒物も自白作用を齎す幻覚剤も一切通用せず、暗殺されるリスクも限りなく低いと説明した。
「それに、ロックモンド財閥を敵に廻す恐怖を誰よりも身に染みて知っているのは、他ならぬ貴族閥の連中だよ。彼らが有している資産を一夜で灰燼に帰すだけの力をジュリアンは持っているのだからね」
その言葉の意味を理解しかねて怪訝な表情を浮かべるクレアに、達也は淡々とした物言いでその意味を説明する。
「これまでに支援の対価として我が国が支払った金塊の全てを市場に投げ売りすれば……いや、その存在を明らかにするだけで、投資市場は大混乱に陥るだろうし、他の経済活動にまで多大な影響をを及ぼすのは確実だ。そうなれば、連中とて只では済まない……いざとなったら、そうしろと重役連中には言っておいた」
混乱を助長して更に稼いだ時間でジュリアンを救出する。
その為に達也が、可能な限り手を尽くしている事を知ったクレアは心から感謝し、改めて夫に対する尊敬と信頼を篤くするのだった。
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