第七十話 羅針盤は闇へと誘う ①
ランズベルグ皇国主導による反銀河連邦勢力結集計画が密かに進行する中、当の銀河連邦評議会は未曾有の混乱の只中にあった。
「一体全体、討伐艦隊に何が起こったというのだッ! 未だに正確な情報が得られないのは如何した事かッ!?」
急遽召集された臨時評議会に於いてモナルキア大統領は双眸を血走らせて怒声を上げるが、その下問に対する答えを持つ者など一人もおらず、唯でさえ参加議員が少ない議場は咳ひとつない沈黙の場と化している。
だが、誰もが信じて疑わなかった銀河連邦軍の完勝が水泡に帰したのは疑うべくもなく、賊徒殲滅の任を担った大艦隊が、一隻たりともアスピディスケ・ベースへ帰還しない事からも、それは明らかだと言わざるを得ない。
しかし、その不愉快な事実を口にし、嚇怒するモナルキアの鬱憤晴らしの標的にされるのは御免被るというのが彼らの偽らざる本音であり、だからこそ、誰も彼もが口を噤んで沈黙しているのだ。
『敵前衛艦隊を殲滅。撤退する敵艦隊を追撃し星系内へと進軍す』との報を最後に艦隊司令部との通信も途絶しており、何一つとして正確な情報を得られない状況にモナルキアは苛立ち、癇癪を爆発させて声を荒げるが、それで事態が改善する筈もない。
筆頭補佐官としてモナルキアの真後ろの席に控えているキャメロットは、そんな領袖の醜態にも表情を変えず無言を貫いている。
(ある程度の損害は想定していたが、まさか全滅とはな……)
モナルキアを筆頭に派閥重鎮らの楽観的な推測とは裏腹に、今回の遠征は敗北に終わるだろうと予測していたキャメロットだったが、流石に派遣艦隊の全てが消息を絶つとまでは考えていなかった。
だが、現状を鑑みれば、モナルキア率いる貴族閥にとって、今回の作戦が最悪の結末で幕を閉じる公算が高くなったのは否定できない事実だ。
然も、エスペランサ星系近在域に設置されている長距離転移用のゲート三基が、中央管制局のコントロールから離れて一切の操作を受け付けなくなった、との報告がつい先程齎されのだから、その判断は益々現実味を帯びたと言っても過言ではないだろう。
この三基の転移ゲートを制圧したのが白銀達也率いる自称“梁山泊軍”であるのはほぼ間違いなく、支配宙域防衛の為に敵軍の侵攻ルートを潰そうとの目論見があるのは明白だ。
(となると……ゲート周辺には護衛艦隊が配備されていると考えるのが妥当だな。状況の把握は最優先事項だが、下手に偵察部隊を派遣した所で、返り討ちに遭うのが関の山か……)
軍人である彼からすれば至極当然の判断だが、政治という舞台での経験しかない評議員の中には、情報収集を最優先にして部隊をエスペランサ星系へ派遣するべきだ、と声高に言い募る粗忽者らも一定数おり、キャメロットは、この日初めて眉根を寄せざるを得なかった。
(この場で結論を出すのは拙速に過ぎる。損害は甚大ともいえるが、欲深で自尊心ばかりが強い貴族達を始末できたと考えれば悪くはない。だが、これ以上白銀達也の思惑で事態が推移するのは如何にも拙い……やはり、最後までこの道化に踊って貰う他はないか)
胸の中でそう呟いたキャメロットの視線の先には、肩を怒らせて声を荒げる銀河連邦大統領の姿があった。
◇◆◇◆◇
“小田原評定”よろしく何も決まらぬ儘に議会が閉会した後、モナルキアは大統領執務室に引き籠って今後の対応を検討していた。
と言っても、不快気な表情で豪奢なソファーに身を沈めている彼の前に立っているのはたった一人だけであり、それが、最も信頼する筆頭補佐官であるという事実が、彼が置かれている逼迫した状況を浮き彫りにしているともいえる。
「どいつもこいつも役立たずばかりよのぅ……狼狽して騒ぐばかりで何一つ具体的な策を進言できる者がいないとはな……銀河貴族も落ちぶれたものよ!」
憤懣やる方ないといった物言いで吐き捨てるモナルキアだったが、彼にとっても今回の結果は想定外のものだと言う他はなかった。
自軍だけでも五万隻に上る戦闘艦艇を派遣し、剰え同盟軍たるグランローデン帝国軍艦隊三万隻が加わったのだから、敗北など有り得る筈がないのだ。
然も、太陽系方面で勃発した前哨戦の分析では、梁山泊軍を名乗る賊軍の戦力は三桁に達するか否かという脆弱なものだったのだから尚更だろう。
しかし、いざ蓋を開けてみれば想定外の結果を突き付けられたばかりか、戦闘の詳細も残存部隊の状況さえも分からないが故に、有効な対応策も打てずに混乱ばかりが増すのも仕方がないといえる。
だからこそ、モナルキアは苛立ち焦燥を露にしているのだ。
そんな愚痴めいた罵倒を黙って聞いていたキャメロットは、憤懣を吐き出す領袖に対して何の忖度もせずに思う所を口にした。
「仮に派遣艦隊が全滅したとしても、我が軍の行動に生じる支障は微々たるものでしかありません。また、何れは雌雄を決しなければならない帝国軍艦隊については、寧ろ全滅してくれた方が好都合だといえるでしょう」
淡々としていながらも一切の感情を窺わせないキャメロットの言葉はある意味で正論であり、モナルキアは顔を顰めはしたが敢えて否定はしなかった。
(確かに帝国との柵から解放されたと考えれば、幾分は気が楽か……)
そう理解すれば苛立ちは次第に収まり、漸く何時もの余裕を取り戻したモナルキアは、改めて物事に動じない筆頭補佐官へ感嘆の眼差しを向けた。
少なくとも未曾有の事態に悩乱して思考停止する配下の貴族達と比べれば、この男が如何に優秀で有用かは考えるまでもない。
だが、情を排除し常に理を拠り所にして行動するキャメロットには、頼もしさと同時に得体の知れない不気味さを感じているのも事実だ。
とは言え、今は配下の人物評価に現を抜かしている場合ではない事に思い至ったモナルキアは、小さな溜息を吐いてから表情を改めた。
「取り乱して無様な姿を見せたのう。年甲斐もなく興奮するとは儂もまだまだよ」
「未だに詳細が明らかではないとはいえ、作戦が不首尾に終わったのは我ら家臣団の力量不足であり、不始末に他なりません……派遣艦隊司令部共々に御叱責は甘んじて受ける所存」
「ふん……それには及ばぬ。元より儂は白銀には一目も二目も置いておった。奴の卓越した戦略眼は驚嘆の一言に尽きたし、味方であれば、他の誰よりも重用したのは間違いなかろう」
そう述懐するモナルキアの表情は何処か皮肉気であり、決して賞賛している訳ではなく、寧ろ、彼の日雇い提督の一本気で融通が利かない為人を嘲っているのだとキャメロットは看破した。
それが、今回の結果に対するせめてもの鬱憤晴らしだったのか否かまでは察する術もないが、そんな下世話な詮索は必要ないと考え沈黙を貫く。
事実モナルキアは軽く鼻を鳴らしてから話題を変えたのだから、キャメロットの判断は間違ってはいなかったといえるだろう。
「確かに帝国軍艦隊がどうなろうと、我が連邦には係わりのない事であろうな……じゃが、敗戦による損害を取るに足らぬと切り捨てる理由はなんだ?」
一転して冷厳な支配者へ変貌した領袖からの下問に、恭しく一礼してから自らの考えを述べた。
「我が軍が被った損害の詳細は不明ですが、未だに残存艦隊から連絡ひとつないのを鑑みれば、生き残った者達も降伏して虜囚の憂き目をみていると考えて間違いないでしょう。そして彼の白銀達也ならば無差別な殺戮よりも拿捕を、若しくは降伏を促す事で戦闘の早期終結を選択するのは確実です」
「なるほど。貴官の言い分にも一理あるのう。艦艇の喪失は痛手だが、捕虜の解放交渉に尽力すれば、遠征に参加した貴族らの身内や縁者らの動揺は抑えられるか」
モナルキアはキャメロットの状況分析に納得して何度も頷くや、今回の不本意な事態に於いて最も厄介だと想定される対応に光明を見出してほくそ笑んだ。
正直な所、己の出世欲に駆られて我も我もと遠征に帯同した貴族達がどうなろうと知った事ではないが、彼らはモナルキア派を構成する貴族閥の一員であり、その中には同じ銀河貴族でも名門と称される者達も多数含まれている。
当然ながら、評議会に加盟する諸国家に地盤を持つ彼らには、数多の身内と有力な支援者らが背後に控えているのだ。
この者達の影響力は無視できず、対応を誤れば現政権を掌握しているモナルキアに対して牙を剥く可能性や、新たな権力闘争の引き金になる懸念も否定できない。
大統領として実権を握っているからこそ従ってはいるが、銀河貴族としての地位に差異がない大貴族も多数存在する以上、捕虜となった生存者への対応を誤れば、一気にクーデターが勃発する危うささえ孕んでいるのだ。
「かなりの譲歩をせねばならぬが、足元が揺らぐよりはマシか……分かった。敵の出方次第だが充分に留意して交渉しよう。だが、白銀からのコンタクトがなければ交渉など絵空事でしかないが……その辺りの成算はあるのか?」
何時もの強かな為政者の表情を取り戻したモナルキアの問いに頷いたキャメロットは、今後想定される反撃作戦を見越して必要だと思われる事を意見具申する。
だが、それは彼自身が思い描く未来に必要不可欠なものであり、必ずしも現銀河連邦の未来を慮ってのものではなかったのだが……。
ふたりだけの会談は此処からが佳境だった。




