第六十九話 建国の日 ①
アルカディーナ星系戦役が終結してから三日が経過した頃には戦後処理も一段落し、セレーネ星は平穏な日常を取り戻しつつあった。
一方で今回の戦闘による影響が、民衆の生活や各種インフラへ及んだという報告はなされていない。
問題になっているのは専ら捕虜にした者達の処遇についてであり、他の懸案事項も含めて軍首脳部は、その対応に追われていたのである。
※※※
「この三日間だけで、我が軍への参加を志願した将兵は百万人を超えたわ」
淡々とした口調で報告するエレオノーラの表情は、喜びと困惑が綯交ぜになった微妙なものであり、それは、この会議に参加している達也や他の面々も同様だ。
「それは大したものですねぇ。モナルキア派の連中や、その家臣達が志願するとは思っていませんでしたが、残りの一般将兵も敗戦の直後だけに、自ら志願してまで戦いたいという物好きは居ないだろうと思っていたのですが……」
「そうですね……然も、今後は先日まで所属していた銀河連邦軍と戦うのですから……そう簡単に気持ちの切り替えが出来るのか否か、判断の難しい所ですね」
如何にも意外だというニュアンスでクラウスが疑問を呈せば、兵站部門責任者である信一郎も彼の意見に追随する。
だが、彼らの懸念は至極当然のものであり、此れまでの戦史を紐解いてみても、今回の様な事例は一度たりとて起きてはいないのだから、不安を懐くなという方が無理なのだろう。
そもそも捕虜の五分の一にも上る将兵が即座に寝返りを希望するなど前代未聞の出来事に他ならず、然も、その数は今後も増加の一途を辿るのが確実という予測も報告されているのだから、首脳陣らが困惑するのも無理はなかった。
「確かに如月参謀の懸念は尤もだと思う。まぁ、多少なりとも人員の増加ができればと期待はしていたが、まさか、こんな騒ぎになるとはね……」
険しい顔で腕組みをしているラインハルトも、当初の想定を大きく上回る事態にどう対処すべきか迷っているのは一目瞭然だ。
勿論、ある程度の志願参加は期待していたが、それは嘗て達也の下で戦った将兵らが要請に応じてくれたら、という程度のものであり、そんな彼らにさえ、丁寧な説得と懇願が必須だと覚悟していた。
それが蓋を開けてみれば、我も我もと参軍を希望する将兵が殺到したのだから、良い方向に期待が裏切られたとはいえ、その裏に何か疚しい事情があるのでは、と皆が懸念を懐いたのも仕方がないだろう。
だから、まずその点について達也は問い質した。
「この短時間で志望者達全員の身上調査に手が回らないのは当然だが、それでも、既に面談を終えた者達も居るのだろう? 対応した士官らの反応はどうなんだ?」
このような騒動に発展するとは誰も思っておらず、急遽面接官を増員する羽目に陥ったのだが、その役目は専ら艦長クラスの士官らが担わざるを得なかった。
当然ながら、軍属としての経験値が高い彼らの観察眼は並大抵のものではなく、さり気ない会話の中から相手の思惑を看破する能力にも長けている者が殆どだ。
そんな海千山千の彼らを抜擢したエレオノーラの目論見は的を射ていたようで、朧げながらも投降者達の真意を掴めたのである。
「今の所は概ね良好ね。対応した者達の話を聞く限りでは、我々の虚を衝いて害をなそうとか、自由を得て情報収集を目論むといった類の思惑は感じられないみたいだし、私も百人程の捕虜から話を聞いたけれど、全く同じ感想を懐かずにはいられなかったわ」
「ふむ……となると、純粋な義憤かな? 貴族閥の専横に憤ったからとか?」
その結果に釈然としないものを感じた達也が推測を口にすると、少々困った顔をしたエレオノーラが意見を補足する。
「それも無いとは言えないけれど、中には、このアルカディーナ星系や主星であるセレーネの実相を知って、銀河連邦軍での軍人生活に疑問を覚えた者達も居るみたいなのよ……簡単に言ってしまえば、馬鹿々々しくなったって事」
「何だそれ? つまり戦うのが嫌になったから、移民を希望するって事か?」
想定外の事実に不意を衝かれた達也は素っ頓狂な叫び声を上げ、微苦笑しているエレオノーラをマジマジと見つめてしまった。
「まぁ、はっきりと口にした訳じゃないけれど、他の艦長の中にも同じニュアンスを感じたと申告して来た者達が多くてね……たぶん間違いないわ」
「なるほど……一度は敵対しておきながら、捕虜になったから移民させてくれでは通らないからな。何かしらの役に立ってから改めてという腹積もりか……」
恐らくエレオノーラや面談に当たった艦長らの見解は正しいのだろうし、そんな秘めた思惑があるのならば、寝返り志願者が百万人というのにも合点がいく。
だが、考えようによっては、梁山泊軍にとってもセレーネにとっても悪い話ではなく、諸問題を解決する為に必要な人材と労力の確保を同時に為せる好機であるのも確かだろう。
梁山泊軍は常に慢性的な人材不足に悩まされており、足りない人手は自立型AIによって賄っているのが実情だ。
そして、セレーネ周辺宙域で進められている各種開発事業や、新国家建国に伴って新設される予定の警察機構の人材確保等々、住人は幾ら居ても困らないというのが達也らの本音だった。
つまりそれは、軍属ではなくても、民間人として受け入れる選択肢もあるという事に他ならないのだ。
「ふむ……エレン達の見立てが正しければ、それは我々にとっても都合が良いな。だが、戦う事に積極的でない者を軍に編入はできない。それでも移住を希望するのならば別の職に就いて貰う……但し貴族とその配下は除外する。アルカディーナ達や他の住人とトラブルを起こすのは目に見えているからな。その線で進めたいが、どうだ?」
達也がそう問うとラインハルトと信一郎が頷いて賛同する。
「良いんじゃないか。永住するか否かは本人次第だが、戦争が終結するまでに考えて決めればいい事だし。建国宣言を控えて猫の手も借りたい状況だから、住民達も歓迎するだろう」
「艦隊の増強が図れるのは大きいですね……現在も工廠はフル稼働していますが、増産される護衛艦に比して乗員不足は深刻な問題でしたから、経験者の志願入隊は軍としても大歓迎ですよ」
彼らの言葉にエレオノーラとクラウスも頷いて賛意を示し、意見の一致を確認した達也は改めて命令を下した。
「ならば、その点を踏まえて捕虜との接見を続けてくれ。面談を終えている連中にも、もう一度だけ意志の確認を頼む。その気もない者を戦場に駆り立てても無駄に命を落とすだけだ……自分の生き方ぐらいは自分で決めさせてやりたいからな」
その言葉で懸案の一つは方向性が決まったのだが、喫緊の問題は他にも山積しており、今度は憂鬱そうな顔をしたクラウスが口を開いた。
「捕虜よりも厄介なのは地球からのお客様でしょうねぇ。勿論一部の者達に限っての事ですが、要求はエスカレートするばかりです。ファーレン星奪還作戦が成功したとはいえ、ヴラーグ司令官らが帰還するのは半月以上も先でしょう? この星に残っている指導者の面々で彼らを抑えられるとは思えませんし、厄介な事態にならなければいいのですがねぇ」
その諦念を含んだ物言いが如実に事態の深刻さを表しており、事情を知る達也らは揃って表情を曇らせるしかなかった。
だが、それは杞憂に止まらず、彼らの懸念は今まさに現実のものになろうとしていたのである。
◇◆◇◆◇
「ふう、やっと買えた。流石に人気店だけあって客も多かったな。だが驚いたぜ。まさかオーナーとパティシエがクレアさんの御両親だったなんてな」
妹達から頼まれていたスイーツを購入する為、バラディース中心部の繁華街にある人気の喫茶店を訪れたヨハンは、女性客で賑わう店内の様子に気圧されしながらも、リクエストされたワッフルケーキを無事入手してミッションをクリアーした。
しかし、その店の看板に書かれている『ローズバンク』という文字に目を止めたのだが、何処かで見た覚えがあるのに、その記憶の出所が判然としない。
「あの……店名には何か由来があるのですか?」
記憶が曖昧で答えを導き出せなかったヨハンは、お洒落な手提げボックスに梱包された商品を受け取った時に思い切って初老のマスターに訊ねてみた。
すると……。
「おや? ひょっとして君は、ヴ、ヴラーグ、そうヨハン・ヴラーグ君だろう? 以前クレアが軍を退役する時に撮った記念写真の中に君も写っていたよね?」
破顔したマスターから名前を言い当てられて大いに驚いたものの、直ぐにクレアの実父だと自己紹介して貰い、朧げだった記憶が漸く形を成した。
セレーネに移住してからというもの暇を持て余していたアルバートと美沙緒は、老け込むには早いと一念発起し、紅茶専門の喫茶店を始めたのだ。
アルバートが淹れた本場の逸品だと自慢するに値する紅茶と、料理上手の美沙緒が腕を振るったスイーツとの組み合わせは絶品であり、瞬く間に女性客からの支持を得て大層繁盛しているという次第だった。
(そうか、ローズバンク教官のお名前だったのか……あれから三年近くが過ぎたからな……色々と有り過ぎて、すっかり忘れていたぜ)
自身の軽率さには苦笑いするしかないが、偶然とはいえ大恩ある達也とクレアの御両親と知己を得たヨハンは、自然と頬が緩むのを自覚してしまう。
(こんな素敵な縁に出逢えるなんて……やはり、生きていて良かったな)
グランローデン帝国の横暴と地球統合政府の無慈悲な振る舞いにホトホト愛想を尽かし、反逆者と認定されて処刑されそうになった二万人の民間人を護って太陽系から逃げ出したのは、つい先日の事だ。
圧倒的な戦力で追撃してくる帝国軍と、支配域への侵入を拒んで武力行使も辞さないとの強硬姿勢を崩さない銀河連邦軍に挟まれ、絶体絶命の窮地に立たされた時の絶望と怒りは今でも忘れられない。
だが、そんな時に颯爽と現れ、並み居る敵を鎧袖一触で屠ったのは、他でもない死んだと思われていた白銀達也率いる梁山泊軍だった。
おまけに蓮や詩織までもが生きているのを知ったヨハンは、連絡一つ寄こさないその不義理に嚇怒し思わず怒鳴ってしまったのだが、ふたりとの再会は喜び以外の何ものでもなく、不思議な縁に心から感謝したのである。
幸いにも、仲間共々志願して入隊した梁山泊軍はアルカディーナ星系戦役で大勝を収め、同時進行で決行されたランズベルグ皇国並びにファーレン王国奪回作戦も味方の勝利で幕を閉じたとの報告が入っている。
だが、グランローデン帝国皇帝を討ち取って敵の一翼を無力化したものの、本命の銀河連邦軍は未だにその戦力の大部分を温存しており、戦いはこれからが本番だと言っても過言ではない。
しかし、それでもヨハンは先行きは暗くはないと楽観的に考えていた。
(どんな厳しい戦いでも白銀提督ならば必ず勝つ!)
根拠はないが、彼はそう信じて微塵も疑ってはいないのだ。
だが、そんな単純で一本気な彼であっても不本意な柵からは逃れられず、身近な問題として頭の痛い厄介事を抱えているのも事実だった。
地球から避難して来た民間人の一部が声高に不満を漏らしており、臨時行政府の管理者らと度々揉め事を起こしては、周囲の者達との亀裂を深めているのだ。
指導者クラスの者達が諫めるのだが、彼らの不満が収まる気配はなく、この儘では地球人同士の流血沙汰に至る恐れも充分にあった。
取り敢えずは、ファーレン王国奪還作戦に従軍しているセルバの帰還を待ってから話し合いをするといって抑えてはいるが、それも何時までもつかは分からない。
そして、今まさにヨハンの目の前で、その懸念が現実のものになろうとしていたのである。




