第七十二話 秘密同盟の舞台裏で ①
四月二十日払暁。
クレアを団長とする使節団は、新同盟結成会議へ出席する為に一路テュール星系を目指してセレーネを出発した。
ランズベルグ皇国の母星であるセーラまでは、譬え高出力を誇る軍用艦であっても、自力転移と転移用ゲートのサポートを併用して一週間は必要な道程だ。
銀河連邦と戦争状態にある今、航海の安全を第一に考えるならば、隠密性に長けたイ号四○○潜を運用するのが理には適っているが、達也は敢えて大和単艦による単独行を選択したのである。
尤も、自力での超長距離転移が可能な大和ならば、航程を大幅に短縮し、三日で皇国へ到着できるという点も考慮した上での決断だが、最大戦力である超弩級戦艦を選んだのには他にも理由があった。
今回の同盟結成会議のメインは、反銀河連邦の旗の下に集った各国代表が一堂に会す結成式そのものであり、その場で全銀河ネットワークを通じて同盟樹立を宣言する手筈になっている。
しかし、その前に各国の軍関係者が極秘裏に会合を持ち、対銀河連邦を見据えた今後の方針を協議する会合も予定されていると招待状には明記されていた。
独立勢力である梁山泊軍が並み居る参加国から侮りを受けない為にも、ある程度のはったりは必要だ。
また、現在もランズベルグ皇国の周辺宙域には、治安維持と銀河連邦軍の反攻に備えるという名目で解放作戦の主力を担った派遣艦隊が常駐しているが、この会議が終了した後は全艦がセレーネへ帰還する事も決まっている。
謂わば、軍事会議での主導権確保と、派遣艦隊の中核を為す旗艦としての役割を考慮した達也は、見栄えの点でイ号潜を圧倒する大和を選んだのだ。
◇◆◇◆◇
大和の司令官公室は楼閣型艦橋の最上部にあり、立ち入れるのは艦長をはじめ、ほんの一部の高級士官だけだ。
その部屋のこじんまりとした応接セットで寛いでいるのは達也とクレア、そしてラインハルトの三人であり、実質的に使節団の責任者と認知されている面々だ。
主力艦隊乗員の練成任務を要請されたエレオノーラは、留守居役としてセレーネに残留しており、今回の航海には帯同してはいない。
ニーニャから採掘された特殊金属を精製して作られた硬質ガラスに覆われた室内からは、三百六十度パノラマの雄大な光景が肉眼で見渡せる様になっている。
現在位置は丁度アルカディーナ星系から離脱した所であり、窓越しに唯一の出入り口を見つめているクレアは、感慨深げな面持ちで小さな溜め息を零してしまう。
すると、そんな愛妻の憂い顔を見咎めた達也が、苦笑いしながら声を掛けた。
「何だい? まさか、もうホームシックだなんて言わないだろうね? お義父さんやお義母さんに任せているのだから、子供達の事は心配しなくても大丈夫だよ」
「もう! あなたったら、揶揄わないで頂戴。この場所から星系を見るのはあの時以来ですから……色々と思い出して感傷的になっただけよ」
拗ねた様な口調でクレアからそう反論されれば、如何に鈍い達也も愛妻の心情を察して納得するしかなかった。
彼女にとって此処は、激しい戦闘を潜り抜けた逃避行の末に辿り着いた希望の地への入り口であり、その後の運命を決定付けた始まりの場所に他ならないからだ。
「追い詰められたあの時、目の前に広がる不気味な次元断層を見た瞬間の絶望感は今でも忘れられないわ。でも、それは新たな未来への入り口だった……人生なんて本当に魔訶不思議なものだと改めて感慨に耽っていただけです」
「悪かったよ。俺が不謹慎でした」
頬を膨らませて非難がましい視線を投げて来る愛妻に詫びながらも、達也は何とか不利な形勢を立て直すべく話題を変える。
「そう言えば、出発間際にアヴァロン周辺宙域で監視任務に就いているイ号潜から連絡が入ったよ」
「アヴァロンって!? グランローデン帝国の本拠地よねっ! 何か情勢に変化があったの?」
専横政治を欲しい侭にしていたリオン皇帝は敗死したものの、皇帝派として無頼の限りを尽くしていた貴族や軍関係者は多く、セリス第十皇子率いる解放軍は帝政アヴァロン奪還を目指し、激しい戦いを繰り広げているとクレアは聞いていた。
戦力の上では互角だが、旗頭である今生陛下を喪った皇帝派はその勢いを減じており、解放軍が攻勢に転じていると夫から聞かされたのは、つい一週間前の事だ。
二年以上もの月日を共に一つ屋根の下で暮らしたセリスとサクヤの安否が気掛かりでならないクレアは、達也の将官用コートの袖を引っ張って話の続きを急かす。
「勿体ぶらないで、達也さん! セリス殿下やサクヤ様は御無事よね?」
「あははは。心配しなくても大丈夫。ふたりとも怪我ひとつないそうだよ。然も、三日前に帝星アヴァロンの首都奪還に成功し、現在は帝星各地で反抗を続けている皇帝派の拠点を一つ一つ制圧しているとの事だ」
「まあッ! それは朗報だわ! これで、漸くセリス殿下の悲願が叶うのね。母星の奪還さえ成れば、各支配宙域で反抗を続けている勢力の戦意も挫く事ができるでしょう」
一旦は表情を綻ばせたクレアだったが、それは、ほんの一瞬の事だった。
帝国の中枢であるアヴァロンを奪還したからといって直ぐに戦いが終わる訳ではないし、平和への道のりは、まだ半ばに過ぎないと彼女も理解している。
そして、全ての戦火が治まるまでは、罪もない民衆の悲嘆は続くのだとも……。
それが分かるからこそクレアは悲嘆に暮れるしかなく、憂いを帯びた表情を痛苦に歪めて嘆いた。
「民衆を苦しめるだけの無益な戦闘など、一刻も早く終止符が打たれるといいのに……疲弊した国家を立て直すのは一朝一夕にできる事ではないし、優れた為政者であるサクヤ様が助力するとはいえ困難は避けられないでしょう。何よりも、身も心も傷ついて失意のドン底にいる帝国の人々の不遇を思えば胸が痛むわ」
しかし、クレアの憂慮は至極当然だとも言えるが、達也やラインハルトは彼女ほどに心配はしておらず、寧ろ、帝国の騒乱は歩を早めて終息へ向かうだろうとさえ考えていた。
だから、達也は妻の憂慮を和らげるべく、情報部から齎されたもう一つの報告を、敢えて明るい口調で伝えたのである。
「その件だがね。帝都に潜入している情報員からも併せて報告が来ているんだが、帝都では臣民が沸き立っているそうだよ」
「沸き立っている?」
怪訝そうな表情をするクレアに微笑み返す達也は、零れそうになる笑い声を堪えながら愛妻の疑問に答えた。
「『奇跡的に御生還あそばされた第十皇子殿下が、大皇国の第一皇女殿下をお妃に迎えられた』と、それはもう大層な喜びようだとか」
「まあ!」
思ってもみなかった朗報に思わず目を丸くするクレア。
そんな妻を見て我慢できずに忍び笑いを漏らした達也に代わり、口元を綻ばせるラインハルトも楽しげに語る。
「然も、サクヤ様御自ら被災者を励まし、率先して炊き出しやケガ人の治療に当たっておられるとか……臣民らは皆が歓喜して姫様を受け入れたとの事。また、公営放送で帝国臣民の救済を約束し、叛徒らにも進んで降伏すれば罪には問わぬ、そう約束したセリス殿下への支持も急速に高まっていると聞いています」
「日を置かずに帝国の騒乱は終息するだろう。セリスとサクヤならば、必ず帝国をより良い未来へと導く……俺はそう信じているよ」
ふたりの話を聞いて安堵したクレアは、若いふたりの前途が幸多きものである様にと祈らずにはいられなかった。
そんな彼女の表情が和らいだのを見た達也は、本題へと話題を変える。
「政治の中枢を掌握した以上、今後の帝国の情勢は楽観視しても構わないだろう。問題なのは、寧ろ、我々の方だ」
「そうだな……事実上同盟締結交渉は、ランズベルグ皇国一国の主導で行われたからね……我々は事前にソフィア皇后陛下から秘事を打ち明けられていたから納得もしたが、新同盟への加盟を希望して参集して来る他の国々の思惑が判然としない。おまけに参加国の数さえ分からないのではね……色々と判断が難しいよ」
渋い顔をして懸案事項を指摘するラインハルトの言に達也も頷くしかない。
「新同盟といえば聞こえはいいが、敵は銀河連邦評議会と銀河系最大の軍組織だ。加盟を望む国々にどの様な事情があるにせよ、義憤に駆られ、青臭い理想論に熱を上げた末の壮挙などという馬鹿な事はあるまい。同盟国は一蓮托生……運命共同体である以上、参集する国々の真意だけは確認する必要がある。最悪の場合はスパイが潜り込んでいる可能性も考慮するべきだろう」
(ふたりの言い分は当然ね……余りにも分からない事が多すぎる)
夫の懸念はクレアにも充分理解できたし、その不安は彼女にとっても無視できないものだ。
『凡そ国家を動かすものは利と理であり、そこに情が入り込む余地はない』
政治や経済のスペシャリストを育成する勉強会に参加したクレアは、講師であるアナスタシアから何度もそう教授されたし、その教えに異を唱えるつもりはない。
だが、為政者が一時の感情に任せて行動した挙句、国家国民に悲劇を強いた事例は枚挙に遑がないが、民草に対して慈悲の心を以て接し、名君と呼ばれた指導者が多く存在したのも事実なのだ。
だからこそ、事に当たっては臨機応変に対応するべきだと彼女は胸に刻んでいるし、己の心情に溺れず、真実を見極める事が何よりも肝要だと弁えていた。
ならば、今回同盟参加を表明した国々に如何なる思惑があるのか……見誤る訳にはいかない。
最悪の場合は、銀河連邦評議会からの脱会を宣言したランズベルグ皇国とファーレン王国の動静を監視する為、同盟参加を装って潜り込もうとするスパイが存在するのも否定できないというのは達也が言った通りだ。
だが、その程度の懸案を政治巧者であるソフィア皇后やアナスタシアが失念しているとは思えないクレアは、歯切れの悪い物言いで疑問を呈した。
「銀河連邦から密命を帯びた国が参加している可能性は低いのではないかしら? あのソフィア様やアナスタシア様が手抜かりをなさる筈もないでしょうし、未だに先の敗戦で混乱の最中にある連邦評議会に、そんな余裕があるとも思えないわ」
勿論、彼女の言を否定する気は達也にもラインハルトにもない。
しかし、不安要素を放置するのが如何に危険か身に染みている達也は、クレアが誤解しない様に己の真意を説明した。
「うん。飽くまでも最悪の場合の話さ。可能性は極めて低いだろう。だが、戦場で背中を預ける以上は曖昧な儘では済ませられないからね……同盟国の心底は可能な限り見極めておきたい……時間は限られているが、会議の場でも懇親会でも探りを入れる機会はあるさ」
「御懸念には及びませんよ、大統領。情報部の腕利きを数名ほど帯同させていますから、セーラに到着次第、探りを入れさせます」
夫に続いてラインハルトが対応策を提示した事で一応の納得を得たクレアだったが、今度はその達也から掛けられた言葉に彼女自身が戸惑う番だった。
「そういった裏での汚れ仕事は俺やラインハルトに任せてくれて構わないが、君は君で厄介な案件に直面する筈だから、秘書官として同行しているシレーヌとも充分な打ち合わせをしておいた方がいいよ」
その言葉の意味、特に『厄介な案件』の内容に思い至らずに困惑するクレアは、不安げな視線を夫へと向けるしかなかったのである。




