第六十九話 建国の日 ②
各種条約の批准を機に対等の軍事同盟を締結した地球統合政府とグランローデン帝国だったが、その友好的な関係は飽くまでも表面的なものに過ぎなかった。
少しでも目端が利く者は、この同盟が地球側の一方的な隷属に過ぎないと看破していたし、帝国の遣り方に忌避感を懐く者はかなりの数に上っていた。
それ故に政府の拙速な対応への非難が巷に溢れたのだ。
しかし、当時の地球統合政府は、加盟していた銀河連邦評議会との軋轢が顕著になっており、遂には除籍勧告を受けるという未曽有の危機に瀕していた。
高度な先進技術を必要とする分野で他国の後塵を拝している地球が、連邦の傘下から弾き出されてしまえば、産業構造だけではなく、各方面に様々な支障が生じるのは自明の理だ。
しかし、各種安全保障が破棄される事によって被るダメージは、それ以上に深刻であり、将来的にどの様な事態に陥るかは判然とせず、全く予断を許さぬ状況だと言う他はなかった。
最悪の場合、他国からの武力侵攻を受けるか、海賊や闇ギルドの跳梁跋扈を許す事態も想定せねばならず、だからこそ、地球統合政府はグランローデン帝国からの同盟要請を受け入れざるを得なかったのだ。
譬え同盟の実態が属国化に等しいものだとしても、後ろ盾もない儘に銀河の孤児になるよりは遥かにマシ……。
統合政府大統領は元より、与野党を問わず政治家らは皆そう考えたのである。
だが、その決定に反発する勢力は当然の如くに存在し、政府の稚拙な初期対応も相俟って、瞬く間に太陽系を二分する論争へと発展していった。
しかし、拮抗した鬩ぎ合いは長くは続かない。
銀河連邦評議会から三行半を突き付けられたという事実は民衆の不安を煽るには充分であり、天秤の針は帝国との同盟を支持する勢力へと傾いていった。
そして、議会での強行採決により帝国との同盟が承認されるや、その大統領宣言に引き続いて発せられた帝国執政官からの苛烈な宣告によって、同盟反対派は窮地へと追い込まれたのである。
『我が帝国との同盟に異を唱えて徒に世情を騒がせた者は、その身分や性別を問わず罪人と認定する』
民主主義の根幹を揺るがすこの暴挙の前には個人の理想など塵芥に等しく、己や家族の命惜しさに賛成派へと宗旨替えする者が続出した所為もあり、反対派は急速に力を失っていった。
しかし、それでも自らの信念を貫こうとした者達は、僅かばかりの希望に縋って地球圏を脱出する道を選んだのである。
そして、そんな彼らに同調した統合軍の一部将兵らが避難民らの船団と合流し、共に太陽系外への脱出を強行。
その軍属の中には義憤に燃えるヨハンや神鷹らも参加しており、劣勢の中にありながらも、最後まで諦めずに奮戦したのだ。
その後、梁山泊軍によって救助された彼らはセレーネ星へ迎え入れられて安寧を得たのだが、それで全てが一件落着とはいかなかった。
達也ら首脳陣が懸念した通り、避難民の中に潜んでいた火種が新たな問題を引き起こしたのである。
◇◆◇◆◇
「だから、貴様みたいな小娘では話にならんと言っているだろう! 然も、選りにも選って獣人などに我々の対応を任せるなど、巫山戯るにもほどがあるぞ!」
辛辣な罵声を浴びせられたシレーヌは、憤りと悔しさを笑顔の下に押し隠しながらも、殊更に丁寧な対応を心掛けた。
勿論、彼らの身勝手な言い分を認める訳にはいかないが、正面切って反論すれば状況が悪化するのは、これまでの経緯からも明らかだ。
唯でさえ建国式典を目前に控え、クレアら指導部がその準備に奔走している中、これ以上の負担を敬愛する彼女らに負わせる訳にもいかない。
だから、穏便に話し合いを続けるべく誠意を以て接しているのだが、相手は益々語気を強めてヒートアップする始末で、ホトホト困り果てていた。
彼女を睥睨し居丈高な態度を取っているのは、先日地球から脱出して来た避難民の中でも、特に過激な思想を持つ者達だ。
その数は二十名ほどであり、避難民の全体数から見れば極々僅かだといえるが、事あるごとに待遇への不満や改善を訴えては悶着を起こしており、行政府としても対応に苦慮していた。
だが、それが避難民全体の利益を代弁してのものであったのならば、何も問題はなかっただろう。
何といっても彼らは、この星に暮らす全てのアルカディーナ達が敬愛して已まない白銀夫妻と故郷を同じくする同胞なのだから。
そんな彼らが故郷を追われて命からがら逃げて来たのだと知ったシレーヌ達が、せめて地球に帰る目途が立つまでは、この星で心安らかに過ごして貰おうと考えたのは、何ら不思議な事ではなかった。
それは、このセレーネに建国される新国家が『共生』を国是とするものであり、それを皆が受け入れ、実現に向けて邁進しているからに他ならない。
だからこそ、住居や当面の生活費など、可能な限りの支援は惜しまなかったし、大多数の避難民からは大いに感謝されて友好的な関係を構築できているのだ。
しかし、そんな親密なムードに水を差すのが、他でもない現在シレーヌの前で声を荒げている集団だった。
彼らは専ら二十代の若者ばかりであり、地球で反帝国運動を繰り広げていた時も、その過激な主張で幹部を含む主流派とは頻繁に対立していたらしい。
それ故か、ヴラーグ不在の幹部連を弱腰だと非難した挙句、セレーネに辿り着いて数日もしない中に集団で行政庁舎へ押し掛けるや、執政官らに要求を突きつけるという暴挙に及んだのである。
曰く……。
『避難民が居留している集団住宅は、現状では手狭で市街中心部からも離れていて不便である。また、他民族らの脅威を否定できず、よって移民船の市街区を地球人が主権を有する領土として割譲すべし』
『新国家樹立に際し、我々地球人の代表者の席を政権中枢に用意すべし』
『速やかに地球人の参政権を承認し、生活圏構築の為の便宜を図るべし』
等々、上は領土問題から下は日用品の無償支給に至るまで、実に多岐に亘る要求を並べ立てたのだが、その非常識極まる内容にはクレアや長老衆も唖然とする他はなく、彼らの正気を疑うしかなかったのである。
当然だが、こんな勘違いも甚だしい言い分を受け入れる義理はなく、ヴラーグら軍首脳が帰還してから改めて話し合いの場を持つと突っぱねたのだが、その返答に納得できない彼らは、陳情という名の恫喝交渉を繰り返すようになったのだ。
そして、今日も彼らは新たな要望書を携え行政庁舎へやって来たのだが、庁舎の警備を担当している空間機兵団の兵士から門前払いを喰らって激昂しているという次第だった。
では何故シレーヌが彼らの矢面に立たされているのかといえば、偏に間が悪かったという他はないだろう。
ランズベルグ皇国の奪還に成功したとの一報が齎されたのは梁山泊軍が勝利した翌日であり、その吉報に欣喜雀躍したアナスタシアは、直ちにセレーネに居残っていた皇族と使用人らの帰国を決めた。
その急な決定に翻弄される羽目になった政府関係者のひとりがシレーヌだ。
勤勉で努力家のシレーヌを気に入ったアナスタシアの厚情により、彼女はクレア同様“銀河の女王”から直々に政治学等の教えを受けており、そんな縁もあってか、皇王家の人々の帰国の段取りと差配を任されたのだ。
移民船バラディースの旧白銀邸に滞在しているアナスタシアと打ち合わせをした後、その報告の為に行政庁舎へ戻った際に正面玄関で繰り広げられていた押し問答に遭遇したのである。
他の執政官らがクレアの言いつけを尊守し敢えて彼らを無視する中、以前の陳情の際に秘書官として同席していたシレーヌの顔を覚えていたメンバーが声を荒げて詰め寄って来た為、対応を余儀なくされているという次第だった。
そして、今回彼らが新たに要求して来たのは……。
『帝国軍が敗退した以上、その影響力から地球を解放するのは今を於いて他にない! 梁山泊軍は直ちに太陽系へと侵攻し、横暴な帝国派を駆逐するべし!』
その荒唐無稽な暴論に、シレーヌが絶句したのは言うまでもないだろう。
(一体全体どのような根拠を以て梁山泊軍が他の星系へ侵攻しなければならないというの? 他国の内政に介入する権限はないし、何よりも、今後帝国を率いられるのはセリス様だわ。あの御方ならば、兄君の様な無体な真似はなさらない筈)
白銀邸に居候していたセリスとは何度も顔を合わせており、相手が獣人であっても気さくに接する人柄と真摯な人間性は、シレーヌも熟知していた。
そんなセリスが太陽系の支配に拘泥するとは考えられないし、今後地球人類が如何なる選択をするかは、彼ら自身の問題に過ぎない。
そこに梁山泊軍が介入する理由はないし、第一あの達也がそんな愚挙を容認する筈もなく、どう転んだとしても目の前で居丈高に喚いている者達の要望が叶わないのは明らかだ。
だから、シレーヌは丁寧に同じ言葉を繰り返すしかなかったのである。
「何と申されましても貴方様方との交渉は、ヴラーグ司令官様を始め、軍の方々の御帰還を待ってからと決まっております。御心中は御察し致しますが、これ以上の問答は不要だと思いますので、どうか御引き取り下さい」
小娘呼ばわりされた挙句に獣人なんかにと侮蔑され不快ではあったが、万が一にも問題を拗らせる訳にはいかないと考えたシレーヌは、胸の中の昏い感情を懸命に押し殺した。
だがそんな努力も、苛立った相手が吐き捨てた言葉によって無に帰してしまう。
「な、何をッ!? 大望も理解せぬ小娘が生意気な! ならば、みすみすこの好機を逃して我らが不利益を被っても構わないというのか? その時に白銀達也風情が相応の責任を負って償いをするとでもいう気か!? 馬鹿も休み休み言えッ!」
自分が罵倒される分には幾らでも耐えられるが、命の恩人でもあり塗炭の苦しみから自分達を救い上げてくれた達也を貶められては、如何に温厚なシレーヌといえど胸中に蟠る憤りを我慢できる筈もなかった。
だから、殆ど条件反射の如くに眼前の男を睨みつけるや、その双眸に瞋恚の色を滲ませて語気を荒げてしまったのである。
「言葉には気を付けた方が良いと思います。この星で白銀達也様に敬意を懐かぬ者は一人もおりません。万が一も気性の荒い者達が、今の言葉を聞き咎めたならば、きっと只では済まないでしょう」
「言うに事欠いて恫喝するつもりか!?」
纏う雰囲気を一変させたシレーヌの剣呑な視線に不穏なものが混じる。
彼女とて狼族の血を引く獣人なのだ。
怒りで箍が外れれば、脆弱な人間をその爪で引き裂くなど造作もない。
勿論、彼女自身にそんな気はないが、下等種だと見下していた相手から反抗的な振る舞いを受けたと思った男は、激昂して右手を振り上げていた。
「オマエッ! オマエッ! オマエェェ──ッ! 下賤な獣人風情が人間に意見する気かぁッ! 身の程を知れぇぇぇ──ッ!!」
甲高い奇声を上げながら振り上げた右手に握られているのは護身用の電磁警棒であり、最大出力で打ち据えられれば軽傷程度では済まない威力を秘めた代物だ。
そして如何に俊敏な獣人とはいえ、戦士ではないシレーヌが不意の攻撃に咄嗟に反応できる筈もなく、振り下ろされた凶器が容赦なく彼女の頭を打つ……。
と、そう思った周囲の誰もが目を背けたのだが、低い振動音を発している漆黒の武器がシレーヌを害する事はなかった。
唖然とする彼女の目の前には梁山泊軍の軍服を纏った青年が立っており、表情を歪め歯噛みしている男の手首を掴み、その凶行からシレーヌを庇ったのである。
その端整な顔に怒りを滲ませる青年は、他でもないヨハンだった。
共に地球から逃げて来た母親と妹達が暮らす居留区へ帰宅する途中、行政庁舎の玄関口で悶着を起こしている同胞らの横暴を見兼ねて仲裁に入ったのだ。
しかし、同じ地球人とはいえ、彼らに懐くのは侮蔑と怒りの感情以外にはなく、だから、その視線を険しくして眼前の男を睨みつけたヨハンは、烈火の如き激しい言葉を叩きつけるのだった。
「おまえ達の様な恩知らずに生きている価値はねえよ。その下衆な性根を俺が叩き直してやるから、命が要らねえ奴から掛かって来いッ!」
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【頂きものFAの御紹介】
令和4年 7月15日にサカキショーゴ様(https://mypage.syosetu.com/202374/)から上記FAを頂戴いたしました。
『白銀姉妹』というタイトルで、仲睦まじいユリアとさくらのツーショットであります。
サカキショーゴ様、この度は本当にありがとうございました。
尚、サカキショーゴ様は、みてみんにもマイページを御持ちです。
楽しいイラスト満載のサカキショーゴ美術館(https://32786.mitemin.net)を皆様も御観覧してみては如何ですか?




